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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 良い夜だった。





 まるで予定とは違ったが、これはこれで悪くない夜だ。


 私の胸に顔を埋める様にして寝息を立てているマリーを、優しく撫でる。


 あのメネルフル修道院の一件以来、自分でも認めざるを得ない程に、私は過去から解放されていた。


 あの悪夢は、あれから見ていない。少なくとも今の所は。


 怪我の治療を受け、崩落地区からカラマック島に帰った私の変化に気付く者は少なかった、と言うより殆ど居なかった。


 だが、あれだけ心を通わせ、おぞましい過去を話し、熱く愛し合ったマリーが、私の変化に気付かない訳がない。


 カラマック島に帰ってきた私を見るなり、直ぐ様マリーは私があのおぞましい過去から、少しばかり救われた事を悟った。


 私が挨拶の言葉すら話していない内から、だ。


 それからは比較的、平穏な日々を過ごした。


 癒えた傷の様子を見ながら運動と鍛練をして、マリーと他愛無い話をして。


 マリーの得意料理を食べて、記念日以外の日に開ける事を躊躇う様な酒を、2人で開けて。


 あの随分と高い葉巻を買った時は“吸う時など来るのだろうか”と思っていたが、今日の様な日の為にあったのだと今なら分かる。


 その甲斐あってか、今日のマリーは特に可愛かった。


 寝息を立てるマリーを撫でながら、ラクサギア地区の出来事に少しだけ思いを馳せる。


 ………我ながら、過ぎた過去に決着が付けられるとは思っても見なかった。


 いや、と自分を訂正する。


 過去は過去に過ぎない。私が勝手に、救いと解放を感じているだけだ。


 あれだけ“過去は過去に過ぎない”と長年言い聞かせてきたのだから、今更になって反故にする訳には行かなかった。


 だが現に、あの任務が終わってからと言うものの刺さっていた杭が抜けた様な、巻き付いていた鉛の鎖がほどけた様な、歯車に巻き込んでいた砂が全て洗い流された様な、随分と身軽な気分が続いている。


 結果論ではあるが私は、誰が憎いのか何が憎いのかも分からなかった復讐を、全てとは言わずとも無事に成し遂げたのだ。


 それも、私に取って正しい形で。


 きっとこれは僥倖で、決してありふれた結末ではない。


 私は、千載一遇の機会を適切な形で掴み取ってモノにしたのだろう。


 勿論感謝など、まるでする気は無かった。


 これは私が私の力で掴み取った、私の勝利なのだから。


 修道院の事を考えていたら少しだけ煙草を吸いたくなったが、流石にマリーが胸元で寝息を立てているこの状況で吸う訳にも行かない。


 酒のグラスにも少し手を伸ばしたが、グラスの置かれたベッドサイドテーブルは、手の届かない遠くへと離してあった。


 そう言えば、邪魔になるからと意図的に遠くに置いたんだったか。


 結局、酒も煙草も無しのまま修道院の任務に思いを馳せた。


 それなりの日数が経ったと言うのに、血腥い空気が昨日の出来事の様に脳裏へと甦る。


 確かに他の報告員や幹部、今回の任務に関わった奴の殆どは私や任務の事を何とも思わないだろう。


 “そんな手があったのか”と金貨の手品でも見せられた子供の様に、納得して称賛して、何なら他の連中にも自慢ついでに広めて回るだろう。


 全員に好都合な成功を疑う事は、全員に不都合な失敗を疑う事に比べて遥かに難しい。


 だから私含め、過酷な戦場やミス1つが命取りになる環境で戦い抜いてきた連中は皆、都合の悪い事よりも都合の良い事を疑う。


 欲しい時に欲しい物が無いのが世の常であって、欲しい物が丁度あった時こそ疑うべきだ。


 過去と悪夢には、区切りが付いた。


 意図して無かったとは言え、私は理想的な方法で復讐を成し遂げた。


 後腐れ無く今回の件を収める為の、最後の問題。


 “人喰いカラス”こと悪名高きグロングス、デイヴィッド・ブロウズだ。


 他の連中ならまず心配無いのだが、他の連中程度なら間違いなく奴は今日まで生き残れなかった。


 だが、奴は今日まで生き延びている。


 だからこそ、奴は今回の件についていずれ勘づくだろう。


 手練れの獣が罠に仕掛けられた肉を嗅ぎ分ける様に、奴は必ず勘づく。


 もっと言えば今回の件に勘づく様な機転の利く奴だからこそ、私は今回の任務に奴を使ったのだ。


 最悪な形としては奴が今回の件を吹聴する形で周りに聞き込む事だが、その点は心配しなくて良さそうだ。


 奴は確かに、浄化戦争において街が出来る程のラグラス人を殺して回った、正真正銘の許されざるクズだが何かと吠えて回る様な、よく居るタイプのクズとは違い奴はそう言った下らない事に夢中になるタイプではない。


 その点だけは、業腹ながら其処らのクズよりは信用出来る。


 わざわざ私の事を騒いで回る様な事は無いだろう。


 それよりも放っておいて、奴が私の周りを嗅ぎ回り始める方が面倒だ。


 業腹ながら、奴の鼻が利くのは帝国が証明している。


 先述の理由も含め、奴をこのまま放っておくのは得策ではない。


 それに考えたくは無いが、私の周りを嗅ぎ回っている内に最悪マリーの方を嗅ぎ回る可能性だってあるのだから。





 先手を、打つべきだろう。

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