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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 あの悪魔には、関わってはならない。





 お世辞にも自分は信心深い方では無かったが、子供の頃の自分は祖父の話を聞くのが好きだった。


 自分とは対称的に、家系の誰よりも信心深かった祖父は事あるごとに言ったものだ。


 “悪魔が一番喜ぶのは、存在を否定された時だ”と。


 “悪魔はお前の想像を越えた存在であり、邪悪の匂いを嗅ぎ分ける者だけが悪魔を見破れる”と。


 “絶対に悪魔を許さず、悪魔に気を許すな。”と。


 何度も何度も、祈りの様にも戒告の様にも聞こえる調子で祖父は自分に言っていた。


 祖父が亡くなって三十年以上経つが、未だにあの言葉は自分の中に残っている。


 そしてこう言っては何だが、つい最近まで祖父のその言葉を本当の意味で受け止めてはいなかった。


 忘れもしない、メネルフル修道院襲撃に向けて準備していたあの日。


 レガリス南部のある崩落区画において、私は“本物の悪魔”を見た。


 勿論、私だって何も知らなかった訳では無い。


 “アレ”がどれだけの残虐行為を行ってきたかは聞いていたし、帝国軍時代の所業は許しがたいとも思っていた。


 死者で街を作り、血で湖を満たせる程の罪状を重ねてきた事も知っている。


 帝国軍の兵士相手に不気味な黒魔術を操り、カラスを肩に従えていた、なんて話を聞いた時には「怪物の名は伊達では無いな」なんて思っていた。


 そんな“人喰いカラス”が、自分の担当するラクサギア地区付近の崩落区画に準備の為、やってくると聞いた時は正直に言って不機嫌になる程度だった。


 そんな縁起の悪い、黒魔術なんて扱う様な不気味な奴を世話する羽目になるのかよ。


 そう思ったのを覚えている。


 だが、特殊不燃ガス“ジェリーガス”の充填された気嚢を備えた小型航空機によって、あの怪物が崩落区画に来たあの日。


 例の“血塗れのカワセミ”と共に、現れたあの“怪物”を一目見て、悟った。


 何も、デイヴィッド・ブロウズは崩落区画で暴れた訳では無い。


 何か騒ぎを起こした訳でも、何なら団員と衝突した訳でも無かった。


 だが。


 鼻の利く者が見えない猛獣の気配を嗅ぎ取る様に、直接触れずとも熱された金属に手を翳しただけで熱を感じ取る様に。


 一目見ただけで、全身の骨と脳髄が感じ取った。


 こいつは、存在してはいけないモノだ。


 信心深い家系に生まれた為か、自分は相手がどんな人間かを嗅ぎ取るのが昔から得意だった。


 人を殺した事のある人間はそれを語らずとも感じ取れたし、逆に殺した事が無いのに経験者の様に語る奴は、必ず見抜く事が出来る。


 また強者は強者として話す前から嗅ぎ取る事が出来たし、とんでもない実力者は同じく嗅ぎ取る事が出来た。


 そうやって自分はこれまで数多の戦士と狂人、そして人殺しと英雄を見てきたし、若い団員に「真の戦士は立ち姿からして違う」と偉そうに話し、「相手がどんな人間かを嗅ぎ分けてきたからこそ、自分は今日まで五体満足で生きてこられた」と自慢した事もある。


 こいつは、そのどれとも匂いが違う。


 どんな狂人や人殺しよりも血と内臓に馴染み、どんな戦士や英雄よりも強敵を屠ってきた匂い。


 こいつは、化け物だ。


 人の立ち姿をしてマグダラ語を話しているだけで、その気になれば今すぐにでも人を頭から齧り取る様な怪物だ。


 容易く人を踏み潰し、喰い千切るサメやタカが人の真似事をして歩いている様な、猛烈な違和感と恐怖。


 相手が王であろうと首を切り落とし、相手が聖母であろうと腸を喰い破る。


 目の前に立っているこいつは、そんな存在だ。


 自分はこれまで、あの怪物の事を真に理解していなかった。


 そこまで畏怖しなくても良いのでは、と。


 だが実際に奴を見て、はっきりと分かった。


 あれは、関わってはいけない。絶対に、存在してはいけないものだ。


 “血塗れのカワセミ”ことラシェル・フロランス・スペルヴィエル。


 “偏屈なノスリ”ことユーリ・コラベリシコフ。


 2人は我が団において、騎士気取りのどんな帝国兵どもよりも誇り高く、血と泥を厭わない真の戦士だ。


 自分も幾度と無く、例えに出して称えた経験がある。


 仮に彼等の栄光と信念を称えるならば、黄金か純銀の鎧と剣が相応しいだろう。


 まぁ、本人達は絶対に望まないだろうが。


 何にせよそれほどの称賛と栄光が相応しい高みに、2人は戦士として立っている。


 過酷な鍛練と高潔な使命、鋼の様な信念によって辿り着ける高み。


 その高みに、余りにも“異質”な怪物が並んでいる。


 使命と信念の末に高みへと至った真の戦士とはまるで違う、余りにも“異質”な怪物。


 あんな怪物を本当に使うのか、他の戦士では駄目なのか、と陰でカワセミに幾度か尋ねてみるも、返事は何一つ変わらなかった。


「カラスの呪いだろうと、怪物の共食いだろうと、敵を喰い殺すなら私は何だって使う」と。








 ラクサギア地区が沸騰した様な大騒ぎになっている最中、例の“服を着た怪物”は血塗れの姿で崩落区画まで戻ってきた。


 レイヴンマスクを外した目元には、何故か右目の辺りだけインクを拭った様な痕が右頬に伸びていて。


 着たままの黒革の防護服には、塗り付けた様な夥しい血糊が張り付いていて。


 そして腰には、血の滲んだ麻袋をぶら下げていた。


 瓶を持ってこい。


 そう無愛想に言い付けたかと思えば、何を言うでもなく奴はまるで買い物の袋でも開けるかの様に、机の上に麻袋の中身を放り出した。


 自分が息を呑むと殆ど同時に、隣に居る団員が悲鳴を上げながら後ろに転ぶ。


 苦悶の表情が今も色濃く刻まれている、血塗れの修道女の頭。


 その髪と顔には乾いた泥の様に血と脂が絡み付いており、その状態に至るまでの惨劇を物語っているかの様だった。


 修道女の生首。そんな大罪の象徴の様な代物を何一つ感情の見えない、剥製の如き眼が見つめている。


 まるで、捌いた空魚でも見ているかの様に冷めきった眼だった。


 床に座り込んだまま、声も出せなくなった団員を尻目に確信する。


 例えどれだけ革命に貢献しようとも、この怪物は絶対に生かしておいてはいけないモノだ。


 この怪物は、誰かが必ず討たなければならない。


 浄化戦争に帝国兵として加担し、数多の命を奪い踏みにじった上で、今度は血に飢えた獣の様に抵抗軍へと入り修道女の首を引き千切っている、おぞましいカラスの怪物。


 絶対に、革命の後のレガリスにこの怪物を放つ訳には行かなかった。


 幹部達と極一部の者達はこの怪物に使い道を見出だしているらしいが、絶対にこんな怪物を生かしておくべきではない。


 申請している交代要員がこの崩落区画に到着したら、カラマック島にてすぐにでもデイヴィッド・ブロウズの追放及び、始末を目指しているグループに加入するつもりだった。


 最早これは個人の感情ではない。


 あんな罪深く恐ろしい怪物は、絶対に始末しなければならないのだ。


 革命を果たしたレガリスをこの怪物が這い回って、無辜の人々へとその血塗られた手を伸ばす前に、我々が食い止めなければならない。


 幸いにも、人喰いカラスことデイヴィッド・ブロウズを生かしておくべきではないというグループは、カラマック島において日に日にメンバーを増やし、同志を増やしているという。


 いつか革命を成したその時、あの怪物が尚もしぶとく生き延びていたなら。


 我々は、敵味方見境なく人を喰い殺すこの血に飢えた怪物に、終止符を打つ義務がある。






 この赦されざる怪物の、手綱を握る者として。

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