018
「ソレデサ!ゴシュジンハ、イッツモタメイキバカリデサ!シアワセニゲルッテ、イッテルノニサ!」
肩に留まったカラスが、矢継ぎ早に喋り続ける。何も知らない連中が見たら、大道芸人か何かにしか見えないだろう。
あの時は思わず助けてしまったが、考えてみればみる程、異常な事態だ。シマワタリガラスより一回りも大きいヨミガラスを肩に乗せたまま、森を歩きながらそんな事を考える。
ヨミガラス自体が希少な種なのに、その上喋るカラスなんて前代未聞どころの話じゃない。
それも仕込んだ言葉を繰り返し喋るのではなく、向こうから話し掛けてくると来た。肩に留まっては、時折俺の周りを滞空する様に羽ばたき、飽きもせず話し掛けてくる。
「ネェネェ、キイテル?キイテル?」
「あぁ、聞いてるよ」
何というか普通、鳥が喋ると聞くともっと神聖なもの、不思議なものを想像するのだが、正直な所、元気な子供でも相手にしている様な気分だ。
今では最早そこらの主婦の様な話しかしてこないが、こいつが今の世間話を始める前の話を要約すると、こうだ。
この喋るヨミガラスの名前はグリム。こいつは元々ちゃんと主人がいるらしく、言葉も何もかもそいつに教えて貰ったらしい。
そしてその主人はこの黒羽の団本部にいるらしく、その主人の命令で団の近況や情勢、要するに情報収拾を行っていたとの事。
そして森で猟をする連中を監察していた所、その猟師達のせいで興奮したオオニワトリに襲撃され、もう少しでランチボックスに入る羽目になっていたという訳だ。
「本当にその“ゴシュジン”とやらは本部にいるのか?」
「モチロン!イッツモヘヤニイルヨ!」
「そりゃあ健康的な奴だな」
「ソウカナ?ボクハモット、ヘヤカラデタホウガ、カラダニイイトオモウナ!」
皮肉はまだ通じないらしい。これじゃ本当に子供も子供じゃねぇか、大道芸人でさえ振り返る様な喋るカラスと話してるってのに、感覚がどんどん麻痺していきそうだ。いや、これだけ呑気に話せる時点で大分手遅れか。
「で、お前の御主人はここの団員なのか?」
「ウン、ソウダヨ!」
「その上、黒羽の団じゃ幹部も認める大物だって?」
「ナカハヨクナイケドネ!」
「アキムもクロヴィスも知ってるのか?」
「シッテルヨ、メッタニゴシュジンノコトハ、ハナサナイケド」
確かに、考えてみればアキムもクロヴィスもそんな話は一切しなかったな。
「そいつはキセリア人か?それともラグラス人なのか?」
こいつのお喋りを利用して探りを入れていく。この組織の事は、どんな事でも聞いておくに越した事は無い。
「ラグラスジンダヨ」
「で、そいつ自身は幹部なのか?」
「ゴシュジンハカンブジャナイヨ、カンブニギズツ……ギジュ…ギジュツテーキョー、シテルヨ!」
クルーガー……では無さそうだな、クルーガーはキセリア人だ。まぁこいつがラグラス人とキセリア人の区別が付かない、というのなら話は別だが。カラスは我々と同じどころか、それ以上に色は識別出来るそうだから、色が分からない事は無いだろう。
しかし分からん。あれからいくつか黒羽の団については調べたつもりだが、そんな奴が居るなんて聞いた事が無い。
アキムやクロヴィス、ヴィタリーが知ってる奴で紹介されていない奴がいるのか?しかしあいつらも、俺には黒羽の団の直属工作員として活動してほしいなら、最大限俺に情報を回す筈だ。現にクルーガーもウォリナーも、此方には非常に協力的だった。
…………ウォリナー…………
確かウォリナーが何かそんな事を言っていた様な………天才がいるとか、いや変人だったか?そんな奴がいるとか言っていた筈だ、名前は確か……
「……そいつの名前、もしかしてゼレーニナじゃないか?」
「ウン、ソウダヨ!ゼレーニナ!オシエタッケ?」
………段々と思い出してきた、ゼレーニナとやらがウォリナーに聞いた通りなら、確かに喋るカラスぐらい育てていても不思議は無いかも知れない。何と言うか、噂通りのとんでもない奴なのは間違いないらしい。
「随分と御大層な人らしいな、お前の御主人は」
感心したような呆れた様な気分で頭を掻きながら歩いていると、遂に森を抜け、開けた風景に僅かばかり見慣れ始めた本部が映った。
途端にグリムが空高く舞い上がりながら、上機嫌そうに人語を紡ぐ。
「ジャア、サッキオシエタバショデネ!ゴシュジンニモセツメイスルカラ、ゼッタイキテヨ!ゼッタイダヨ!」
そう言ったきり、返事も聞かずに本部の方に飛んで行ってしまった。その姿は、どう見てもただのカラスにしか見えなかった。ヨミガラスであるに気付いた奴には、目を引くかも知れないが。
腰に手をやり、溜め息を吐いた。
「妙な事になっちまったな」
本部の技術班方面に向かうのは、クルーガーからこの装備一式を受け取った、あの一件以来だった。
居住区と訓練所がはっきり別れている訓練施設方面と違って、相変わらずこちらの方面は、工房と居住区を織り混ぜた様な複雑な造型と建設になっている。やはり、技術者達は思い付く事が違うのだろうか。
世間話が始まる前のグリムの説明を頭に描きながら、居住区の中を歩いていく。
あいつの話によると、この先にゼレーニナとやらの居住区がある筈だが、心無しか、どんどん居住区からは離れている様な気がする。周りの風景も居住区と言うよりも、どちらかというと研究所や工房ばかりが増えていく。
どこか道を間違えたか?いや、何度思い返しても道を間違えた節は無い。さてはあのカラス、教える道を間違えたんじゃないだろうな。
そんな事を胸中で毒づいた頃、研究所と工房の建ち並ぶ中に一つ、妙な建物が目に付いた。
比較的建物としては大型の研究所や工房の中、一際背の高い、灯台の様な建物が佇んでいる。
異質な雰囲気を放つその建物は、何とも不気味に思えた。寂れた様な雰囲気は無いが隣接する建物は無く、人が頻繁に出入りしている様な雰囲気も全くと言って良い程、感じられない。
少しして、思い出した。この島に来た時、遠目にも灯台の様な建物を見かけた事を。そして、崖でも港でも無いのに、何故灯台が必要なのだろうと不思議に思っていた事を。
件のその灯台が、少し先に見えている。塔に駆動機関が組み込まれた、というよりは駆動機関が組合わさり、捩れ合って塔の形に成った、とでも言えば良いのか。何にせよ、煉瓦造りの灯台等よりは遥かに現代的な造りであるのは間違いなかった。どうしようもなく異質である事も間違いないが。
言うまでもなく頂点は高い。元々は本当に灯台だった物を改装したのだろうか。いや、それでは元々此処に灯台を立てる意味が分からないか。
その上、グリムの説明が間違っていないなら、俺は今からあの建物に入る事になる。
勘弁してくれ。それが率直な感想だった。灯台の様にも見えるその建物を眺めながら、癖になりつつある溜め息を吐く。
意を決して、装飾の無い武骨な両開きの扉を開き、中に足を踏み入れる。
途端に機械油の匂いが鼻に付いた。中には大小様々な工作機械、大型ディロジウム保管タンクが数種類、使用法さえ想像出来ない妙な機械や器材が幾つも並んでいた。
前に訪れたクルーガーの工房より遥かに大掛かりで広く、多様な工作機械が並んでいる。科学者も極めるとここまで来るのか?いや、ここの主人が飛び抜けているだけか。
そんな中、壁に据え付けられた上に伸びる階段が目に付いた。その隣には、土台に欄干を付けたタイプの大型のディロジウム駆動式の昇降機らしき物も見受けられる。隣に付いた階段は、恐らく問題発生時の非常用だろうか。他にも大小様々な貨物リフト、簡易昇降機等が蔦の様に上階に向かって伸びている。
確かに蒸気式と違って、ディロジウム式は気温等に左右されずに安定した性能が出せるし、馬力も段違いだ。だが勿論、蒸気式より遥かに高度な技術が必要になる。それをここの主人は、こんな不気味な灯台もどきに取り付けたってのか?
「……とんでもない所に来ちまったな」
思わずそんな言葉が口を突いて出る。グリムに呼ばれてなければ、確実に敬遠する様な場所だ。
グリムが言っていたのは、最上階だったな。重い足を引き摺る様に動かして大型昇降機に歩み寄り、呼び出し用と思われるレバーを引く。
想像以上の轟音を立てながら駆動機関が稼働し、遥か上に思える昇降機の上部から、稼働音と共にゆっくりと土台が降下してきた。
降りてきた土台も勿論大型で、機械等も運搬しているのか土台自体に磨耗や錆の跡も所々に見て取れる。
気の進まないまま土台に乗り込み、土台の隅に設置してある稼働レバーを少しばかり体重をかけて引いた。
再び轟音が鳴り響き、僅かな震動と共にゆっくりと土台が上に登っていく。
さて、噂のゼレーニナとやらにとうとう御対面だ。まぁ、驚く程気は進まないのだが。森でグリムを助けていなければまず会う事も無かっただろう、何度もそんな事を考えたが、話のタネになるとでも思う事にした。
そんな俺を乗せて、多少の時間をかけてディロジウム式昇降機は最上階にまたもや轟音を立てて到着する。
目の前には、レール付きの大きなシャッター。どうやらこの昇降機に乗り降りする専用の、部屋か何かを用意しているらしい。シャッターに手をかけ、引き上げようとしたが何処にも手をかける所が見当たらない。
いや、見付けた。申し訳程度に付いた粗末な取っ掛かりに手をかけ、シャッターを引き上げる。何だこれは、やたらとシャッターが重い。どこか錆び付いているんじゃないのか。
苦労してシャッターを持ち上げ、何とか下をくぐり抜けてシャッターを下ろした。ゼレーニナはこんなのを日常的に上げ下ろししてるのか?体格は良い方なのかもしれないな。
工場に貴族が住み着いたらこんな感じだろう。シャッターから振り返って最初に抱いた感想がそれだった。
工業的な武骨さと、貴族的な生活感が至る所に混在している。貴族的な部屋かと思えば、作業台の様な物が見受けられたり、工業的かと思えば、格調高い装飾が施されていたり。率直に言って、不思議な部屋だった。言い方を変えれば、酷く奇妙とも言えたが。
「あー、誰かいないか?おい、誰も居ないのか?」
そんな事を辺りに呼び掛けながら、下に比べれば遥かに生活感に溢れている部屋を歩く。扉を幾つか通ったが、ゼレーニナどころかまだ誰にも出会っていないときた。
数回目の扉を不意に開けた時、やたら広い書斎の様な部屋に出た。部屋から広いバルコニーにも続いているのも見える。様々な本が満載の高い本棚や、色んな瓶や機械の様な物が飾られた棚が壁を覆っており、微かにインクの匂いが感じられた。
そこまで見て数秒してから、ある事に気付き書斎の中の大机に思わず目を留めた。
人が座っている。俺がいるのに身動き一つせず、開いた本の書面に視線を投げたまま、まるで石像か彫刻の様に机に付いて本を読んでいる。
それも随分と小柄なジャケットを羽織ったラグラス人の少女で、綺麗な長い銀髪から突き出した、二本の大きな巻き角が自然と目を引いた。
少女の頭から伸びた巻き角に少し眼を見開いたが、直ぐに納得した。
有角種、か。
ラグラス人種にのみ稀に表れる、突然変異。人間でありながら、頭部に偶蹄目にも似た角が生えるという先天性の変異。
レガリスの大半が教徒であるテネジア教では、一部の悪魔はヤギの頭をしていると教えられる。ヤギの頭をしている、ヤギの脚を持っている等々、テネジア教の福音書や聖書では随分な扱いをされている。
勿論、普段から奴隷民族として見下しているキセリア人が、有角種をどう扱うかは言うまでもない。
有角種とはまた違う、尾てい骨がそのまま尾になった“有尾種”も居るらしいが、生憎とそちらは自分の眼では見た事が無い。まぁ、衣服の下に隠せるだろうし、頭に生える様な隠すのが難しい代物でも無いからだろう、とは思うが。
ラグラス人が“亜人”とキセリア人から差別される理由の半分がこれだ。角が生えたり、尾が生えたりする様な人間は全うな人間ではない、人に準じている、“亜”人だと。
テネジア教で悪魔扱いされている、という理由だけで、磔にして火炙りにしろ、と叫ぶテネジア教徒も居る事から、有角種や有尾種はむしろラグラス人の中でさえ差別される事があるそうだ。キセリア人に狙われるのは有角種が居るからだ、と言った具合に。
実際にこの眼で、“生きている”有角種を見たのは数年ぶりだった。
「その、あー、どうも」
内心人が居た事に驚きながらも、そんな声をかける。人を探していた筈なのに、随分と驚いてしまった。
少女に反応は、無い。瞬き以外、身動ぎもしない。生死を疑ってしまう程に、此方に反応が無い。
「……聞こえるか?」
またも返事は無く、少女が本のページをマイペースに捲った。まるで幽霊になったような気分だ、耳が悪いのか?
「耳が聞こえないのか?」
「何でこんな所に居るんです?」
姿勢も目線も動かさず、唐突にそんな返事が返ってくる。声自体は少女のそれなのに、不相応なまでに落ち着いた口調が何とも言えない不気味さを漂わせていた。少なくとも、外見相応とは御世辞にも言えない。だが取り敢えず、話は出来るらしい。
「その、勝手に入ったのは悪かったよ。だが返事が無かったんでな」
「知ってますよ、さっきから呼ぶ声が聞こえてました」
そんな無愛想な返事に眉を潜める。さっきから何とも妙な少女だ、余り関わらない方が良いかも知れないな。
「聞こえているなら、返事ぐらいしてくれると有り難いんだが」
「そのまま帰ってくれたら追い返す手間が省けると思ったのですが、此方に来てしまったので」
随分と友好的な奴だ、やはりこんな灯台もどきに居る事から見ても、日頃から人付き合い自体が嫌いなんだろう。
この手の連中を相手にするのは、残念ながら初めてではない。今までの経験から言って、この手の連中は話を手早く済ませるに限る。
「ゼレーニナを探しているんだが」
「はい、用件は?」
此方の問いかけに、初めて少女が此方に視線を向けた。会話に積極的なのは有り難いが、残念ながら会話が成り立っていない。
「いや、だからゼレーニナに用があるんだ。用件ならゼレーニナに直接話す」
「……ですから何の用ですか?」
そんな返事に流石に顔をしかめる。いい加減疲れてきた、ヨミガラスに呼ばれてディロジウム仕掛けの灯台に登って、今度は妙な少女にからかわれてると来た。いい加減うんざりだ、全く。
「ゼレーニナの居場所を聞きたかったんだが、どうやら難しい質問だったらしいな。また今度にするよ」
僅かな苛立ち混じりに頭を掻きながらそう呟くと、目の前の少女が怪訝な顔で再び言葉を紡ぐ。
「私が、そのゼレーニナですが」
「何だって?」
こいつが、この小さな女の子が、この小柄なラグラス人の少女があの悪名高いゼレーニナだって?
「お前が、ゼレーニナなのか?」
「少なくとも私は私以外のゼレーニナを知りませんが」
目の前の少女がどこか呆れた様に言う。一つ一つが嫌味な奴だ。確かにゼレーニナの容姿については何も聞いていなかったが、よりにもよってこんな小さな少女だとは思わなかった。
いや、こいつの言葉を鵜呑みにするのは早計だろう、よく考えた方が良い。容姿以外にゼレーニナの特徴はどうだっただろうか。
確か聞いた限りでは、とんでもない技術力を持つという事。その代わり、変人だという事。ラグラス人だという事。会わずに済むなら会わない方が方が良いという事。
何とも認めたくないが、情報を統合するならまず間違いなく、この少女で間違いなさそうだ。
顔に手をやる。最近驚かされてばかりの様な気がする、世界が急激に変わっていってる最中だからか?それとも、俺が無知なだけか?
「…………じゃあ、ゼレーニナ。幾つか質問がある」
「ミス・ゼレーニナと呼んでください。そちらの名前は?」
「質問しているのは俺だ。お前の飼ってるシマワタリガラスの名前は?」
多少無礼な気もしたが、今更といえば今更な話だ。そもそも今までの会話からして、こいつのペースに乗せられていては話が滞るとしか思えない。
強気に出た甲斐があったのか、多少眉を潜めたもののゼレーニナが大人しく口を開いた。
「グリムの事ですか?シマワタリガラスではなく、ヨミガラスですが」
「よし、やはりお前がゼレーニナで間違いないらしいな」
「………グリムの名前が出るという事は、貴方がグリムの言っていたブロウズですか?」
あのカラスめ、既に名前が漏れてやがる。まぁあのお喋りが聞かれて黙っているとも到底思えないが。
「じゃあグリムから俺の事は聞いてるんだな、暖かい歓迎をどうも」
「ええ、グリムから話は聞いていますよ。何でもレイヴンの装備で野生のオオニワトリに立ち向かったとか」
「生憎と、手元にそれしか無かったんでな」
「ディロジウム銃砲も持たずに森に入るとは思えませんが」
「森で銃砲は余り得策じゃない、威力は確かに高いが場を乱す上に、場を乱せば森中が荒れる。そうなると何が飛び出してくるか分からないからな」
そんな言葉に小さく息を吐くゼレーニナは、納得にも興醒めにも思えた。
そう言えば。思い出した様に辺りを見回すも、あのお喋りカラスの姿が何処にも見当たらない。
「肝心のグリムは何処に行った?アイツが居りゃもっと話も早かっただろうに」
「グリムなら情報収集に向かわせました、仮にグリムの言っていたブロウズが来ても、私が対応するつもりだったので」
どう考えてもグリムに対応させた方が正解だったようにしか思えないが、今更言っても遅いだろう。
「返事をせずにそのまま相手が帰るのを待つ事を“対応する”とは言わないと思うが」
「楽に越した事はありません、余りグリムの事が広まっても面倒ですし」
淡々と悪びれも無くゼレーニナが答える。ついさっき話し始めたばかりだが、分かる事が幾つかある。こいつは今、砂粒一つ程も此方に悪気は感じていないだろう。
「…………相変わらず、レイヴンの装備はクルーガーが担当してるみたいですね」
不意に、そんな声がかけられる。何故か呆れ気味にそう言ったゼレーニナの視線は、俺の腕に取り付けられたグレムリンに向けられていた。
「あぁ、よくもまぁこんな物を作れるもんだ。全く、クルーガーってのは天才だな」
自分の腕を見ながらそう呟くと、ゼレーニナが大きな溜め息を吐いた。
「ええ、天才でしょうね。団の全員にそれを行き渡らせる程、低コストで製造してるのですから」
何だか妙に棘のある言い方だ、何か仲違いでもしてるのだろうか。いや、仲違いどころかこいつの性格だと仲違いしない奴の方が珍しいだろう、ましてやクルーガーはあれだけ人望のある男だ。正に対極とも言える。
「あんまりこの装備が好きじゃないみたいだな、クロスボウは嫌いか?」
「一発一発発射する度に、手元のギアで装填しなければならないのが好きになれませんね。弦を引かなくて良いとは言っても、矢を装填する僅かな間が土壇場では命取りになりかねません」
「本来のクロスボウの事と、サイズを考えればそれでも遥かにマシだと思うがな。まさか弦を引くだけじゃなく、連発にでもしろってのか?」
そんな言葉に、ゼレーニナが不機嫌そうにこちらを睨む。何だ、何が気に入らないんだ?先程からこいつが不機嫌になるポイントが一切分からない。
「その通りです。連発にすれば遥かに強力になりますし、装填のラグを減らせます。レイヴンの戦闘力の強化にも繋がる筈です」
「幾らなんでも無茶苦茶だ、クルーガーだって何でも出来る訳じゃないんだぞ」
「私なら作れます」
ゼレーニナが芯の入った声と眼で強く断言する。確かにウォリナーからは、こいつがとんでもない技術者だとは聞いているが………クルーガーの装備を越える物を作れるとは、にわかには信じがたい話だ。
「じゃあ何故その装備を作らない?実力で示せば良いだろう。論より証拠だ、それこそ黒羽の団は実用主義だろう?」
当然の疑問に、嘲笑するかの様な微かな笑みと共にゼレーニナが言葉を返す。
「資金が足りないからですよ。レイヴン達一人一人に供給するには私の言う必要額では、とても資金が持たないそうです」
「金の問題、って訳か?」
「団員達は金貨の節約の為に、レイヴン達は戦場で命を危険に晒すという訳です。実に合理的ですね」
皮肉たっぷりにゼレーニナが喋る。装備や技術の問題になると、こいつは随分と饒舌になるらしい。何と言うか、本当にそれ以外に興味が無いのかも知れない。
そんな事を考えていると、不意にバルコニーから射し込んだ夕陽が眼を焼いた。顔をしかめていると、ゼレーニナが視線をバルコニーの夕陽にやりながら、今までの饒舌が嘘の様に淡々と言った。
「もう日が暮れます、そろそろお引き取りください」
「……暖かい歓迎をどうも」
最後まで愛想の無い奴だ、結局開いた本も最後まで手放さなかった。ウォリナーから噂は聞いていたが、冗談抜きに噂以上の奴だった。技術者や天才というよりは、童話に出てくる偏屈な魔女の方がよっぽどしっくり来る。
まぁ良い、時間も時間だしそろそろ帰ろう。肩を回しながら引き返そうとすると、勿論というか当然というか、既にゼレーニナは俺と話す前の体勢に戻っている。全く。
急に一つ、疑問が浮かんだ。そう言えば、一つ聞き損ねていたな。
「関係無い話なんだが、お前、あの重いシャッターを毎回上げ下ろししてて疲れないのか?」
振り替えってそう問いかけると、ゼレーニナが此方を向いて不思議そうに眉を潜める。
「昇降機前のシャッターの事なら、傍に自動開閉ボタンがありますが」
今度から、周りをよく見るようにしよう。何とも言えない気分のまま、俺は踵を返した。