202
シャッターが閉められた倉庫の中は、想像以上に暗かった。
余程入念に準備したのだろう、まだ外は明るい筈なのに自分の手ですら相当近付けないと目視出来ない。
埃っぽい空気を静かに吸った。
倉庫の間取りも分からない上に潜んでいる敵の人数、罠の数も不明。
そもそも、何処をどう進めばラシェルの言っていた地下に入れるのかも分からない。
この倉庫において敵の微かな匂いと、確かな気配だけが俺に有利な要素だった。
このまま、罠と敵の攻撃の全てをかわして地下の何処にあるのかも分からない、ランプを取ってこいだと?正直、無理難題にも程がある。
足で倉庫の床を探る様に、音を立てない様に少しずつ歩いてみたが、まるで成し遂げられる気がしなかった。
これが、クルーガーやユーリの持ち掛けた催しなら「おいこんなの出来る訳無いだろ、夜霧の中を泳ぐサメじゃないんだ」と早々に申し出ていただろう。
手も良く見えぬまま、頭を掻いた。
だが、これを持ち掛けてきたのはユーリでもクルーガーでもなく、あのラシェルなのだ。
昨日の技術開発班での、ラシェルのあの勢いから考えても生半可な真似をすればどうなるか、想像に難くない。
木製の剣を握り締めた。
撤退は認められない、恐らくは失敗も。
この倉庫のシャッターを閉じる前、ラシェルは俺に、“気味の悪いクソッタレの化け物”だと証明しろ、と言った。
ラシェルの言葉から考えられる意味は、そう多くない。
それに加えて、あの気迫と態度から考えても暇潰しにこんな事をしているとは考えにくいだろう。
何一つ見えない暗闇に目を凝らしながら、頭を捻った。
クソッタレの化け物、か。
恐らく、ラシェルの狙いは俺がこの圧倒的に不利な状況を真正面から“黒魔術”で突破する事。
何とか明かりを点けるなり、罠を予め潰すなり、それ以外の方法でこの状況を突破した所で、奴は認めないだろう。十中八九、面倒な事になるのは明らかだ。
ラシェルの思惑通りに苦労する事に対して思う所が無い訳では無いが、従わなかった際にどれだけ面倒な事になるのか、考えたくないのも事実だった。
と、そこまで考えた辺りでふと暗闇の中、片眉を上げる。
そうだ。
奴が今更、単純に俺がどれだけ化け物か確かめてみたい、なんて思う訳が無い。
この左手の痣からもたらされる黒魔術によって、何れ程“恐ろしい”真似が出来るかは既に充分過ぎる程、団員達が噂しているし記録にも残っていた。
となると、考えられるのは。こうまでして、確かめる必要があるという事は。
俺の得体の知れない黒魔術が必要になる、任務。いや必要どころか俺の黒魔術を軸にする必要がある、特別な任務。
つまりレイヴンとして、幹部から依頼される任務に密接な関係がある、と見て良いだろう。
そう考えれば、あのラシェルがわざわざこの大きな倉庫を暗幕まで張り付けて都合し、エルキュール辺りに口を利いた理由も合点が行く。
この倉庫での一件はラシェルが暇潰しに考えた事でも、団員達への見世物でもない。
幹部から直々に任務を任されるレイヴンとして、試されているのだ。
本人に相談も無く試されるなど、相も変わらず散々な扱いだ。やはり団に取って俺は悪名高きグロングス、いやそれこそ“人喰いカラス”でしか無いと言う事か。
と、そこまで考えた辺りで暗闇の中で小さく息を吐いた。
扱いが悪い事など、今更か。
またも埃っぽい匂いを嗅いで空気を吸った後、目の前の暗闇を見据える。
しかし、“人喰いカラス”扱いは良いにしても、どうしたものか。
確かに黒魔術は使えるが、光を灯す様な黒魔術には今の所、心当たりが無い。火を点ける様な黒魔術も、同様だ。
この暗闇の中、あの不気味なカラスを呼び出した所で何が出来るとも思えない。
ふと、匂いを嗅いだ。
何かが、迫ってくる。音は聞こえないがゆっくりと這う様な気配が、目の前の暗闇から迫ってくるのが分かる。
音を立てない様にしながら、敵意を持った何か、いや何者かが少しずつ俺に忍び寄ってきていた。
恐らくは、ラシェルの言う粉末か塗料とやらを塗った、武器を持った敵が此方に近寄ってきているのだろう。
こうして何も見えぬまま、例の“手繰り寄せ”を使った所で壁か棚に頭から突っ込むのが精々だ。眼の抉られたカラスを呼び出すのも、手繰り寄せも得策では無い。
痣から発されるあの蒼白い光も、この暗闇では不利になるだけか。
そこまで考えた辺りで、少し顔を上げた。
あの時。初めて、この痣が発現したあの時の、蒼白い光。
あの蒼白い霞が揺蕩う、奇妙な世界。
あの世界なら。
知らない気配が近付いてきている中、左手を握り締める。
そして、左手を握り締めたまま僅かに左手、左手の“痣”に力を込めた。
暖炉に翳した時の様な微かな熱と共に、“痣”が防寒用の革手袋から滲む様に蒼白く光を放ち始め、“手繰り寄せ”や“カラス”程の勢いこそ無いものの、黒く冷たい何かが左手から染み込む様にゆっくりと、自分に流れ込んでくる。
と、殆ど同時に。
視界が、世界が、鮮やかに、蒼白い濃淡に塗り潰された。
ラシェルがシャッターを閉める前に見えていた風景が、単色の塗料だけで表現した風景画の様に、視覚へと鮮明に映し出される。
積み上げられた物資や貨物の棚、言うまでもなく自分の手や自分の握り締めた木製の武具までもが、蒼白い濃淡となって目の前に映し出された。
そして前方の少し離れた所から、念入りに足音を殺しながら此方に丁寧に歩み寄って来ている敵の姿が明確に見える。
目の前に居た敵役が訓練用らしき武具を握り締めている姿も、恐らくは俺の左手から微かに滲み出る光を頼りに近寄ってきている姿も、明確に“視”えていた。
確証は無かったが、それでもこの選択は正解だったらしい。
どうやらこの蒼白い濃淡の視覚は、単なる光度や光量による物では無い様だ。
以前、クルーガーが俺の虹彩が変化していた事を指摘していた事からも、眼球が関係している事は間違いないのだが………
しかし、それなら俺の眼は今、“何”を捉えているのだろうか?
光が滲む手の甲ではなく、左の掌を向けると相手が幾らか動きを止め、微かな光を見失ったせいかやや探る様な姿勢を見せた後に、再び此方に歩み寄り始める。
塗料さえ付けば良いと思っているのか、武具の切っ先を翳す様に此方に向けながら敵が少しずつ此方に歩いてきた。
息を少し吸い、足音と気配を圧し殺しながら自分も敵の方へと歩み寄っていく。
相手の挙動から見ても、蒼白い濃淡で世界が見えている此方と違い、本当に何も見えていないらしい。
音を立てない様に大きく、顔面を狙って肩越しに木製の剣を振りかぶったが、無防備な顔面に思い切り武具を叩きつけるのは幾らか憚られた。
ラシェルとエルキュールに何を吹き込まれたかは知らないが、今回の件で鼻骨と歯をへし折られても釣り合う程の報酬が、こいつにあるとはそう思えない。
振りかぶった木製の剣、その力をぶつける先を相手の顔面から武具を握ったその手首に、加減しつつ振り下ろす様にして叩き付けた。
完全に不意を突かれる形で受けた手首への打撃に、悲鳴と共に剣を取り落とした敵の襟を掴み足を掛け、地面に引き倒す。
目も見えぬまま、背中から地面に引き倒された敵が幾らか呻き声を上げた。
その喉に、木製の剣の刃を押し付ける。
「静かに出来ないなら、静かになるまで顔を踏み潰す」
そう呟くと相手にも意図は伝わったらしく、地面に引き倒されたまま相手が両手を真上に上げ、降参を示す。
敵が驚いた様子のまま、囁いた。
「お前、見えてるのか?」
「大人しくしてろ」
そんな会話の後に木製の刃を喉から離し、手で数回額を叩いてから敵を跨いで前に進む。
一応、数歩進んで振り返るも引き倒された敵は、同じ体勢を維持していた。
どうやら本当に降伏したと見て良いらしい。
そうして敵から目を離し辺りを見回すも、蒼白い濃淡に描かれた世界は想像の数倍、明確な“視界”として描かれていた。
倉庫内に積み上げられた物資や貨物にも目を向けながら、木製の武具を構え直しつつ静かに音を立てぬ様、倉庫内を進む。
ラシェルの話によれば、武器を持った敵と同じく、罠も仕掛けられている筈だ。
倉庫内を探る様に歩きながら、もう一度気配を探った。
今の所は仄かな匂い、気配しか探れず、今感じているこの気配が先程の敵とは違うとは言い切れない。
だが、居る筈だ。
ラシェルやエルキュールの様子や倉庫の規模から考えても間違いなく、敵1人で済ませる訳が無い。
静かに息を吸った。
もう1人は確実、何ならもう2人はいる筈だ。
もう3人居てもおかしくない。
そう思いながら蒼白い風景の中で辺りを見回し、貨物や物資の奥に見える恐らくは地下に繋がっているであろう階段に眼を留め、その階段に向かって数歩進むも不意に足を止めた。
蒼白い世界の中で少し屈み、意識を集中させる。
蒼い世界の中で、貨物の間を繋ぐ様に浮かび上がる筋の様な光。
自分が進もうとしていた道筋、通路に罠であろう細いワイヤーが弛み無く張られていた。
ワイヤー式の罠か。
恐らくはこのワイヤーを少しでも引っ張ってしまうと、いや触れるだけでも塗料か粉末が吹き出す様にでもしてあるのだろう。
そこまで考えて、ワイヤーの両端がただ貨物に結び付けているだけな事に気が付く。
結び付けてある貨物は、とてもワイヤーに引っ掛かっただけで動く様な重量には見えない。
むしろ、動かすならば太い縄で引かねば動かない筈だ。
これでは何の罠にもならないだろう、と考えた辺りで自分で自分を否定した。
違う。
ワイヤーで罠を作動させる必要は無い。そもそも、この罠は俺を負傷させる必要は無いのだ。
敵の目的は塗料を俺に付着させる事が目的なのだから、何もそこまで凝った仕組みを考える必要は無い。
ワイヤーに眼を凝らした。
罠の仕組みを組むまでも無く、このワイヤー自体に塗料や粉末を塗っておけばそれで済むのだ。
勿論、俺ならワイヤーに塗った上に別のワイヤーは仕組み式の罠にも繋いでおくから、恐らく敵側もそうしているだろう。
濃淡のみで描かれた世界の中で眼を凝らすと、想像以上に罠は本格的に組まれているらしい。
足元に張る罠だけでなく、目元や胴の高さ、両端で高さが違うワイヤーまで仕掛けてある。
その上、一切罠に触れずに進むとなると現在地点から最短距離を進む方針は取れず、少しではあるが引き返して迂回しなければならない。
そんな倉庫内の様子を見て、胸中で1人納得した。
俺がこの倉庫内でどんな黒魔術を使うか連中は知らない筈だが、何を想定していたにしろ俺が“暗闇内でも完全に状況を把握出来る”事を求めているらしい。
聴覚や嗅覚だけで状況を把握する程度では、確実に何かしらワイヤーの一つには接触してしまうだろう。
間取りもよく分かっていない倉庫内で、わざわざ目的地を迂回しなければならない様に罠を張るとは、相当な気の入り様だ。
ゆっくりと息を吸い、音を立てない様に移動してワイヤーの罠を迂回する。
気配を探りつつ、匂いを嗅ぎながら迂回して尚、足元に仕掛けられている数本のワイヤーを丁寧に回避しながら倉庫内、地下に続く階段へと進んだ。
数段置きに仕掛けられているワイヤーと塗料を注意深くかわしながら、階段を降りていく。
そして、地下室への入り口にまで差し掛かった辺りで不意に眉を潜めた。
地下室への入り口に、中腰で頭を下げて足元に注意しながら潜り抜けなければならない様、何本ものワイヤーが張り巡らされている事はまだ良い。
問題は、気配。
明らかに先程の人間とは別、と断言出来る匂いがあった。
埃っぽい空気に混じる、人間の気配。間違いなく、地下室に敵が居る。
感じる気配と、戦術的な理由から考えれば地下室の入り口の両脇辺りに、武具でも握って待ち構えていると思った方が良いだろう。
頭を、巡らせる。
この入り口の脇に敵が立っているとして、自分ならどうするか。
相手がここに居ると確信出来た瞬間に、入り口から階段へと押し戻す様に武具を振るうだろう。それこそ、入り口に打ち付ける様な意識で。
相手が見えていないにしろ、此方が何処から地下室に入るのか限定されているのは、言うまでもなく不利な条件となる。
少し息を吸った。
この状況で此方の利になっている事と言えば、相手の眼が見えていない事。そして、俺がまだこの階段まで来ていないと思われている事。
着込んでいる防寒着が音を立てない様に細心の注意を払いながら屈み、ワイヤーの合間に頭を通す様な形で静かに首だけを入り口から通し、地下室内を“蒼い眼”で確認する。
今頭に刃を振り下ろされたら、正しく“斬首”だな。
そんな事を考えながら辺りを見回すと、地下室内は概ね自分の予想通りの環境になっていた。
入り口の両脇、自分のすぐ傍に武具を振りかぶって待ち構えている敵が2人。
言うまでもなく地下室の壁に寄せる様に、積み上げられた物資や貨物。
その他には、恐らく俺が来るまでは灯りとして点けて待機していたであろう、小さなディロジウム式のランプが1つ。
奥に見える大きな机と、その上に分かりやすく置かれた箱に、件の“特別なランプ”が入っているのだろう。
この暗闇で見えていないだけで俺は目の前の2人に首と頭を差し出している様な体勢なのだから、今この瞬間に少しでも音を立てたら、少しでも相手の眼が見えたら“斬首”なのだと思うと、少し肝が冷えた。
ワイヤーに当たらぬ様、慎重に頭をワイヤーから引き抜く。
この2人と入り口の罠以外にはワイヤーが見当たらなかった所を見ると、どうやらここが“最終局面”なのだろう。
両脇の2人にはまだ俺が此処に居る事は感知されていないが、だからと言ってこの状況が不利な事には変わり無い。
静かに、長く息を吐く。どうしたものか。
中腰で潜る様な、この何本ものワイヤーがどうしても邪魔になってしまう。
潜っている最中で下手に感知されたら、それこそ“斬首”だ。
顔を出すだけならまだしも全身をワイヤーに触れさせずに通すとなると、時間がかかるし慎重にやらなければならない。もし相手の目の前で衣擦れの微かな音でも出ようものなら、体勢の悪さも相まってまず間違いなく避けられない筈だ。
何せ、相手は武具を振るだけで確実に俺に当てられるのだから。
こうなったら勢いを付けて輪を潜る様に飛び抜けるか、とも思ったがこの上着では上着の端が引っ掛かる可能性も十分にあるだろう。
飛び込めば引っ掛かる可能性があり、丁寧に潜っても衣擦れの音を聞かれる危険がある。
どうしたものか。
とそこまで考えた辺りでふと自分の上着、防寒着に目をやった。
そうか、上着だ。
武具を落とさない様に着込んでいた上着を手早く脱ぎ、手元に纏める。
その際の衣擦れの音に、地下室の空気が変わったのがはっきりと分かった。
両脇に居た敵が、俺がいつの間にかこの階段まで来ていた事に気付き“斬首”に備えて気を張り詰めているのだろうが、音が出る事も、音に相手が反応して臨戦体勢に入る事も予想通りだ。
思った以上に倉庫の中は冷え込んでおり、肌寒さを感じたが耐えられない程では無い。
わざと、餌の様に足音を数度鳴らした。
駆け込む直前の様な、助走の距離を取る様な足音だ。
地下室の空気が、更に空気が張り詰める。
音と気配次第では直ぐ様、両脇の2人は武具を振るうだろう。
少し息を吸ってから、駆け出す様な音と共に数歩進み、その勢いのまま纏めた上着をワイヤーの間から地下室へと投げ込んだ。
空を切る音と共に地下室の床に纏めた上着が落ち、控え目な音を立てる。
冷静に考えると不自然な音ではあったが、この環境下で相手を惑わせるには充分と言えた。
地下室の入り口、その縁に勢い良く木製の武具が叩き付けられ意外にも甲高い音を立てる。
同じく、もう1本の武具は入り口真下の床面に叩き付けられ、張り合う様に高い音を立てた。
空振り。
何を間違えたのか、相手は何をしているのか。この暗闇の中で自分達の居場所は知られたのか。
そんな中、数本のワイヤーの間に武具を突き込む様な姿勢、かつ助走無しで勢い良く飛び込み、地下室の床を素早く転がる。
上着無しのまま、武具を手に地下室の床から立ち上がった。
床を転がる際にそれなりの音を立てたが、もう2人は武具を振り下ろした後の上、先程の空振りから音を信用出来なくなっている。
かつ、相手2人と違い俺には動揺した表情のまま、暗闇に耳を澄ませている2人の姿がはっきりと蒼白い濃淡として捉えられていた。
2人を見据え、静かに大きく息を吸い、同じく静かに息を吐く。
手にしていた木製の武具を横に大きく振りかぶり、地下室の入り口脇に立っていた1人の腕に勢い良く武具を叩き付けた。
完全に不意を突かれ、呻き声と共に武器を取り落とす相手の耳を片手で掴み、もう1人へと思い切り引き寄せる形でぶつける。
暗闇で見えない事も相まって2人は真正面から衝突し、重なり合う様にして倒れ込んだ。
仲間にのし掛かられている方の敵、その腕を踏みつける形で塗料の塗られた武具を封じ、此方の握っている木製の刃を頬に押し付ける。
「暴れるなら顔面を叩き潰す」
それなりの声でそう言うと、折り重なっている2人が驚愕の表情を見せた。
腕を踏みつけられたままの男が、驚愕の表情のまま口を開く。
「どうやって………」
「次に喋った方は、この剣先を口に捩じ込む」
男が直ぐ様、口を噤んだ。
もう1人も身動きを止めた事を確認してから、漸く2人から離れる。
ラシェルが言っていた、黒い帯と引き換えに取ってくる特別なランプとやらは、この箱に入っているのだろうか。
そうして拾い上げた上着に袖を通し、懐から黒い帯を取り出して机に近付いた辺りで、ふと鼻を鳴らした。
箱は思った以上に丁寧な作りになっており、開閉部分には持ち手が取り付けられているばかりか意外にも錠前が備えられている。
簡素な物とは言え、まさか錠前が取り付けられているとは思わなかった。
鍵を探せと言う事か?そうなると面倒だぞ。
そう思い少し顔をしかめた瞬間に、目の前の壁にその鍵が分かりやすく掛けてある事に気付く。
………少し妙な顔にはなったが、その鍵を手に取って錠前の鍵穴に差し込んで見ると何一つ問題無く、その錠前が開いた。箱も同様だ。
箱の中の、想像以上に高級そうな装飾のランプを取り出し、中に黒い帯を置く。
塗料や粉末の罠も警戒したが、もう此処まで来て陥れる意図は無いらしく罠は何も仕掛けられて居なかった。
“特別なランプ”を手に、折り重なったまま動いていない2人の敵役にも一応気を配りつつ、時間を掛けて丁寧にワイヤーの間を潜り抜ける。
少し衣擦れの音がしたがワイヤーに上着も身体も接触する事無く、何とか潜り抜ける事が出来た。
そのまま来た道を引き返す様に歩きながら、ふと“眼が見えていなければ、あんな簡単な鍵にも気付けないか”と考え、あれも1つの試験だったと1人納得しつつ、倉庫の出口へと向かう。
罠を何とか回避しつつ、更にもう1人の敵役が動いていない事を確認してから、指で倉庫のシャッターを内側から引き上げた。
片手に木製の剣、片手に特別なランプを持ったまま倉庫から踏み出す。
そうして踏み出した倉庫の外には予想通り、咥え煙草を吹かしているラシェルが腕組みのまま煙草を吹かしていた。
「ほらね。言ったでしょ?こいつは無理難題が取り柄なのよ」
そう言ってラシェルが隣に立っていたエルキュールに話を振るも、当のエルキュールは言葉も返さずに立ち尽くしている。煙草すらも吸っていない。
暗闇から明るい外に踏み出した後も、意外な程に眩しさや違和感は感じなかった。
先程の倉庫内での風景と何一つ見え方の変わらない、蒼白い濃淡で描かれていた世界の中でエルキュールに特別なランプを放り投げる。
エルキュールが何も言わず、そのままランプを受け取るのを見てからラシェルが煙草を咥えたまま、手招きするので片手に武具を持ったまま歩み寄ると、ラシェルが此方を頭から爪先まで一通り見た後、眉を潜めた。
「何、その眼?」
蒼白い濃淡の中でそう呟くラシェルに、以前クルーガーが俺の瞳が真っ青に染まっている事を指摘されたのを思い出し、「あぁ」と呟いてから左手に意識を集中させ、少しの間の後に蒼白い濃淡の世界から、再び元の色鮮やかな世界に視界を戻す。
俺の瞳が青色から元の黒目に戻ったのを確認したらしく、ラシェルが鼻を鳴らした。
「本当に気味が悪いわね。相も変わらず、クソッタレな化け物だわ。ねぇ、エルキュール?」
紫煙混じりにラシェルが、そうエルキュールに話を振るも当の本人はランプを手にしたまま、立ち尽くしていた。
「エルキュール?」
もう一度ラシェルが話し掛けるも、相変わらず言葉は返ってこない。
蒼白い濃淡で顔を見た時には気付かなかったが、良く見ると表情こそ薄いものの顔からは驚く程に血の気が引いていた。
「……あぁ、成る程。だから言ったじゃないの、こいつは化け物なんだって」
ラシェルが呆れた様にそう呟き、紙巻き煙草を携帯灰皿に押し込む。
どういう意味だ?
「お前、本当に“グロングス”なんだな」
そんな俺の疑問に答える様に、そう呟いたエルキュールが青ざめた顔のまま、俺の背後の倉庫を指差した。
シャッターが開いたままの倉庫には何も無いが、と思った後に少し顔を上げる。
溜め息を吐いた。
あぁ、そういう事か。
「…………俺、ラシェルから聞いては居たんだけどよ……」
エルキュールが怯えた声のまま、言葉を続ける。
また1つ、羽音が聞こえた。
「“人喰いカラス”も、只のアダ名なんだと思ってて……だから………」
そんなエルキュールのか細い声を聞きながら、頭を掻く。
倉庫の屋根にはこの厳寒にも関わらず、偶然では済まされない数のカラスが留まっていた。




