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「マクシムのルートは完全にやられたな」
夕方、幹部会議室。
新聞記事や報告書を広げた机の上で、クロヴィスが苦々しい声でぼやく。
「まぁ元は取ったさ。マクシムの幾つかのルートは此方の管理してるルートに置換してる、別に予期できなかった結果じゃねぇよ」
そんな声と共に椅子に腰掛けたままのヴィタリーが椅子を軋ませながら言葉を返すと、クロヴィスが苦々しい声と同じく苦々しい顔で更に呟いた。
「だが現に手札は減った、もう以前ほど修道院や修道会に幅は利かせられないぞ」
「どのみちマクシムの権力だって万能じゃない、あいつの“グロングス騒ぎ”で弱味握った相手が怯えきって、使えなくなったルートも元々少なくなかったんだ」
グラスに水は半分しかない、じゃなく半分あった、と思うしか無いさ。
そう飄々と言い切るヴィタリーにクロヴィスが再び何か言おうとするも、そのまま口を閉じた。
何を言っても言い負ける空気というのは、あるものだ。
「どのみち、多少の弱味を握った所でどうにかなる相手ではありません」
凛とした声に報告書を見つめていたクロヴィス、椅子を軋ませていたヴィタリーが振り返る。
背筋を伸ばしたまま、椅子にも座らずにラシェル・フロランス・スペルヴィエルが冷ややかな眼と共に立っていた。
手に持った、数枚の報告書を見つめながら。
「本当に難しいのか?」
幹部とレイヴンという立場を気遣ってか本人の人格によるものかは分からないが、クロヴィスが丁寧に聞くも、ラシェルの冷ややかな眼は変わらない。
ラシェルが報告書に視線を走らせ、再び口を開いた。
「まず無理でしょう。少数精鋭の方針を変えない限り、メネルフル修道院の地下で目標を仕留めるのはレイヴンでも殆ど不可能です。数で押し切れる程の私兵をぶつけるならまだ話は変わるかも知れませんが、それなら修道士だけでなく憲兵達も集まってくるでしょうし」
淡泊にさえ思える調子のラシェルにクロヴィスが幾らか眉を潜めるが、ヴィタリーはその様子を何一つ気にしていないらしく、退屈そうな溜め息と共に再び椅子を軋ませる。
「そこまで言い切るなら、別の切り口が必要だな」
礼儀こそ弁えているものの何一つ物怖じせずに幹部連中に口を利くラシェルを、正直な所ヴィタリーは少なからず気に入っていた。
萎縮してまともに意見も出せない部下に比べれば、此方の方がよっぽどマシだ。
そう思いながらもヴィタリーが頭を捻る。
アキムは今回、外せない所用で欠席していた。
もし彼が居たならば、意外な意見や突拍子も無い意見、語弊を恐れないならば“その立場ならまず口には出さない”意見が出るのかも知れないが、少なくともヴィタリーにそんな発想は無い。
「レイヴンでも不可能、か…………そこまで言い切れる物なのか?」
怪訝な声音でラシェルに聞き返すクロヴィスに、嘆息したヴィタリーが顔を向ける。
「実際のラクサギア地区に住んでいた奴の意見だ、信用するべきだろ。アキムがこいつをわざわざ呼んで、意見を聞く様に命じてるんだ。これでこいつの意見が軽視される様なら、そもそも呼んでねぇよ」
そんな言葉と共にどうしたものか、と言わんばかりにヴィタリーが頭を悩ませる仕草を見せた。
そんなヴィタリーを尻目に、再びクロヴィスが質問する。
「地下の図面が一切無い事は分かった。だが、その…………“恩寵者”とやらはそんなに恐ろしい存在なのか?レイヴンでも勝てないと?」
「修道院内ならまだしも修道院地下で戦うなら、はっきり言ってレイヴンでも無理でしょう」
大して眼を向ける事も無く淡々と答えるラシェルに、怪訝な顔をしているクロヴィスに内心呆れるヴィタリー。
諦めの悪い子供を相手にしている様な空気が、確かにそこにはあった。
「…………メネルフル修道院は元々要塞も兼ねて建築されていたので、地下内部は侵入者が苦労する様、意図的に複雑化されています」
ラシェルが報告書を眼でなぞりながら、またも淡々と語っていく。
繰り返す程の事でも無い、と言わんばかりの表情で。
「報告書にもありますが、地下通路の複雑さに加えて一部を除き一切の図面が意図的に廃棄され、情報がありません。敢えて言いますが、貴方達が思っている以上に“恩寵者”は恐ろしい存在ですよ」
「……だが………」
「聞いただろう、クロヴィス」
それでもラシェルに喰い下がろうとするクロヴィスに、少し強い語気でヴィタリーが遮る。
「報告書にもあるだろ?そんな不気味な胃袋みたいな修道院の地下に向かった“不届き者達”は、誰一人生きて帰ってこなかったんだ」
諭す様な語気のまま語るヴィタリーに、クロヴィスが幾らか苦い顔をした。
「怪談や噂話とは、訳が違う。勿論、下らない“英雄譚”ともな。記録にもある通り、宝物目当てに灯りを持って忍び込んだギャングは、現に誰も帰って来なかったんだ。頭から綺麗さっぱり呑み込まれてな」
そんなヴィタリーの言葉に、ラシェルが僅かに眉を潜める。
メネルフル修道院。引いては聖レンゼル修道会。
ラクサギア地区にどれだけギャングが蔓延ろうとも聖レンゼル修道会が優勢を失わず、地区を奪わせないどころかギャング達を地区の端に追いやり、今も有数の宗教地区として名を馳せているのには、理由があった。
聖レンゼル修道会の教徒は帝国から線の太い支援を受けている上、兵士かと見紛う程に鍛え込んだ修道士達が、日々精神と肉体を磨いている事はレガリスで広く知られている。
だが、それだけではない。
メネルフル修道院、その地下にはラクサギア地区出身なら誰もが聞いた事のある、恐ろしい逸話があった。
修道院の地下で信仰を磨き修練を積み、ひたすらに信仰と肉体を研ぎ続けた末に、人の身を越えた“恩寵者”が修道院を守護している、と言う恐ろしい逸話。
そしてヴィタリーが言う様に、その“恩寵者”の強さは決して肩書きや品格だけの物ではなく、現実主義かつ拳と刃が物を言う荒事専門のギャングが跡形も無く飲み込まれて消されている。
その事実と逸話が、ラクサギア地区を殊更に宗教地区たらしめていた。
少しの間を置いて、ラシェルが再び口を開く。
「予定によると任務の際には、私の他にもレイヴンが2人同行するそうですが率直に言って、修道院の地下へ向かうなら無意味と言っても良い人員でしょう」
「レイヴンでさえもか?」
そんなラシェルの言葉に再びクロヴィスが口を開くも、数秒の間を持って意図的に黙殺された。
黙殺の後、ラシェルが淡々と続ける。
「あの地下は、誰であろうと“招かれざる客”が餌食になる様に出来ている筈ですから。かつて私もギャング“トルセドール”に居た頃、あの地下に忍び込むと豪語した者が数日で帰ってこなくなるのを何人も見てきました」
煮詰まった様な溜め息と共に、クロヴィスが机に手を付く。
上着から葉巻を探して、無い事に気付いてポケットを探るのを諦めたクロヴィスがヴィタリーの方を向いた。
「手詰まり、だな。アキムが団に戻って来たら、またあいつの策を聞いてみよう」
ヴィタリーのそんな言葉に、クロヴィスが胸の前で腕を組んだ。
座っていた椅子が、ヴィタリーの心情を表すかの様にまたもや軋む。
そんな中、机の資料を手に取って眺めていたラシェルが口を開いた。
「もし私に裁量を与えてくれるのなら一つだけ、この地下に対抗出来る策があるかも知れません」
ラシェルのそんな言葉に、幹部2人が顔を上げる。
「個人的には、少し不本意ですが」




