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「二人だけか?クロヴィスは?」
「クロヴィスは別件だ。寂しいか?」
相変わらず重苦しい雰囲気が染み着いた会議室で、相変わらず不機嫌そうなヴィタリーが退屈そうに言葉を返してきた。
呼び出されて会議室に来た上でこの待遇なのだから、立場が染みると言う他無い。
そして牙を剥かんばかりに此方を睨み付けているヴィタリーに対し、いつも通りアキムが間に入ってくる。
「ヴィタリー、噛み付くんじゃない。すまないデイヴィッド、今クロヴィスはレガリスで直接指揮を取っていてな」
「………クロヴィスが、直接レガリスに行ってるのか?」
流石に驚いた。勝手なイメージと言われたらそれまでだが、クロヴィスが現場に直接赴く様な事はまず無いと思っていたからだ。
貴族云々を担当している、とは前に聞いていたがそれにしても指揮を取るだけでなく現場、レガリスに赴くとは。
「クロヴィスの奴が言うには、今回の件は上流階級が大きく揺れているらしい。現場のアホが下手につついて、この作戦や方針が台無しにならない様、現場で細かく指示を出しているんだとよ」
何も幹部本人がわざわざ出向く事でも無いだろうに、と言いたいのが言葉にするまでもなく、ヴィタリーの表情から伝わってくる。
少しばかり自分も疑問に思ったが、予想通りアキムが補足する様に口を開いた。
「まぁ、ヴィタリーの言う通り今の上流階級は複雑な状況だ。下手に動くと、機会を逃す可能性もあるらしい。いつもの様にレガリスから報告を貰って、返信して、では最悪指示が間に合わないそうだ」
諜報班にも精密な制御を求められる段階、という事だろうか。勿論普段の制御が杜撰とは思わないが、其ほどまでに精密かつ素早い指示を求められているとなると、当たり前だが重要な局面らしい。
ヴィタリーが放り投げる様にして、書類の束を机に滑らせる。
どうやら任務の資料の様だ。
睨み返すも、当の本人は鼻を鳴らすだけだった。まぁ、今更か。
資料の受け渡しに些か問題はあったものの、資料が行き渡った事を確認したアキムが自身も書類の束を手に取る。
「改めて説明しよう。今回の目標は、アニガノ地区にて行われる緊急総会、その総会に出席するリチャード・ウィンウッド。こいつを排除する事が最優先目標になる」
相も変わらず、諜報班は手を抜く事無く情報をかき集めて纏めているらしい。
資料を捲る。
リチャード・ウィンウッド。
46歳のキセリア人。黒羽の団が取り立てて騒ぐ様な大物では無い、議会の椅子が余らない様に座らせる程度の、小物だ。
内心、鼻で笑う。勿論、幹部が直々に命令を出してまで、そんな小物を狙う訳が無い。
あくまでも小物なのは仮初め、擬態と言い換えても良い見せ掛けの姿だ。
資料にも長々と“仮初め”が連ねてある辺り、余程入念に本来の姿を隠してきたのだろう。
この世界では、自らの力を扱いつつ“実力”を隠し続けるには相当な手間と頭脳が必要になる。
腕を太くせずに筋肉と筋力を詰め込むのには技術が必要な様に、“現役”の力は大きければ大きい程、誇示するより遥かに隠す事が難しいのだ。
それだけでも、今回の目標の技量が伝わってくる。
こいつは“切れ者”だ。
「リチャード・ウィンウッドは今回の様な緊急総会でも無い限り、間違いなく炙り出す事は難しかっただろう」
そんなアキムの言葉を聞きながら、資料を捲った。
同じく、ウィンウッドの資料を手にしているヴィタリーが、不機嫌さを隠そうともせずにアキムの話を補足する。
「言っておくが攻め込めないって意味じゃねぇぞ、“見つけ出せない”って意味だ。今回の騒動で入念に連中を洗い直して、漸く糸口を拾い上げたんだ」
「一筋縄では行かなそうだな」
適当な返事を返しつつ、ゆっくりと読み進める。
これだけの権力を隠したまま“端に座った小物”を演じてきたのだから、感心するしかない。
“日陰に潜むもの”、か。
「君の資料にある通りウィンウッドは意図的に表に出ない様に行動している、欠席出来る席は入念な調整の元に殆どを欠席している。最低限の評価を維持する程度にな」
アキムが説明する通り、どうやら表の顔の評判は大した物では無いらしい。仕事はするものの、と言った所か。
高い席を取り合う誰もが侮り、誰もが目線から外すだろう。
それこそが、ウィンウッドの狙いだった。
「だが実際は有名な奴隷商人、有名な奴隷商会は何かしら奴の息が掛かっている。表に出る事はなく、裏で糸を引く奴の背中をつついては間接的に制御している」
「まるでギャングだな」
アキムの説明にそんな言葉が溢れた。
現場の連中を支配するのではなく商品を卸す連中、またその商品の元を恐喝し、頭を押さえて“尾”や“指”を制御する。
手口としては正直、裏社会の連中と遜色ないと言えるだろう。
そこまで聞いていたヴィタリーが、鼻で笑う。
「綺麗な取引だけと思ったか?果物屋じゃないんだ、幾ら国が認める公式な貿易だとしても“人を売り飛ばしてでも”稼ぎたい連中だぞ?荒事が関わってない訳ねぇだろ」
頭を掻く。
態度が気に食わない事は置いておくにしても、ヴィタリーの言う通りだと認めない訳には行かなかった。
人権と人生を踏みつけ、否応なしに従わせて、全てを売り捌いて私腹を肥やしている連中が、“人道的”な訳が無い。
こればかりは、ヴィタリーが正論だ。
咳払いの後、「話を戻すぞ」とアキムが話の主導権を俺とヴィタリーから引き戻す。
「前述の通り、裏で奴隷貿易に絶大な影響を及ぼし、かつ表には出てこないウィンウッドを始末すれば、レガリスの奴隷貿易に強い影響を与えられるだろう」
「あくまで影響だな。損害、じゃなく」
アキムの説明の合間に挟んだ、ヴィタリーの言葉に幾らか疑問が湧いたが直ぐに合点が行った。
成る程、ウィンウッドを始末しても貿易に具体的な損害が出る訳じゃないが………
「そう。ヤギクイワシの取り合いの様な貿易ルートの多くを衝突しない様に統制、制御していたのもウィンウッドだ」
丁寧なアキムの説明を聞きつつ、資料を捲る。
どうやら、分かっている範囲だけでも相当な事をやっている様だ。
過去に協力的でない商人を、幾人か“見せしめ”にした様子が資料に記されていた。
顔をしかめる。
隠密部隊出身として綺麗事を言うつもりは無いし、裏の流儀としても“見せしめ”がどれだけ合理的な行動かは分かっているつもりだが………
細かい意見は差し控えるにしても、少なくともウィンウッド自身も“慣れている”のは間違いないだろう。
「ウィンウッドという纏め役の喪失は、何も奴隷貿易に数字として損失をもたらす訳では無いが…………飢えた獣の様な連中が制御を失えば、奴等は自己を優先し“他社”のルートにまで、かぶり付いては殴り合い、日陰で弱って行くだろう」
アキムのそんな言葉を聞きながら、更に資料を捲った。
成る程。金と力こそが全ての裏社会に置いて、文字通り“力”によって秩序を敷いたウィンウッドが抹殺されたなら、共食いする獣の様に争うだろう。
少し頭が冴える者なら再び統率を取り戻そうとするかも知れないが、いきなり現れた自称“統率者”に従う程、連中の聞き分けが良いとは思えない。
仮に再び統制出来る器だったとしても、ウィンウッド程の大物になるには無視出来ない年月が掛かるだろう。
後、危惧するとすれば。
「一応聞くが、直ぐにウィンウッドの代役が現れる、なんて事は無いのか?」
そんな俺の言葉に、アキムではなくヴィタリーが見飽きた不機嫌顔で応える。
「ウィンウッドに跡継ぎが居ないのは調査済みだ、今後はどうだか知らんがな。あいつが老後を考えて“お世継ぎ”を作る前に、奴を始末した方が良い。一匹一匹クソ共を駆除するよりは、共食いさせた方が遥かに楽だ。そうだろ?」
言うだけ言い切って、資料に視線を戻すヴィタリー。
お世辞にも好意的では無いが、どうやら問題は無いと見て良いらしい。
思考を、廻らせる。
「今回のウィンウッドを始末した後の、奴隷商人達の共食いは表沙汰にならないんだな?」
一つ一つ粗を探す様だが、疑問は少ないに越した事は無い。
再び不機嫌な顔を上げたヴィタリーが口を開くも、遮る様にアキムが話し始めた。
「まず間違いなく、表に出る事は無いだろう。ウィンウッドによる統率が無くなっても、奴等は直ぐにその事を表沙汰にはしない。その空いた席に自分が座れば、今のウィンウッドの様に儲けを吸い上げられると画策するだろうからな」
そんな器があるなら、もっと前にウィンウッドと衝突して“見せしめ”にされている筈だろうが、とアキムが嘲笑と共に話を締め括った。
「それと、お前には今更言うまでもないだろうが」
ヴィタリーがふとそんな言葉と共に、此方を睨み付けてくる。
此方も睨み返そうとして、ふとある事に気付き妙な気分になった。
その眼は相変わらず険しく鋭いものの、俺を蹴飛ばす様な苛烈さは感じられない。
俺を、心配する様な色。
「これだけの騒ぎの中で、奴隷貿易の緊急総会を開くんだ。よっぽどの楽天家でも無い限り、レイヴンを警戒していない訳が無い。まず間違いなく、連中の殆どが俺達こと黒羽の団に気を揉んでいる筈だ」
ヴィタリーの言う通り、今回の緊急総会は相当な警護の中で行われる事となる。
資料を眺めているだけでも伝わってくる、厳重な警護。
緊急総会近辺の増員は言わずもがな、会場や内部、総会内部にしても此方が気後れする程の兵士が常に犇めく事となるのだ。
「……“レイヴンが来る事を警戒している”兵士の軍勢と、空魚の網みたいになってる警備をすり抜けて、ウィンウッドを抹殺しろ。そして五体満足で帰ってこい、そう言う事だな?」
「難しいなら最後は別に良いぜ、他に任せるからよ」
嘲笑混じりに此方を皮肉ったヴィタリーを黙殺しつつ、内心で自嘲を溢した。
資料を読む限り、支援こそはあるものの現地で実際に戦うのは俺一人。今回は潜入する際の隠密性を最大限に重視したらしいが、総会に飛び込むルートも正気を疑う様な道筋が示されている。
今更と言えばそれまでだが、相変わらずとんでもない任務ばかり回ってくるものだ。
そんな事を考えていると、ふとアキムとヴィタリー、二人が此方を真っ直ぐに見据えている事に気付いた。
僅かな間の後、此方も資料を机に置く。
「デイヴィッド」
アキムがヴィタリーに目配せした後、ゆっくりと口を開いた。
「正直に言うが、今回の任務は今までの任務に負けない程、苛烈な物になる。言うまでもないが、失敗は許されない」
鉛の様に重かった空気が、重さを損なわぬまま研いだ様に張り詰めていく。
無意識に、手に力が入った。
「ウィンウッドをこうして緊急総会に引きずり出しただけでも、我々としては僥倖と言える。余り言いたくはないが、今回の件でウィンウッドが襲撃を乗り越えたなら、間違いなく次は欠席するなり代役を立てるなりして、表に出てこなくなるだろう」
そう語るアキムの言葉に、同意しない訳には行かなかった。
奴隷貿易の獣達を統制し尚且つ自身がこれだけ目立たない様に生きてきた、そんな“切れ者”がその発想に至らない訳が無い。
そして、言うまでもなく。
「…………恐らく、今回の件を乗り越えたら遅かれ早かれ、ウィンウッドは“後継者”を育て始めるだろう。ウィンウッド直々の後継者だ、きっと奴隷商会も納得するに足る説得力もある筈だ」
目を細めた。
この機会を逃せばウィンウッドは息を潜めて影に潜み、我々が見つけ出せない内に継承者を生み出すだろう。
そうなれば、もっと面倒で複雑な問題になっていく。レイヴンにはどうしようも無い規模になっていく可能性だってある。
つまり。
「今しか無いんだ、デイヴィッド。このまま奴隷貿易自体に大きな混沌を招き、共食いで腐らせていくには今しか無い」
アキムの静かながらも芯のあるそんな言葉に、少し息を吐いて頭を掻いた。
容易い任務など無い。分かってはいたが、やはり相当な任務だ。
「良いさ」
そんな言葉が口から漏れる。
思い返せばこの団に来て随分な目に合ってきたが、分かりきっていた事と言えばそれまでだろう。
俺はあの戦争で自身が犯した罪、そして業の為にここまで来た。
深く、深く息を吸う。
「やってやるよ」
「俺はその為に、この団に来たんだからな」




