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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
163/294

158.8

 蒼白く光る左手を、握り締める。







 作戦を自身の中心に添えつつも、意識を柔軟に保ちながら扉を潜った。


 息を潜めつつ、やや低い姿勢で気配を探りながら、直ぐに脳内の見取り図と目の前の景色を重ねる。


 階層の大半を広い会議室として設計している上、その会議室に出入り出来るのは一ヶ所だけ。


 その出入口たる豪勢な両扉の前に、立ちはだかる様に佇んでいる2人の装甲兵。握っているローズスパイクは、まだ非常事でも無いと言うのに既に赤熱している。


 加えて資料には無かった、クランクライフルを持った兵士が扉の両脇、少し離れた所に一人ずつ。


 他に気配は感じられない、柔軟性を欠く訳には行かないが周囲の兵士は装甲兵が2人、クランクライフルを持った兵士が2人、合計4人として行動しよう。


 ポーチから取り出したディロジウム手榴弾のピンを引き抜き、円筒型の本体と時限ゼンマイバネに手をかける。


 狙いは、両扉を警護している装甲兵2人。

 両手を使って時限ゼンマイバネを捻る様にして巻き、円筒型の本体に刻まれた目盛りで作動までの時間を確認してから大きく振りかぶった。


 両扉に向かって緩く放物線を描く様にディロジウム手榴弾を放り、同時に素早く駆け出す。


 一瞬の勝負だ。


 直ぐ様、会議室の出入口たる両扉を警戒している兵士達4人の鋭い目線が自分に集まるのを、肌で感じた。


 放り投げられた手榴弾、警報が一つも鳴っていないのに警護の中枢に突如現れた、黒革の防護服を着込んだ悪名高い“レイヴン”。


 平穏な筈の空気が突如歪んだ一瞬、その一瞬を突く。


 緩い放物線を描くディロジウム手榴弾が宙を舞っている間に、装甲兵ではなくクランクライフルを手にしている脇の兵士へスパンデュールのボルトを放った。


 クランクライフルを構え直そうとする兵士の、顔面をボルトが突き破る。


 絶命、行動不能を確認した瞬間に素早く意識を切り替え、もう1人の兵士へと照準と意識を向けた。


 頭を狙うより素早く狙いを定められる、胴体へと放ったボルトが胸の辺りに突き刺さる。


 ボルトが突き刺さると同時に発砲されたライフルの散弾が、自分の斜め上辺りの空間を引き裂いていった。


 ボルトで体勢を崩さなければ、もっと“斜め下”を撃ち抜いていたかも知れないという考えが頭の片隅を掠める。


 その瞬間、起爆時間を見計らって投げたディロジウム手榴弾が、両扉に衝突すると殆ど同時に炸裂した。


 轟音と共に鎧の欠片が飛び散り、硬い金属音と共に天井や床で跳ねる。


 爆発の隙を突く様に再び放ったボルトが、ライフルのクランクを回そうとしていた兵士の喉を突き破った。


 追い討ちで止めを刺すべきか。一瞬だけそんな考えが過ったが、ボルトが残り1発しか無い事を考えて意識から外し、会議室へと駆け出す。


 時間が追い付いた様に、会議室から割れんばかりの悲鳴が上がった。


 2人の装甲兵と同じく粉砕された会議室の両扉、その残骸を潜り素早く中へと踏み込む。


 悲鳴と共に取るに足らない連中が逃げ惑う中、出入口が一ヶ所だけの豪勢な檻の様な会議室に、標的は居た。


 6フィートかつタカの様な眼をした筋肉質の中年、リチャード・ウィンウッド。


 悲鳴も上げず、取り乱す事もなく、ウィンウッドはただ椅子から立ち上がった体勢のまま、此方を睨み付けている。


 広い会議室の中、視線を走らせて探すまでもなく、標的とは直ぐに目が合った。


 余りにも冷静かつ鋭い眼光に、事情を察する。


 こいつは、自分が今日この緊急総会においてレイヴンに襲撃される事が、分かっていたのだ。


 誰が何と言おうと間違いなく、自分にレイヴンが差し向けられると。


 鋭く息を吐いた。


 駆け出しながら反射的にウィンウッドへ放ったスパンデュールのボルトが、悲鳴を上げていた小柄な女性に突き刺さる。


 素早く、そして躊躇なくウィンウッドが近場の女性を掴み上げて盾にしたのだ。


 余りにも冷淡かつ素早い判断、それでいて眼はまるで揺れていない。


 標的に対する評価を直ぐ様改める。こいつは、“同郷”の者だ。血腥い、内臓の匂いがする場数を踏んでいる。


 そんな、“此方の流儀”を知っているであろう相手が僅かに眉を寄せた。


 脳髄に冷たいとも熱いとも言えないものが閃く。戦場を生きる者の、直感。


 ボルトが喉に突き刺さった女性の、肩越しにウィンウッドがレバーピストルを構える。と、同時に此方も近場の中年の髪を掴み上げて自らの前に引き寄せた。


 乾いた銃声と共に、盾にした中年男から銃弾を肉で受け止めた衝撃が伝わってくる。


 命と力が抜けていく中年男を横合いに投げ捨て、悲鳴を上げながら自分とウィンウッドから離れていく会議室の中、距離を詰めながらログザルを腰から引き抜いた。


 当の相手も、どうやら逃げ回る気は無いらしく女性を蹴り飛ばしレバーピストルを投げ捨てた後、腰から武骨なサーベルを引き抜く。


 今更ながらこいつ、腰に剣を下げたまま会議室に入っていたのか。


 クランクライフルを持っていた兵士に1発、別の兵士に2発、そして目の前のウィンウッドに1発を防がれた。


 装填数4発のスパンデュールには、もうボルトは残っていない。


 お互い剣を握り締め、距離を詰めていく自分とウィンウッドを避ける様に周囲の有象無象が、悲鳴と共に会議室の入り口へと走っていった。


 いずれ警報も鳴るだろう、時間は無い。


 ここでウィンウッドを仕留め、直ぐに脱出する。


 ドゥプラ、ガルバン、イステル、コールリッジ、ヤンコフスキー。


 黒羽の団でレイヴンとなってから名のままに仕留めた、数々の標的達。


 その標的の誰よりも、目の前のウィンウッドは鋭く、冷たい眼をしていた。


 問い詰めるまでもなく分かる。こいつは、一筋縄では行かない。


 有象無象が逃げ出し人気が無くなりつつある会議室の中で、ウィンウッドが此方にサーベルを向けたまま静かに距離を詰めた。


 見間違いの様に、素早く切っ先が振るわれるも身を引いてかわす。


 此方も振り返すが向こうも、俊敏に身を引いた。


 長く、息を吐く。


 対するウィンウッドも此方と同じく、息を長く吐いているのが伝わってきた。


 人気がまるで無くなり、喧騒が遠く聞こえるだけの会議室に微かな呼吸の気配だけが染み渡る。


 表情と呼吸を察される事についてだけは、レイヴンマスクを被っている此方に利があった。


 呼吸の気配が消え、空気が張り詰める。


 此方の腕を狙う素早いサーベルの切り込みを、ログザルの刀身で叩き落とす様に迎え打ち、即座に首を狙って切り返すも先程、叩き落としたサーベルで打ち上げる様にして防がれた。


 ウィンウッドが踏み込む。


 打ち合うつもりか、と此方も距離を詰めて斬り付けようとした所で相手がすかさず身を引き、踏み込んだ俺を振り払う様にサーベルを振り抜いた。


 誘い込まれた事に気付き、咄嗟に身を引くもサーベルの切っ先が革の防護服を切り裂き、浅くも熱い線を腕に走らせる。


 あの刹那、踏み込みが罠だと気付かなければ腕を深く切り裂かれていたのかと思うと、表情が険しくなった。


 あの重点を逃した一振で金属鎧には及ばないとは言え、決して薄くは無い防護服を切り裂いた事は無視出来ない。


 突如けたたましい警報が鳴り響き、もう時間が無いという事実が焦燥感を伴って脳髄に染み渡った。


 只でさえ一筋縄では行かないのに、此処に援軍が飛び込んでくれば益々まずい事になる。


 現状として向こうに利があるのは否めない、いずれ援軍が来るであろう事を考えれば防戦に努め、時間を稼げばそれだけで有利になっていくからだ。


 素早く仕留めようにも、先程の応酬で分かった様に相手は実力者。迅速に打ち破るには、あと一手足りない。


 息を長く吐いて、一気に踏み込んだ。


 頭と腕の動きでフェイントを挟んだ直後、脇腹と胸に向かって芯の入った一撃を打ち込む。


 ウィンウッドの胸を切り裂いた感触に違和感を覚えた事、サーベルが腿の防護服を切り裂いた事は殆ど同時だった。


 考えるより先に反射で身を引いたものの、腿に浅い熱を感じる。


 対してウィンウッドは防戦の姿勢を崩す事も隠す事もなく、息を整えていた。


 その上着と服の胸元には、ログザルが切り裂いた後が残っている。


 確かに俺はウィンウッドの胸を切り裂いた筈だが、相手に負傷した様子は無く逆に自分が浅いとは言え腿を切り裂かれていた。


 ログザルを構え直しながら、思考を巡らせる。


 相手は、胸を切り裂かれても負傷した様子が無い所か、それを餌にして足を狙ってきた。


 つまり胸を切り裂かれる事に関しては、一切の心配が無かったと言う事。


 刀身ではなく、身体で刃を防ぎつつ引き換えに相手に手傷を負わせる戦法には、覚えがあった。


 剣のみを振るのではなく、鎧を着込んだ上で剣を握っている者には、相手の攻撃を身体を盾にして受ける選択肢が存在する。


 防御の厚い部位で剣を受けると同時に、引き換えの様に相手を打つ戦法。


 鎧を着込んでいるか着込んでいないかでは、防御力だけでなく戦法にも大きな差が出てくる。


 この違いを取り違えると、戦場では危うく命を落としかねない。現に、俺はもう少しで深く負傷する所だった。


 身体で受ける戦法、胸元を切り裂かれた上で負傷した様子もなく、出血の様子も見られない。


 ウィンウッドが実力者である事、会議室に剣とピストルを持ち込む程ぬかり無い性格。


 鎧を、着込んでいる。柔軟性と服の下に着込める性質から見るに恐らくは鎖、チェインメイルを着込んでいる。


 剣とピストルを会議室に持ち込んでいた上に、チェインメイルまで着込んでいたとは。


 警報が鳴っている現状から考えても、非常にまずい展開だ。


 一筋縄で行かない実力者が、防戦に徹すると面倒な事は不本意ながら良く知っている。


 いつ援軍がこの会議室に飛び込んできてもおかしくない現状を打ち破らなければ、俺が生きて帰る可能性は殆ど無くなるだろう。


 深く息を吸い、鋭く吐いてから一気に駆け込んだ。


 ワイヤー操作でガントレットから飛び出したラスティを逆手に掴み取り、一気に距離を詰めると牽制の様に鋭い突きが飛び出す。


 突きをログザルで反らすも相手の切っ先を弾かず、刀身を合わせたまま削る様に更に接近した。


 表情には出さずとも、ウィンウッドが眼の色を変える。自分が状況を打開するべく、攻勢に出たのを感じ取ったのだろう。


 距離を詰め、自分のログザルと相手のサーベルの射程の差を潰し、致命傷もしくは致命的な状況に追い込む。


 それが狙いだった。勿論、相手もそれは分かっている筈だ。


 ウィンウッドが刀身を噛み合わせたままサーベルの握りを変え、足を踏み変えて構えを変える。


 剣術だけでない、殴打等の格闘技術に対応出来る構えに。


 合わせたままのサーベルの刀身を滑らせ、そのまま突きに転じた切っ先が肩を狙ってくるも、此方も体勢を変えてかわし刀身を身体で押す様にしてはね除けた。


 刃を乗せたまま鋭く引かれ、防護服が裂けるも此方も逆手に握ったラスティで相手の肩を突き刺す。


 が、編まれた鎖の表面を滑らせる様にしてかわされた。やはり袖までチェインメイルを着込んでいるか。


 真正面から突き刺さなければ編まれた鎖を打ち破れない事を、理解しての行動だろう。


 刹那。


 後ろ飛びの様な、と言うより後ろ飛びその物によってウィンウッドの身体が、素早く後ろに下がった。


 刀身を噛み合わせていた力が急に抜けて体勢を崩しそうになるも、その後ろ飛びに伴って振るわれた横凪の振り払いを、拳を縦に突き出す様にして構えたラスティで辛うじて受け止める。


 受け止めたまま、弾かない。刀身を、離させない。


 ラスティを噛ませたままログザルを鋏の様に噛み合わせ、再び距離を詰めながらサーベルを押さえていたラスティを、手首だけの動きで唐突に真上へ放った。


 弾けて、不覚にも手から離れてしまったかの様な演技で、自分も顔を上げる。


 その瞬間、ログザルを押している力が強まりウィンウッドが思い切り此方へと押し込んできた。


 噛み合っているサーベルの刀身の先が向きを変え、此方の刀身を架台にして鋭い矢の様に喉を狙う。


 頭を下げ、レイヴンマスクの表面を切っ先で削らせる様にして、その突きを受け流し驚愕の色を見せるウィンウッドを尻目に、ラスティを離した左手でサーベルの刀身を直に掴んだ。


 丈夫な革手袋越しに掴んだ刀身を力強く引き、此方に相手を引き寄せる。


 相手が刀身に力を込めようとした瞬間、意識が逸れていたウィンウッドの下半身、局部を蹴り上げた。


 ラスティを放棄し、体勢の不利と負傷のリスクを取ってまで意識を逸らした甲斐あって、ほぼ無警戒だった局部及び睾丸をまともに捉えたのが、確かめるまでもなく分かる。


 握り締めたサーベルの刀身を捻り上げ、呻き声を上げているウィンウッドの手首をログザルで叩き落とす様にして斬り落とした。


 睾丸を蹴り上げられた上に手首を斬り落とされ、苦悶の表情で両膝をつくウィンウッドを見据えながらサーベルを放り投げ、手にしていたログザルを回転させて握り直す。


 肩越しに大きく振りかぶり、脂汗を吹き出しながら此方を睨むウィンウッドの眼を真っ直ぐ睨み返しながら、その首を斬り飛ばした。


 宙を舞うウィンウッドの首が地面に落ちるより先に、足音が耳に届く。


 鳴り響く警報に混じる様に会議室の入り口から多数の足音。


「クソッ、やられてる!!!」


 そんな声に直ぐ様目線を入り口に走らせ、クランクライフルを持った兵士が視界に入った途端に、首の無いウィンウッドの襟を掴んだ。


「撃て!!!」


 そんな兵士の号令と同時に身を屈め盾として死体を突きだすと、銃声と共に数々の銃弾が殴り付ける様にして死体に食い込み、未だに残っていた血液を赤く噴出させる。


 銃声が止んだ瞬間、死体とログザルを放り捨てて腰からディロジウム手榴弾を取り出し、ピンを抜いて両手で素早くゼンマイを捻った。


 そして会議室に踏み込もうとしている兵士達に、ゼンマイ機構の作動を確かめてから全力で投げ付ける。


 余りに予想外だったのか、直線的に飛んで行ったディロジウム手榴弾は兵士の顔面へまともに激突し、真上に跳ね上がった。


 兵士の顔面から、10インチ程の真上。その至近距離で、轟音と共に手榴弾が炸裂する。


 顔の前に翳した腕で血肉の混じった爆風を受け止めてから、直ぐにログザルとラスティを拾い上げて走り出した。


 急がなければ。


 恐らくは直撃したのであろう、腰から下だけになった兵士の残骸や、他にも色々“欠けた”兵士が横たわっている中、それらを飛び越える様にして会議室から飛び出す。


 ウィンウッドを仕留めた後の離脱ルートは、暫定的ながら決めてはいた。


 ガントレットにラスティを格納し、スパンデュールも装填しなければと思いながら駆けていた所で思わず、悪態を吐く。


 一方通行の広くない通路で、此方に向かっくる者が1人。


 ディロジウム発明以前の勇猛な戦士よろしく、装甲兵が此方に赤熱する槍ことローズスパイクを構えながら列車の様な勢いで此方に駆けてくる。


 俺が目指している場所へ向かうには、この通路を通る以上の最短通路は無い。


 ログザルとラスティで倒すにしても素早く仕留めなければ、他の兵士が集まってきて挟み撃ちになる可能性だってある。


 地面を蹴る様にして、更に加速。


 そんな俺の様子を見た装甲兵が、アメジカに乗った騎士が同じくアメジカに乗った騎士と衝突する、槍試合の如く猛然と槍を構え直し、俺と同じく加速した。


 良い度胸だ。レイヴンなど、叩き潰して踏み砕いてやる。確かめるまでもなく、そんな気概が装甲兵から伝わってくる。


 此方も真っ直ぐに見据えながら握っていたログザルを、走りながら構え直した。


 衝突の瞬間、装甲兵が槍を大きく引き、芯のある動きで赤熱する穂先を突き出す。


 そして此方もそれを真正面からログザルで受け止める、様な素振りをフェイントに使いつつログザルを鞘に納め、加速した勢いのまま靴底の摩擦で近場の壁を噛む様にして足場にしつつ身体を飛び上がらせ、胴体を串刺しにする筈だった赤熱の穂先を間一髪で飛び越えた。


 そのまま装甲兵の肩に手を置き、兜の上に自身の胴体を通す様にして、曲芸師の如く装甲兵を飛び越えて再び走り出す。


 この段で少しでも時間を喰えば援軍が直ぐ様集まってくる、例え多少でも足止めを喰う訳には行かなかった。


 振り返ったであろう鎧の音を後方から聞こえるが、当然ながら立ち止まる訳が無い。


 先程の装甲兵以外、別の場所に移動しているのか今駆け付けている最中なのか、まるで他の兵士を見掛けなかった。


 …………考えたくはないが、俺が“向かっている場所”に居るかも知れない。スパンデュールは再装填出来ておらず、ディロジウム手榴弾ももう残っていないが、何とか切り抜けるしかないだろう。


 廊下を走り続け、靴底で音を立てながら曲がり角を鋭く曲がり、息を荒げながらも目当ての場所、エレベーターに辿り着いた。


 兵士もこのエレベーターを使用した筈だが、意外にもエレベーターの“カゴ”は上がってきておらず、下に下がっている様だ。


 カゴが上がってきている場合とカゴが下がっている場合、2つの状況を想定していたが後者を採用しエレベーターの扉、その隙間へログザルを捩じ込む。


 扉に捩じ込んだログザルで、閉じていた扉を強引に抉じ開けてカゴが行き来する縦穴、俗に言うエレベーターシャフトに入り込んだ。


 そのまま、暗い穴の中に鉄柱の如く伸びている太いワイヤーに飛び付き、革手袋と防護服、ブーツで摩擦を受け流す様にしながら真下へと滑り降りていく。


 湯を沸かす様な音を立てながら随分な距離を滑り降りた辺りで、ケーブルが大きく動き始め、下を見やると重厚な稼働音と共にカゴが上昇を始めていた。


 恐らくは援軍に向かう兵士だろう、予想通りならこのまま会議室がある最上階か、少なくともその付近に到着する事は間違いない。


 頭の中で別の可能性を幾らか考えたが、この状況で上階に上がろうとする者がどれだけ居るだろうか。


 各階に呼び出されて無人のカゴが上がっていく可能性は幾らかあるが、その程度だ。

 ワイヤーを滑り降りつつカゴの近くで意図的にブレーキを掛け、静かにカゴの上に降り立つ。


 カゴ上部のメンテナンスハッチを開けば直ぐに分かっただろうが、当然ながらリスクを取る気は無かった。


 革手袋を嵌めた手をカゴ上部の金属に触れさせ、入念に気配を探る。


 上昇していくカゴの上で数秒程、そのまま佇んで居ると微かに鎧の音がした。


 肩を、回す様な音。


 真下のエレベーターのカゴの中に装甲兵が居る。恐らくは数人。


 腰から最後のディロジウム手榴弾を取り出し、ピンを抜いてから浅くゼンマイを捻って握った指で抑える。


 片手で手榴弾を保持したまま、もう片方の手でカゴの外からメンテナンスハッチのロックを外し、軋んだ音と共にハッチを抉じ開けた。


 軋んだ音を不審に思っていたのか、ハッチ越しに真上を向いていた兵士と目が合う。


 兵士が眼を見開き、呆然と口を開けた。


 そこに指を離したディロジウム手榴弾を落とし、踏む様にハッチを閉めてから素早くシャフトの壁面、具体的に言えばシャフト内部のカゴを導く上下に伸びたレール、ガイドレールに飛び付く。


 一瞬の悲鳴と怒号の後、それらを塗り潰す様に轟音がエレベーターのカゴの中から響き、少し歪んだカゴが支えを失った様に急な降下を始め、それに伴い先程まで自分が掴まっていたワイヤーも恐ろしい勢いで真下へと引き出されていった。


 大して段差がある訳でもない、縦に伸びたガイドレールに掴まると言う事は殆ど指の力だけで全身を支えている様なものだったが、余り長い間掴まる必要は無い。


 急速に降下していったエレベーターのカゴはシャフト内で唐突に金属が噛んだ様な音を立て始め、落下速度を緩めた後に停止した。


 エレベーターのカゴには、万が一エレベーターが圧力を失ったりワイヤーが千切れたり、想定以上の速度で降下する事になった場合に備えて、非常用のブレーキが備えられている。


 カゴの外に取り付けられているとは言え、手榴弾の衝撃でブレーキも損傷したのでは無いかと少し危惧していたが、どうやら数ヵ所のブレーキの内の、一つが上手く作動したらしく何とか止まったらしい。


 殆ど指だけで掴まっていたガイドレールからワイヤーへと飛び移り、再びワイヤーを滑り降りていく。


 ブレーキで停止したカゴに降り立つも、カゴは端から見ても歪んでおりディロジウムが燃焼した匂いに混じって、微かに血と臓物の匂いがした。


 思い出した様に、カゴの上に立ったままスパンデュールにボルトを装填する。ボルトは残り3本。これを使いきれば、もうこの任務でスパンデュールは使えないと思って良い。


 カゴは階層の途中で中途半端に止まっていたので、カゴの上に立ったまま一つ上の階の扉を、ログザルで強引に抉じ開けて中へ入り込む。


 間取りから見るにどうやら、この階層は三階らしい。レイヴンに対応する為に兵士が上層に向かう反面、他のナイフすら扱えない連中は急いで逃げ出している最中という辺りか。


 エレベーターからレイヴンが現れるとは思っていなかったのか、まるで警戒されていない。遠くに雑踏の音こそ聞こえるが、近くに一般人は居なかった。


 一般人程度は障害にならないが、意図的に脅かしたい訳でも無い。騒ぎと注目を避ける為にも、目立たない場所を抜けていくべきだろうな。


 そう思い、日陰の壁面に向かおうと歩き出した瞬間。


 エレベーターの扉脇に女性が立っていた事に気付くのと、その女性が俺に気付かれた事に悲鳴を上げたのは殆ど同時だった。


 考えるより先に、反射的に腰からログザルを抜き放つ。


 即座に女性の首を掴み、壁に押し付けながらログザルの刀身を喉に押し当てた。


 始末するべきか。いや、彼女に非は無い。居合わせただけで殺すのは余りにも、




 頭が、真っ白になった。




 忘れない、麗しいブロンドの長髪。切れ長の艶のある眼。陶器の様な白い肌。


 かつて夢にまで見た、最愛だった女性。


「アマンダ…………」


 思考が理性を介する事なく、脳髄から垂れ流す様に口から溢れ出た。


 4年前と変わらない、むしろ益々艶を増した美貌。以前の倍以上に増えた装飾品。


 アマンダ・スコールズ。4年前に別れてから今も尚、心の奥底に傷として残り続ける元恋人だった。


 喉に押し付けていたログザルから力が抜け、ログザルと腕が垂れ下がる。


 息が詰まる。呼吸が妨げられ、酸素が極端に薄くなった様な錯覚さえ感じた。


 喉からも手が離れる。


 対するアマンダの眼は怯えきっていたが、少しして怯えていた眼が疑惑に変わった。


 眼を細め、眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で此方に詰め寄る。


 そして、信じられないという顔をしつつ口を開いた。



「………………待って、嘘でしょ」






「デイヴ?」






 片手で首を掴み直し、直ぐ様ログザルを喉に押し付ける。


 殺さなければ。


 こいつは俺の正体を知った、絶対に始末した方が良い。


 アマンダを、始末しなければならない。忘れられない、かつての恋人を。


 焙られたかの如く喉が渇き、蹴飛ばされた様に心臓が暴れまわり、全身が脈打つ。


 鉛が巻き付いた様に重く軋む身体で、ログザルに力を込めた。


 やれ。やるんだ。こいつを生かしておく訳には行かない。


 情報漏洩になりかねないんだ。やるんだ、デイヴィッド。


 そんな言葉を、胸中で叫ぶ。


 アマンダの喉にログザルの鋭い刃が食い込み、彼女の眼に涙が滲む。


 やるしかない。やるしかないんだ。


 このまま刀身を鋸の様に引けば、それで解決する。それだけで良いんだ。


 時間もない、ここで躊躇していれば俺はいよいよ逃げられなくなる。


 ログザルを握り締め、息を吸った。


「妊娠してるの」


 アマンダが喘ぎながら言ったそんな言葉に、頭の中が再び真っ白になる。


 妊娠してる?赤ん坊が居るのか?


「デイヴ、お願い」


 アマンダの頬を涙が伝う。


「子供に罪は無いわ、この子の未来を奪わないで」


 脳裏にあの日の記憶が浮かぶ。


 赤黒い錆の様な、忌まわしい許されざる記憶。


 辺り一面に漂う血と臓物の匂い。泣き叫ぶ女子供の声。


 アマンダの喉から、刃が離れた。掴んでいた首からも、手が離れていく。


「アマンダ!!!!」


 そんな声に振り返れば剣を下げた兵士、いや隊長が強張った顔で此方を睨んでいた。


 辺りから集まってくる足音に、胸中で悪態を吐く。兵士が集まってくるのが、確かめるまでもなく分かった。


 殺気。


 その貴族ではなく、前方から。


 咄嗟にアマンダへ向き直って距離を取り、体勢の悪い局部への蹴りをかわしてから、離した距離を踏み込みで詰めつつ掌底で鼻を打つ。


 後頭部を壁で打った上に鼻骨を打たれた事で涙が溢れ、前を見えなくなり悲鳴と共に顔を押さえたアマンダを尻目に、強張った顔の隊長へと素早く距離を詰めた。


 肩と胸に付けた勲章、明らかに慣れていない剣と体勢。


 素人だ。ほぼ間違いなく、戦場で戦った事の無い人間。


 そんな“着飾った素人”の後ろから兵士が集まってくるのが見える。


 勲章の数と高級そうな上着から、こいつは相当な立場なのは間違いない。


 そして、剣を振り回す様な現場に慣れていない雰囲気と匂い、表情と佇まいで分かる。


 こいつは軍服を着込んでいるだけの、貴族だ。恐らくは体裁の為に今回の仕事を引き受けただけの、上流階級。貴族だ。


 素人の貴族、大した相手じゃない。


 強張った顔の相手が、自らを鼓舞する様に声を上げながら腰の剣を引き抜こうとする。


 何もかも、遅い。


 握っているログザルの柄頭、ポンメルとも呼ばれている部分を、腰の剣を引き抜こうとしている相手の手に叩き付けた。


 呻き声と共に手が離れた所で、相手の顔に素早く手を伸ばす。


 第三指で鼻筋をなぞる様にしつつ頬骨に突いた第二指、第四指を上に滑らせる様にして、両目を突き上げた。


 悲鳴を上げた貴族の腕を取って背中に捻り上げ、盾にすると兵士達の足が止まる。


 予想通り、“こいつ”は相当な立場があるらしい。


 そのまま背後へ視線を巡らせた。三階ならあの窓が使える筈だ。


 背後から首筋にログザルの刀身を添えつつ、兵士達を牽制しながら脱出予定の窓まで遠くない距離を貴族を引き摺っていく。


「ニコラウス!!!」


 鼻を押さえたままのアマンダが此方に近付こうとするも、ログザルの刃を首筋に押し付けながら牽制すると、足が止まった。


 ニコラウス。こいつの名前か。


 風の噂で結婚したとは聞いていたが、上流階級と結婚していたのか…………


「デイヴ!!もうやめて!!奴隷の為に戦うなんて狂気よ!!自分を貶めないで!!」


 泣き叫ぶ様なアマンダのそんな声に、顔が険しくなるのが自分でも分かった。


 ああ、知れ渡ってしまった。


 危惧していた状況に、なってしまった。


「デイヴィッド!!お願い!!」


 そんなアマンダの叫びに、少しずつ兵士達に先程とは違うざわめきが広がっていく。


 中には、この状況にも関わらず顔を見合わせる者まで居た。


「デイヴィッド・ブロウズ?あの狂人ブロウズか?」


 誰かが呟いたそんな言葉を皮切りに騒ぎが大きくなり、胸中で悪態を吐いた。


 頭の中にアマンダとの記憶が氾濫し、声が反響する。





 殺しておくべきだった。



 いや、お前には殺せなかった。



 妊娠は狂言かも知れないぞ。



 だとしても、もう子供は殺せない。



 あの女はもう敵だ。子供を盾にする様なクズの為に、お前は団まで危険に晒すのか。



 騎士にでもなったつもりか。



 あれだけの事をしておいて今更惚れた女と子供だけは、助けようと言うのか。



 あの礼拝堂の事は、償えないぞ。






 黒く濁った、冷たい何かが脳髄と脊椎から溢れていく。



 頭を振って声を追い出した瞬間、盾にしつつ腕を捻り上げていたニコラウスが急に立ち止まり、捻られていない腕を振って此方に肘を叩き込んできた。


 叩き込んできた肘を防ぎ、抵抗を始めたニコラウスの後頭部をログザルの柄で打ってから、捻っていた腕の指をへし折る。


 甲高い悲鳴が上がりそのまま折った指を引っ張って移動すると「待て、待て」と悲鳴混じりにニコラウスが続いた。


「“下がれ”と言え」


 少しずつ迫る兵士を見計らい、そんな言葉をニコラウスに言い聞かせるも「何だと?」と良く分かって無さそうな返事が帰ってくる。


 折った指を、殊更に捻り上げた。


 大きな悲鳴と共に、ニコラウスが大きく身を捩った。


「下がれ!!!お前ら、下がれ!!!」


 そんな懇願の様な言葉に兵士達の足が止まり、険しい表情のまま尻込みする。


 牽制される兵士達を尻目に思い切り指を引きながら飛び込む予定の窓、その窓に続く部屋の扉を視界の端で捉えた。


 へし折れた指を離し、ログザルを首から離しながらスパンデュールで腿の辺りを射抜く。


 手のかからない“死体”より、“足手まとい”になって貰った方が良い。上流階級の、数多い取り柄の一つだ。


 悲鳴と共に体勢を崩すニコラウスの背中を蹴り飛ばし、簡素な作りの扉を肩から突き破って部屋へと入り、ログザルを鞘に収めつつ予定していた窓にスパンデュールを発射。


 そしてひび割れた窓に、両足を揃えて輪を潜る様に足から飛び込み、窓を突き破って本館の外へと飛び出した。


 投げ出されそうな勢いの中で本館の壁に辛うじて掴まり、壁に一旦しがみついてから手を離し真下に降下する。


 時折手懸かりに掴まって、降下の勢いにブレーキを掛けつつも速度を重視して壁面を降りていき、地上に降り立った。


 臓腑と脳髄から熱く爛れた物が溢れてきそうになるが、理性で押さえ付ける。


 泣きわめこうが吐き散らそうが後にしろ、今は逃げろ。走れ。


 辺り一帯に警報の鳴り響く中、深く息を吸って再び駆け出す。


 大分息は上がっていたが、それ以上に沸き立つ感情や動悸を抑え付けるのが大変だった。


 後悔や叱責、懺悔にも似た物が入り雑じっては身体中から吹き出しそうになる。


 吹き零れそうな鍋の様に、弾けそうになる感情をひたすらに駆ける事に注力出来たのは、幸いだった。


 特徴的な、列車のブザーが鳴り響く。


 顔と身体の向きを、変えた。


 私有列車。この議事堂へ来る為に私有している個人列車を動かしていた、上流階級とその使用人しか乗る事が許されない列車。


 足早に逃げ出した連中が大半故に、大分数こそ減ったものの、私有列車が一台残っていた。


 発車のブザーを鳴らしながら、私有列車が加速を始めている。


 頭の中の、兵士と戦いながらも走り抜ける予定だった暫定的な脱出ルートを放棄し、走り始めている私有列車を見据えた。


 あの列車だ。あの列車しかない。


 列車の傍には装甲兵が2人、クランクライフルを持った兵士が1人。


 時間は無い。スパンデュールのボルトは残り1発。ウォーピックことアイゼンビークも無く、もう手榴弾も無い。


 この状況でライフルの兵士だけでなく、装甲兵2人も片付けなければならない。それも、列車を逃がさぬ様に迅速に。


 隠れる場所も大して無い、兵士達もすぐに気付くだろう。


 列車へと真っ直ぐに駆けながら、頭の中が研ぎ澄まされていった。


 列車は既に加速を始めているが直ぐに高速にはならない、兵士をかわして列車に乗り込んだ所で加速しきる前の列車に、兵士達が追い付いて乗り込んで来る事も充分に考えられる。


 取れる手段は少なく、ログザルとラスティだけで上級衛兵たる装甲兵を2人も速やかに倒す策など、そう浮かぶ訳も無かった。


 もう、使いたくない手を使うしかない。


 吐き気を堪えつつ左手に力を込め、革手袋越しにも分かる蒼白い光を手の甲に宿す。


 世界が蒼の濃淡に塗り潰されていき、指先に“何か”が絡まっていくのを明瞭に感じた。


 良いさ。


 亀裂から汚水が染み出す様に、淀んだ“何か”が身体中に廻っていく。


 歪むも何も、赦される様な道など生きていないのだから。


 左手に絡まった“何か”を躊躇無く抉じ開けると、左手を焼き焦がす様な感覚と共に手の甲のみならず、左腕全体から黒い霧が噴き出した。


 黒い霧が人の悲鳴と鳥の咆哮を混ぜ合わせた様な奇怪な声で哭きながら、羽毛を纏った不気味なカラスへと練り上げられていく。


 蒼の濃淡で塗り分けられ彩られた世界を駆けつつ、スパンデュールの最後のボルトを兵士の頭に向けて真っ直ぐ放った。


 俺の腕から噴き出したカラスと不気味な鳴き声、そして何より急速に駆け寄ってくるレイヴンに兵士がライフルを構える。


 何かを言おうとした兵士の顔、眼窩の辺りを金属のボルトが突き破るも反射的に引き金は引いていたのか、けたたましい銃声と共に俺の後方の地面が抉り取られた。


 濁った黒い物が俺の中に溢れ返り、俺の全てを侵しながら歪めていく。俺の何かが濁っていく。俺の血肉が穢れていく。


「レイヴン!!!」


 装甲兵が大声と共に此方に構えるも、鎧と兜越しに分かる程に2人は狼狽していた。


 眼球を抉り取られ、虚ろな眼窩のまま不気味に鳴きながら飛び回るカラス達。


 恐怖と悪夢をそのまま練り上げた様な光景だ、そんなカラスを従えつつ走ってくるレイヴンがどれだけ恐ろしく見えるかなど、今更確かめるまでもない。


 左手を握り締め、装甲兵へ意図的に意識を向ける。


 途端、眼の無いカラス達が高所から急降下するハヤブサの如く、目を剥く速度で装甲兵2人に襲い掛かった。


 悲鳴とも怒号とも取れる声で装甲兵が手にしていた槍を振り回すも、カラス達は器用にかわしながら的確に装甲兵に衝突や攻撃、妨害を繰り返している。


 そんな装甲兵の1人に、全力で駆けていきつつカラスに視界を妨げさせ、それでも放たれた槍の鋭い突きを脇の下を通す様にしてかわしつつ、ログザルを握った手で肩を押した。


 そのまま足を掛け膝裏を押し、体勢を崩させてから下へと引き寄せ、最後にカラスから全力の体当たりを浴びせる事によって装甲兵を地面へと引き倒す。


 もう1人の装甲兵もカラスに妨害されている様子を尻目に、地面に引き倒した装甲兵を全身で押さえつけながら兜のバイザーを抉じ開けた。


 そのまま左手の痣に力を込め、全力でカラスに“指示”する。


 その瞬間、嘴を下に向けたカラスの1羽が矢の様に急降下し、バイザーを開けた装甲兵の顔面へと勢いそのままに突き刺さった。


 鈍い、砕ける音と潰れる音。加えて肉と水の音を立てたきり、装甲兵が動かなくなる。


 顔面ごと潰れたカラスの身体が崩れ、煙となって霧散する様子から視線を切り、もう1人の装甲兵へと目を向けた。


 妨害するべく衝突してくるカラスをはね除けながら、真っ直ぐに装甲兵が駆けてくる。


 手には、大振りの両手剣。


 命が絶えたばかりの装甲兵を直ぐ様引き上げ、鎧に覆われた腕を使って両手剣を受け止めた。


 受け止めた鎧の腕が音と共に曲がり、骨が砕けたのが伝わってくる。


 ログザルで顔面のバイザーに突きを入れ、装甲兵の隙を作った後にカラスの1羽を顔面に覆い被さらせて隙を作り、腰を入れた低いタックルでその装甲兵を押し倒した。


 全身で相手を抑えつつログザルを放り投げた右手で腕を上げさせ、ガントレットから飛び出させたラスティを左手で逆手に掴み取り、上げさせた腕の下、脇の辺りにラスティを突き刺す。


 熱い血がラスティと左手に絡み付き、力が抜けて行く装甲兵の脇に突き刺したままのラスティを更に押し込んでから捩り、引き抜いた。


 正しく栓が抜けた様に熱い鮮血が溢れだし、殆ど動かなくなった装甲兵を踏み越えてログザルを拾い上げて鞘に収め、大分加速していた私有列車へと駆け出す。


 装甲兵から興味を無くした様に、駆けている自分に追随するカラス達へ一瞬意識を向けるも、改めて私有列車を睨み直した。


 蒼の濃淡で塗り潰されていた世界が普段の鮮やかな世界に戻るも、自分が装甲兵達を倒している間に随分と加速していたらしく、距離も相まって列車はいよいよ追い付けない速度で走りつつある。


 頭の中で色んな要素と感覚と記憶が絡み合って縺れる中、未だに熱の引かない左手を握り締めた。


 元々、“手繰り寄せ”に比べて不気味なカラスを呼び出す事は遥かに“負荷”が大きい黒魔術だった筈だ。あの、焼けた鉄に貫かれる様な激痛は今も脳裏に張り付いている。


 それが今回、明らかに普段より熱量が少なかった。


 左手に絡め取った物を力強く引き寄せ、カラスを含めた周りの景色が弾けた様に引き伸ばされては後ろへと流れていく。


 “手繰り寄せた”先で疾走する私有列車の最後尾の扉、直ぐ傍の欄干を掴んで列車に足を掛けた。


 遥か後方で役目を終えた不気味なカラス達が霧散するのを疾走する列車から見届けつつ、改めて左手を眺める。


 先程の黒魔術もそうだが、やはり黒魔術を行使した時の焼き焦がす様な熱が、明らかに以前より抑えられていた。


 疲労以外の理由で臓腑から沸き上がってきた吐き気を、理性で何とか和らげて堪える。


 私有列車の最後尾で欄干に掴まったまま、高速で流れていく景色を眺めながら冷えた空気を吸った。


 ……………………考えたく無い事だが、まず間違いなく“黒く淀んだ冷たい何か”が以前より自分に馴染んでしまっている。自分はきっと、以前より良くない方向へと歪んでしまっている。


 以前は黒魔術の行使の際に時折滲み出る程度だった“淀み”が、今や胸の奥で少しずつ渦巻き始めていた。


 溢れそうな感情を堪えつつ私有列車に暫く揺られ、議事堂から少し離れた辺りで飛び降りて道を転がる。


 そして立体都市の上層部から、下層部へと飛び降りる様に壁面や段差を経由しつつ降りていった。


 人気の無い暗い下層部を駆け抜け、都市下動力網の入り口を潜り、往路よりは楽な復路のルートで動力網の歯車達を何とか通り抜け、都市動力網の出口を通って無人の暗い路地に出た辺りで、不意に足が止まる。


 自身の素性が帝国軍に漏洩すると分かっていたのに、アマンダを殺せなかった。


 だがもしアマンダの妊娠が狂言じゃなかったら、俺は子供を殺す事になってしまう。


 子供を、殺す事になってしまう。


 今回の件で帝国軍に、デイヴィッド・ブロウズが黒羽の団に在籍している事が漏洩してしまった。


 恐らくは、これから黒羽の団に対する捜査が活発になるだろう。


 浄化戦争であれだけ無実の人々を殺しておいて、惚れた恋人は殺せなかった男のせいで。


 任務への緊張感と使命感で何とか押さえ付けていた感情と淀み、歪みと吐き気が一気に溢れ返り咄嗟にレイヴンマスクを外して投げ捨てた。


 直後、弾ける様に暗い路面へと嘔吐する。


 喉が焼けていくのが自分でも分かる、命の危機を理由に何とか押さえ付けていた感情が、爆発していた。


 膝から力が抜け、数歩ふらついてから膝を着く。


 もう一度だけ苦い唾を吐いた。


 赤錆の様なあの日の礼拝堂の記憶も甦り、再び嘔吐しそうになるも今度は抜け落ちた様に口が開くだけで、物が出ない。


 今抜け落ちた中身を補おうとする様に“黒く淀んだ何か”が、身体中に溢れ出した。


 黒魔術の時の冷たい淀みが、左手の熱が冷めた今になっても身体中を駆け巡っている。


 意識の外で、遠く羽音が聞こえたかと思えば肩に重量を感じた。


 確かめるまでもなくカラスが肩に留まっている事は分かっていたが、首すら動かす気にならない。


 濁った鳴き声が響いた。


 羽音と共にカラスが新たに降り立ち、膝を着いている自分の周囲にカラスが次々に集まり始める。


 そうしてカラスの鳴き声に囲まれている内に少しずつ、脳裏にウルグスの姿がちらつき始めた。


 俺の淀みに呼応する様に、左手の痣が蒼白く脈動する。


 周りで鳴いているカラス達から、少しずつ黒い物が自分へと染み込んでいる様な気がした。


 嗚咽が、漏れる。







 肩に留まったままのカラスが、嘲る様に鳴いた。

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