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最初、話を聞いた時は随分と憤慨したものだ。
そりゃあそうだろう、あれだけの大罪を犯した人間がよりにもよって“惚れた女を見逃した”せいで、この厳戒態勢や灯火管制が行われてると聞けば、団の大半が怒るに決まっている。
道端に唾を吐き捨てなかっただけでも、聖母テネジアの次に高潔な人格者だと自分を誉めてやりたいぐらいだった。
もし技術開発班に奴がのこのこやってきたら、今までと違い真正面から顔を見て文句の一つでも言ってやろう。
幾らクルーガーさんに良くしてもらっていると言っても、当然ながら限度はあるし今回の件は限度どころか“超過”しているのだから。
だからこそ、クルーガーさんではなくあのロニー・グリーナウェイから、ブロウズの話を聞いた時は心底驚いたものだ。
よりによって技術開発班でも人気者の、最近とうとうレイヴンにまでなった男が、最も憎むべき“浄化戦争の英雄”を味方し始めたのだから、驚くなという方が無理な話だろう。
そこで、漸く聞いた。
今まで聞いていた、“惚れた女だったから殺せなかった”というブロウズの情報は正確には言葉足らずで、“惚れた女が妊娠していると聞いていたからこそ殺せなかった”が正しい答えだと。
きっと他の奴から聞いたなら、絶対に信じなかっただろう。それが例え、クルーガーさんだったとしても。
きっとブロウズが上手くあの人を唆して、自分の印象が良くなる様に、または女を殺せなかった言い訳を染み込ませようとしている、と。
礼を失する事になろうともそれだけは信じられない、とクルーガーさんに言われたなら俺はそう伝えるつもりだった。
クルーガーさんに、言われたならば。
本来ブロウズを憎むべき立場のレイヴン達と口を揃えて、そしてあのロニー・グリーナウェイが言い出したからこそ。
ロニーが言い出したからこそ、俺は真剣に話を聞く事にした。その後、クルーガーさんからも話を聞いたにしろ、あのロニーが切っ掛けだったのは間違いない。
そこから、ロニーとクルーガーさんから詳しい話を聞いた。
ブロウズの犯してきた大罪や恐ろしい逸話、おぞましいカラスや黒魔術、それに伴う数々の誤解や批難の話を。
こんなにも真剣に、真正面からブロウズに関する話を聞いたのは初めてだった。
酒や煙草のついでに聞く噂話ではなく、調書でも取る様な綿密な話を聞き込んで居る内に、自分でも分かる程に眉間の皺が薄くなる。
聞いているだけでも、随分な境遇だと認めない訳には行かなかった。
同じ状況で同じ決断を迫られたら、果たして自分は違う判断を出来るだろうか。
仲間とその話を聞いている内に仲間の一人が、「ラグラス人はあれだけ殺しておいて今更子供は躊躇うのか」と掃き捨てて席を離れて行ったが、他の者は席に座ったままだった。
目で追うものの、呼び止める者は居ない。
それが答えだった。
離れた者に付いていく者は居らず、自分を含め仲間の殆どが改めて向き直り、話を聞く姿勢を見せる。
“逸話”を聞いている内に、気が付けば随分とブロウズに対して寛容になっていたし、少しとは言え親身になっている節さえあった。
以前は悪態混じりに考えていたが、確かに改めて考えてみれば衰退しつつあったこの団が、何とか持ち直し始めたのはブロウズがこの団に来てからだ。
勿論他のレイヴン達も任務に出ていたし、何もかもブロウズのお陰とは言わない。だが、加入したばかりのブロウズが独りでドゥプラを暗殺しこの団に五体満足で帰ってきた辺りが転換点だったのは間違いない。
あの頃からブラックマーケットは息を吹き返し、長らく運用自粛だったウィスパーは任務運用を再開し、少しずつとは言えカラマック島は活気を取り戻した。
個人的な感情や批判を抜きにして考えれば、それは否定しようの無い事実だ。
…………結局は、それが事実だ。
確かに俺達はブロウズが気に食わないし、黒魔術だの何だの、夢に出そうなおぞましい術を使いながら帝国を脅かしているのも、心底恐ろしく思う。
だが、どれだけ奴が恐ろしい存在だろうと俺達は実際に危害を加えられた訳でも無ければ、唾を吐かれた事すら無かった。
この団に来たばかりの頃に団員を訓練場で叩きのめしたと言う話も、実際には向こうが幾ら言っても聞かずに勝負を挑んで来たから、勝負を受ける形で殴り飛ばしただけの事。
「同じ状況で自分達ならどうした?憤慨してる戦闘員を、手を出さずに宥められたか?」というロニーの言葉には、流石に言葉に詰まった。
そんな、避けるのが難しい一件を除けば事実としてブロウズは、団内で殆ど揉め事を起こしていない。
仲間の一人がクルーガーさんに幾つか質問をし、ブロウズが暴れたと噂になっている揉め事の幾つかは、事実なのかと尋ねた。
そしてその殆どを、クルーガーさんとロニーに事実無根だと丁寧に否定され、随分と渋い顔をして仲間が引き下がる。
最も、渋い顔をしていたのは自分もだったが。
否定された噂の殆どは団内、それもブロウズを良く思っていない連中の間では随分と有名な話ばかりだ。
気に入らない整備員を殴り飛ばしただの、食堂で調理師と言い合いになって半殺しにしてからは食堂に行かないだの、他のレイヴンやレイヴン志願者、訓練生を見下しているだの、少し人に聞けば幾らでも語ってくれる噂話。
それの殆どが事実無根だと丁寧に説明されては、流石に言葉が無かった。
こう考えるのは癪だが、ロニーの言う通りだが俺達はブロウズに対して随分な仕打ちをしていた事になる。
確かに、ブロウズはあの戦争において許されない程の事をした。これは俺達が言うまでもなく、本人が言っていたそうだが。
だがそうだとして本人が、その大罪を悔いているのは確かめるまでもない事実だ。
奴を嫌っている連中の大半が気にしていないが、改めて考えてみればブロウズと同じ決断をどれだけの者が出来るだろうか。
戦争終結の後、皇帝から気に入られ目を掛けられ、数ヶ月後にはレガリスどころかバラクシアでも有数の大富豪になる事が約束されている上、結婚間近の恋人まで居る。
そんな誰もが羨む状況、誰もが夢のまた夢と憧れる立場に居ながら、ラグラス人の為に全てを捨てて皇帝に歯向かう等、其処らの連中が出来る事では無い。
考えの浅い者や“正義”に夢中な連中は「そんなの当然だ」「人として当たり前だ、誇るまでもない」と胸を張って言うだろうが、掛けても良い。
そんな事を言っている連中の大半は同じ立場で決断を迫られたら、一切迷う事なく富と権力を掴み取るだろう。
ブロウズはそれだけの状況に居ながら償う為、贖罪の為に文字通り“全てを捨てて”皇帝に抗議し、因果の果てにこのカラマック島に来た。
それも、恐らくこの空で最も自分が忌み嫌われるであろう、黒羽の団へと。
クルーガーさんに了承を取ってから、安い紙巻き煙草を取り出してマッチで火を付ける。
煙草を咥えたまま、仲間と何を言うでもなく顔を見合わせた。
どうやら、同じ意見らしい。なら、まぁ良いか。
「勿論強制はしませんし、この件を拒否しても今後に一切響く事は無いと保証します。どうしますか?」
そんなクルーガーさんの柔らかい言葉にもう一度だけ考え直してみたが、それでも意見は変わらなかった。
静かに紫煙を燻らせる。
まさか、こんな日が来るなんてな。
「分かりました」
「何を手伝えば良いんです?」




