020
「デイヴィッド、君の最初の任務が決まった」
そんなアキムの言葉に、自分の表情が険しくなるのを感じた。
想像以上の騒ぎになった十日足らずの休息も遂に終わり、豪華な装飾の会議室で、目の前の机に資料が広げられる。
目の前には主要幹部の三人がいて、各々が鋭い眼をしていた。とうとう、幹部から直々に“直属の独立個人部隊”としての仕事が回ってきた、という訳だ。
その内の一枚を手に取り、アキムが目線を走らせる。
「名前はマクシム・ドゥプラ。帝国軍に勤務する、上級尉官だ。君にはこいつを始末して貰いたい」
そんなアキムの言葉と共に、傍にいるクロヴィスから肖像画を手渡される。
それなりには正確に描かれているらしい、其れなりには特徴が現れていた。
殆ど髪の無い頭に深い皺、厳格そうとも不機嫌そうとも言える表情。そして、不機嫌そうな眼。
男性。髪も髭も無し。老いている。
確かに大きく顔が描かれてはいるが、この肖像画一枚で探せというのも不親切な話だ。とは言え、衰退しつつある黒羽の団ではこれが精一杯なのだろう。
「デイヴィッド、安心しろ。もっと分かりやすい物がある」
そんな言葉に顔を上げるとアキムが何やら、封筒程の様な物を差し出した。何と、写真らしい。
写真は遠くから写した小さい物だったが、似顔絵では掴み切れないドゥプラ本人の雰囲気が多少なりとも伝わってくる。
成る程、確かに似顔絵とこの写真を組み合わせれば、見た事も無いこの男の容姿を鮮明に思い描く事が出来る。
「こっちの画家の方が腕が良いな。写真みたいだ」
そう呟くとクロヴィスが微かに笑い、アキムが「確かにそうかもな」とのんびり言葉を返した。
多少和んだ空気も、ヴィタリーの不機嫌そうな咳払いにより再び元の張り詰めた空気が戻ってくる。
「理由の説明に入ろう、訳も分からず“やってみました”じゃ此方が迷惑する」
咳払いから不機嫌そうな空気はそのままに、ヴィタリーが続けた。
「こいつを始末するのはマクシムが邪魔だからじゃない、マクシムの持っている情報網と権力、そして鍵が必要だからだ」
「鍵?」
素朴な疑問に、つい声が出る。
「そう、鍵だ」
冷静沈着と言った様子で淡々とヴィタリーが続ける。
「この男はこう言っちゃ何だがとんでもない男でな、帝国軍内部でも恐喝と賄賂に依って情報を得て弱味を握り、表には出ないが内部に結構な数の配下が居る」
「正に腐敗、というやつだ」
横から口を挟んだクロヴィスに、ヴィタリーが冷ややかな視線を向けるも当の本人は肩を竦めただけだった。
「……その腐敗のお陰で、今マクシムには相当な量の情報が集まっている。表も裏も混在でな」
相変わらず帝国軍内部は、誠実とは程遠い環境になっているらしい。真実を隠蔽し、私腹を肥やす事に熱心な現政権に反吐が出るのは今に始まった事では無いが。
「心配してたが相変わらずで安心したよ、帝国軍は元気でやってるみたいだな」
「諜報員の情報によると、マクシムは随分と好き勝手やっているらしい。毎日贅沢三昧を繰り返し、度々娼婦を買っているとの報告まである」
俺の皮肉も全く取り合わず、ヴィタリーが説明を続ける。そこに、クロヴィスが怪訝な顔で再び口を挟んだ。
「帝国軍は大修道院を保有する程の宗教団体でもあるんだろう?とても上級尉官とは思えない生活だな」
「教会で祈り、酒は嗜む程度、私欲に抗い、誠実に隣人を愛す、今の帝国軍でそんな奴は記者の前にしか居ない。それも懐の温まった記者の前にしか」
そう返すとクロヴィスの怪訝な顔が苦い顔に変わった。そんな顔をされても、現に俺が退役する頃の帝国軍はその通りだった。
「有り難い講義は終わりか?」
ヴィタリーが横槍を入れる。小さく溜め息を吐き、苦い顔のクロヴィスから視線をヴィタリーに戻した。
「一部の帝国軍内部じゃ、今や奴の権力は相当な物だ。修道院に至っては、大半が奴の支配下にあると言っても過言じゃない。そこで、お前にはマクシムを始末し、奴の権力の源である情報網を手に入れ、修道院を我々の支配下に置いてほしい」
「マクシムとやらの権力を奪い、奴の跡を継いで修道院を手に入れる、か。成る程な」
聖人“テネジア”を崇拝するテネジア教徒が多数を占めるレガリスでは、修道院を支配するという事は実質的に教徒をそのまま味方に付ける事に等しい。各地にある修道院が味方になるというなら、帝国を変えようとする抵抗軍としては勿論、政治的にも有利な筈だ。
そこで、ふと疑問に思った事を思い出した。
「そう言えば、さっき言ってた鍵ってのは何の事だ?」
「そうだ忘れる所だった、お前のせいで話が逸れたぞクロヴィス」
「私にだって聞きたい話ぐらいある、いい加減何かと噛み付くのを止めろ、ヴィタリー」
仲の良い奴等だ。会議中で無ければもう少し聞き入っていたいものだが、残念ながら此方も仕事でここにいる。それもとても重要な仕事の為にだ。
「その辺にしておけ」
やや呆れた様な表情で、アキムが二人を諌める。
「鍵と言うのは、マクシムが肌身離さず持っている隠し部屋の鍵の事だ。その隠し部屋にこそ、我等が求めている権力の源が詰まっている。恐喝の根拠が纏められたリスト、正に悪魔の帳簿がな」
そう続けるアキムに、目線を向ける。
「つまり、重要なのはマクシムじゃなくマクシムの持っている鍵って事か?」
「そういう事だ。だが、マクシム自体も勿論、充分な障害になる、奴の権力を奪おうと言うのだから後から面倒にならない様に、マクシム自体も排除しておくべきだろう」
鍵を盗めば良い、という訳でも無さそうだな。まあ本人に気付かれず盗むとなると、殺すより難しい仕事になる訳だが。
「決行は何時だ?」
「来週の夜、君を目的区域の崩落地区に送る。後は現地の諜報員と落ち合い、大修道院に向かってくれ」
「諜報員、か」
確かに、マクシムの詳細な情報を手に入れるには現地の諜報員から情報を貰うのも重要だろう。
アキムがそのまま続ける。
「そして予め言っておくが、諜報員によってマクシムの情報や崩落地区までの君及び装備の運搬、間接的支援は出来るが、直接的な支援は全く無い。マクシムのいる大修道院に潜入及び排除、そして恐喝リストの奪取、そして崩落地区までの脱出。この殆どを君単独で片付けて貰う事になる」
「つまり、殆ど俺一人でマクシムを片付けろって事だな」
そんな言葉に、アキムとクロヴィスが微かに苦い顔をする。
「そんな顔するな、非難する気は無い。最初に説明してもらった通りだと思っただけさ」
そう言うと、クロヴィスがただ一言だけ「すまない」と呟いた。
……覚悟はしていたが、とんでもない作戦だ。前にこの会議室で聞いた言葉に、何一つ偽りは無かったのだと改めて実感する。
まるで子供の考えた劇団の騎士の様だ。暴漢の相手から雑貨屋の商談、姫様の救出まで一人で傷一つ無く片付けてしまう白銀の騎士。生憎と此方は白銀どころか漆黒で、銀の鎧どころか黒革の防護服な訳だが。その上仕事は姫様の救出どころか、老いた上級尉官の暗殺と来たもんだ。
何とも言えない気分に、思わず溜め息が出る。
「一人が寂しいならぬいぐるみでも持っていくか?」
小馬鹿にした様にヴィタリーが噛み付いてくる。
「止めておくよ。俺が持って行ったら、お前が今夜寝る時困るだろう?」
不機嫌そうだったヴィタリーの顔が、輪をかけて不機嫌そうになった。
「随分と自信がある様だな、大修道院がどんな場所か分かってんのか?レガリスじゃ帝国軍と修道院は切っても切れない関係だって事は知ってるだろう。そこに入り込むってのは其処らの帝国軍の城に入り込むのと、実質大差無いって事だ」
「ヴィタリー、よせ」
俺の不安を煽る様な言葉に、思わずアキムが諌めるもヴィタリーは言葉を止めない。
「そこに一人で乗り込んで、紅茶の途中にでも上級尉官の顔をひっぱたいて、鼻歌混じりに帰れるとでも思ってるんじゃないだろうな。修道院の教徒には帝国軍の兵士も少なくない、実質、大修道院を警備してんのは帝国軍だ。入るのも難儀する上に、騒ぎが起これば出るのは倍以上難儀するのを、お前も知らない訳じゃないだろうが!!!」
「おい、ヴィタリー!!」
クロヴィスも思わず声を上げる。ヴィタリーが、調子を残しつつも幾分声を落とし、言った。
「それをお前は、やれるって言うのか?」
そんな言葉を最後に、部屋は静まり返った。耳に障る程の静寂。
俺を睨み付けるヴィタリーに、真正面から目線を返しながら、言葉を返した。
「その為に、俺はここに来たんだ」
次回更新は19日です。




