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労務修士、という役職がある。
かつては助修士、とも呼ばれていたその役職は現在のレガリスでは労務修士と呼ばれ、修道院に居ながら修道者にはならず普段から労働や雑用、交渉等を主に行っている役職を指す名称だった。
修道士、修道女達と同じく聖職者としての教育を受け、戒律を守りながらも聖職者ではない者達。
私も、そんな労務修士の1人だった。私の場合は厳密には労務修女、になるのだろうがまぁ良い。
最近こそ見なくなったが、こうしてラクサギア地区の栄えあるメネルフル修道院の労務修士として、労働に勤しんでいてもたまに修道院の頭文字さえ間違える様な無心な輩から、とんでもない事を言われる事がある。
修道院の修道士と言うのは、一日中祈って本を読んでいるだけなのだろう、と。
お前の様な労務修士に全てを任せ、庶民の様な労働とは無縁の、欠伸の出る生活をしているのだろう、と。
まぁ無学や無心なのは仕方無いと割りきれても、そんな輩が修道士達を軽視しているのは大いに遺憾である事も、また確かだった。
修道士の祈りは否定しないし、勿論読書も否定しない。修道士と言えば、そんな印象があるのも理解は出来る。
だが、修道士が厳しさとは無縁の欠伸が出る生活をしているなど、不敬も甚だしいの一言に尽きた。
言うまでもなく修道院、及び一般的な修道士は労働とは切っても切れない生活をしている。
畑仕事や果樹園に代表される農業に加え、ワインやリキュール、ビールの醸造と言った仕事や、様々な手仕事は決して楽な物ではなかった。
立場抜きに発言して良いのなら、教会の外の人間はこれより楽な生活を送っているのだろうか、と考えた事もあった程だ。
他の形だけの堕落した修道院及び修道会ならまだしも、厳しさとは無縁の生活をしている者など、このメネルフル修道院には居ない。
はっきり言って、修道院及び修道者はこの空に生きる全ての人々の基本、基盤とさえ言えるだろう。
修道院には言うまでもなく労働があり、厳格な規律が備わっている。
全ての人々の食物、恵みをもたらしてくれる畑や果樹園も修道院内に備わっているし、聖レンゼル修道会の様に経済力のある修道院にもなれば、内部のみならず修道院の外にも果樹園や畑を保有している事も珍しくなかった。
そしてその広大な畑から醸造されるワインやビールは、この空に生きる多くの人々に欠かせない。
その上、医療の概念が確立される以前の古代から人々を救い、癒してきたのは歴史にも刻まれている通り修道会、及び修道院に他ならない。
香草や薬草等を用いた医学行為、医療行為も歴史を紐解けば修道院がルーツになっている事も少なくなかった。
修道院内の庭園から取れる香草や薬草の効能を基盤として、今日に至るまでの薬学がレガリス及びバラクシアに育まれている事は、まず間違いない。
また、余程の愚か者でも無い限り否定はしないと思うが、勉学と修道院は非常に密接な関係を持っている事は歴史にも深く刻まれている事実だ。
古くから学問は修道会の下にあるとされ、修道会は哲学や自然科学を学ぶ場でもあった。
現代において知識人や学者と呼ばれている人々の起源は、聖職者及び修道士と言われている。
また、聖書及び聖職者は人類と共に歩んできた。
人々は獣から宗教と文化によって、人間になったと言う。現在の修道院、修道会は宗教を根源としている事を踏まえ、かつ聖母テネジアによって我々が我々たる歴史がこの世界に生まれ、紡ぎ始めた事を鑑みれば修道会と修道院は人々の歴史をも内包している事となる。
そして、人々の争い。
宗教戦争、と言う言葉が一般的に認知されているように宗教の分裂により、人々は長らく戦争に身を投じてきた。
戦争の中には利益だけの醜い戦争や恥ずべき戦争もあるが、数多くある争いの中で誇りある高潔な戦争、譲れない戦争には全て、宗教及び修道会が関わっている。
人々にもたらされる食物の恵み、薬学を筆頭とする医療、また哲学を含んだ勉学と知識、学問。これまでこの空に紡がれてきた、人としての歴史。加えて、高潔が故の避けられぬ争い。
そして、聖母からこの空全てに注がれる、慈愛。
この空に生きる全ての人々。我々を人間たらしめる、証。
その証たる全てが宗教から始まる、もしくは宗教と共に生きてきた。
つまり修道会は、我々が人々として生きる上に置いて全ての道標であり、地図でもあるのだ。
つまり、自分は今。そんな人々の全てを備えた修道会、ひいては修道院に居る。
今に始まった訳では無いがそんな事実と自分が、たまらなく誇らしかった。
自分がこのラクサギア地区、メネルフル修道院に足を踏み入れる事となった切っ掛けを、今でもありありと思い出せる。
並々ならぬ実績から、帝国軍から太い支援を受けているこの聖レンゼル修道会に派兵された、あの時。
帝国軍で受けたテネジア教徒としての教育とは、比べ物にならない程の誇り高い空気に、感銘を受けたものだ。
自身に命じられた職務はメネルフル修道院に、武力及び兵力としての支援だった。
帝国兵が一時的とは言え、修道院の指揮下に置かれる事を良く思っていない者も幾らかは居る。自分からすると、信じられない事ではあるが。
そんな“不信心”な連中は配置換えを申し出ていた様だが、自分は全くそんな事は考えなかった。
むしろ配置換えどころか、ラクサギア地区の配置延長を申し出た程だ。
ラクサギア地区の様な有数の宗教地区、及び修道院の支援配置となった人間は帝国軍の軍服から、テネジア教徒である事を前面に押し出した服装へと換装させられる。
仮に帝国軍としての装備を身に付けずラクサギア地区を歩いていたら、修道士や修道女と身間違えられても仕方無い様な服装へと。
軍人としてのサーベルや装備で人々は、帝国軍と単なる修道士を区別するのだろうが、正直に言って有数の宗教地区ともなれば近年はギャングや不敬者に対抗する為に、修道士が武装している事も珍しくない。
話によると、空中都市が出来る以前の、大陸時代の帝国軍の前身、“修道騎士”と言われていた頃の兵装と今の我々は酷似しているらしいが、生憎と自分はそちらに余り興味が無い。
そうして聖レンゼル修道会の崇高さに暫く身近で触れた後、自分は延長された配置期間の終了に合わせて退役を申し出た。
知人は驚いてる者が半数、納得していた者が半数。
自分は自分が思っていた以上にテネジア教、聖レンゼル修道会に端から見ても傾注していたらしい。
元々帝国軍でテネジア教徒の教育を受けていたが、改めて聖職者としての教育を受け晴れてラクサギア地区のテネジア教徒、聖レンゼル修道会の一員としての人生を歩み始めた。
勿論、帝国兵をやっていた経験、ラクサギア地区に派兵されていた身として、この地区で修道院に属する事がどういう意味を指すのかは、良く分かっている。
トルセドール、とかいうレガリスで暮らしている事が信じられない程の不敬者達が、ギャンググループを形成してこの修道院及び修道会に数多の妨害行為を行っているのは、このラクサギア地区では周知の事実だ。
だからこそ、このメネルフル修道院に属する修道女達は以前、帝国兵だった私に負けるとも劣らない鍛練を重ねていた。
それなりに名の知れた修道女の1人に何気無くギャングとの闘争の話を聞いた所、憲兵顔負けの剣劇の末にギャングを切り捨てた事がある、と言われ驚いた事を覚えている。
このメネルフル修道院で修道女を長らくやっている事は、“聖なる兵役”を務めている事に等しいのだ。
帝国軍が修道院を保有する程の宗教団体である事はよく知られているが、それは帝国軍に修道院が管理されている、保護されていると言う一般的な認識だろう。
だがこのラクサギア地区を含む、有数の宗教地区ではその意味合いが異なってくる。
他の地区と違い、私が居る様な宗教地区では修道院及び修道会が帝国軍から太い支援を受けるばかりか、憲兵達が修道院の決定に従い、修道会が軍部の決定や方針に意見出来る程の影響力と決定力を持っているのだ。
帝国軍ではなく修道会が街を治め、憲兵ではなく修道女が街を見回り、皆が修道会を頼りにする。
そんな修道会の街で労務修士、という生き方を決めたのは自分だった。
帝国兵だった頃からの知り合いが皆、驚いたのを今でも覚えている。
この街の人々から、貴女なら今すぐにでも修道女になれると何度も言われたが、決断を変えるつもりは無かった。
誰に何を言われようとも、私が選んだ道は労務修士だ。
私の道は、私以外の誰にも理解される必要は無いのだから。
そしてそんな労務修士の自分は今、間違いなくラクサギア地区のどんな労働者にも負けない程に、“労働”している自信があった。
朝方からスノーシャベルを片手に除雪作業を続けて、随分と経つ。
とんでもない雪だ。
ラクサギア地区も此度の寒波によって、近年ではそう見れない程の積雪に見舞われる事となってしまった。
その積雪は当然ながら聖レンゼル修道会、我等がメネルフル修道院にも無関係な話ではない。
メネルフル修道院の修道女達だって、殆どが朝方から職務を中止して除雪作業に駆り出されていた。
これは、まだまだかかるな。そんな事を考えていると、ざわめきが聞こえてきて振り返る。
不意に、息を飲んだ。
遠目にも伝わる、並々ならぬ雰囲気。荘重な、仮面を付けたお姿。
私はこのメネルフル修道院で“彼女達”に出会い、世界にはただ歩くだけで荘厳な方が居る、と初めて知った。
朝日に照らされた誓言の様であり、曇り無き鏡の様でもあり、それでいて研ぎ澄まされた白銀の剣の様でもある御方。
“恩寵者”。信仰と鍛練の末に、“神に近付いた者”。人として生を受けた上で“人を越えた者”。
そんな彼女達の1人が畏れ多くも修道院地下、ひいては修道院内部から踏み出され、外を歩かれていた。
思わず付き従う周りを丁寧に、淡々と断りつつ恩寵者が除雪の最中である周囲を見渡す。
普段、修道院地下深くにて聖母テネジアと聖女レンゼルに祈りと賛美を捧げている筈の恩寵者が、何故日向に来たのか検討も付かなかった。
少なくとも、今日は間違いなく地下から恩寵者が現れる理由は無かった筈だ。その表情は、金属製の仮面に阻まれて何一つ読み取れない。
仮面のまま恩寵者が何かを近くに居た修道女に伝え、またゆっくりと修道院の中を歩き始めた。
そして話を伝えられた修道女が、私に向かって手招きをするのでそちらに歩み寄って話を聞く。
恩寵者達、“彼女達”が地下にて祈りと賛美を捧げ、鍛練を行っていたのだが先程、不穏な物を感じたとの事だった。
何でも恩寵者が言うには、不気味な羽音が修道院の上を幾つも通っていったそうだ。
言葉を伝えてくれた修道女曰く、カラスでも居たのかも知れないとの事だが、最近はこの辺りでカラスを見掛ける事など、特段珍しい事でもない。
勿論、恩寵者の言葉を疑う訳では無いが、修道院の地下深くから修道院の上を鳥が飛んでいった事を感じられるなど、にわかには信じがたいのも事実だった。
スノーシャベル片手に、冷えきった寒空を見上げる。
恩寵者様は、何を感じ取ったのだろうか?




