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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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158

 時計の針を確かめ、静かに懐中時計の蓋を閉める。






 トライバルのカラスが刻まれた懐中時計を懐に収め、改めて上を見上げた。


 今行われている緊急総会も、今正に熱くなっている頃合いだろう。


 今の所、緊急総会に何一つ問題は起きていないが、レイヴンを警戒する連中全員が何とか最後まで油断せぬ様、気を張っている筈だ。


 時間通りに行くなら、俺がアニガノ地区の中心に辿り着く頃には陽動作戦が起きる予定になっていた。


 直接的な戦闘支援では無いが、火事騒ぎだの破裂事故だの本格的な交戦を交えない程度に注意を引く、所謂“肩透かし”な小規模の陽動を幾つか予定している。


 あくまで“肩透かし”程度に収めているのは、まだ大掛かりな作戦を任せられる程信用していないのもあるが、陽動が肩透かしである事で僅かでも奴等の気が緩む効果を期待しての事だった。


 以前、イステル女史を尋問する任務の際は脅迫関係にある事からも安全を取り、現地の協力者を使わず完全単独作戦としたお陰で、運行するクラウドラインの真下にぶら下がって肝を冷やしながら潜入する事になったが、今回はスナークスのギャング達に代理人を介して接触し、相場より僅かに多い報酬と引き換えに小さな陽動作戦を担当させている。


 向こうが裏切る可能性も無くは無いが、そもそもスナークス自体が部分的とは言え黒羽の団と同じ方向性の、反帝国組織である事に変わりは無い。


 代理人の主観にはなるが、返ってきた反応も悪くなかったそうだ。


 あくまで試験的な試みだがこのまま問題が無ければ、今後も黒羽の団は報酬と引き換えにギャンググループ、“スナークス”に支援を要請する事になるかも知れない。


 ギャンググループと取引する事、スナークスは信用出来るのか。


 この際それらは一旦置いておくにしても、陽動が起きる時間帯には緊急総会の終わりに備え、要人の警護を考えて送迎の鹿車や列車、クラウドラインの点検が念入りに行われる。


 時間と意識、人員が大きく割かれる事になるのは明白だ。


 こうは言っても実際、人員に関しては充分すぎる数が揃っているだろうから、割かれた所で痛くも痒くも無いだろうが。


 だとしても意識と時間が割かれるのは、間違いない。


 そこを突く。


 言うまでもないが、会場に侵入するまでは隠密であるのが必須と言える。


 隠密性を保ったまま緊急総会に忍び込む事を考えれば、今回の任務で実際に戦うのが俺一人というのも、一応合理的と取れなくも無い。あくまで、その一点を見るならば。


 だが正直に言ってリチャード・ウィンウッドを仕留める際、そして仕留めた後、隠密を保ったままで居られる程の僥倖は、まず望めないだろう。


 つまり自分は緊急総会に一人で忍び込んだ反面、襲い掛かってくる兵士達をたった一人で相手にしなければならないと言う事だ。


 …………目標、ウィンウッドの元まで忍び込む事が重視され、ウィンウッドを仕留めた後の脱出、そしてそれに伴う兵士達への応戦が軽視されている辺り、幹部達が“何を”最優先に考えてこの任務を計画したか、分かるというものだ。


 どれだけ血塗れになろうがカラスを呼び出そうが、敵の臓物を引き抜く事になろうが「ブロウズならやれる筈だ」とこの任務を計画したのだろう。


 まぁ、どのみち断れる立場でも無いし、断れないからこそ、こういう任務に投入される事は分かっていたが。


 少し息を吸った。


 緊急総会の連中、そしてそれを警護している帝国軍の連中は、今日の緊急総会にレイヴンが襲撃してくる事を前提として、厳重に警戒、警護している筈だ。


 いつ屋根の上でレイヴンに出くわしても撃てる様に、直ぐにでも援軍を呼んでレイヴンの侵入を阻止出来る様に、総会を開いている議事堂や議事堂の周囲みならず、屋根の上や付近の街道に至るまで憲兵を配置しているだろう。


 資料によれば、憲兵のみならず装甲兵も相当な数が投入されているらしく、議事堂近辺に至っては軽量合金の鎧を着込んだ装甲兵が、至る所を警備している始末だ。


 警護の一環として数日程ではあるが、アニガノ地区の定期列車やクラウドライン、公共交通機関は完全に運行停止となっていた。


 楽観的に考えていた連中から様々な文句が付きそうなものだが、公共交通機関から不特定多数の客がアニガノ地区に流入する事を考えると、一応納得の行く理由ではある。


 きっと、相当に慎重な奴が居るのだろう。少しでも利を集めようとする姿勢には、個人的には賛成だ。


 深く息を吸い込む。今から俺がやる事はきっと、クラウドラインにぶら下がって潜入するより危険な事かも知れないな。


 レガリス中心部の一つ、このアニガノ地区は技術発展が進んだ大都会であり、また空中都市レガリスが建造された初期から存在する、歴史的な区画でもある。


 かつては只の工業区画に過ぎなかったアニガノ地区は、名前どころか幾つかの数字が割り振られていただけの極めて平凡な地区だった。


 それが一世紀以上、二世紀近い時を経て、パンにバターを塗る様に、ケーキにクリームを塗る様に、少しずつ丁寧に“文明”と“技術”を層の如く塗り重ねられた工業地区は、数多の歴史を飲み込み、膨れ上がるかの様に大きく広がっていったのだ。


 今からでは到底信じられないが、建造当初のアニガノ地区は、其処らの田舎町程しか無かったと聞く。


 それが今では其処ら中に高階層が連結した立体的な建物が立ち並び、スチームパイプが街に網を掛ける様に枝葉を伸ばし、高級店が立ち並ぶ大都会になっていた。


 文明と技術の発展を象徴するかの如く、階差機関を組み込まれた機械も街の至る所で、鈍い駆動音と共に機械らしからぬ複雑な動きを見せている。


 このアニガノ地区下層、“都市下”と呼ばれる基盤部分には先述の通り相当な歴史が眠っており、過去の動力機構や気送管、スチームパイプ、ガス管が絡み合う様にして蠢いていた。


 “蠢く”と表現するからには勿論その配管網は現役として稼働しており、主動力としていた時代は過ぎたとは言え大多数が現在も補助的な動力網、送管網として機能している。


 ディロジウム駆動機関が主流になった今でも、都市下に広がる旧式の動力網はこの歴史あるアニガノ地区を都市下から支えていた。改良と改装を重ねた大都会を支える、補助動力として。


 また、補助動力となる機構は過去に主動力だった旧式機構をそのまま転用している為、都市下の動力網ではディロジウム駆動機関が一般的になった今でさえ、時計塔でも見掛けない程の巨大な歯車が此処彼処で、捩れ合う様にして廻っている。


 そして俺は今、旧式機構が蠢く都市下の動力網、その入り口に居た。


 集中力を高める様に長く息を吐き、少しばかり錆び臭い空気をレイヴンマスク越しに、ゆっくりと吸い込む。


 ここを通れば、緊急総会の襲撃を警戒している憲兵達の目に触れる事なく、すり抜ける様にして緊急総会が開かれている議事堂まで向かう事が出来るだろう。


 施錠こそされていたが、侵入自体は大した問題では無かった。


 何せ、都市下の入り口には誰も居ないのだから。憲兵どころか、見張りの係員すら居ない。


 都市下の動力網を通ればアニガノ地区の様々な箇所に移動する事が出来るのは、民衆の大半が常識として知っている事でもある。


 現に、自分はこの都市下の動力網を通って議事堂まで人目に付かぬ様に進む計画だ。


 では何故、こんなにも“便利な裏道”を警戒しないのか?そして、何故こんなにも裏稼業に都合が良い所に、後ろ暗い連中が彷徨いていないのか?


 ここを通ればアニガノ地区の大半に秘密裏に出入り出来る、都市下のこの巨大な動力網を帝国軍が警戒していない理由は、ただ一つ。


 所狭しと歯車が噛み合い、唸りを上げて回転する巨大な歯車達が、とてつもなく危険だからだ。


 補助動力としてこの地区を支えるこの歯車達は、当然ながら人程度なら容易く擂り潰す程の力で動いている。


 それも、四方八方で裾や手足が挟まりそうな密集した歯車達が、だ。


 危険度だけで言うなら、真っ赤に燃える溶鉱炉の上を綱渡りするのと大差ないとも言えるだろう。


 補助動力網に異音がするので専門の技師が調べてみた所、浮浪者だか路地裏の人間だかが迷い込んだ挙げ句、歯車に擂り潰されていたなんて話もあった。


 其処らに乾いた血痕が張り付いていただけでなく、ヤギかニワトリの足の如く無造作に腕が転がっていたのは、有名な噂話だ。


 かつての“動力源”、所謂“都市区画の心臓部”と言われる機構部分は、人命や事故より動力が優先され具体的な安全策等もこれと言って、組み込まれている訳では無い。


 繁栄と発展の為なら、事故が起きようとも人命を優先しなかった頃の遺産。


 だからこそ、先述した専用の技師でさえこの動力網を整備する時は前々から帝国に連絡を入れ、数日に渡り補助動力の歯車を停止した状態で、入念な告知を終えてから漸く、この動力網に入る。


 万が一腕でも巻き込まれたら、まず助からないと思った方が良い。余程運が良くない限り、五体満足は期待出来ないだろう。


 そして言うまでもなく、わざわざ過去の動力網、補助動力に“安全策”を施す為、“人を売り飛ばしてでも稼ぎたい”帝国が動く訳が無い。


 そんな“人喰い歯車”や“都市の胃袋”と呼ばれている補助動力網に、踏み込む事にしたのは俺自身のアイディアだった。


 リスクを切って成果を取る。


 初めてレイヴンとして戦ったドゥプラの任務において、塔の上から思い切って跳んだ時からその方針は変わっていない。


 クラウドラインにぶら下がって、肝が冷える思いをしていた俺が更に危険な、人喰い歯車の中に入っていくのは我ながら随分矛盾している様な気がするが、どのみち俺しか大事にしない命だ。


 たまには俺が好きに使うのも、悪くない。


 肩を回し、ゆっくりと薄暗い都市下の動力網へと踏み込んでいった。


 途端に機械油の様な匂いが幾らか鼻に付き、振動を伴った唸り声の様な駆動音が辺りから聞こえてくる。


 日差しが遮られた都市下は締め切った様に暗かったが、それでも一応調べた通り古い型ながらもディロジウム式のランタンが備えられていたし、一応暗所への装備として自前の小型ランタンを任務に持ち込んではいた。


 少し迷ったが、それでも光量を最大にした小型ランタンを灯し、腰に吊るす。


 腰に吊るせる大きさ故に、フルサイズのランタンに光量では到底敵わないが片手が塞がる事や、重心バランスが崩れる事を考えると仕方無い話ではあった。


 どのみち、問題ないとしても備え付けのランタンを使うのには抵抗があったし、何も辺り一帯を煌々と照らさなくても眼が利くならそれで充分だ。


 なら、用意した小型ランタンで済ませるに越した事は無い。


 この都市下の動力網、旧式の補助動力部を通った事が露見する頃には、備え付けのランタンを使ったかどうかなんて大した問題にならないだろうが、使わないに越した事は無い。


 都市下の深い所にまで専用の階段で降りていく内に、遠巻きに伝わってきていた唸り声の様な稼働音が、大きくなっていく。


 稼働音に伴う振動をブーツの底と肌で感じながら螺旋階段を降りていくと、腰の小型ランタンに所々照らされる様にして徐々に旧式動力機構、唸る巨大歯車達が姿を表した。


 懐中時計の緻密な中身を胴体が挟まる程に大きく膨らませ、四方八方に隙間無く敷き詰めた様な奇妙な風景。


 所々を照らされながらも、絶え間無く歯車が蠢いているその光景は無機質かつ無慈悲でありながら、侵入者を直ぐ様喰い千切らんとする狂暴性を帯びている様にさえ思える。


 壁面を這い回る蔦の如くスチームパイプやガス管が歯車の周りへと伸びており、縦横無尽に都市下へ広がっていた。


 目の前の光景に、思い浮かべた移動ルートを重ねる。


 回転する歯車に足を取られぬ様、歯車の歯に腕を巻き込まれぬ様に。


 足を掛ける配管、手を掛ける導管を一つ一つ丹念に選んでいく。


 一つでも選ぶ道筋を間違えれば、転落死よりも残酷な死が待っているのだから。


 補助動力の歯車は招かれざる来客を引き裂き噛み潰す為に、故意に危険な配置にされていると言う噂を聞いた事もあったが、目の前で見ると納得の行く話ではある。


 2つの歯車が噛み合い、粉砕機の様になっている上を飛び越えなければならない場所もあれば、水平に回転している幾つもの歯車を足場に歩かなければならない場所、機会を見計らって歯車の穴を潜り抜ける必要がある場所。


 我ながら、こんな場所を稼働させたまま通ろうと言うのだから、随分な判断だ。


 少し考えたがそれでも今回の任務で、此処を通らない訳には行かない。


 今回の緊急総会に伴う警護は、レイヴンの襲撃を予期されている事もあって相当な物だ。


 只でさえ攻め込むのを躊躇う程に警護が厳重な上、もし侵入以前に見つかりなどすれば間違いなくウィンウッドの元まで辿り着くのは不可能だ。


 その上、少しでも隠密性を重視する為にレイヴンとして行動するのは自分一人。


 今回ばかりは正攻法で切り抜けられる物ではない、それこそカラスを呼び出したとしても。


 意識の隙を突く事も含めて、この都市下動力網を通らない選択肢は無い。


 “命をベットする”頃合いだろう。


 再び、目の前の事に意識を集中させた。


 今は歯車を乗り越える事だけを考えよう。


 途中で躊躇すれば、その途端に足を喰い千切られる。道の最後まで、駆け抜けるしかない。


 腹の奥まで届く様な深い呼吸の後、鋭く息を吐いて駆け出した。


 唸る歯車の稼働音が一層、巨大になった錯覚を覚えながらも目の前の回転する歯車を、一息に飛び越える。


 着地した配管を滑らぬ様に靴底で噛み締めつつ、それでも勢いを落とす事無く前へと飛び出した。


 水平に回転する歯車を足場としつつ、節々を巻き込まれない様に意識しつつ更に大きく跳ぶ。


 空中で手を掛けようとした導管が、固定が弛んで外れかかったスチームパイプだという事に掴む直前で気付き、咄嗟に近くの他の配管を掴み側の歯車を蹴ってバランスの崩れた身体を安定させつつ、飛び込む様にして歯車の間の平たい地面に転がった。


 動揺と共に息を荒げつつ、転がった体勢をすぐ立て直し辺りを見回す。


 唸りを上げ続ける歯車の中に浮かんだ、手足を挟まれない浮島の様な場所に片膝を付いたまま、息を整えた。


 ああして間近で見るまで分からなかったが、手を掛ける予定の配管が外れかかっていたとは。ルート選びとして遠目で見るだけでは分からない事もある、いや自分が油断していたのかも知れない。


 今回は何とか体勢を持ち直せたものの、毎回こう上手く持ち直せるとは限らない。


 次しくじれば、歯車に腕か足を巻き込まれる可能性だって充分にあるのだ。


 油断していたつもりは無いが、殊更に集中して望まなければ“間抜けなレイヴン”として、語り継がれる事になってしまう。


 思い出した様に小型ランタンを確かめるも、取り敢えずは問題なさそうだった。


 息を整えた。


 改めて、目の前の歯車や配管を眺めながら移動ルートを考えていく。弛んだ配管を避けるのは、言うまでもなく。


 手足を巻き込まれない様にしたいのは山々だが、一時的にとは言え巨大歯車を足場や手掛かりにしつつ、先に進まなければならないらしい。


 移動ルートを想像で辿っていき、レイヴンマスクの下で幾らか顔をしかめた。


 手足を喰い千切られる数多の危険は今更言うまでもないが、このまま議事堂の方面に動力網を進むなら回転する巨大な歯車の穴を、機会を見計らって通り抜け無ければならない訳か。


 それも数多の配管を飛び越えて、水平に回転する歯車を足掛かりに飛び上がった先で。


 当然ながら、配管を飛び越える前から歯車の回転を見計らった上で、前もって走り出さなければ通れる場所では無い。


 歯車の回転と配管を飛び越えるのに掛かる時間、それに対する遅れを計算し、先程の様な事が起きた際に柔軟な対応が出来る様、不測の事態に対しても意識しておいた方が良いだろう。


 腹の底まで届かせる深い呼吸の後、もう一度ランタンを確かめてから一気に駆け出した。


 唸る歯車を踏みつけ、足場にしたかと思えば段差を足掛かりとして使い、手足を巻き込まれない様に意識しつつ、更に加速する。


 加速しつつも配管に注目し、先程のスチームパイプの様な事が無い様“問題ないか”を寸前まで目視で確認しつつ、必要な配管を靴底で噛む様にして踏み締めて高く跳んだ。


 高く跳んだ先で、ゆっくりと水平回転している巨大歯車に手を掛け、姿勢を制御しつつ身体に新たな勢いを加え振り子の様に足を振って、“問題のある”配管の間へと身体を投げ込む。


 万が一配管に引っ掛かって、干した毛布の如く二つ折りにぶら下がったりすれば大変な事になっていたかも知れないが、間近で熱気を感じつつも無事に配管の間を通り抜け、またも駆動する歯車の上に着地した。


 だが、その着地した歯車は他の足場にしてきた歯車より、幾らか動きが速い。


 当然ながら、一息つける訳も無く直ぐ様走り出した。


 水平回転する歯車が積み重なり、歪な階段の様になっている歯車の一つを強く踏み締め、力んだ声と共に全力で跳ぶ。


 緊急停止も緊急回避も不可能な事は跳んだ瞬間に理解していた。その勢いが無ければ、“喰い千切られる”かも知れない事も。


 下方で粉砕機か挽き肉機の如く、“縦に”歯を噛み合わせて回っている巨大歯車達の上を飛び越え、そして同時に。


 別の歯車、それも回転している歯車に空いている窓の様な穴を、さながら曲芸師の様に潜り抜けた。


 潜り抜けた勢いのまま、予め目星を付けておいた配管を纏める部分金具、その一部に飛び付く様にしてぶら下がる。


 目星を付けていた金具は予想通りだったらしく、多少軋んだものの充分に自分を支えてくれていた。


 両手でぶら下がったまま辺りを確かめ、太い配管を束ねた橋の様な部分に、注意深く飛び降りる。


 長い息を吐いた。


 火の輪潜りでもさせられている様な気分だ。


 まぁ道化師や曲芸師と違い、観客は居ないどころか居ては困るのだが。


 取り敢えずは一番の難所を越えたと見て良いだろう、この都市下動力網を任務から離脱する際に通るとしても、行きと帰りでは通るルートや通り方が異なる。


 復路も楽では無いにしろ往路程の危険性は無い、ここまでの“曲芸”は必要無い筈だ。


 油断して良い理由には、ならないが。







 息を吐く。


 自分のぶら下がっている配管を軋ませ、身体を思い切り振って身体を地面へと投げ、着地と同時に転がって衝撃を吸収した。


 ゆっくりと立ち上がる。


 何度か肝が冷えた事もあったが、都市下動力網の動力部、“都市の胃袋”の大部分を抜ける事が出来た。


 漸く、歯車に手足を喰い千切られる心配無しに落ち着いて、前に進む事が出来る。


 …………言うまでもなく、ここからが本番なのだが。


 自前の小型ランタンを懐に収め、都市下の動力網から上に向かう螺旋階段を上がっていく。


 ふと、懐中時計を取り出した。一応、予定した時間通りではある。


 螺旋階段を上がりながらも、ガントレットに組み込まれた全自動クロスボウ“スパンデュール”に意識を向けた。


 都市下に入る時、雑な施錠だけで警戒されていなかった事を考えれば早すぎる警戒かも知れないが、気を配るに越した事は無い。


 足音と呼吸音を抑える様にしながら、敵が飛び出してきても直ぐにスパンデュールのボルトを発射出来る様に集中力を高めていく。


 都市下の動力網から都市上のアニガノ地区に出る扉を前にして、足音を抑えながら歩いていた足を止めた。


 レイヴンマスクの下で、目を細める。


 扉の前で足を止めた体勢のまま、手足どころか指さえ動かさずに少し待った。


 杞憂か?


 扉の下から漏れている僅かな光。


 ほんの微かな音、僅かな気配と共に、漏れる光の中に影がちらついた。


 音を立てぬ様に細心の注意を払いながら、ゆっくりと後退する。


 静かに、息を呑んだ。


 歩哨が居る。いや、憲兵か。


 どういう事だ?動力網から侵入する事が読まれていたのか?情報が漏洩していたのか?


 もしくはスナークスが、とまで考えた辺りで予測を否定する。


 陽動の作戦こそ伝えたがスナークスはそもそも、自分が都市下から侵入する事を知らない筈だ。


 任務の情報漏洩という線は断定こそ出来ないが、かなり薄いと見て良い。


 漏洩しているのなら、帝国側はもっと強固な警備体勢を敷く筈。歯車の中で待ち構えているとは言わないまでも、歯車から離れた螺旋階段の辺りでクランクライフルを構えて、今か今かと待ち構えているのが普通だろう。


 本命ではないとと踏んだのかも知れないが、情報が入っているなら帝国としてレイヴンに備え、もう少し策を練っている筈。


 そこまで考えた辺りで、結論が出た。


 偶然。


 耳を澄ませて気配を探る。一人。あっても離れた場所にもう一人。間違いない。


 あれだけレイヴンを警戒している筈の帝国が、“レイヴンが来るかも知れない”配置にこんなにも雑な対応をするとは思えない。


 つまり、余った兵士を割り当てる様な感覚、“杞憂に越した事は無い”ぐらいの感覚で、“まず来ないであろう都市下の動力網の入り口”に憲兵を配置したのだ。


 配置された憲兵本人も、きっと扉のすぐ傍までレイヴンが迫っている等、夢にも思っていないだろう。


 下品な事か、下らない事でも考えながら退屈そうにこの入り口を警護しているのは間違いない。


 螺旋階段を上がりきった先の入り口付近。

 足場、広さは充分ある。


 妙な匂いのする空気を吸った。


 一人なら何とかなる、問題は二人だった場合だ。


 片方を仕留めた所でもう一人が騒ぎ立て、それが他の兵の耳に届けばもうそれだけでこの任務は、非常に良くない展開となってしまう。


 少し離れて、懐中時計を開く。


 スナークスに依頼した陽動はもう起きている時間帯だ、陽動に向かう事は無かったのか、それとも他を陽動の対処に向かわせたからこそ、今一人なのか。


 何にせよ、ここで立ち止まる時間は無いと考えた方が良さそうだ。


 一人である事に、掛ける。


 腰から伸縮式のスティレット、ヴァイパーを取り出して展開し、刀身を固定した。


 人為的な音だと思われない様に、一度だけ金属の床を強く踏み付ける。


 派手では無いにしろ、無視できない音が一度だけ周りに広がった。


 施錠を内側から解錠する音で誘き寄せるよりは、此方の方がまだ自然だろう。


 直ぐ様音を殺して扉の傍に忍び寄り、息を潜める。


 少し待った。


 気配が明らかに先程より、大きくなっている。歩み寄ってきている、そして警戒している。


 足音は一人、声を掛けた様子も無い。


 解錠する固い音の後、ゆっくりと扉が開いた。


 開いた扉の影でヴァイパーを握り締めつつ、静かに待つ。


 足音。


 まだ姿は見えない、足音はまだ警戒している印象だ。


 自分が踏み鳴らした辺りまで足音が進み、扉の影から憲兵の姿が見えた。


 クランクライフルを持っている。一人だけ。


 左右にも気を張り、呼び掛ける様子はなく今すぐ発砲せんばかりに気が張り詰めている。


 背後まで振り返る余裕は無さそうだったので、静かに開いた扉の先に目をやった。


 視線の先には、誰も居ない。無人、憲兵はこの一人だけ。


 ライフルを構えながら、注意深く螺旋階段の方を覗き込んでいる憲兵の背中を見て、ヴァイパーを握り直す。


 誰も居ない事で徐々に気が抜け始めているのか、憲兵が拍子抜けの様な動きでゆっくりライフルを下げた。


 先程の異音は、歯車の一部がとりわけ大きな音を立てた、とでも考え始めたのだろう。


 目に見えて緊張感の無くなった憲兵の背中にゆっくりと忍び寄り、ヴァイパーを構える。


 憲兵が退屈そうに此方を振り返る瞬間、片手で憲兵の片手を素早く捻り上げ、同時に対の手に握っていたヴァイパーを憲兵の喉に突き刺した。


 引き金を引けない様に腕を捻り上げると同時に、腕が捻られ防御出来ない方向から喉を突き刺された憲兵が、理解の追い付いていない顔でゆっくり後ずさる。


 直ぐ様ヴァイパーを首から引き抜きヴァイパーを構え直すと、栓を抜いたかの如く首の穴から鮮血が溢れだした。


 憲兵がライフルを取り落とし、空いた方の腕で子供の様に首を抑える。


 片手で相手の片腕を捻り上げたまま、引き抜いたばかりのヴァイパーを直ぐ様、心臓の辺りへと深く突き刺した。


 血液と力が抜けていく憲兵から、蹴り跳ばす形でヴァイパーを引き抜く。


 赤い血溜まりを広げながら仰向けに横たわる憲兵に近付き、殆ど動かない事から杞憂とは分かっているがそれでも、勢いを付けて顔を踏み潰した。


 憲兵の服で刀身の血糊を拭い、ヴァイパーの刀身をグリップの中に格納する。


 念の為、もう一度辺りを確かめてから静かに扉を潜り、いざと言う時に通れる様に施錠はしないまま、入り口の扉を後ろ手に閉めた。


 都市下を無事に潜り抜けた事を意識し、静かに空気を吸う。


 漸く、ここまで来た。


 議事堂付近の、都市下動力網への入り口は当然ながら、この辺りの人間なら近寄らない。


 施錠されているのもそうだが、幼子がもし興味本意で入り込んで八つ裂きにされる様な事でもあれば、親は悔やんでも悔やみきれないだろう。


 加えて意図的にあんな場所に入り込もうとする輩など、ろくでもない連中に決まっているのだから。


 そんな数々の理由が重なり、まるで疫病の様に不吉がられて避けられている都市下への入り口だが、今回ばかりは好都合だった。


 都市下へと繋がる入り口から静かに現れたレイヴンたる自分に、誰一人として眼を向ける者は居ないからだ。


 暗い路地を通らなければ辿り着けない事も相まって人気が無い、どころか全くの無人とさえ言える程に辺りは閑散としている。


 都市下基盤部の動力網に直接繋がっている性質上、立体都市の最下層という事もあり昼間の時間帯でさえ薄暗い事も、人気の無さに拍車をかけていた。


 こんな場所には文字通り、“日陰者”しか踏み込まないからだ。


 勿論、だからこそ選んだルートでもあるのだが。


 議事堂へは、この都市下から出たばかりの土台部分から上方向、立体都市の上層へと向かえば直線距離とは言わずとも、外部から延々と建物を跳び移るのに比べれば、短距離の移動で辿り着ける。


 建造物と道を積み重ねて練り上げた立体都市、その上層部分に議事堂は存在していた。


 辺りの憲兵に対処する必要はあるだろうが、都市下を通らずにレイヴンが警戒されている屋根の上を延々と移動し、何度も憲兵をやり過ごしながら進む事に比べれば、まだやりようはある。


 明らかに普段は配置されていないであろう、車輪移動式の圧力式緊急警報装置が傍にある事に気付き、警笛部分の圧力バルブを緩めて少しずつ圧力を逃がしていく。


 気圧漏れの様な音を聞きながら、少し考えた。


 都市下動力網への出入口に配置されていた憲兵が一人だけだった事からも、帝国側は俺が歯車だらけの動力網を潜り抜けて接近してくるルートは想定していなかった、もしくは流石のレイヴンも潜り抜ける事を断念するだろう、と読んでいたのだろう。


 一応は、連中の裏を掻く事に成功したらしい。憲兵一人が動力網に消えてもまず気付かれないだろうし、監視の眼を潜り抜けてレイヴンがここまで入り込んでいる事にも、まだ気付かれていない。


 だが言うまでもなく、任務は始まったばかりだ。


 確かに憲兵達に気付かれぬままアニガノ地区の中心、議事堂の下方にまで迫る事は出来た。


 だが、当然ながら危険性が下がった訳でも、隠密の必要が無くなった訳でも無い。


 仮にこの警報装置や、この近辺の警報装置が鳴ったりすれば其処ら中の憲兵が大挙して押し寄せるのは、想像に難くなかった。


 そうなれば、警備を上手くすり抜けたどころか数えきれない敵に囲まれた、なんて羽目になりかねない。


 長く、深く息を吸う。


 吸う時と同じか、それ以上の時間をかけて息を吐いてから、手近な壁面に駆け上がった。


 アニガノ地区程に発展した地区において、高層立体都市は上層になる程、往き来する人間の階級が高くなる傾向にある。


 技術と歴史が積み重なり、左右だけでなく上下に伸びた立体都市は上層の人間を更なる高みに押し上げ、眩しく煌びやかな立場をもたらした一方、下層の人間から日当を引き離し、陽射しの届かない下層へと追いやった。


 結果、アニガノ地区の中心部は「陽射しを買う金が無いなら下層へ行け」と皮肉られる程、上層と下層で生活に差が出てしまっている。


 上下の“幅”によって、裕福な貴族が更に煌びやかになり、労働者は更に追い詰められて飢えていくこのアニガノ地区は、まるでこのレガリスの縮図だ。


 発展の結果、人々を踏みつけて暗がりに追いやり、限界まで飢えている人々を踏みつけたまま煌びやかに富と自由を謳歌する貴族達。


 こんな事が許される帝国を、このままにはしておけない。世界を、変えなければ。


 殊更に強くなった想いを胸に抱きつつ、手を掛けた段差の上に身体を引き上げ、屋根とも通路とも言える道を駆け抜けては、別の手掛かりへと跳ぶ。


 垂直に登り続けられるなら勿論それに越した事は無いが、当然ながら立体都市はそこまで容易い作りにはなっていなかった。


 今登っているのは都市の様々な壁面なのであって、階段や梯子では無いのだから何時までも垂直に手掛かりや足掛かりが続く事は無い。


 垂直に登るだけでなく、横合いに跳び移ったり短い通路や屋根に降りたり、時には勢いを付けて建物から建物へと、肝の冷える距離を跳ぶ必要だってある。


 立体都市だからと容易く考える者も居るかも知れないが、大体そういう輩は屋根にすら登った事は無い。


 幾つもの建造物を通路で縫い合わせ、練り上げて山を為した様なこの立体都市は、上層まで登っていくだけでも一苦労だった。


 無論、レイヴンでもだ。


 何も難しい理屈ではない。手掛かり足掛かりが他の地区より不足している、という訳でも無い。


 単純に、道程が長いの一言に尽きた。


 階段を登る事が容易くても長い階段を登る事が容易くない様に、移動術があるからと言ってどこまでも欠伸混じりで登れる訳では無いのだ。


 アニガノ地区程に発展した地区、それも見上げる程に“都市”が積み重なった立体都市は、下層から上層に移るだけでも常人なら何度も転落死する様な動きを求められる。


 全身運動が延々と続く様な錯覚に陥るが、疲労で足を踏み外した時の事を考えると集中を高く維持しなければならなかった。


 意識的に気を引き締めながら薄暗い下層を登り続け、幾ばくかは陽射しが享受出来る“層”まで辿り着いた頃。


 常人ならまず来る事の無い、足が置ける程度の幅しかない壁面の縁に何気無く降り立った瞬間、不意に自分以外の音が聞こえた。


 動きを止めて顔を上げ、息を抑える。


 人の声。微かな煙草の匂い。


「もう一勝負だけだよ」


 動きを止めたまま聴覚に神経を集中させ、声の出所を探った。


 上方、壁面の内側。


「また“もう一勝負”か?いい加減にしろ」


 別の声。会話、近くに居る。


「それを吸ったらいい加減行こうぜ、その一本だけだぞ」


 更に別人。会話は3人、先程より広がりのある声。音が抑えられてない、窓がある。


 上方を静かに見回し幾つかの窓に辺りを付けた後、ガラスで分かりにくいが窓の一つが開いている事に気付く。


 この角度からは見えないが、どうやら窓の内側に少なくとも3人が集まっている。


 ゆっくりと、背骨に冷たいものが広がっていった。


 事前の作戦資料ではこの辺りに歩哨や歩哨の拠点は無い筈だが、総会間近になって急遽組み込まれたのか?


 いや、考えるだけ無駄か。黒羽の団の資料とて、全てを把握しきれているとは限らない。先入観から離れなければ。


 他の壁面、及び手掛かりを見渡す。


 迂回するべきか。いや、もうじき離れるだろうから待機した方が良いか。


 下手に刺激するよりは、“影がちらついていた”で済ませた方が良い。


「しかしマロリーの奴おせぇなぁ、都市下でクソでもしてんのか?これ以上待つなら警報を鳴らす事になるぞ。説明した筈なんだがな」


「自分から都市下も見張ろう、なんて言い出したクセにな。幾ら何でも心配性過ぎるよ」


 都市下という言葉に、顔をしかめた。


 心当たりなど、言うまでもない。


「万が一、マロリーがレイヴンにでもやられてたら俺達が大目玉だ。その点、マロリーの為に警報を鳴らせば、俺達は“念入りな警護”として表彰して貰えるかもしれないぜ」


 聞こえてくる情報だけでも、非常にまずい方向に話が進んでいる。


 念の為、警報を鳴らしておいた方が良いかも知れない、との事だがその“念の為”でこの任務が台無しになるかも知れないのだ。


 意味の無い事だと分かっていたが、それでも“気が変わってくれ”と祈らずには居られなかった。


 街の喧騒が遠く聞こえる中、静かに待つ。


「こうしよう」


 小さく聞こえた声に、息を呑んだ。


「後5分待って来なかったら、マロリーには大目玉を喰らって貰おう。どのみち、警報の説明はしていたんだからな。鳴らしてから念の為、俺達全員で都市下に向かうぞ」


 そんな声を聞き、壁面の縁に立ったまま息を吐いた。


 直に警報を鳴らされてしまう事に悪態を吐くべきか、今すぐ鳴らされるよりはマシと見るべきか。


 別の道を進んでいてこの連中に一切気付かなかった事を考えれば、この拠点に通り掛かった事は僥倖と見るべきだろうな。悪運と呼ぶべきかも知れないが。


 何にせよ、息を潜めて通り抜ける選択肢は消えた。


 この声の主達を、速やかに排除しなければならない。それも警報を鳴らされぬ様に、隠密に。


 このまま通り過ぎれば、議事堂に辿り着く前に間違いなく警報を鳴らされてしまう。そうなれば、この任務は失敗と言って良い程の過失を背負う事になる。


 息を吸った。


 あの窓から入る事は出来る。不意を突く事も出来る。幾らレイヴンでも、アニガノ地区のこんな中心まで一切の騒ぎを立てる事なく、死体の一つも出さずに忍び込むなど流石に不可能だと思っているのだろう。


 一つ出している身としては、あながち間違った推理でも無いが。


 表に出さずとも、兵士達の語気や調子からそう思っている事が充分に伝わってくる。


 突入は可能。だが、問題は配置だ。


 先程の声と気配からある程度は探れるが、勿論万全ではない。3人は確認出来ているが、それ以上居る可能性だって充分に考えられる。


 窓から入って3人を確認次第すぐに排除、それ以上の人間が居れば即応しなければならない。


 そして、それが出来なければこの任務は失敗へと大きく傾くだろう。 


 壁を這う様にして、極力音を立てない様に開いている窓へと忍び寄る。


 少し無理な体勢を取りつつも、壁に触れて可能な限り内部の音と気配を探った。


 この状況を切り抜けたとして任務が終わる訳では無いが、絶対に失敗する訳には行かない。


 動きは少なく、声は聞こえなかった。


 全自動クロスボウ“スパンデュール”で、3人を素早く倒せるだろうか。


 ボルトは4発まで連発出来るが人数が人数だ、4発とも使いきる心持ちで居た方が良いだろう。


 微かな足音と共に気配が移動する。動くんじゃない、と胸中で悪態を吐いていたが不意に眉を寄せた。


 もう一度、念入りに気配と音を確かめる。


 新しい気配と椅子の軋む音。


 背筋に冷たい物を感じた。


 4人だ。4人居る。


 スパンデュールで全員に発射したとしても、1発ずつしかボルトは使えない。


 動きが少ないせいか、気配が疎らになってきた。時間の問題もある。


 乱戦を予想してディロジウム手榴弾も3つ程用意してはいるが、言うまでもなくこんな状況で使える訳も無い。


 こんな所で大爆発など起こそうものなら、潜入どころでは無くなってしまうだろう。


 咄嗟の即応に、賭けるしかない。飛び込んだ際の反応、その刹那で全てが決まる。


 飛び込んだ瞬間に室内の全員を確認し、ボルトを打ち込むなり首を斬り飛ばすなりして無力化、レバーピストルにしろクランクライフルにしろ、銃砲には優先対処。


 視界は広く、意識は柔軟に。


 周囲の物は利用し、敵に利用されない様に。


 鎧の音はしない事からも取り敢えず、装甲兵の心配は無い。いや、鎧を着込んだ奴が動いていないだけの可能性もある。楽観は出来ない。


 時計でも見てるのか、音が止み気配だけが感じられる部屋の中をもう一度だけ探り、自分で決めた方針を反芻する。


 外から、開いた窓を潜り抜ける様にして素早く室内に入り込んだ。


 盛大に窓を突き破る訳でも無く、扉を蹴破る訳でも無く、静かに素早く室内に転がり込む。


 まるで、気の知れた知り合いが無遠慮に部屋に入る様に呆気なく。


 目の前の兵士が、咥えていた煙草を取り落とした。


 動き続けながら相手の理解が追い付く前に視線を走らせ、情報をかき集める。




 目の前に兵士。机。椅子、賭け事、灰皿。


 椅子に座っている装甲兵。驚愕を押さえ込む。


 フルフェイスの兜を被っていない。机にカードを配る為、両肘を机に乗せている。鎧が重い、あの体勢からは動きが遅れる。


 机の上に銃砲。レバーピストル。すぐには掴めない。


 背中、背中を向けている兵士。此方に気付いていない。


 ライフル。クランクライフルを持っている兵士。


 此方を見ている、気付いている。攻撃動作に移っている。


 対処、最優先。




 窓から入り込んだ瞬間、時間にして僅かな間。


 この状況への対処で全てが決まる。


 直ぐ様、スパンデュールをライフルの男に構え、ボルトを撃ち込んだ。


 右腕にボルトが突き刺さり、僅かな呻き声と共に腕が下がった兵士に更にボルトを撃ち込む。


 ボルトが頭、もしくは首の辺りに命中したのを視界の隅で捉えつつ、発射と同時に腰から素早く剣を抜き放った。


 フカクジラの骨を硬化処理と共に研ぎ澄ませた、緩い内反りの刃。


 中程から別の刃を継いだ様に幅広く造られている、その肉厚の刀身が手中で閃く。


 “ログザル”と名付けられたその骨のヴァネル刀は、今まで扱ってきたリッパーにも劣らず、むしろリッパー以上に俺の手へ馴染んでいた。


 レイヴンが現れたという事実に理解が追い付いたのだろう、自分に続くかの様に目の前の兵士も腰のサーベルに手を掛ける。


 サーベルに手を掛けている兵士に対し、此方はもう“ログザル”を抜き放っていた。


 先手を、取れる。


 脳内で計画していた、相手の攻撃を受ける段取りを先制攻撃へと瞬時に切り替え、素早く振りかぶった。


 頭や首、心臓を狙うのではなく今サーベルを抜き放とうとしている“手”を狙って、一気にログザルを振り抜く。


 肉の音に混じる、水の音。振り抜いた剣から伝わってくる、確かな手応え。


 目の前、相対した兵士が猛然と腕を振るうも、辺りへ赤黒い線が斑点を伴って床や壁に走る。


 兵士が、振るった腕の先を呆然と見つめた。


 サーベルに掛けていた手が、腑抜けた様にグリップに垂れ下がり、滑り落ちる。


 腕と骨の断面から鮮血が吹き出している事や床に落ちた自らの手、状況を上手く飲み込めない兵士の胸骨を踏み砕く勢いで、真正面から足裏で突き飛ばした。


 机にぶつかり血を撒き散らしながら転んだ兵士から直ぐ様、視線と意識を“机”の装甲兵に切り替える。


 座って足を机に肘を付いていた装甲兵は、漸く椅子から離れて立ち上がる瞬間だった。


 何を言うでも無い、短い不機嫌な声。言葉になっていない、自らを奮い立たせる為か。何かを伝える意図は無い。


 椅子に深く腰掛け、机に両肘を乗せていたせいで初動が遅れた、この瞬間から対処に移っても先手を取れる。


 即死、もしくは即座に無力化しなければならない。首を切り落とそうにも、鎧のせいで襟を大きく立てた様な装甲により、首は狙えない。


 いや。


 俺の腕の長さ、このログザルの握り方なら、この位置からでも切っ先は届く筈だ。


 そして切っ先が首に届くのならば。


 返す刀で、振り抜いたばかりのログザルを直ぐ様男の顔へと、“刀身の長さ”を意識しながら切っ先で鼻の辺りを削ぎ取る様に振るう。


 刀身の先から伝わる感触に、想定通りの“結果”を感じ取った。


 手を切り落とされた兵士から漂う血液の匂いに、更なる鮮血の匂いが混じる。


 踏み込みと位置把握、体勢と“刀身の長さ”を踏まえて振るったログザルの切っ先は左右の眼球を繋ぎ合わせるが如く、装甲兵士の顔に深紅の線を引いていた。


 悲鳴、と言うよりは困惑しきった様な、転んだ子供の様な声が漏れる。


 部屋に入るなり1人をクロスボウのボルトで撃ち殺し、殆ど同時に兵士の腕を切り落として蹴飛ばし、装甲兵の双眸を切り裂いた。


 残るは、1人。


 最後に残った男は、背中を向けた状態から既に振り返っていた。


 怒声と共に此方へ構えたレバーピストルの、撃発機構を硬い音と共に指で起こすのが見える。


 ホルスターを付けていない所からすると、近くに置いてあったピストルを咄嗟に拾い上げて構えたのだろう。


 怒声はあれど、外部の増援を呼ぶ様な意図の声は無い。やはり、この部屋に居るのが全員。かつ、声で呼び出せる距離に仲間は居ない。


 対処を考えるより先に腕のスパンデュールからボルトを発射すると、指の股から手首まで串を通す様にボルトが突き刺さり、呻き声と言うよりは殆ど悲鳴に近い声が男の口から飛び出した。


 ボルトが突き刺さった手を引き、無事な手で腰のサーベルを抜こうとするが、普段とは別の腕で抜こうとしているせいで上手く行かないらしい。


 息を吸い、大きく踏み込んで距離を詰めながら肩越しにログザルを振りかぶり、一気に振り抜く。


 驚愕に染まったままの顔が床で転がり、血腥い匂いが部屋中に広がっていった。


 倒れたまま、赤黒い水溜まりを広げていく首の無い兵士から視線を切り、分かっていても素早く辺りを確認する。


 他に仲間は居ない、いや。


 片手を切り落とされたままの兵士が、断面を抑えながら何とか立ち上がって逃げようとしていた。


 違う、逃げようとしているのではない。壁に備え付けられた警報装置を作動させようとしているのだ。


 ガントレットに組み込まれたスパンデュールを操作すると、風切り音と共にボルトが片手を抑えている兵士の頭蓋を突き破る。


 途端に転んだかと思えば、頭蓋にボルトを生やしたまま兵士は動かなくなった。


 別の呻き声が聞こえる。小刻みに、鋭くなっていく声が。


 双眸を切り裂かれた装甲兵は顔の半分近くを赤く染めたまま、何とか立ったまま辺りを見回していた。


 見えない事は、本人が一番分かっている筈だが。


 顎から下を鎧、金属の襟に覆われたまま、目元から下に赤いスカーフを巻いた様になっている装甲兵が、見えないままサーベルを振り回している。


 そんな男を見つつ、空になったスパンデュールに新しくボルトを装填し、ログザルを回転させて握り直した。


 装甲兵に対してログザルを両手で真上に振りかぶり、薪を割る様に垂直に振り下ろす。


 兜の無い頭蓋にはっきりと刀身がめり込み、眠そうな声を少し溢してから男から命が消え、床に崩れ落ちた。


 もし鎧を着込む資格があるほどの上級兵が五体満足なら、先程の双眸を切り裂く瞬間に双眸を斬らず頭蓋を割ろうとしたとしても、こんな垂直な振り込みは当たらなかっただろうな。


 多少横にずれるだけで、鎧の肩で受け止めて、そこから反撃して終わりだろう。


 兜を被っていなかった事、不意を突いていた事、目元狙いの横凪ぎという変わった攻撃だった事が幸いした。


 長く、息を吐く。


 気が緩んでいる所に窓から突入して、不意を突けたからこその成功だった。これが真正面から堂々と対峙していたら、何人かが応戦する間に直ぐ様警報を鳴らされていただろう。


 しかし装甲兵が居るのはやはり虚を突かれた、もう少し念入りに音を聞くべきだったか。


 そして、やはり想像通りというか想像以上に、ログザルことヴァネル刀は“骨割り”に向いた武器と言わざるを得ない。


 刀身もゼレーニナに注文した甲斐あって重心的にも体感的にも、非常に手に馴染む代物となっていた。


 リッパーよりこのログザルの方が握ってからの日は浅いが、正しく手足の延長の様に扱える。


 そもそも握って日の浅い武器で、咄嗟に相手の目元を狙って切り裂くなど、全く同じ寸法でもなければ、余程手に馴染む武器でないと無理な芸当だ。


 刀身の長さや重心もそうだが、やはりリッパーより扱いやすいと言わざるを得ない。刃に勢いも付けやすい。これからは、“骨割り”をより活発に行えるだろう。


 そんな思いと共に刀身の返り血を兵士の服で拭おうとして、眼を剥いた。


 微かな、焦げる様な音。


 蒼白い刀身に絡んでいた血が、急激に乾いていく。いや、刀身に染み込んでいる。


 血を、吸っている。


 顔をしかめたまま刀身を見つめていると、先程まで返り血を纏っていたログザルの刀身は、拭い取ったかの様に綺麗な刀身を輝かせていた。


 上塗り剤を塗った様な、不気味な光沢を放ちながら。


 背筋に冷たいものを感じながら、静かにログザルを鞘に収める。


 分かってはいた。ゼレーニナに忠告もされた。だが決して、一切が気にならない訳では無かった。


 返り血を吸う不気味な骨の剣を、気味悪く思うなと言う方が無理だろう。余り考えたくは無いが、こうなると“やたら手に馴染む”事も不気味に思えてくる。


 左手の痣と同様に、このフカクジラの剣もやはり“黒く濁った”力なのだろうか。


 このまま“淀みと歪み”の方へ進めば、いずれ…………


 息を吸い、頭を切り替えた。


 今は気にしている場合では無い、悩むにしても生きて帰ってからだ。


 部屋の扉から都市通路を歩く事も少し考えたが、素直に窓から予定通りのルートを通った方が賢明だろう。


 警報でも鳴らされて形振り構わなくなっている状況ならまだしも、まだ隠密の方を重視する状況には違いない。


 大した意味は無いと分かってはいたが一応、バルブを緩めて警報装置の圧力を逃がし、内側から扉を施錠してから窓を潜った。事が起きるまで少しでも時間を稼げたら、それで良い。


 気休めにしろ、無いよりはマシだ。


 窓枠に足を掛けて垂直に真上へ跳び上がり、重力が追い付く前に漸く指が掛かる程度の手掛かりを掴み、身体を安定させてからもう一度真上に跳ぶ。


 建物に這うように伸びているパイプ、その一つを掴んで両手を交差させる様に動かしながら、横合いに移動していった。


 そして別の縦に交差したパイプへと移り、垂直に縦方向に登っていく。







 もうじき、アニガノ地区の上層だ。

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