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クロヴィスが、訳の分からない事を言っている。
もう少し早く話し始めるべきだったか。
こうまで酒が入ってしまっては、もうクロヴィスと真面目な話は無理だろう。
ヴィタリーはまだ大丈夫そうだがこのまま話して、明日以降も話の中身が残るとも思えない。自分も含めて。
まぁ、急ぎの話でも無い。また数日経った辺りで、改めて話でもすれば良いか。
そんな事を考えているとヴィタリーが何を言うでもなく、手元のグラスにウィスキーを注いできた。
まだ完全にはグラスを干していなかったが、当たり前の様な顔をしている辺りどうやらヴィタリーもまだまだ飲むつもりらしい。
よくクロヴィスもヴィタリーも、私が大事な話の時でさえ自分が“ウィスキーを飲み過ぎる”と思っている様だが、単純に相手よりも自分の方が酒に強いだけに過ぎなかった。
しかし今考えれば自分もこの話をしようと思い至るまでが随分と遅かった、彼等の落ち度では無い。
いや思い至るのが遅かった、と言うよりはこの酒の席で真面目ぶった話をしよう、等と思い付いた自分が良くないのか。
この頃、歳を取る度に飲める量、いや飲んでしまう量が増えている様な気がする。
許容量の問題ではなく、忍耐の問題だな。
そんな自嘲染みた思いが脳裏を過り、誰にも分からない程度の笑みが口の端から零れた。
特に顕著になったのは、40を過ぎた辺りだったか。
年齢に勝てない事を分かっている者は賢いが、抗わない者は臆病者だ。
そんな言葉もあったな。だが年齢に抗うと言うのは想像以上に骨が折れる。
若者には負けない気概でやってきたが、考えてみればこの幹部3人において、40を過ぎたのは自分だけだ。
ヴィタリーももうすぐ40とは言えやはり自分より若いのは間違いなく、気概に関してもやはり骨がある、と思う事も少なくない。
世の中には40どころか50前、50過ぎになっても信じられない程強い者が居るそうだが、何故その様な連中が一握りしか居ないのか、今なら良く分かった。
グラスに注がれたウィスキーを特に考えず、口に流し込む。
本当に時に抗うつもりなら、今のウィスキーも含めて思い留まらなければならない事が、幾つもある筈だ。
何気ない事に逆らう事は、過酷な鍛練や戦闘に挑むのと、同じぐらい難しい。
信念と規律、か。
「おい、アキム大丈夫か?」
ヴィタリーがそんな言葉と共に、何かを言い続けているクロヴィスから自分へと意識と注意を向けてくる。
喋り続けるクロヴィスと対称的に、何も喋らない自分に“別の危険”を感じたのだろう。
まぁ、これだけ酒が入ればまともとは言わないが。
「大丈夫さ。少し話そうと思ったが、どうせ明日には頭に残りそうに無かったんでな」
「何だよ言えよ、これだけ酒飲んでる最中でアキムがそんな言い方するって事は、別に急ぎの話じゃないんだろ?」
クロヴィス程じゃ無いにしろ、ヴィタリーも中々に酒が入っているのは間違いないらしく、いつもより随分と楽しそうにそんな言葉を投げてくる。
僅かにウィスキーが残ったグラスを見つめた。
クロヴィスが相変わらず訳の分からない話をして1人で笑う中、ヴィタリーが仕草で此方を促す。
考えてみれば別に真面目な議論が必要な話でもない、単純に作戦の大きな成果を喜ぼうと言う話だった。
背中を伸ばし、背骨の小気味良い音を聞いてから言葉と言葉の意味に酒が混じっていないか頭の中で確かめてから、口を開く。
「現地の調査員から改めて報告があってな」
グラス片手に、ヴィタリーが頷いた。
「ラクサギア地区は、あれから随分と治安が向上したらしい。街の商業も活発化しているそうだ」
そんな自分の言葉に、ヴィタリーが意外そうな顔をした後に僅かな笑みを浮かべた。
「何だ、そんな話かよ。ラクサギアの修道会……聖レンゼル修道会だったか?その修道会が大きく衰退して、ラクサギア地区は聖女レンゼルと聖母テネジアから見放されたってな。そこまでは俺も聞いてるよ」
ヴィタリーが自分のグラスに改めてウィスキーを注ぐ。
「そのおかげで、ラクサギア地区はかなり平和になったともな」
少なくとも路肩に死体が並ぶ様な事は無くなった、と続けるヴィタリーに食い付く様に、先程まで訳の分からない事を話していたクロヴィスが随分と陽気な語気で近寄ってくる。
「奴等の作るワインとシャンパンは素晴らしいぞ!!このシャンパンはもう試してみたか?昼寝の夢から持ってきたみたいに飲みやすいぞ!!」
自分が一番酒に弱いのに、酒に溺れる相手を宥める立場だと思っているのは相変わらずだった。
必要以上の大声で笑いながら言うクロヴィスに、ヴィタリーが笑顔を向ける。
「あぁ、あぁ。旨いよな」
「その上葉巻も最高だ!!ブラックマーケットで取引出来る物の中で奴等の葉巻は、有数の一つだと認めざるを得まいよ!!なぁアキム!!」
ヴィタリーが適当にクロヴィスを宥めるが、クロヴィスは益々楽しそうに言葉を続けていた。
クロヴィスはついこの間も、自分に向かって「酒の飲み過ぎには気を付けるべきじゃないか」と言い放ったばかりだと言うのに。
「それに、ラクサギア地区の連中は随分と武器を買ってくれる!!サーベルにライフル、弾薬に燃料!!品質さえ証明すれば、面倒な値引き交渉も無し!!」
心底楽しそうな笑みと共にクロヴィスがそう続けるのを見て、自分とヴィタリーが顔を見合わせて笑う。
言ってみれば、元々は純粋に成果を喜ぼうという話でもあった。
「クロヴィスの話に合わせる訳じゃないが、現にブラックマーケットの景気は良いし大口の取引もどんどん増えてるし、生産設備も拡張が進んでる。一応、慎重に計画する様には言ってあるがな」
そう上機嫌そうに語るヴィタリーのグラスにウィスキーを注いでやり、適当に相槌を打つ。
手元のグラスを揺らしてウィスキーの煌めきを眺める様にしながら、ヴィタリーが更に言葉を続けた。
「楽観的に言うつもりは無いが、酒の席だしまぁ良いだろう」
シャンパンに合う肴を食べ比べているらしいクロヴィスを尻目に、ヴィタリーが言う。
「黒羽の団の力は、どんどん向上している。ウィスパーもそうだが、団全体も勢い付いているし諜報班も随分と広範囲かつ、詳細な情報を集めてこられる様になった。身分を偽ってレガリスの裏を嗅ぎ回ってくれるお陰で、レガリス中の情報が裏表問わず入ってくる」
ヴィタリーの言う通り、諜報班から入ってくる情報は随分と多い。
幾らか現地の判断に任せ情報ルートを新たに開拓した場面も多く、レイヴンを動かす機会もかなり増えた。
士気も高まっており、幾つかの小さな任務においては「騒がず知られず遺体だけが残る」という上々の結果に終わった任務もある。
「レガリスの連中においても、明らかに前とは空気が違う。俺達が本当にレガリスを変えようとしている事を、民衆も感じ取ってるらしい」
そう言いきってから、ヴィタリーがグラスの中に煌めくウィスキーを味わう様に、幾らか飲んだ。
ヴィタリーの言う通り確かに情報としても、レガリスの人々も我々が息を吹き返し再び帝国に変化の火をもたらそうとしているのを、人々は感じ取っているとの報告が入っていた。
無辜かつ善良な人々、抑圧と圧政に抗う人々。荒事に自信がある者、荒事も辞さない者。
勿論、と言っては何だが裏社会の連中、ギャング達も変化の兆しを嗅ぎ付けて“備え始めた”という報告もある。
「そう!!!」
急な大声にヴィタリーと自分が振り返ると、酒が回ってあからさまに顔が赤くなったクロヴィスが空になったグラスを高々と掲げつつ、冥利に尽きると言わんばかりの表情で叫んでいた。
「遂に変革の時代が近づいている!!我々がもたらした灯火が薪へと移り、大火へと成長しようとしている!!」
呆れた様な笑いと共にヴィタリーが止めようとしたが、敢えて肩に手を掛けて止める。
ヴィタリーが振り返るも、此方も笑いつつ小さく首を振った。
「言わせてやれ」
ヴィタリーに止められない事に気付いたのか、それとも気にしていないのかは分からないが、意気揚々と言葉を続ける。
「その大火に人々は一度は潰えた希望を再び見出だし、再び変化!!革命を信じる様になった!!レガリスの人々は、機が熟すのを待っている!!」
そこまで言い切った上で、思い出した様にクロヴィスが掲げていたグラスを此方に突き出してきた。
少しして真意が分かったヴィタリーがウィスキーを溢れんばかりにそのグラスに注ぎ、自分のグラスにも注ぎ、此方のグラスにも注ぐ。
殆ど溢れそう、と言うより幾らか溢れて床にウィスキーが滴っていたが、こういうのは幾らか溢れた方が良いものだ。
「我が団の、未来に!!!」
陽気な語気のまま、ウィスキーのグラスを高く掲げるクロヴィスにヴィタリーが笑いながら、同じくグラスを掲げる。
「分かった、分かったよ。我が団の、未来に」
ウィスキーの勢いも手伝ってか、自然と笑みが溢れた。そう言えば、去年もこんな事をやったな。
だが考えてみればあの後の窮地、灯火管制に至る程の危機でさえ我々は乗り越えてきた。
自分達には、未来を信じる権利がある。
また、圧政に苦しむ人々へ革命を呼び掛ける権利がある。
グラスを高く掲げ、ウィスキー溢れるグラスを付き合わせた。
高く掲げられたグラスをぶつけ合う。
「我が団の、未来に」




