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グース・ガーデンで働くか、グース・ガーデンに人を売り付けられる程の奴隷商になるか。
一部からは狂乱都市とさえ呼ばれる地区、ニンバラー。
レガリス有数の超高級娼館、グース・ガーデンが存在する事で広く知られるこの地区では、孤児院上がりの人間が人並み以上の生活をしようと思ったら、その2択しか無かった。
現に、このニンバラー地区を仕切っているストリートギャングの構成員には、孤児院出身の者も多い。
そしてレガリス有数の高級娼館もさる事ながら、歓楽街としての強大かつ莫大な利権と利益にストリートギャングを含め裏社会の連中が関わらない訳も無く、帝国兵達との癒着や腐敗も相まってニンバラー地区の治安の悪さは歓楽街としての評判同様、他方の地区にも知れ渡っていた。
その上、高級娼館ともなれば帝国の兵士が利用しない道理が無い。
帝国の金貨と引き換えに、容姿とサービスに全てを注ぎ込んだ美女達の“接待”を受けられると来れば、金貨目当てに人を平気で殴る様な帝国兵が寄り付かない訳が無かった。
酒と女、“色”に浸けて煮固めた歓楽街なだけあってそこを管理するギャングや奴隷商も別格であり、裏社会の人間でありながら帝国兵及び帝国との癒着や腐敗の“必要性”を踏まえ、付き合い方を弁えた者が揃っている。
そんなニンバラー地区の中でジルスゼン孤児院は先代、もしくは先々代から運営費や資金面で奴隷商やギャングと癒着している事から、“使いやすい”ギャングや奴隷を輩出している事で有名だった。
ニンバラー地区の裏社会において、奴隷を売る事や育ち盛りの少年少女をギャングに売り渡して金に変える事は、農場や畜産業にさえ例えられる。
そんな悪名高く、またニンバラー地区の裏社会からは深く愛されていたジルスゼン孤児院。
ラシェルと呼ばれたブロンドのその少女は、物心ついた時にはその孤児院に居た。
確かに裏社会では当然の理由で女性はそれだけで重宝されるが、ラシェルが着目されていたのはそんな理由では無い。
美男美女が溢れる歓楽街、ニンバラー地区においても幾らか目を引く程にラシェルは同年代の子の誰よりも可愛らしく、そして周囲から愛されていた。
勿論“人に値札を付ける連中”が、歩いているだけで目を引く様なラシェルに、目を付けない訳が無い。
表立った動きこそ無いものの、高級な服を着た人々がラシェルの周りやラシェルの関係者の元へと集まり始め、就職や金銭の支援を申し出始めた。
この街の人間は皆、分かっている。
刈り入れ時が近いのだ。
真っ当な職業に関しての刈り入れを考えている者も居たには居たが、正直に言ってしまえば半数以下だった。
ギャングと深く関わっており、表の看板には載せていない仕事をしている企業。酒場の経営と言いつつも大した酒も出さずに、店員に値段を付けている店。
割高な金額と引き換えに、リスクを真の意味で把握していない内に無垢な若者を、歓楽街の住人へと引き入れる。
そうして、徐々にニンバラー地区が狂乱都市と呼ばれる由縁を見せ始めた頃。
当のラシェルは、真っ当な職業にも歓楽街への誘いにも応じず、堂々と言い放った。
聖職者。修道女になる、と。
刈り入れ時を狙ってきていた大人の殆どが腰を抜かす程に驚き、当然ながら聖職者として生きる過酷さや自分の職業の素晴らしさを説き、説得しようとしたがラシェルも笑顔のまま、決めた事なのでと譲らない。
同年代より抜きん出ているのは可憐さだけではなく、聡明さも備えていたラシェルは自身が周りの大人にどういう目で見られているか、充分に分かっていた。
勿論、自身だけでなくこの孤児院、ひいてはニンバラー地区自体が他の地区に比べて、どんな場所なのかと言う事も。
予め周囲の信心深い人々に協力してもらい、話を通していたラシェルは呆気ない程に滞りなく荷物を纏め別れを済ませ、ニンバラー地区から列車で出発してしまった。
こうして、数多の大人から目を付けられていたラシェルは、孤児院の他の少年達の様に高額と名誉を求めてギャングへ加入する事もなく、ギャングと癒着した企業へ就職する事もなく。
孤児院の他の少女達の様に、高額を求めて下着と下着の中身を売る事もなく、肌を肴にして酒場の売上を伸ばす様な事もなく。
道端に唾を吐く憲兵が勤める帝国軍以上の宗教施設が存在しないニンバラー地区から、修道院と修道会を求めてあのラクサギア地区へとその身を移す事となった。
孤児院の本棚の奥にあった、古びた聖書。
表紙がひび割れ、所々破れたカビ臭い聖書が救いになる者も居る。
修道会の者が記者に聖職者を集う文面を書かせる為に考えた様な経歴と共に、ラシェル・フロランス・スペルヴィエルは狂乱都市から殆ど真逆とも言える有数の宗教地区、ラクサギア地区へと向かう事となったのだ。
グース・ガーデンにさえラシェルの名前を売り込んでいた者も幾らか居た様だが、ラシェル本人としては率直に言って反吐が出る思いだった。
どれだけ金貨を積まれようと、どれだけ裕福な暮らしが出来ようと、娼婦になどなってたまるものか。
あのニンバラー地区出身だろうと関係ない。私は、私が誇れる道を進む。
決して、悪辣や腐敗を何とも思わない様な腐りきった連中にはならない。
そんな自身の正義を信じるラシェルに取って、ラクサギア地区のメネルフル修道院は望んでいた以上の誇りと目指すべき道を与えてくれた。
厳格な戒律、高潔な精神。慈愛と訓戒、賛美と崇拝。
ニンバラー地区の歓楽街では、どれだけの金を持っていても手に入らない信念。
頭角を現す、とは言わないもののその勤勉かつ敬虔な姿は、多くの修道女達を感心させた。
聖職者こと修道女としては、修道院に入ったばかりだと言うのにラシェルは既に多くの修道女、そしてラクサギアの信心深い人々から愛されている。
そんな中、ゼナイドと呼ばれる“恩寵者”がラシェルへと不意に声を掛けた。
相手はメネルフル修道院の殆どから崇拝されている、信仰の体現者こと恩寵者だ。
当然ながらラシェルも深い敬意を払い崇拝していたが、そのゼナイドが不意に信じられない事を言った。
貴女がその気なら、貴女にも恩寵を受ける資格があるかも知れません。
その言葉はラシェルの名前と共に、瞬く間に修道院中へ広がった。
恩寵者様から直々に、新たな恩寵を受ける者が見いだされたと言うのだから、名が広がるのも無理は無い。
ある者は驚き、ある者は感心し、またある者は納得していた。
あのラシェルが恩寵の資格を見出だされ、恩寵者となるかも知れない。
新入りの身でありながら熟練の聖職者にも負けない信仰と高潔さを備えていたラシェルは、その名誉に服が汚れる事も厭わずその場で両膝をつき、感激の余り大粒の涙を溢した。
そして、今まで以上に深い信仰と清廉かつ敬虔な聖職者として過ごし、遂に恩寵を受けるべく地下入りする時が翌週にまで迫っていた、週末のあの日。
運命の、あの日。
まだ昼だと言うのに冷たい雨が降りしきる中、ラシェルが買い物籠を持って帰り道を歩いていると、3人の帝国兵が目の前からラシェルと同じく雨に濡れながら歩いてきた。
有数の宗教地区たるラクサギア地区に配属された帝国兵は本来、聖職者と見分けが付かない程にテネジア教徒としての立場を前面に押し出した服装へと、換装させられるのだが。
その3人は、目に見えて服を着崩しており一目見ただけで信心深くない事が見て取れた。
内心、軽蔑に近い物を感じながらも顔には隣人を愛する教徒として笑顔を見せながら、ラシェルが雨の中を歩いていく。
すると不意に帝国兵3人が、ラシェルを指差して喜ぶ様に笑った。
両者、共に笑顔で向き合っているが余りにも、笑顔の質が違い過ぎる。
一方は清廉かつ敬虔たる聖職者の、慈愛の溢れた笑顔。
一方は粗暴かつ乱雑な帝国兵の、品に欠けた笑顔。
ラシェルは知らなかった。
帝国兵達が、修道女達をどんな目で見ているのかを。
めぼしい酒場も娼館もギャングが所有しているこの土地で、配置換えを申し出ている帝国兵が少なくない事を。
そして、ギャングからは縁遠く荘厳たる修道会に支配されている地域とは言え、まだ訓練を受けておらずめぼしい武装も無いラシェルが1人で歩いているのを、信心に欠けた帝国兵がどう思うのかを。
3人が、口々に言った。
こいつで良いんじゃないか。
雨の日にも出歩いてみるもんだ。
聖女のお恵みだ。
慎んで受け取ろうじゃねぇか。
ラシェルが3人の意図を理解出来なかったのは酷いスラング混じりの会話だった事も大きいが、決定的な意識の違いがあったからだ。
ラクサギア地区の聖職者は、どの帝国兵からも敬意を払われていると。
雨の中を悠々と歩いてきた3人が、ラシェルの前に立ちはだかる。
それでもラシェルは、修道女の名に恥じない慈愛に満ちた笑顔で訊ねた。
どうかなさいましたか?
同じく、笑顔の帝国兵が雨に濡れたラシェルを頭から爪先まで眺めた後で、答えた。
申し分無いな、満点だ。
そう言って大きく振りかぶった帝国兵に、ラシェルが不思議そうに言葉を返す。
満点?
ラシェルがそう返した、その瞬間。
ラシェルの左目に、岩の様な拳が食い込んだ。




