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「偵察部隊には伝えたか?」
眩い星を散らした様な、冬の澄んだ夜空を窓越しに眺めながらアキムがそんな声を溢した。
理解がある者にとっては美麗とも言えるその風景に対し、その表情と声は鉛の様に重い。
そんなアキムの背中に、クロヴィスが同じく重い声で返す。
「あぁ。暫くはウィスパーを含む、航空偵察は控える様に厳命してある。実質、中止だともな」
「よし」
幹部達が集まる会議室は日頃から空気が重く張り詰めていたが、任務成功後にここまで空気が重いのは久々だった。
理由は、言うまでも無い。
「想定外だったな」
アキムが自嘲にも取れる声色で呟いた。
「デイヴィッドの身元が、まさかあんな所から割れるとは」
窓の外を見ながら重い調子で語るアキムに、クロヴィスが視線を反らしながら口を開く。
「デイヴの元恋人がまさか、警護責任者の妻になっていたとは………もう少し視野を広く見るべきだった」
「こればっかりは仕方ねぇ。クロヴィスの責任じゃねぇさ」
クロヴィスの悔やんでいる様な声に、椅子に腰掛けたままのヴィタリーが飄々とも取れる返事を返した。
重苦しい2人に比べれば幾ばくか調子の軽そうなヴィタリーにも、窓の外を見つめているアキムが振り返る事なく言葉を返す。
「厳戒体制は通達したか?」
そんな言葉に先程より硬く、それでも調子でヴィタリーが口を開いた。
「この規模の厳戒体制も灯火管制も何年振りにやったか分かんねぇよ、浄化戦争が終結してから初めてじゃねぇか?」
そう。黒羽の団が本拠地とするカラマック島は現在、夜間の灯火管制に加えカラマック島全体に厳戒体制が敷かれており、戦闘員が昼夜問わず島の周囲に目を光らせている状態だ。
廃鉱山の内部を改築した緊急避難施設に加え、カラマック島地下にも多数設置されている地下施設。
そういった“緊急時の備え”こそあるものの、実際に運用する事態になれば殆ど窮地に追い込まれている状態、悲観的に言えば延命処置とも言える状況なのは誰もが分かっている。
考えたくは無いが、下手をすれば黒羽の団が保有している戦艦に物資を詰め込んで、カラマック島から離脱する選択肢まで考慮された程だ。
勿論、補給の当ても無く島から飛び出して霧の中を彷徨うなど、正しく先述の“延命処置”に他ならないのだが。
「…………結局、アマンダ・オイレンブルクの妊娠は狂言だったんだな?」
話を終えたのか、話題を変えようとしたのかは分からないが、アキムが不意にそんな話を切り出す。
少し意外そうな表情を見せたものの、クロヴィスが記憶を探る様な仕草と共に口を開いた。
「あぁ。実際にはそんな兆候すらなく、むしろ最近医者に妊娠を否定されたばかりだったらしい。咄嗟とは言え、上手くやられたな」
そう言い切って、クロヴィスが長い息を吐く。
会議室の重苦しい空気に溶けていく様な、重い溜め息だった。
殺そうとした相手が妊婦だと聞いて、躊躇しない者など居ない。いや、人として躊躇しなければならないのだ。
名だたる殺し屋、暗殺者達でさえ子供には線を引いている者は多い。
血塗れの狂気に蝕まれぬ様、“人以下”に堕ちぬ様に。
だからこそ。
「子供なら仕方無いさ」
ヴィタリーの言葉は、随分と深い同感の意が滲んでいた。
あれだけ噛み付かんばかりの、あのデイヴィッド・ブロウズの話題にも関わらず、だ。
「どうなるかは分からねぇにしろ同じ状況になれば、俺だって躊躇するだろうしな」
椅子に体重を掛けたのか、ヴィタリーの腰掛けている椅子が微かに軋む。
あのヴィタリーが彼の不始末に“噛み付かない”事に対し、僅かにクロヴィスが不思議そうな顔を見せたが直ぐに顔つきを正した。
“何故理解があるのか”を考えると、余り不用意に聞き出して良い話題では無い。
窓の外から一向に目を離さないアキムが、何一つ体勢を変えないまま「団員の調子はどうだ」と呟く。
クロヴィスが、苦々しく返した。
「こう言いたくは無いが、相当まずいな。この厳戒体制のせいで、過度の緊張状態に陥ってる団員達が想定より多い。一応、帝国軍がこの空域の捜索を打ち切るまでだとは伝えているんだが」
再び、椅子が軋む。
納得した様な、興醒めした様な溜め息をヴィタリーが吐いた。
「無理もない話だな。この島は地図に載っていないし、瘴気が近い上に霧もあるが……………万が一、帝国軍の偵察機にこのカラマック島が見付かりでもしたら相当まずい事になる」
窓の外を見ていたアキムが、振り返る。
振り返ったその表情は2人の予想していた通り、いや予想以上に険しかった。
「浄化戦争の前から隠し通してきた俺達の本拠地が割れたら、後は総力戦しかない。今、帝国軍と俺達が真正面から戦闘になった所で戦力差がありすぎる。奴等にしてみれば害獣駆除か、何なら害虫駆除程度の気分で殲滅してくるだろうな。“万が一”を考えるなって方が無理な話だ」
軽々しく語っている様に見えるが、何もヴィタリーは軽く捉えている訳ではない。
騒いだ所で何にもならない事を、よく分かっているからこその返答なのだ。
東方国、ペラセロトツカ軍に助力する形ではあったものの、黒羽の団はかつて戦時の帝国軍と直接戦闘を経験している。
一国に匹敵する、というより一国の戦力がそのまま味方について尚、黒羽の団は結局敗北を喫した。
それだけの戦力があっても打ち破る事が叶わなかった帝国軍に、後ろ楯も無い現在の黒羽の団が総力戦などすれば、火を見るよりも明らかと言わざるを得ない。
クロヴィスが、床に視線を落とした。
悲観的に見るまでもなく、黒羽の団の現状は芳しくない。
一部を切り取って比較するなら、以前より遥かに悪化したとさえ言えるだろう。
重い空気に耐えかねたクロヴィスが何とか話題を変えようと口を開きかけた瞬間、先んじてアキムが口を開いた。
「デイヴィッドはどうしている?」
少しの間を置いて、口を開きかけていたクロヴィスが答える。
「大人しくしているよ。特に団内を彷徨く様な事もなく、部屋に居て灯火管制にも従っているそうだ」
そんな言葉に少しばかりヴィタリーが片眉を上げ、何かを言おうとした所をクロヴィスが目で遮った。
アキムが、目で先を促す。
「ただ、その件についてまずい事がある」
先程と同じく、クロヴィスの真剣かつ重い声にヴィタリーが表情を変えた。
「先程、団員が過度の緊張状態に陥っていると説明したよな?その影響で、普段より攻撃的になっている団員やグループが確認されている」
クロヴィスがそう言ったきり、静寂が訪れる。
少しして、静寂を破る様にアキムが呟いた。
「………成る程、まずいな」
そんな一言の後アキムの意図を察した様に、ヴィタリーも顔をしかめる。
クロヴィスが“まずい事”と言った意味が伝わったのだろう。
「今回の件について、幾つかのグループがデイヴに“責任を取らせるべきだ”と騒ぎ始めてる。それも、無視できない規模でだ」
「このまま行けば、デイヴの処刑を巡って団員達が暴走するぞ」




