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「それで、自分から技術開発班の除雪作業を手伝って、そのままクルーガーの頼み事まで引き受けたの?あのクソ寒い雪の中で?」
呆れた様に紫煙を吹かしながら、そうぼやくラシェルに此方も渋い顔で言葉を返す。
「別に何かしらやる事があった訳でも無いし、クルーガーも人手が必要みたいだったからな」
あの日は、ゼレーニナにザルファ教の本を返す予定だったのを、除雪に苦労している技術開発班を見て予定を変えたんだったか。
そんな俺の言葉に、ラシェルが煙草を咥えたまま此方に顔を向けた。
「じゃああんたは、暇だからってそうやって言われるがまま1人でバカみたいな荷物背負って、クルーガーの言う通りに積雪掻き分けて、シカに引かせる様な荷物引っ張りながら、わざわざあのクソちんちくりんの所に行ったっての?」
そう言われると随分な扱いに聞こえるが、事実としてその通りなので返す言葉も無い。
苦い顔で鼻の頭を掻いていると、ラシェルが信じられない様な顔を向けてきた。
「嘘でしょ?」
ラシェルが歩きながらも、静かに煙を吹かす。
呆れ顔と、驚いた顔を混ぜ合わせた様な顔をしつつラシェルが続けた。
「それであのチビがこのクソ寒い冬と雪のせいで………神経凍傷?」
「低体温症だ」
「あー、その低体温症?にかかったからって、わざわざ世話してポタージュ作ってシチュー作って、暖房機械にディロジウム燃料注いで、そこまでやったのに床で寝かせられた上に、クルーガーとの仲を取り持って帰ってきたって訳?」
嘲る様な口調だったが、事実その通りなので「まぁ、そうなるな」としか返す事が出来ない。
蔑む様なラシェルの笑いと雪を踏み締める音を響かせつつ寒空の下、居住区を歩いた。
分かりきっていた事とは言え、改めて振り返ってみると苦笑する他無い。
「それで、あんたの取り分は?」
呆れた表情のラシェルにそう言われ、言葉に詰まった。
少し空を見上げる。取り分、か。
こう考えると奇妙どころか愚かな話だが、あの塔でのやり取りで何か自分に利があるか、なんて考えた事も無かった。
「………夕飯代わりに、ニシンの缶詰を2つ」
「物乞いでもやってんの?」
返す言葉も無い。
改めて考えて見ても、釣り合う報酬で無い事は間違いなかった。
隣で、ラシェルが大きく溜め息を吐く。
「あんなクソちんちくりん、氷漬けにでもしておけば良かったじゃないの。あんな無愛想なチビに、何でそんなに肩入れするのよ?私なら、例えクルーガーに頼まれてもお断りだわ」
「………目の前で低体温症に罹患してる奴を、置いて帰る訳にも行かないだろう」
雪を踏みしめながら、少し考えてからそんな言葉を返す。
もう結構歩いた気がするが、ラシェルは俺をどこに連れていくつもりなのだろうか。
現場で説明するとしか言われなかったが、余り面倒な目に合うのは勘弁願いたいのだが。
少し考えた俺の返事に、ラシェルが呆れ顔ではなく変な顔をして振り返った。
「本当に損するのが好きなのね。あのチビが技術開発班でどれだけ煙たがられてるか、知らない訳じゃないんでしょ?」
「一応、装備開発ではあいつに助けられてるんでな。義理も恩もあるんだよ」
嘲る様に俺を鼻で笑った後、ラシェルが革で装飾された小さな金属筒の様な物を懐から取り出し、筒の蓋を開けて吸い殻を中に落とす。
手持ち灰皿、いや携帯灰皿か。
正直、吸い殻を踏み消す様な奴としか思ってなかったが、随分と洒落た物を持ち歩いているらしい。
紫煙の匂いが鼻を掠め、塔で嗅いだ機械油の匂いを思い出す。
……………“義理も恩もある”か。俺はあの時、そこまで考えていただろうか。
あの時。相手が低体温症に掛かっていると気付いた時、俺は助ける前に何か天秤に掛けていただろうか。
全ての過ちが償える訳ではない。どれだけの善行を積んだとしても、それは覆らない。
胸中で、声がした。
あれだけの事をして、お前は赦されようとしているのか。
償いによって罪と業から逃れようとしているのか。
お前の咎は、決して赦されはしない。
絶対にあの罪から、あの戦争から、あの礼拝堂からお前は逃れられない。
お前は自分でも気付かない内に善行を積む事で、赦されようとして人を助けたんじゃないのか。
息を吸い、左手を握り締めた。
黙っていろ。
あの礼拝堂は、関係無い。
俺はあの罪も業も、背負い続けるしか無いんだ。
あの全てから赦されよう等と思った事は、一度も無い。
「………レガリスで恐れられてる“カラスの化け物”、いや“人喰いカラス”が塔の魔女に飼われてるなんて、正しく笑い話ね。類は友を呼ぶ、ってやつかしら」
類は友を呼ぶ、か。
技術開発班で不気味がられ避けられているゼレーニナに、団から畏れられ嫌われている自分。
人喰いカラスに、塔の魔女か。
煙混じりに出たラシェルのそんな言葉に、皮肉な笑みが漏れる。
「それについては、同感だな」
そんな話をしながら、暫く歩いただろうか。
ラシェルが漸く足を止め、顎で目の前を指した。
目の前には大きな、古い倉庫の様な建物。
「倉庫、か?」
「あら意外、倉庫を知ってるの?賢いわね」
此方が目を細めるのも構わずにラシェルが大型倉庫の傍、シャッターの隣で寒そうに煙草を吸っていた男に話し掛けた。
「エルキュール、準備できてる?」
煙草を吹かしていたエルキュールと呼ばれた男が、煙草を咥えたまま此方に目を向ける。
男が少し眉を潜め、此方を怪訝な目で睨んだ後ラシェルに話し掛けた。
「………本当に連れてきたんだな、準備出来てるぞ」
「“敵役”も居る?」
「あぁ、居るぜ」
ラシェルとエルキュールがお互い煙草を吹かしながら、俺の目の前で堂々とそんな会話をしている。
エルキュールが、品定めする様な眼を俺に向けてきた。
あぁ、クソ。嫌な予感がする。
エルキュールの様な、金貨を賭けた犬を見る様な目には良い思い出が無かった。
ラシェルが硬い音を立てながら施錠を解除し、大型のシャッターを少し力を込めて真上に引き上げる。
倉庫の中は大型な割に締め切られていたのか、幾らか埃っぽい匂いがした。
こいつらが俺に何をさせるつもりなのかは分からないが、だが面倒な事になるのは間違いない。
倉庫内には物資や貨物の箱が至る所に積み上げられ、随分な量が積まれていたが倉庫が大型な事もあって、それでも充分な広さが残っていた。
ただ、随分と暗い。明かりを点けていないせいか、とも思ったが窓らしき部分が全て厳重に暗幕で目張りされている所を見ると、この随分な暗さは意図的な物らしい。
「何だそれ、手持ち灰皿か?」
「携帯灰皿よ、マリーのプレゼントなの。お洒落でしょ?」
エルキュールとそんな会話をしながらもラシェルが倉庫内に入る様に手で促し、俺に黒く厚い布を手渡してくる。
帯の様に畳まれた、黒い布。特に変わった所は、見受けられなかった。
渡した黒い帯には何の説明も無く、ラシェルが暗い倉庫内に入り手招きする。
どうやらエルキュールは新しく紙巻き煙草に火を付けている事からも、ラシェルと違い中に入るつもりは無いらしい。
あいつはこの倉庫番の様な係なのだろうか?いや、ラシェルに何か頼まれていたと見る方が妥当か。
倉庫内に手招きするラシェルの手には、エルキュールから渡されたのか其処らから手に取ったのか、何やら木製の武具が握られていた。
締め切った倉庫という場所からも最初に罠を考えたが、直ぐに考え直す。
仮に、エルキュールと言う男が俺を陥れようとするのならラシェルではなく、本人が武具を手にして倉庫内に入ってくる筈だ。
ラシェル本人が何か俺に攻撃や闇討ちを企てていると仮定しても、あいつならわざわざこんな真似をせずとも真正面から鼻をへし折りに来るだろう。
頭を掻いた。
罠では、無さそうだ。少なくとも、そんな気配はしない。面倒で無い理由には、ならないが。
「そのまま中に、もっと中に入って。そう、中心まで行って。そう」
そう指示するラシェルに怪訝な顔をしつつも、言われた通り倉庫の中心部まで移動する。
貨物の箱が両脇に寄せられている倉庫の中心部で鼻を鳴らし、小さな広場の様になってる場所に立ったまま幾らか埃っぽい匂いを嗅いだ。
幾らか眼を細めて、もう一度鼻を鳴らす。
浄化戦争において隠密部隊として戦っていた頃の感覚と記憶が、幾らか脳裏を掠めた。
古びた倉庫の、埃だけの匂いでは無い。
微かに、生物の匂いがする。生きて歩く、生物の匂いが。
匂いではなく気配、と言い換えても良かった。
倉庫の中に視線を走らせ、人が居ると思われる場所に意識を集中させる。
「さて、あんたが今からやる事を説明するわ」
背後から聞こえてきたそんなラシェルの言葉に、振り返る事無く返答する。
「其処の棚の奥に隠れてる奴と、今から殴り合えってか?」
少しの間の後、興醒めの様な溜め息が後ろから聞こえ、ゆっくりとラシェルが隣に歩いてきた。
「タチが悪いわね。あんた友人のサプライズとかも一つ一つ、台無しにしてたクチ?彼女が居ないのも納得ね」
記念日の御馳走を机から叩き落とされた様な顔で、ラシェルが手に握っていた木製の武具の柄を差し出してくる。
訓練用の、それなりの長さの剣だった。
受け取って少し振ってみるも、何か細工がある様子も無い。
「それで?」
そう呟くもラシェルは興醒めの様な顔のまま、淡々と言葉を続けた。
「この倉庫、シャッターを閉めると手も見えないぐらい真っ暗になる様にしてあるのよ。その真っ暗の中で、その黒い帯。その黒い帯を、倉庫の地下の箱の中に置いて、箱の中にある特別なランプを持ってきて」
黒い帯と木製の武具を握ったまま、顔をしかめる。
………度胸試しみたいな内容だったが、まぁこの手のサプライズは得意じゃないにしろ、嫌いじゃなかった。
だが、そんな訳は無い。
邪神“グロングス”相手に今更、暗闇で脅かして遊ぶ訳でも無いだろう。
それに“隠れている”相手が俺を脅かす程度の話で、ラシェルがわざわざ俺を呼びに来るとも思えない。
「構わないが、それだけじゃないんだろ?」
「これだけな訳無いでしょ。ケーキでも出てくると思った?」
まぁ、それだけなら木製の剣を渡す意味が無いか。
かつて揉め事の末に、ラグラス人の団員と武具を打ち合う流れになった事を思い出す。
カラマック島に来てからと言うものの、余り訓練用の武具には良い思い出が無いんだがな。
「地下室には塗料を詰めた特別な罠が幾つかと、私とエルキュールが用意した“敵役”が同じ塗料を塗った武器を持って、あんたを待ち構えてる」
シャッターに歩きながらも呟く、そんなラシェルの言葉に合点が行くと同時に歯噛みした。
あぁ、これは面倒な事になりそうだ。
かつて帝国軍に居た頃の、夜間や暗闇の中での罠をかわす訓練を思い出す。
深く息を吸ってから、言葉を返した。
「まさか、塗料を付けずにランプを取ってこい、なんて言わないよな?」
「それ以外に何があるってのよ。あんたのナニとタマをクソで煮詰めてテリーヌでも作る?」
シャッターまで来たラシェルが舌打ち混じりにそう言い切り、もう一度紫煙を燻らせてから携帯灰皿に吸い殻を押し込む。
「此方も暇潰しじゃないの。クソつまらない事言ってないであんたが評判通りの“人喰いカラス”、“気味の悪いクソッタレの化け物”だと証明すれば良いのよ」
「あんたの、唯一の取り柄でしょ」
その言葉を最後に、ラシェルの手でシャッターが降りた。




