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正直、無事に1839年を迎えられた事に安堵していた。
自分とミスタークルーガー、その他大勢が署名集めを含めて頑張った甲斐あって、結局ブロウズは処刑されず立場も随分と良くなった。持ち直した、と言うべきか。
レガリスに対する切り札とも言える、デイヴィッド・ブロウズが処刑されないなど、当然と言えば当然の結果ではある。
だが自分を含めこの団に居る者は、この世界が“当然の事を当然の通りにはしない”事を、良く知っていた。
最近、レイヴン認定試験に通ったばかりの自分だが、その時も同じ言葉を噛み締めたものだ。
レイヴン訓練にしても、認定試験にしても、少なくとも“間違いなくレイヴンになれるかも知れない”と持て囃されていた者が、自分を含めて6人は居た。
名前を知っている程度の付き合いだが皆、優秀な者ばかり。その中で自分は、どちらかと言えば下から数えた方が早い方だろう。
レイヴン訓練を受け始めた時、想像以上の過酷さに訓練の合間で嘔吐しながらも、内心危惧していた。
自分は無理かも知れない。この内で合格者は6人ではなく、5人かも知れない。
勿論、自分を抜きにした5人だ。
自分以外は優秀な者ばかり、きっと問題なく合格するだろう。
そう思い、落ち込む事もあった。あくまで、落ち込む暇がある時に限った話ではあったが。
ところが暫くすると、2人程が訓練から抜けていった。
自分より、よっぽど優秀な2人が。
1人は膝を痛めたと言い、1人は諦めたと言い。
2人とも、もう受ける気は無いと言っていた。
自分より余程優秀で、レイヴンに向いているであろう2人が。
訓練を終えた4人は直にレイヴン認定試験も受ける事になったが、結果から言えば身内からレイヴンに認定されたのは2人だけだった。
1人は認定試験を辞退し、もう1人は認定試験中の事故で腕と脚を骨折し、離脱を余儀なくされている。
そうした結果、自分はレイヴンとなった。
自分より余程優秀と思っていた仲間達が次々に辞退し、自分が合格する事によって。
この世界は、そういった“そうあるべき方向へ進まない事”が多々ある。
正しい方向に進む事に比べて、間違った方向に進む物事の何と多い事か。
今回の件だって、もし自分やクルーガーさんが立ち上がらなければどうなっていた事か。
きっと、我々はレガリス及び帝国に勝てる唯一の切り札、デイヴィッド・ブロウズを自分達の手で処刑して勝機を自分から投げ捨てていただろう。
我々が思っている以上に、“致命的な間違い”も“誤った選択”も身近にある物だ。
もし彼が処刑されていたら。彼がこの団から追放されていたら。
もし彼が黒羽の団に来なかったら。招待を断っていたら。
もし彼がレガリスの帝王に抗議しなかったら。ラグラス人に何も思わない様な男だったら。
運命とは、想像以上に奇妙な綱渡りの連続だと思い知らされている様な気分だ。
………マイルズ達にスーパーチーズケーキを奢らせておいて何だが、こう言っている自分自身もレイヴンになる事を諦めようかと、本気で悩んだ事があった。
幼少からレイヴンを目指して鍛えてきたにも関わらず、だ。
自分はかつて、あるレイヴンに憧れていた。
どれだけ困難な任務も引き受けては、数多の帝国兵を切り刻んで帰ってくる様な男だ。
移動術も達者で、教養もある人格者でもある。
自分は密かにそのレイヴンを目標として、幼少期から鍛練を続け、仲間内からも応援してもらい。
そして、地獄の様な訓練課程の申し込みを募り始めたあの日。
自分が憧れていたレイヴンが任務の途中で消息を絶ったと聞かされた。
後日、死亡が確認されたと聞いた時の、あの絶望感は今でも覚えている。
あれだけ強かったレイヴンが、聞き間違いの様に、書き間違いの様に消えてしまった。
帝国軍の前に、憧れていたあの男を含め次々とレイヴンがやられていく。
訓練課程の申し込みが始まっても、自分は辞退するべきか悩んでいた。
確かに自分は幼少期からレイヴンを目指して訓練を続けており、かなり自信もある。
だが、あれだけ鍛え上げたレイヴンが帝国軍にあんなにも静かに消されてしまうなら、自分がレイヴンになる事にどれだけの意味があるのだろうか。
自分1人が鍛えた所で、強くなった所で、意味などあるのだろうか。
誰にも言わずに悩んでいたそんな時、デイヴィッド・ブロウズの話を聞いた。
あの悪名高い、“元帝国軍の英雄”の事だ。
元々、以前から噂は聞いていた。
あの浄化戦争において、ペラセロトツカや我々に対して歴史的な虐殺を犯しておきながら、今更になって我々黒羽の団に入ってきた変わり者の話だ。
正直に言うなら、ブロウズが単独任務に駆り出されたと聞いた時、「幾ら元英雄でも1人の強さなど、出来る事など知れている」と、諦めていた。
どうせ何も成せずに志半ばに倒れるだろう、と。
だが、倒れなかった。
それどころかブロウズは単独任務を成功させ、団に様々な波紋と風を呼び込んでいく。
団内で帝国軍から寝返った裏切り者と罵られながらも、1人でレガリスを揺るがす程の結果を出し、団員から嫌われるどころか心底畏れられる様になった。
筋骨隆々の荒くれ者達を含めて、の話だ。
その上、冗談でも与太話でもない本物の黒魔術を授けられ、その力で益々レガリスを脅かし始めたと聞いた時、彼の中に“真の強さ”を見た。
求めていた、目指していた強さと言い換えても良い。
そして自分は迷っていた事を誰にも言わず、当初の予定通りレイヴン訓練課程に申し込んだ。
あの、敵味方を越えて世界を揺るがせる程の強さを持った“カラスの怪物”に憧れて。
その後こうしてレイヴンになり、処刑騒動も乗り越えた今になっても、あの時デイヴィッド・ブロウズの“強さ”を目標にした事は間違っていないと思っている。
その件に関してマイルズには随分と喧しく言われたが、構わない。
現に、誰も否定出来ない程に団の空気は良くなっている。
自分は飲まないが酒の入荷は増えたし、豪勢な飯も頻繁に出る様になった。
帝国を打倒する話をしても、以前の様な気まずさが広がる様な事も無い。
ウィスパーの話もよく聞く様になったし、金回りだって目に見えて良くなった。
例年に比べて、入団希望者も随分と増えている。
誰が何と言おうと、デイヴィッド・ブロウズのお陰だ。少なくとも、自分はそう信じていた。
本人は否定していたが、自分にとって1人でレガリスを脅かす程に強く、山小屋に住んでいて偏屈だが、ワシかサメの様に強い“偏屈なノスリ”、ユーリ・コラベリシコフや人格者のミスタークルーガー。
加えてあの“血塗れのカワセミ”こと、ラシェル・フロランス・スペルヴィエルに融通が利く。
とてつもなく、“クール”な男だ。
まぁ、カワセミと自分を何故か引き合わせてくれない事だけは、不満に思わなくもないが。
しかしカワセミやユーリ、ブロウズと同じく自分もとうとうレイヴンとなった。
いつかは、自分もレイヴンとして彼と肩を並べて戦う事もあるかも知れないな。
1839年。俺達は、ここからだ。
俺達はレガリスさえも畏れる様な“英雄”に率いられ、浄化戦争に負けない程に誇り高い戦いへと、出向いていくのだ。
皆が諦めていた自由と、未来を信じて。