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斧は好きだ。
帝国軍では剣を主に使っていたが、剣と同じぐらい斧も得意だった。
勿論、斧だけじゃなく槍を含む多種多様な武器を教養の如く学んだのも事実だが、それでも剣と斧が自身に取って、かなり慣れ親しんだ武器である事は間違いない。
斧は気高く文明的な剣と違い大陸時代の前時代的な蛮族の武器だ、と仲間内から揶揄される事も多かったが、訓練においても実戦においても剣を握った相手を片手斧や両手斧で打ちのめし、叩き割っていると次第に揶揄する声も減っていった。
それでも、文句を言う者は数多く居る。
其処らのゴロツキに毛が生えた様な雑兵や殺し合いばかり考えている様な、殺し合い以外は頭に詰まっていない兵士ならまだしも、お前程の名誉ある戦士が自分から斧など振るうな。
斧を握って強い者は強い剣を学ぶ機会が無かったか、斧と大差無い程度の剣しか振るえない様な凡才なのだから。
威力を求めて両手斧を使うぐらいなら、同じ丈の両手剣を使え。鎧相手に打撃力が欲しいなら、せめてウォーピックやウォーハンマーにしろ。もしくは、斧だけでなく槍部や鉤部が付いている文明的な武器、ポールウェポンやポールアームと呼ばれている長柄武器にしろ。
お前は最先端国家レガリスの帝国軍人であるだけでなく、気高く誇りある戦士なんだぞ。そんな戦士が雑兵の様な、蛮族の穢れた戦いなんて学ぶな。
思い返すだけでも、散々な言われ様だ。
殺し合いに上品も下品もあるものか、斧がどれだけ驚異で有用かは現に歴史が証明している。
そんな思いと共に1人、剣と共に斧を振るっていた俺に“あの男”はこう言っていた。
「成果が出せるのなら、斧を振るおうが剣を2本持とうが構わない。砂をかけようが噛み付こうが、成果を出したのなら勝利には違いない」
「剣が折れて呆然とする奴よりも、斧だろうと石だろうと即座に拾い上げて相手の頭を叩き割る奴の方が、生き延びるだろう」
「俺は斧に頭を叩き割られる兵士を何人も見てきた。礼儀正しく頭を叩き割られるより、粗暴に頭を叩き割れ」
随分な言い様ではあったが、武器がナイフだろうと剣だろうと斧だろうと、生き延びて敵を殺した者が強い、という方針は俺の主軸の1つとなった。
その経験から隠密部隊に所属した後も、剣と同じ様に斧の腕を磨いたものだ。
帝国本部から刃の付いていない練習用の斧を個別に支給してもらい、練習用の武具を手に同僚と訓練している俺を、周囲の連中が眉を潜めながら眺めていたのを今でも覚えている。
そして、レガリスで散々な評価をされていた斧を、戦場で振るっていたペラセロトツカの奴隷解放軍。
解放軍の中には剣を持っていた兵士も勿論居たが、簡素ながらも手入れされた斧を持っていた兵士も数多く存在し、現に斧を持った兵士の中には手強く強靭な兵士もおり、相手取った際には死を覚悟した事もあった。
もしそんな連中が、この斧を持っていたら結果は変わっていたかも知れないな。
手にしている斧を回転させて、握り直した。
一切素材を分割する事無く、斧頭から柄の端まで同一の素材を削り出して製作された、フカクジラの骨の斧。
一度ならず何度も試す様に、腰を入れて想像の敵へと打ち込んでみたがログザルの時と同じく、仮想と言えど手応えと今までの経験からして間違いなく、四肢の切断は難くないだろう。
“ラドブレク”と名付けられたその斧は、俺が注文した訳でも無いのに驚く程手に馴染んでいた。
「展開式の戦斧、ランバージャックより貴方には向いてるでしょう。言うまでもありませんが、“骨割り”とも相性が良い筈です」
そんなゼレーニナの言葉を聞きながら、再びラドブレクを手の中で回転させる。
蒼白く染まったラドブレクを掲げ、鉤の付いた斧頭の刃を眺めた。
「両手斧をベースにしてあるので斧頭を含めて大型に設計してありますが、貴方なら鉤斧として片手で振る事にも問題は無い筈です。聞かれる前に言っておきますが、両手で振る事にも問題ありませんよ」
確かにこの戦斧、ラドブレクは片手で振るう斧にしては随分と大型だが、こうして片手でも問題なく打ち込む事が出来る。
臨戦体制の敵兵を想像し、片手で何度か打ち込んだ末に一応確認の意味も込めて、両手で握り直し腰を入れて振り抜いてみた。
両手に馴染んだラドブレクが、空想の兵士に食い込むのが容易に想像出来る。
問題ない。ユーリの様に胴を両断出来ずとも、致命傷及び行動不能に陥れるには何一つ問題ない程度の負傷は負わせられるだろう。
ベースが両手斧な事もあって大型なものの、柄の丈が詰めてある事もあってラドブレクは片手で振るっても随分と取り回しが良い。両手斧の柄を少し切り詰めただけの様な何気無い寸法に見えるが、こうして手に取るとただ切り詰めただけでなく、どれだけ丁寧に造られているかは一目瞭然だ。
「ランバージャックの様に柄を展開させて片手斧、ハチェットと両手斧を切り替える方式も検討しましたが貴方には強度第一の造りの方が相応しいと思い、全部分削り出し製法を採用しました」
ゼレーニナは淡々と語っているが、きっと言わないだけで俺の腕や指の長さ、背丈と重量バランスを相当意識しながらこのラドブレクを設計した筈だ。
何よりも、このラドブレク自身が俺にそれを雄弁に物語っている。
斧のホルスター及びフックはラドブレクを背中で吊り下げる形で、背負って携行出来る様に設計されているらしい。
ホルスターの構造からしても、骨のヴァネル刀ことログザルとも同時に携行出来る様に造られているのは間違いないだろう。
「斧頭に備わっているピックは一応、実用性を兼ねて設計されています。状況に応じて、ウォーピックとしても使えるでしょう」
ゼレーニナにそう指摘されるまでもなく、ラドブレクの斧頭の反対側、刃の所謂“背面”側には実用性を感じさせるピック部が備わっていた。
柄の端の部分にしても、ランバージャックの様な紐や縄を通せる様な穴は備わっておらず、代わりに研がれてこそいないものの力を込めれば刺突に使えそうな、丈夫な破砕工具を思わせる突起が多少の装飾と共に備え付けられている。
斧頭の鉤の付いた大きな刃に加えて、背面に備わったピック部に、グリップでありながら小さな槍の様でもある柄。
携帯型の展開式ウォーピック、アイゼンビークの事を思えば俺個人という前置きにおいて、このラドブレクはかなりの優位となる装備だろう。
勿論ラドブレクを収めるホルスターについても斧頭や刃のみならず、前述したピック部や突起が此方を傷付けたり干渉したりしない様、配慮されている。
ログザルを腰に下げ、ラドブレクを背負っているだけで技術と戦術から見ても、かなりの選択肢を保有出来る事になる。
鎧を相手にした時も勿論そうだが、先日のウィンウッドの様に鎖ことチェインメイルを着込んで刃が通らない相手、ログザルの刀剣としての切れ味が通じない相手に対しては、このラドブレクの純粋な打撃力は相当な効果がある筈だ。
勿論、ラドブレクだけでは対応しきれない様な、手数や速度が必要になってきた局面ではログザルが重要となる。
この二振りは端から見れば奇妙な組み合わせに見えるかも知れないが、俺にとって相当な助けとなるだろう。
しかし。
言うまでもなく、ラドブレクの製造には相当な手間と技術が必要だった筈だ。
これが助けになるのは間違いないが、何故ゼレーニナはこんな良い斧を造ったのだろうか?
それも、貴重なフカクジラの骨を使ってまで。
ゼレーニナの方を振り返りながら、疑問を投げてみる。
「この斧、随分と」
「誤解されない様に言っておきますが」
そんな俺の発言を遮る様に、被せる様にゼレーニナが口を開いた。
少しばかり、顎を引く。
ゼレーニナがそんな語気で話してくるとは思わなかった為、少しばかり不意を突かれた。
「ラドブレクは、私が研究の一環で製造した装備です。変に勘繰られるのは正直、不愉快ですね」
俺と自分に言い聞かせる様な口調で話すゼレーニナ。
言いたい事は分かるのだが、それにしては妙な所もある。
研究の一環として製造したにしては、随分と手に馴染むのだ。
武器の素材としてどれだけ向いているのか確かめたい、またはそれに準ずる目的の製造なら、ここまで俺の手に馴染む様に調整する必要は無かった筈。
ラドブレクをもう一度振り、手の中で回す。
「……それにしては、随分と“俺”が扱い易い様に造られてるみたいだが。幾ら俺でも、テーラーメイドとレディメイド(既製品)の違いぐらい分かる」
レイヴンが振るう事を考えて作っていたとしても、それにしたって個人向きな風潮と印象は拭えない。
丁寧な装飾や彫刻は置いておくとして、柄の幅や寸法、重心、刃の大きさや鉤部の長さ。
全てのレイヴンに、同じ斧を渡してこれを使えと言ったならば、とても無視できない人数が不平不満を挙げるだろう。
両手斧にしては丈が詰められている、片手で振る斧にしては丈が半端だ、重心が偏っている、斧頭が大きすぎる、鉤部たる刃の下部が長すぎる、等々。
明らかに“デイヴィッド・ブロウズ”なら文句は言わないだろう、という思想の元にこのラドブレクが製造されている事は明らかだ。
「フカクジラの骨は稀少な素材ですから、大量生産には向きません。個人向けになるのは、元々避けられないでしょう」
それにしたって、ここまで俺に馴染む様にする理由にはならないと思うが。
そんな俺の言葉が口から出る前に、ゼレーニナが言葉で遮る。
「加えて言うなら」
俺を牽制するかの様な言葉の後に、再びゼレーニナが言葉を紡いだ。
「硬化処理されたフカクジラの骨で出来た武器、それも斧なんて、貴方以外のレイヴンは扱わないでしょう?自明の理ですよ。単純な数式です」
勢いよく重ねる様な言葉と共に、此方を窘める様にゼレーニナが少しばかり眼を細める。
単純な数式に自明の理、随分な言われ様だ。
「それに、付き添うと言った筈です」
そんな言葉に意識をゼレーニナから、ラドブレクの蒼白い刃に向けた。
付き添う、か。
以前、ゼレーニナが俺に骨のヴァネル刀ことログザルを渡した時の事が、頭に過る。
黒魔術にカラスに、フカクジラの骨。
人として許されない所まで、引き返せない所まで踏み込む事になるあの瞬間に、ゼレーニナは言った。
“覚悟した上で踏み込むのなら、付き添いましょう”と。
別に軽視していた訳では無い。勿論、ゼレーニナの言葉を軽く考えていた訳でも無い。
だが、改めて考えても覚悟していた以上に重い言葉と決意だった事は間違いなかった。
黒く濁った冷たい物が、胸の中で微かに脈打つ。
ウルグスの不気味な蒼白い双眸が、脳裏を過った。
握り締めたラドブレクからは、フカクジラのものであろう重く低い、嘆く様にも呼び掛ける様にも聞こえる唄が伝わってくる。
「先に言っておきますが」
蒼白く染まったラドブレクの刃を眺めていると表情から察したのか、ゼレーニナが不意に口を開いた。
「私はあの時の発言を、撤回するつもりはありませんよ」
微かな音と共にゼレーニナが息を吸う。
芯のある大きな眼が、此方を見つめていた。
「付き添いますよ。爪先が濡れたからと言って、私だけ身を引く様な事はありません」
先程の勢い良く重ねる様な言葉とはまた違った、静かながらも確かな意味を持った言葉がゆっくりと耳朶を打つ。
少し不思議な気分ではあるが、ゼレーニナの言葉にきっと嘘は無いのだろう。
言葉の通り彼女は、俺を支えようとしてくれている。多少変わった形であるにしろ、他の者には到底務まらない様な支えである事は間違いない。
助かるよ。
そんな言葉がふと浮かんだが口から出す事も無く、胸中で噛み潰した。
言葉を噛み潰した胸中で、黒い何かが脈打っているのを再び感じながら、少し考える。
どうやら、自分で思っている以上に俺はこういう時に感謝を伝えるのが下手になっているらしい。
何か口を開こうとしてゼレーニナの眼を見ていたが、当のゼレーニナは怪訝な顔をするでもなく不機嫌そうな顔をするでもなく、少しだけ首を傾げた。
幾つか考えていた子供の様な言葉が頭の中で、ほどけて消える。
下手に言葉にしても、陳腐なだけか。口下手の言い訳と言われたらそれまでだが、何か言い返せる訳でも無かった。
話を逸らす様に、口を開く。
「一つ、聞いても良いか?」
「何です?」
落ち着いたゼレーニナの眼を見返しながら、胸の前にラドブレクを持ってきた。
ラドブレクの柄には北方のものであろう、俺の知らない古代文字が刻まれている。
「柄に刻まれている、この古代文字はどんな意味なんだ?」
そんな俺の言葉にゼレーニナが一拍置いてから、少しだけ眼を逸らしながら答えた。
「別に、大した意味はありませんよ。北方国によくある、装飾ついでの気紛れです」




