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トルセドール内で、騒ぎがあった。
最近手に入れたばかりの街とは言え、抗争も起きてない場所でトルセドールのメンバーが修道院側についていた事を自白した、民衆の女を処刑すると言うのだ。
今やトルセドール側の人間が完全に支配しているラクサギア地区において、修道院側についていた人間が見つかる、と言うより何故処刑される程の事件を起こしたのか。
元々は修道院側に付いていたなら優遇こそされずとも、黙っていれば少なくとも無事では居られた筈だ。
只の民衆の女では、逆らった所でどのみち多大な被害を与えられるとは思えない。
何か起こせるだけの気概があるのなら、もっと早くに目を付けられていた筈。
ならば何故、その女は自身が修道院側に付いていたと自分から告白したのか?黙っているより酷い目に合うと分かりきっていた筈なのに。
それも含めて、妙な話だった。
怪訝な部下がコーヒーを淹れる際に何気無く溢した、下らない世間話。
朝方にエスプレッソのダブルを楽しんでいたロドリグ・ユングランは、偶然にもそんな話を聞いた。
取るにも足らない話として、リーダーの手を煩わせる程でもない小事として。
勿論だがその地域で修道院側に付いていた女を処刑する予定だった、と言った報告や噂もロドリグは聞いていない。
つまり、現地で突発的に発生した事象である事は、ほぼ明確。
結論から言えば、ロドリグはダブルのエスプレッソを一息に飲んでその街に向かった。
修道院側に付いていた民衆の女が自白し、処刑する流れとなってしまえばトルセドールの構成員がどんな判断を下すのか、容易に想像は付く。
分かりきった判断を下す前に、その修道院側に付いていた人間が何故そんな事をしたのか。何故そんな事態と結果に至ったのか、気にしなければならないと思ったからだ。
現場に辿り着くまでの間、ロドリグは様々な理由と結論を考えていた。
修道院側の人間が目を付けられる程の騒ぎを起こした理由。よりによって、完全にトルセドールに支配された区域で、自身を修道院側についていた民衆だとわざわざ自白した理由。
流されるしか無かった無辜の人々ではなく、修道院側について恩恵に浸っていた側だと、わざわざ自分から自白するに至る理由。
馬鹿らしい案から不謹慎な案、おぞましい案まで様々な理由を考えていたロドリグだったが、実際の理由は単純明快かつ納得の行く理由であった。
修道院側についていた女は、母親だったのだ。
夫を圧力事故で失った妻は幼い子供を一人で育てるしか無く、ラクサギア地区において修道院が支配していた街に住んでいた妻は、額から汗を滴らせながら働いた。
だが、この街でどちらにも付かない人々に吹く風は冷たい。
ましてや幼い子供をたった一人で育てる母親には、風は余りにも冷たすぎた。
せめて子供だけでも、と働いていた母親は過労が響き、働くのにも苦労する身となっていく。
幼い子供を守る為に、母親が取れる方法は一つしか無かった。
子供に手厚い庇護を受けさせる代わりに、修道院と修道会に全てを捧げたのだ。
まともに読んだ事の無い聖書を必死になって覚え、欠片も崇拝出来なかった神に真摯な祈りを捧げ、自らの全てを費やしたのだ。
“魂を売った”と人々から蔑まれようとも、母親が子供に不自由なく育てさせるにはその手段しか無かったのだ。
お陰で周囲から裏切り者と噂されても、子供が修道会の援助により貧しい思いをする事は無かった。
自分は魂を売った報いを受ける。だが、罪の無い子供だけはトルセドールの庇護を受けさせてやってほしい。
跪かされ、サーベルとライフルを向けられたまま、それでもその母親はそう訴えていた。
頼りだった修道会が力を失いトルセドールが闊歩する事になり、修道院側についていた者が非難される様になった今、この母親に出来る事は自身を引き換えにするしかない。
この女は修道院、そして修道会に加担した。子供に罪が無いとしても、お前は血の報いを受けるべきだ。
そう言って猛獣の様に歯を剥いて唸る構成員を、ロドリグは手で制した。
子供の為に処刑さえも覚悟していた母親が、驚いた様に顔を上げる。
かつて、ロドリグはラクサギア地区の中でも貧しい家系に生まれ育ち、飢えるよりはと言う一心で親の次に貧しい家系へと差し出されていた。
今となっては子供が飢えない為だったのか、親が飢えない為だったのかは分からないが。
後に病死したと聞いた親に、結局ロドリグは差し出されて以来一度も会えなかった。
子供はどうしている?
そうロドリグが聞くと、構成員の一人が戸惑いつつも答えた。
奥で暖かい食事を取らせている。少し咳をしていたので、その辺りも医者に見せる予定だ。
あの子供に罪は無い、母親よりはマシな人間になるだろう。この女の望み通り、一通りの世話はしてやるつもりだ。
そんな部下の言葉にロドリグが過去を反芻する様に目を閉じた。
部下にライフルを下げさせ、跪かされている母親に歩み寄ったロドリグが膝を付いて目線を合わせる。
手を出せ。
驚く母親に構わずそんな言葉を投げると、母親は恐る恐るといった様子で両手を出した。
その手が素早く掴まれる。
女の手は、ロドリグの目から見ても酷く荒れていた。
働き者の手だ。それに包丁を握る部分の指が硬く、皮膚が厚くなっている。
言葉に嘘は無い。それに、この女は間違いなく死ぬ覚悟で子供を守ろうとしていた。
保身を匂わせる行動は、何一つしていない。
自分の保身の為に子供や過去を利用する様な、そんな連中とも違う。
顔も思い出せない、幼い頃の両親の姿がロドリグの脳裏を過った。
この子供は母親の事を、どれだけ覚えているだろうか。
また自分と同じ歳になる頃、どれだけ顔を思い出せるだろうか。
深く、長くロドリグが息を吐いた。
そしてゆっくりと口を開く。
料理は出来るか?
女は酷く戸惑ったが、少しして言葉の真意を察し、涙ながらに頷いた。




