022
月明かり同様、空気は澄んでいた。
遠くから、目標が乗り込んだ個人列車が予想通りの方向に走り出すのを見届けてから、屋根から屋根へと跳ぶ。
高い屋根の上から見る街並みは、屋根の下から見る街並みとはまるで違って見えた。たった一月程前の自分の生活が、かなり昔の様に思える。
それもその筈だ。屠殺場勤務の男が、来月自分がレイヴンになっているなどとは余程深酒でもしない限り思う訳が無い。
しかし屋根の上からの風景に見えるものは、爽快な風景より気が滅入る風景の方が遥かに多く目に入った。
街並みを空から引いて見る事で、レガリスの現状がよりはっきり目に入ったからだ。
兵士の巡回、それを見て道を敬遠する市民達。言い掛かりで鬱憤を晴らし、顔を腫らしたラグラス人から金貨をむしりとる帝国兵。
それに、ここまでに既に二つ、貧困者の集まりを見掛けている。一つ目の貧困者達は暗い路地で身を寄せ合い、物乞いをしていた。二つ目の貧困者達は、大型空魚の解体所の傍に廃材で粗末な小屋を作り、廃棄予定の空魚の切れ端に群がっていた。
レイヴンマスクの下で、顔をしかめる。圧政による街の荒廃は、既に予断を許さない所まで来ている。
屋根の上を駆け、鋭く息を吸って再び屋根から屋根へと跳び移った。
これだけの装備を付けていながら、ここまで軽快な動きが出来るというのも考えてみれば相当な事だ。
レイヴンの装備はやはり、帝国軍の装備とは根本的に発想から異なっているらしい。服も武器も、全てこの移動術の事を想定して設計されている。
勢い良く民家の端に飛び付き、身体を引き上げる。本拠地に行く時の“ツアー”の際にも思ったが、確かに壁をよじ登り屋根を駆けるこの移動術は合理的と言える。
哨戒の兵士を避けやすい上に、都市部でも民家に遮られず素早く移動出来る。そして見晴らしも良く、周囲の全体像を掴みやすいといった利点まである。
欠点と言えば、まず一般人、一般兵には逆立ちしたって敵わない程の運動能力を要求される事。一歩間違えば、路面の煉瓦の染みに早変わりしてしまう事。最後に、とんでもなく肝が冷える事だ。
複数階建ての建家の壁面に手を掛けたまま、問題の大修道院に目を向ける。
深夜にも関わらず、大修道院は随分と明るかった。マクシムの乗っていた個人列車のレールも、大修道院の門へと続いている。間違いない、マクシムは今あの大修道院にいる。
目標の確認を終え、少し息を吐いて建家の屋根に這い上がると、すぐ近くのこの建家よりやや低い、民家の屋上に組まれた足場に兵士が確認出来た。
帝国軍は本来、民家の屋上に専用の通路や拠点を設置してまで監視や哨戒を行う事は無かったが、度重なるレイヴンの被害により重要施設の周辺の屋根には、対レイヴン用も兼ねて監視通路や監視所が急遽設営されるに至った。
勿論、それも民家の屋根の上に帝国軍が強制的に増設した物だが。帝国軍の方針となってしまえば、民衆にはどうしようもない。逆らった所で痣が出来るか骨が折れるか、“不幸な”目に合うだけなのだから。
当の監視兵はといえば、量産型の最新ディロジウムライフル、通称“クランクライフル”を手に、辺りを気だるそうに監視している。
クランクライフルは今までのディロジウムライフルで、避けては通れぬ問題だった、強大な力が必要になる変形したディロジウム金属薬包の排出を、手回し式のクランクをライフルに取り付ける事で解決した帝国軍の最新装備だ。
今までのディロジウムライフルでは、変形した金属薬包の排出に強大な力が必要になる為、非力な兵や体格に劣る兵がライフル運用に問題があるという欠点があった。
それを、非力な兵でも容易に排出出来る様に、とクランクが取り付けられたライフルが開発されたのだ。
現に、クランクライフルが開発されてからは兵士、特に銃砲兵の発射速度は格段に上昇した。
一発をかわせても、下手すれば次弾の装填が目の前で完了しかねない。どう片付けるにしろ、手早く片付けるに越した事は無いな。
しかしこれだけ距離が開いた相手を手早く片付けるとなると、勢いか忍耐が必要だ。簡単に言えば、一気に片付けるか、忍び寄って片付けるか、という事だ。
この高低差は、忍び寄るには不向きだ。だが、高低差からの飛び掛かりを考えれば、十分な勢いを付けられるだろう。
腰の後ろから、ヘンリックが開発した格納式スティレットのグリップを取り出した。
グリップの鍔の辺りを操作すると、僅かな金属音と共に細く直線的な刀身がグリップから飛び出し、直ぐ様ロックがかかり刀身が固定される。
正直、こんな伸縮式の刀身で大丈夫かと思ってしまうが、現にこのスティレットが木材を突き刺す様子をヘンリックに実演してもらった事からも、強度は十分なのだろう。
スティレットを暗殺者の武器と言ったのは誰だったか。ディロジウム銃砲により鎧が衰退し、着たとして装甲兵ぐらいになりつつあるこんな時代でも、鎧の隙間を突き刺すスティレットは存在価値を失っていないらしい。
通称“ヴァイパー”と呼ばれているそれを、手の中で回転させ逆手に握る。
そして、僅かばかりの助走で勢いを付け、屋根を蹴った。
数秒にも満たない浮遊感の中、ヴァイパーの切っ先を正確に兵士に向ける。
着地とほぼ同時に落下の勢いを利用し、相手の鎖骨から心臓にかけてヴァイパーを根元近くまで突き刺し、勢いを兵士に叩き付ける様にして相手の兵士を巻き込む様に転がる。
活力を失った兵士の身体を静かに横たえ、ヴァイパーを引き抜くと鮮血が迸る。直ぐ様、鎖骨辺りの服を染めながら大きな血溜まりが広がっていった。
刀身の鮮血を兵士の軍服で拭い、粗方拭き取れた所で先程とは逆の手順でグリップ内に刀身を納める。小気味良い音と共に、グリップ内で刀身にロックがかかった。勿論、揺らしても振っても刀身が飛び出る様な事は無い。
確かに暗殺者向きの武器ではあり使いやすいが、伸縮式のせいか何処かしっくり来ない。考えが古いのだろうか?
そんな事を考えながらヴァイパーを仕舞い、息を鋭く吐いて再び近場の屋根へ跳んだ。
大修道院を囲う高い石造りの壁を見ながら、屋根の上で片膝を付いて少しの間考えた。
予め諜報員から壁の事は聞いていたが、想像以上に修道院を囲う壁が高い。壁自体も壁というよりどちらかというと城壁と呼べる程厚く、壁の上には哨戒の為の通路や監視所まである始末だ。その上城壁自体にも目ぼしい手掛かりが見付けられない。
正門はこんな時刻ですら警備が厳しい、突破は出来るにしろ穏便には行かないだろう。まだ大修道院にも入っていない状態で、此方の存在が感付かれるのは相当不利になる。何しろ、此方は一人しか居ないのだ。
あの高い壁をどうにか出来ないだろうか、せめてあの壁の上に手でも掛けられたら何とかなるのだが。
シマワタリガラスことレイヴンが、只の高い壁に難儀するというのも皮肉な話だ。
そんな事を考え革製フードに覆われた頭を悩ませていると、不意に目の前の屋根を、影が横切った。
反射的に顔を上げると、そこには正に例えに出していたカラスが悠々と夜空を舞っている最中だった。
我等がレイヴンのシンボルとも言えるカラスが飛ぶ姿は、想像以上に自由だった。
俺も、あんな風に飛べたら苦労しないんだがな。そんな不毛な考えが頭を過る。
俺の僅かばかりの羨望など知るよしも無く、カラスは暫し羽ばたいた後、近くの鐘塔の最上部の一角に静かに留まった。
そんな景色に、不意に何かが脳裏に閃く。
待てよ、あの鐘塔。あの塔からなら、壁の最上部に手が届くかも知れない。
無論、相当な衝撃があるだろうし、御世辞にも安全とは言えない。形だけで言えば、塔の上から壁の中に身を投げ入れる様な物だ。
しかし、壁の上に辿り着けたなら見晴らしは相当良い筈だ。情報を貰っているとは言え不確定要素の多い大修道院を、自分の目で確認出来る事もかなりの利点になる。
元から此方は奴等に対して不利な状態なのだ、利点は最大限こちらの物にしなければ。戦力差を埋め任務を成功させる為にも、答えは一つしか無かった。
屋根を駆け、蒸気機関用のスチームパイプを飛び越え、煉瓦造りの壁をで素早くよじ登り、天に煤を吐き出す数多の煙突の合間をすり抜ける。
全力で飛び付いた先で、例え片手の指しか掛からなかったとしても、最早躊躇いは微塵も無かった。一般人なら目も向けない様な、細く鋭く、微かな道筋が今では随所に見える。
鐘塔の最上部、吊るされた鐘を尻目に石造りの床を踏み締め、改めて壁までの距離を見直した。
言うまでもなく、遠い。仮にこの最上階の足場から付けられる最大の勢いで、全力で跳んだとしても、恐らく辛うじて届くぐらいだろう。それに加え、着地時の衝撃も相当な筈だ。
荒く、身体の芯に届く程に深く呼吸する。
あの“屋上ツアー”の時より更に距離は遠く、高さは跳ぶ地点も着地地点もあの時より遥かに高い。もし失敗すれば、明日辺り、下の煉瓦造りの路面いっぱいに散らばった“俺だった物”を不幸な掃除係が箒で掃くハメになるだろう。
それでも、それだけの危険を理解していても、自分でも驚く程に、この行動への躊躇いは無かった。感覚が麻痺しているのか何度自分に問い掛けても、ここから飛び込む事を止める気は起きない。
いや、麻痺どころかこの感覚こそレイヴンの感覚なのかも知れないな。帝国軍に在籍していた頃、奴等は何処にでも現れ、何処かに消えると聞いたが、自分がレイヴンとなった今となっては、帝国軍がそんな感想を抱くのも十分に納得が行く。
まず、こんな方法で大修道院にレイヴンが入ってくるなんて夢にも思わないからだ。
再び、夜半の冷えた空気を微かに寒気がする程に吸い、同じぐらいの時間をかけて空気を吐いた。
最上部の端から距離を取り、助走を付ける。
駆ける音と共に眼前の景色が加速し、周りの意識が急速に目前の風景に収束していく。
そのままの勢いで段に足を掛け、身体を弾き出す様に跳んだ。感覚だけで言えば、飛んだと言っても差し支え無かった。
世界が止まってしまったかの様な、余りにも自由で余りにも恐ろしく、永遠より長く一瞬よりも短い、時間。
その時間が、終わる。
全身全霊を込めて付けた勢いが遂に衰え始め、緩やかに、だが容赦無く、重力という当たり前の力が牙を剥く。
落下が、始まった。目線を着地地点に見定める。
遠い 間に合うか
届く 落ち着け 着地を考えろ 衝撃が来る
備えろ 衝撃を逃がせ 遠いか
いや近い もう来る すぐだ
地面が 目の前にある
叩き付けられた、という表現に微塵も間違いは無かった。衝撃を逃がす、というより最早投げ出されるに近い形で地面を転がり、衝撃を分散させる。
そして、転がる勢いが収まった辺りでやっと手を地に付き、顔を上げた。
目の前には、壁の上の通路から見える、夜にも関わらず煌々と照らされた大修道院が広がっていた。
自分が決死の跳び移りに成功した事を理解し、頭の片隅から安堵を帯びた達成感が広がっていく。
深く、長い息を吐いた。
これでまず一つ、難問突破だ。片膝を付いたまま、そんな事を考えた。
立ち上がりながら、壁の上の通路を改めて見渡す。確かにちょっとした城壁だな、これは。
そのまま、城壁上の通路から繋がっている近場の監視所に目を向ける。あの監視所が制圧出来れば、更に情報が入る筈だ。
無論、監視所に侵入する事は危険なのは言うまでも無い。本来なら、危険は出来る限り避けるべきと言える。監視所に侵入するリスクと、監視所制圧時に得られるメリットを天秤にかければ、単独のこの状況で自分から侵入するリスクを取る奴はあまり居ない。
だが、今回は事情が違う。俺は今、帝国軍でも隠密部隊でもなく、たった一人の抵抗軍なのだ。
帝国軍の様に資金が潤沢な訳でも無く、隠密部隊の様に頼れる仲間が傍にいる訳でも無く、書類数枚と諜報員から任務直前の聞いた不完全な情報しかない、たった一人のレイヴンでしか無いのだ。
どれだけリスクや手間がかかろうと、少しでも優位に立ち、得られる利点をかき集め全力で戦い抜くしかない。それに、手間とリスクを無視するなら、監視所を制圧するメリットも小さい訳では無い。
監視所に静かに歩み寄って改めて目を向けると、監視所は石造りの土台と金属の増築部分が入り交じって構成されており、随分と大掛かりな作りだった。
移動術で外から、窓を通じて監視塔に入り込めるかも知れない。しかしその窓を兵士が見張っていたらどうする?いや、逆に不意を突けるかも知れない。窓を突き破って入れば、
「分かったよ、見てくる」
そんな声と共に、目の前の監視所の扉がゆっくり開いた。唐突過ぎる不意打ちに考えが途切れ、瞬く間に散り散りになる。
見慣れた軍服を着込んだ兵士が、肩にクランクライフルを掛けたまま、目の前のレイヴンを見て呆然と口を開けた。
その開いた口に、風切り音と共に金属ボルトが飛び込む。
半自動小型クロスボウ“グレムリン”から反射的に発射した金属ボルトが、兵士の口から頭蓋骨を突き破った。
鮮血を口と後頭部から溢れさせた兵士が倒れ込む音に、悲鳴とも怒号とも付かない声が続く。
まだ奥に兵士が居る。グレムリン発射と共に既に駆け出していた足が、迷わず監視所の中に身体ごと飛び込んだ。
飛び込んだ監視所の部屋の中で、兵士は既に剣を抜いていた。皇帝の剣。帝王の刻印が刻まれた由緒ある片刃剣、サーベルだ。まぁ、由緒も何も、帝国軍の殆どに供給されている量産品なのだが。
此方も部屋に飛び込んだ時点で手を掛けていた腰から、山刀をそのまま引き延ばした様な、幅広の刀身を持つ剣を抜く。
リッパー。ヘンリックが発案したレイヴンの装備の一つだ。その武骨な姿は正に、伸びた山刀と言っても過言では無かった。野生のオオニワトリにも十分なダメージを与えられる程の威力と頑強さは、バックソードやファルシオンに負けずとも劣らない。
相手の振った剣を真正面から横へと打ち払い、相手の体制が崩れた辺りで相手の肩口に剣を振り下ろした。
勢いと重量の乗った刀身が、肩から胸にかけて軍服ごと肉を裂いて深々と食い込む。
そのまま相手を突き飛ばす形で引き抜くと、地に叩き付けられた兵士の肩から鮮血が迸り、赤黒い水溜まりが広がった。
死体になりつつある裂けた兵士から意識を外し、素早く辺りに向き直る。
近くに気配は、無い。
辺りを見回してから、すきま風の様な呼吸を繰り返す兵士に顔を向けた。
仰向けに倒れたまま鮮血の溢れる肩口を手で抑え、無駄な努力をしながら怯えきった視線を向けてくる。
そんな哀れな兵士を前に、リッパーを握り直す。
兵士の眼が益々怯えた所を見ると、俺が何をするか察したらしい。察しが良いのも考えものだな。
「やめろ」
喘ぎながらも、羽虫の鳴く様な声で兵士が呟いた。声を無視してリッパーを大きく振りかぶる。
「やめてくれ」
そして、力を乗せて真下に降り下ろした。リッパーの切っ先が深く顔にめり込んだ途端、虫の鳴く様な声とすきま風の様な息が止んだ。
あのままでも長くは持たなかっただろうが、殺すなら確実に殺すべきだ。助かりはしなくとも、あのまま放置して死にかけのまま、誰かに何かを喋られても面倒だからな。
完全に死体になった兵士からリッパーの先を引き抜いた。やはり使いやすい。少なくとも、先程のヴァイパーよりは俺に合っていると言えるのでは無いだろうか。
やはり伸縮式より、リッパーの様な武骨で頑強な作りの方が安心して剣を振るう事が出来る。
まぁ言ってしまえば、山刀どころかいっそ斧の方が使いやすいのでは無いか、とさえ考えてしまうぐらいだった。今の様に人の頭を叩き割るとなれば、尚更だ。今回は置いてきたが、格納式のウォーピックを装備してきた方が俺には合っていたかも知れないな。
近くにあった圧力式緊急警報装置の、警笛部分の圧力バルブを解放し少しずつ圧力を逃がす様にした。バルブからは気圧漏れの様な僅かな音が鳴っている、このまま放置しておけば敵が気付いた頃にはこの緊急警報装置は使い物にならなくなっている。少なくとも、時間をかけて再び蒸気機関で圧力を充填し直すまでは。
クランクライフルが数丁、壁にスタンドで立て掛けられ、加えてディロジウム金属薬包に嵌め込む形でセットされた弾薬が、専用の金属箱に纏めて机の上に置いてあった。
少なくとも隠密任務では余り銃砲は好ましくないな。非常時に火力が欲しいのは事実だが、ピストルサイズの銃砲ならまだしもライフルサイズになると、今回の任務の性質上持っていく訳にも行かない。今回は諦めよう。
机の端に弾薬を寄せグレムリンにボルトを装填しながら、机の傍の監視窓から改めて大修道院を観察した。
やはり大修道院とも言うだけあって、広い。そして、夜と言えど巡回している兵士も決して少なくは無い。
この大修道院に、マクシムは居る。
諜報員の情報によれば、この時間帯にマクシムが何処にいるか、と言うのはある程度だが絞り込めた。
事前に聞いていた情報と今見える風景から割り出せるマクシムの場所は、大修道院のほぼ上層階に限定されていると言える。
下層階から登っていくとなると……難しいな、今見えるだけでも大修道院の周辺は絶えず兵士が彷徨いている。
しかし上から潜入するとしても、条件が悪い。壁から大修道院へ跳んだとしても、距離が致命的に足りない。どうしたものか。
少しばかり監視所からの風景を眺めている間に、ある一角が目に留まった。
あの一角からなら、大修道院に接近出来るかも知れない。監視所から見える一角に目を向けながら、想像を巡らせていく。
通常は死角になっていて、監視所からのみ見えるあの一角は大型の貨物を置いているらしく障害物や遮蔽物が多く、他と比べて彷徨いている兵士の数も少ない。数人始末する必要はあるだろうが、それさえ片付ければ大修道院に接近及び、侵入出来る。実際に接近出来れば、直接大修道院に登るなり、大修道院内部に忍び込むなり、やり方は様々な方法があるだろう。
よし、決まりだ。頭の中で侵入ルートを明確に定めると、死体を監視所の隅へと押し込め、血の匂いの漂う監視所の扉を抜け、壁の通路から壁内部の手頃な段差へと飛び降りた。
入り組んだ大型貨物の間を駆け、物陰から物陰へと素早く滑り込む。
そろそろ件の一角辺りには来た筈だ、ここを抜けるなら兵士を数人程始末するのは避けられないだろう。
武器として、リッパーでは無く再びヴァイパーを手にしていた。好みとは言えないが、どちらが隠密に向いているかと言われたら、誰もがこのヴァイパーを選ぶ筈だ。
不意に、貨物の向こうから聞こえてくる軍靴の音。ヴァイパーを手の中で回転させ、握り直す。早速、来たか。
ヴァイパーを握ったまま気を張り詰めていると、曲がり角の様になった貨物の影から、のんびりとした様子で兵士が現れた。
視線は、まだ余所に向いたままだ。そのまま通り過ぎてくれ、そんな思いを込めながら固唾を飲んで兵士を見守る。
のんびりと歩いていた兵士が、足を止めた。今から曲がりそうにも、そのまま通り過ぎそうにも見える。
固く、手の中のヴァイパーを握り直す。軽い調子はそのままに、兵士が欠伸でもしそうな様子で此方に顔を向けた。昔から此方が頼んでる時に限って、悪い方向に事は転ぶ物だ。
足音も構わず、地を蹴って急速に兵士との距離を詰めた。流石に、隠密を想定して設計されたレイヴンのブーツを持ってしても静かとは言えない足音が響いたが、この際関係無い。相手は足音どころか、その眼に此方を捉えているのだから。
相手が腰のサーベルに手を掛けた頃には、既に兵士の顔が目の前にあった。ヴァイパーの切っ先を相手の胸の中心に突き立て、サーベルに掛けた手を押さえ込みながら、切っ先が骨を掻き分けるのも構わず強引にグリップまで突き込む。
水っぽい刺突音と共に、肩越しに、赤黒い切っ先が兵士の背中から突き出しているのがはっきりと見え、兵士が腕の中で力を失った。
兵士の胸を貫いたヴァイパーを引き抜くより先に、そいつの背中越しに自分がいる曲がり角の数メートル程先、もう一人の兵士が腕組みをしたまま口から紙巻き煙草を取り落とすのが見えた。
取り落とした煙草が地面を転がり、慌てた動きで、兵士が腰のディロジウム銃砲が収まったホルスターに手を伸ばす。
ディロジウム銃砲が此方を向くより、兵士の肩越しにグレムリンから発射されたボルトの方が幾分か早かった。
ボルトは兵士の喉に深々と突き刺さり、兵士が俯いて喉を抑えた。死体からヴァイパーを引き抜き、喉からボルトを生やした兵士の髪を掴み上げ、俯いていた顔を上げさせる。
怯えきり、未だに自分に起きた事が信じられないといった眼だった。無理も無い、同じ事が起きれば俺だってそうなるだろう。
その眼に、逆手に握り直したヴァイパーを突き刺す。眼窩から脳へと容易に到達した切っ先は、そのままの勢いで後頭部の頭蓋骨を貫いた。
ボルトを生やした喉から漏れる息が半分以下に減り、もう片方の無事な方の眼から、光が消え失せるのがはっきり感じ取れた。せめて、苦しまなかった事を祈る次第だ。
ヴァイパーの刀身を仕舞い、再びグレムリンにボルトを装填しながら遂に到達した大修道院に向き直った。
内部に入り込んで上を目指すよりは、外壁から登った方が良さそうだな。内部にどれだけの人数が居るかを考えると、わざわざ階段を登っている間に串刺しにされかねない。勿論、大修道院からも死角になっているとはいえ、僅かながら外壁から登っている姿を見付かる可能性も否定出来ない。しかし、危険が微塵も無い方法など元から有りはしないのだ。
息を鋭く吐いて大修道院の壁へと全力で駆け、勢いをぶつける様に壁を駆け上がる。直ぐ様重力に引き寄せられ勢いが鈍り始めるも、真下への落下が始まる直前で壁の随所に施された豪勢な装飾に素早く手を掛け、腕一本でぶら下がった。
すかさずもう一本の腕も近くの装飾に掛け、僅かな段差を蹴る様にして身体を上に引き上げていく。
引き上げると同時に手掛かりを蹴って更に上に跳び、両手を掛けた所で片手を離し振り子の原理で勢いを付け、片手を更に上に掛け上層階を目指す。
目的の上層階が目前に迫った辺りで両足を段差に掛け、両手を上に伸ばす形で真上へと、全力で跳んだ。
一瞬、壁から手足が完全に離れ身体が宙に浮くのを感じたが、すかさず両手を上層部の窓枠に掛け、身体を窓枠の上へと乗り上げる。
遂に、マクシムが居ると思われる上層階まで到達した。
内部に付いては諜報員の情報でも、ある程度しか掴めていない。上層階の内部図面にしても、改築前の間取りが精一杯と言った所だ。この上層階でマクシムを見つけ出し、大修道院から消える。改めて考えてみると酷い計画だな、と一人自嘲した。
しかし、それこそ今更だ。それを言い出せば、こんな不確定要素が多い任務にたった一人で挑むなど、隠密部隊にいた頃ではまず有り得ない事だったからだ。
古いせいか随分と固い開閉式の窓を抉じ開けて中に入り込み、鞘から抜いたリッパーを握った。
隠密性ではヴァイパーの方が上だが、実際に剣戟の様な戦闘になった場合、やはりヴァイパーでは心許なく思うのも事実だ。先程は何とかなったが、あれ以上戦闘が長引いていたらどうなっていたか分からなかった。
現在位置と情報を統合すると、自分から見て上層階のほぼ反対側にマクシムの書斎がある。全く、隠密の為とはいえあんな死角から登るのは良い手だったとは言えないな。
反省しても始まらない、急ぐか。こんな時、レイヴンのブーツを非常に有り難く思う。それなりの速度を出しても、大した音を立てないからだ。勿論、先程ヴァイパーで刺し貫いた時の様な走り方をすれば、その限りではないが。
兵士の気配と足音を慎重にかわし、時折物陰で息を潜めてやり過ごし、静かに上層階の中を移動していく。事前に間取りを知っていて、かつそれが実際と噛み合っているからこそ出来る事だった。帝国の隠密部隊の第一線で活動していた経験を、真逆の立場で活かすというのも皮肉なものだ。
そんな中、開こうとした扉のノブが自分が触れる前に唐突に回った。
咄嗟に、扉の蝶番の方に横っ飛びで隠れると扉が開き、兵士が現れた。いや、兵士じゃない。
上級尉官だ。
心拍数が跳ね上がるのを感じ、開いた扉の影で静かに深呼吸をした。落ち着け、冷静になれ。まだ確定じゃない。奴はまだ後頭部しか見えて居ない。本人かどうか確認するのが先だ。
余裕を持って歩いていく尉官を歯噛みする思いで背後から、静かに追跡する。上級尉官だってマクシム一人じゃない、万が一は十分に有り得る。
上級尉官が書斎らしき部屋に入り、自分も周りの気配を確認しながら、影の様に背後に付いて部屋に入る。
どうやらプライベートな部屋らしく、他の人間は居ない。寛いだ様子で上級尉官が伸びをしながら振り返った。
資料通りの顔がそこにはあった。マクシム・ドゥプラ上級尉官、間違いない。
伸びをした両手を下げて酷く動揺した様子のまま、マクシムが口を開いた。
「何故こんな所にいる?」
混乱しているらしい、無理も無いが。リッパーを握り直し、静かに距離を詰めていく。
「待て、分かった、用件を聞こう。この状況では君に逆らうのは良い手だとは思えないからな」
どうやら余裕を持って交渉したいのだろうが、無理した口調とは裏腹に顔からは、次々に玉の様な汗が粗い肌を滴っていく。
「君の勝ちだ。望む物を用意する、要求も飲もう。状況が状況だからな」
後ずさっていくマクシムが、遂に背中を壁にぶつけて顔をひきつらせた。
「よせ、やめろ、俺を殺しても何にもならないぞ」
最早口調すら余裕が無くなってきた辺りで、片手でマクシムの首を掴み上げ、壁に押し付ける。
マクシムが息を飲んだのが喉の動きで伝わってきた。その喉にリッパーの刃を押し当て、血の気の引いた青い顔に問い掛ける。
「鍵は何処だ」
ひきつった顔のまま、マクシムは答えない。リッパーの刃を強く押し付けると声の出し方を思い出したらしく「何の鍵だ?」と喘ぐ様な声で言葉が返ってきた。
「お前の隠し部屋の、鍵だ」
「鍵は、倉庫に隠した、一番、下だ、下の階にある」
恐怖に呑まれそうになりながらも、必死に息を吸いながらマクシムが言葉を紡ぐ。
「嘘は必要無い」
そう返すと青い顔をより一層青くしながら、マクシムが過呼吸の様な声で再び言葉を紡いでいく。
「持ってる、今手元にある」
「何処だ」
「今出す」
「動くな、口で言え」
マクシムの喉に、リッパーの刃を押し付けた。粗い肌に刃が少しずつめり込んでいく。
「上着の、内側だ」
首と頭を押さえ付けたまま片手でマクシムの上着を探り、それと思われる鍵を差し出した。
リッパーを喉に押し付けたまま首を掴んでいた手を離し、その鍵を拾う。
「隠し部屋は何処だ」
「この階の、銅像の傍だ、すぐ分かる」
最早、弾ける様にマクシムの返事が素早く返ってくる。真実だろうとは思うが、念には念を入れるべきだろう。
リッパーをマクシムの喉に合わせて僅かに引くと、血の玉が刃に滲んだ。このまま鋸の様に強く引けば、喉は空魚の様に切り開かれるだろう。
「嘘じゃない、嘘じゃない」
張り裂けそうな声でマクシムが言葉を返す。先程の脅しを考えても、この答えで間違いなさそうだ。
「聖女テネジアに誓えるか?」
マクシムの顔に、ほんの僅かに安堵の色が戻った。
「誓う、決して嘘じゃない」
「良し」
刃を喉に押し付けたまま、そう言って力強くリッパーを引いた。濁った嗚咽と共に、マクシムが膝から崩れ落ちる。
喉を抑えたまま膝を付いて背を丸め、まるで真下の床に嘔吐する様な体制で赤い泡を溢しているマクシムの、後頭部を全力で踏み潰す。
床に顔から叩き付けられる鈍い音と共に嗚咽が途絶え、血溜まりが広がるばかりになったのを見届けてから、静かに部屋を出る。
隠し部屋は、マクシムの言う通り直ぐに見付ける事が出来た。銅像の傍にある鍵穴に鍵を差し込み、回すと直ぐ様壁が奥へと開き、隠し部屋の入り口となる。
中は、思った以上に簡素な部屋だった。間取りを把握していて、その上で銅像の裏側に余分な空白を作ったのだろう。どうやら、あのマクシムは想像以上の権力を持っていた様だ。
棚が幾つかあり、机が一つ。棚の中には写真や書類、はたまた用途の分からない金属の部品の様な物まで陳列されていた。
そして、机の上には革の手帳が一つ。これだ。これが、たった一人で塔から外壁へ跳び、兵士を刻み、刺し殺し、上級尉官の喉笛を掻き切ってまで探し求めた理由だ。
この手帳は、権力その物と言っても良い。自分を正当化するつもりは無いが、恨むならマクシムを恨んで貰おう。先程、苦しんで死んだばかりだからな。
手帳を懐に仕舞い、隠し部屋を再び閉める。別にマクシムの隠し部屋が露見するのは構わないが、弱味が無くなるのは此方としても困る。
この隠し部屋の鍵はヴィタリーにでも渡せば、諜報員を通じて上手く扱ってくれるだろう。
さて、後残った仕事は一つだけ。ここから、生きて帰る事だ。
近場の窓から直ぐ様飛び出し、外壁を伝って降りて行きたかったが、それでは兵士のディロジウム銃砲の射撃の的にされてしまう。
やはり、死角になっているあの窓から外壁を伝って降りて行くしか無いな。そう決めた瞬間、出入りした窓を目指してレイヴンのブーツで駆ける。
時間が大事なのは、どんな任務でも変わらない。そして目的を達成した今、残っている時間は遥かに少ない。
今すぐにでも、何処かで別の蒸気圧警報が鳴り響くかも知れない、そうすれば兵士は増員され大修道院からの離脱は確実に困難になる。死体が見付かる可能性だって低くない、言ってしまえば今夜俺が作った死体も決して少なくない。
急がなければ。
そんな時、気配を感じ咄嗟に物陰へと滑り込むと兵士が少し離れた場所を歩いているのが見えた。頼むから早く通り過ぎてくれ、此方は只でさえ時間が無いんだ。再びそんな思いで物陰から兵士を見つめる。
嫌な想像が頭の中を巡ったが、どうやら今度は願いが通じたらしく素直に兵士は再び道の先へと消えた。
十分に警戒しながらも、再びレイヴンのブーツで目的の窓へと急ぐ。
そんな中、とんでもない声が聞こえてきた。
「ドゥプラ尉官、書類が出来たそうです。……ドゥプラ尉官?まだですか?」
しまった、多少無理してでも仕留めておくべきだったか。いやしかし、もう追い掛けるには遅すぎる。それにあのまま行けば、確実にあの兵士は息絶えたマクシムを見付ける筈だ。
そうなれば、騒動は避けられない。
胸中で悪態を吐き、レイヴンのブーツで走り出す。もうアイツを止めるのはとてもじゃないが間に合わない、それならもう俺に出来る事はあの兵士がマクシムを見付ける前に出来る限り離れる事だ。
目的地の窓に辿り着いた頃には、それなりの時間が経過していたが未だに騒ぎは感じ取れなかった。あの兵士もしや部屋の前で待っているのだろうか?それなら今夜一晩まるまる待っていて欲しいものだが、流石にそれは過ぎた願いだろう。
抉じ開けたままの窓を潜り、再び外壁へと躍り出る。
壁を降りるのは、登るよりは簡単だ。降りるつもりの無い者がつい“降りてしまう”ぐらいだからな。
問題は、登るより何倍も降りる事が危険だと言う事だ。
しかしそれでも、俺は安全より速度を重視する降下方法を選んだ。壁に掴まった状態から、飛び降りては装飾や手掛かりに掴まり、ブレーキを掛けるという方法だ。
手を離し、宙に身を投げては、近場の手掛かりに両手を掛け叩き付ける様にして壁にしがみつく。そして再び、宙に身を投げる。
そんな事を二回程繰り返した辺りで、けたたましい蒸気圧警報が耳朶を打った。
流石にあの兵士も一晩は待ってくれなかったか。舌打ちし、再び宙に身を投げる。
大修道院の壁から地面に降りた頃には、既に目に見える程に外の兵士の数は増員されていた。物陰から物陰へと移りながら移動し、門へと迫ってはいたがこれ以上、誰の目にも付かず移動するとなると流石に厳しそうだ。
兵士達が様々な話や怒号、命令を叫びながら大修道院の中へと駆け込んでいく。もっと大人数が大修道院の中に駆け込んで、外の人員が薄くなるのを少なからず期待したがどうやら無駄だったらしい。
こうなれば出来る限り、やるしかない。
目に付く事を承知で手近な大型貨物によじ登り、貨物から貨物へと跳び移りながら全速力で大修道院を囲っている壁の正門へと向かう。
結構な音がする上に御世辞にも隠密とは程遠い方法だが、障害物から障害物へと隙を見て滑り込んで移動する方法よりは、何倍もの速度が出せる。そして隠密が望めない今、何よりも速度が重要だ。
遠目にも、何人かの兵士が気付いたらしく警告の様な罵声が聞こえ始めた。その兵士がクランクライフルを持っているのも十分に見える。
耳をつんざく様な発砲音と共に、傍の金属コンテナに弾丸が命中したらしく跳弾の様な音が聞こえた。
一旦発砲音がしたかと思えば、次々にその発砲音に重なる様にして発砲音が増えていく。銃砲兵が次々に集まって来ているのだろう、益々足を止める訳には行かない。この最中で足を止めれば、何発もの鉛がこの身体に食い込む事になる。
正門の前ではクランクライフルを持った兵士が数人、此方へ警告しながらライフルを構えているのが見えた。
息が鋭くなり、眼が冴え渡り、耳が研ぎ澄まされる。自分の中の全てが、極限まで集中するのを感じた。
手近な大型貨物が無くなり、飛び降りて再び地面を駆ける。障害物を乗り越え、下を滑り抜け、全速力のまま障害物の合間を縫うように駆け抜けていく。
そんな中、サーベルを持った兵士が真っ直ぐ此方へ猛進してくるのが見えた。
兵士は自身の駆ける勢いに任せ横凪ぎに斬りかかってきたが、同じくリッパーを抜いた俺がそのサーベルを弾き上げ、弾き上げたお陰で大きく開いた相手の脇に刀身を食い込ませ、鋸を引く様に相手の脇腹を切り裂きなが刀身を引き抜く。
サーベルを取り落とし呻く敵を尻目に、息も荒く正門へと全力で駆けていると正門の方から怒号の様な声が聞こえた。
「構え!!」
幾つかの銃口が、此方を向いているのを感じる。銃口を向けられるという強烈な威圧感に、焦げ付く程の戦慄が身体中を駆け巡った。
「狙え!!」
全力で走り続けている足に更に力を込め、多少目的の方向から逸れようとも近場の金属コンテナへと駆ける。
「撃て!!」
そんな号令と同時に危うい所で金属コンテナの影へと砂埃を上げながら滑り込むと、その途端に幾つもの跳弾の音と銃弾が地面を巻き上げる音が重なった。
「装填!!」
金属コンテナの影から飛び出しながら、銃砲兵達が金属薬包排出の為にライフルのクランクを回し始める様子を視界の端で捉え、正門へと全速力で駆けていく。そしてディロジウム金属薬包がライフルから排出された頃には、リッパーを握り締めていた。
「構え!!」
銃口が此方を向く前に、グレムリンを発射した。
グレムリンから発射されたボルトは距離があった為、非常に緩やかな放物線を描いた後、先程の号令を掛けていた兵士の胸に深々と突き刺さった。
目を見開いて胸を押さえ、膝を付く兵士。銃砲兵達がその異変に気付き、二人程振り返る。撃つのか、撃たないのか。その判断がほんの数秒、停滞する。
その隙を見逃さず、リッパーを握った状態でその兵士達の中に飛び込み、クランクライフルの銃口付近に装着された銃剣での突きを外向きに払い、一人の兵士の鎖骨の辺りから縦にリッパーの刀身を叩き込んだ。
直ぐ様リッパーを引き抜き、傍にいた兵士の側頭部目掛けて、勢いの付いた刀身を真横に振り抜く。殴ったとも切り裂いたとも言えない音と共に、頭を蹴り飛ばされた様に兵士が横向きに倒れ込んだ。
クランクライフルの装填を終えていた最後の一人が、すかさず此方へ銃口を向け、引き金を絞る。
対して俺は、先程倒れ込んだばかりの兵士を強引に掴み上げ、そのライフルに対して兵士を盾の様に素早く掲げる。
肉の抉れる音とクランクライフルの発砲音が混じりあい、掲げられた兵士がその身を持って、弾丸を塞き止めた。
煙を上げるライフルを抱えた銃砲兵の顔が、驚愕に染まる。その顔を、真正面からリッパーの切っ先で力強く突いた。
刺した、というより鈍器で顔を叩かれたかの様に鈍い音と共に兵士が上半身ごと仰け反り、そのまま後ろに倒れる。
胸にボルトが突き刺さった兵士は、先程の膝を付いた状態から何一つ動いていなかった。そのまま死にかけていたが、手だけは弱々しくも足元のサーベルを拾おうとしていた。
すかさず、先程の兵士の一人が取り落とした、辛うじてディロジウム金属薬包が装填されたばかりのクランクライフルを拾い上げ、その兵士の顔に向けて引き金を引く。
顔が欠けた兵士へクランクライフルを放り投げ、最早誰も立っていない無人の正門から銃声と怒号を背に受けながら、その先の町並みへと駆け込んだ。
町並みは、大修道院より遥かに移動術に適していた。段差を蹴って飛び上がり、手掛かりから身体を引き上げ、壁を蹴って屋根の谷間を渡り、スチームパイプの下を滑り抜け、煙突の縁に足を置き、大きく跳ぶ。
もう、怒号も銃声も聞こえない。大修道院が遥か遠くに見える。
俺の、勝ちだ。
月明かりの明るい夜空に、漆黒のカラスが俺を褒め称えるかの様に飛んでいた。




