154
茶葉の優しい香りが鼻腔を擽り、ロニーが悟られない程度にクルーガーが淹れる紅茶を覗き込む。
どうやら茶会のみならず、紅茶自体を淹れた経験が余り無いのだろう、とクルーガーは内心思った。
勿論、相手が悟られない様にしているのにわざわざ指摘する程、クルーガーは野暮な男ではなかったが。
雪も降っておらず、寒さは落ち着いており、絵に描いた様に穏やかな冬のある日。
初任務もまだ経験していない様な新顔のレイヴンが、唐突と言って良い程に突然クルーガーの元を訪ねてきた。
人格者のクルーガーは例に漏れず彼、ロニー・グリーナウェイの事は知っていたが、余り日頃から話し込んだ事は無い。
だからこそ、急に真剣な目をして訪ねてきた時は、随分と驚いたものだ。
しかもその用件はよりにもよって、あの“デイヴィッド・ブロウズ”の事なのだから。
クルーガーが丁寧に紅茶を淹れ終えて席に着くと、グリーナウェイ………ロニーが顔を上げた。
ロニーが探り探り、伺う様な視線をクルーガーに向ける。
喋って良いのか。
口には出さずとも言いたい事は伝わってくるものだ。
クルーガーが、微かに微笑む。
「私は逃げも隠れもしません。火急の用で無いなら、まずは紅茶を楽しみましょう」
そんなクルーガーの言葉に戸惑いながらも、ロニーが大人しく従った。
身長6フィート丁度、体重166ポンドの筋肉質なレイヴンと言えど、齢18歳の若者には代わり無い。
教師に新しい教養を教えて貰うかの如く、取り敢えず“丁寧そうな動き”で紅茶に手を付けるロニーを、クルーガーが初々しい気持ちと共に眺めていた。
まだ熱いであろう紅茶を一息で飲みきってしまったのを見て、内心苦笑しながらクルーガーもゆっくりと紅茶を楽しむ。
勿論まだカップには紅茶が残っていたが、ロニーの手持ち無沙汰な様子を見るに、本題に入ってあげた方が良いだろう。
「それで、ミスターブロウズの件でしたね?」
「はい」
クルーガーがゆっくり話し始めると、ロニーが直ぐ様顔を上げて言葉を返す。
「ブロウズがこんな待遇を受けるのは、絶対に間違っています。この団がここまで持ち直したのは、はっきり言ってブロウズのお陰なのに」
真っ直ぐな眼でそんな事を言い切るロニーを見て、クルーガーが幾らか顎を引いた。
ロニーの言う事は間違っては居ない。
間違っては居ないのだが、“間違っていないだけ”だ。
本心を言えばクルーガーとて同意見ではあるし、非難されがちなデイヴィッド・ブロウズの理解者が増える様、周りにそれとなく持ち掛けた事はある。
だが自身が率いる技術開発班の人間ならばまだしも、部外の人員からは随分と渋い反応が返ってきた。
クルーガー自身の、特色とさえ言える程の人徳が無ければ渋い反応どころか、冷淡に受け流された事は想像に難くない。
それほどまでに黒羽の団、ひいてはカラマック島においてデイヴィッド・ブロウズの評判というものは悪かった。
人は昔話が好きだ。他人の過去を話し合うのは古来から伝わる娯楽である上に、本人が話したがらない過去ならば、益々人々は盛り上がる。
ただでさえ芳香に誘われる犬の如く、昔話は人を惹き付ける。そこに因果や因縁、大罪が加われば人々はどうなるか?
寝不足になってまで過去や罪を追及し、如何に裁かれるべきか、如何に罪深いかを“同志”と議論し、血と共に傷から絞り出した仄暗い蜜の味に熱狂する。
勿論、皆が皆では無い。
世の中にはそんな娯楽は下らない、矮小だと吐き捨てる者は居る。加えて、そんな人格を落とす様な事をする暇があるのなら、礼拝に行こうと言う者も居るのも事実ではある。
だが勿論、それも“皆が皆では無い”のだ。
そして困った事にと言うべきか、それこそ人の業と言うべきか。
どういう訳か“そういった連中”程、とりわけ声が大きく目に付く事も確かなのだ。
「一つ、聞きましょう」
クルーガーのそんな言葉に、ロニーが不思議そうな顔をする。
会話の間を持ち直す様にクルーガーがまた一口紅茶を飲み、呟いた。
「彼の経歴については、ご存知ですね?」
「………はい」
ここで知らない等と答えたら話は変わってきた所だが、どうやら流石にそうでも無いらしい。
当たり前と言えば、当たり前なのだが。
「よろしい。私も勿論知っています、と言うより彼の経歴を知らない者は、この団にはかなり少数と言って良いでしょう」
浄化戦争。
おぞましい程の争いと因果、傷と怨念が生まれ、誰も彼もが心身ともに傷だらけになった歴史的な戦争。
そんな中、かのデイヴィッド・ブロウズは浄化戦争で“一方の陣営”に加わり、街が作れる程の人々を殺し自陣を勝利に導いた。
それから数年。
敗戦の代償が如何なる物か、ラグラス人が骨の髄まで教え込まれている頃。
その結論と行動に至るまで紆余曲折あったとは言え、デイヴィッド・ブロウズはよりにもよって、敗戦の傷に苦しんでいる“もう一方の陣営”に加勢する事となった。
言うまでもなく、無事に済む訳が無い。
現に、彼は黒羽の団に入団して間も無く訓練場にて、ラグラス人の団員と鍛練用の武具を用いた私闘までしている。
勿論、彼は巻き込まれた形ではあるが。
結果論にはなるが、これでもまだ今よりは評判がまともな頃だったと言うのだから、随分な話だ。
「ではその経歴を踏まえた上で、彼がこの団にてレイヴンとなり…………その上で何をしたか。それはご存知ですか?」
そんなクルーガーの言葉に、ロニーが苦い顔をする。
少しして、自身の言葉が糾弾する様な意味にも取れる事に気付き、クルーガーが少し笑みを交えて「糾弾するつもりはありませんよ、確認しているだけなので安心してください」と言葉を繋げた。
どうやら予想は当たっていたらしく、ロニーが些か安堵した色を見せつつ「はい」と返す。
ならば、尚更か。
そんな言葉を胸中で溢しつつ、目の前の純粋な青年にどう答えたものかとクルーガーが思慮を巡らせる。
「確かに、黒魔術だの何だのが恐ろしいってのは分かります。ですが、ブロウズは団員を襲ったりカラスの餌にしたりしてません。現に俺だって森の中で話しましたが、何もありませんでした」
そう呟く青年、ロニーの眼は澄んでいた。
クルーガーは別に諜報の訓練を受けた訳でも、単位を修業した訳でも無い。
だが目の前の青年はおそらく、俗に言う“裏表の無い”表情と眼をしていた。
正しく、清廉な眼だ。若いと言い換えるべきかも知れないが。
「ミスター……グリーナウェイ」
「グリーナウェイで構いません」
「ではグリーナウェイ、幾つか言っておきましょう」
そんなクルーガーの言葉に、ロニーが充分伸びていた背筋を改めて伸ばす様な仕草を見せる。
紅茶を飲み終えてから、クルーガーがゆっくりと口を開いた。
「貴方の言いたい事は分かります。現に私は貴方が言う様に、ミスターブロウズが噂されている様な、下賎な人間で無い事は重々承知しています」
そんな言葉に、ロニーの表情が変わった。
知っていたんですか?
そう言いたいのが目に見えて分かったが、どうやらそれを口に出すのは失礼だと思ったらしく、直ぐ様堪えた。
胸中でロニーを誉めつつ、クルーガーが言葉を続ける。
「私は彼がこの団に来た時から知っていますし、実際何度も茶会を楽しみました。彼が過去に何をしたのか、またそれをどれだけ悔いているのかも、ある程度は分かっているつもりです」
クルーガーとて、デイヴィッド・ブロウズが浄化戦争でどれ程の事をしたのか、明確に知っている訳では無い。勿論、詳細に訊ねた様な事も無かった。
だが、長らく話し込んでいる内に彼の言葉の節々、眼に時折差す影から推察する事は出来る。
それにこう言っては何だが、嫌でも耳に入ってくる情報もある。少し聞いただけでも、彼の心情が不安になる様な情報まで入ってくるのだから、一時期は本当に心配したものだ。
「その上で彼の………黒魔術、と言いましょうか。その事について彼と話し合った事もありますし、簡単な検証をした事もあります」
「黒魔術……」
そんな言葉に、ロニーが幾らか眼を輝かせる。分かりやすく、黒魔術に興味があるらしい。
どうやら目の前の青年は、黒魔術にも肯定的らしい。
これなら彼の事を本当に応援してくれる味方になるだろう、とクルーガーは話しながらも内心、結論付ける。
「仔細は省きますが、私は彼にある罪を見逃してもらいました。そのまま彼に裁かれても何も言えない様な罪を、彼に許してもらったのです。向こうにそんなつもりは無いでしょうが」
「クルーガーさんがですか?」
ここまで評判の悪い彼の味方に付いてくれる人間なら、話しても問題無いだろう。
そんな想いと共に、クルーガーが言葉を繋げる。
そう言えば、ぼかしてはいるものの過去の罪を人に話すのは初めてだったかも知れないな、という意見が脳裏を掠めた。
「本当に周りが言う様な下賎な殺人鬼………血に狂った狂人なら、絶対に私を突き出していた筈です」
あの時、デイヴィッド・ブロウズはやろうとすれば、クルーガーを突きだす事は出来た。
彼や団員を欺いてきた詐欺師として、また発明を自分名義で横領した恥知らずとして。
ブロウズにクルーガーを貶めるだけの発言力が無かったとしても、クルーガー自身は必要なら皆の前で罪を自白するつもりだったし、どんな結末になろうとも甘んじて受け入れるつもりでもあった。
例え彼にその場で、首を切り落とされたとしても後悔は無かっただろう。
だが、ブロウズはただ首を振っただけで何一つ償いを求めなかった。
そのままクルーガーとブロウズは、現在に至るまで良好な関係を続けている。
それが、全てだった。
「人が何よりも暴力に溺れる瞬間は、暴力や血を求める“大義名分”が出来た時なのですよ、グリーナウェイ」
そんな言葉と共に、クルーガーが空のカップに視線を落とす。
嫌いな人間をどう扱うか、そして自身が力と理由を得た際に、持たぬ者や“罪人”をどう扱うか。
そこに人格と品格、器量が現れる。そんな言葉を以前部下に話していた記憶が甦った。
「彼はただ何も言わず、私を見逃してくれました。もし彼がやろうとすれば、私を皆から非難される立場にも出来たでしょう。それでも彼は穏便に、内密に私を訪ねてくれたのです」
それが損得勘定の末だったと言われたら、少し分が悪いですけどね、とクルーガーが笑み混じりに呟く。
そんなクルーガーの懺悔を、聞き入る様な顔で聞いていたロニーだったが、ふと顔を上げた。
「待ってください、もしかしてクルーガーさんも…………」
どうやら、思っていた以上にこのロニーという青年は頭が回るのかも知れない。
そんな言葉が脳裏に浮かび、レイヴンなら無能な訳が無いか、とクルーガーがいつの間にか目の前の青年を過小評価していた事に気付き、自らを戒めた。
「ええ。貴方が思っている通り、私もミスターブロウズの味方なだけでなく、彼の待遇や評判を危惧して少しずつですが動いています」
そんなクルーガーの言葉に、目に見えてロニーの表情が明るくなった。
今まで、ブロウズに味方する様に呼び掛けた人々からどんな反応が返ってきていたかは、その表情から充分過ぎる程に伝わってくる。
「信頼出来る部下に動いてもらって、ある程度ではありますが情報を集めています。全くの丸腰、と言う訳には行きませんからね」
「情報、ですか?」
意外そうな表情のロニーに対してそうです、とクルーガーが続ける。
「目立たない程度に抑えてはいますが、ミスターブロウズの周りで不穏な動き………具体的には彼を排斥する動きや、彼に対する抗議活動を計画、またはそれを目的とするグループを報告してもらっています」
クルーガーとて、まるきり無頓着という訳では無かった。
勿論人を使って諜報をさせる様な指示はクルーガーも不馴れだったが、それでも穏健を第一にしつつ人を使って、ブロウズに対する団内の不穏な動きを調べさせていたのだ。
そんなクルーガーに対してロニーは納得していた様な表情を見せていたが、不意に表情を変えた。
「なら、ブロウズの状況は?と言うより、ブロウズに対して不穏な事を考えている連中は居たんですか?」
ロニーが幾ばくか身を乗り出すも、クルーガーに手の動きで緩く制される。
自らを落ち着けるが如く深呼吸した後に、椅子に深く座り直すロニーに対しクルーガーがゆっくりと口を開いた。
「結論から言うと、取るに足らない物を除いても無視できないグループが2つ程、ミスターブロウズを団から排斥するべく、活動している事が分かりました」
「2つもか………なら、排除するんですか?行動を起こすなら協力します」
それなら自分の出番だ、と言わんばかりに食い付くロニー。
自分なら頼まれるまでもなく積極的に参加する、そう言いたいのが直ぐ様伝わる動きだ。
「そう簡単には行きません」
血気が感じられる相手に対して、それを察してかクルーガーが先程より僅かばかり強い語気でそれを制止する。
普段より強い語気に、事態の深刻さを再確認したのかロニーが一言謝ってから、少し身を引いた。
「率直に言って、彼を取り巻く情勢は非常に難しい物になっています」
クルーガーの言う通り、少しずつブロウズを取り巻く環境は複雑かつ険悪になりつつあった。
悪評は言わずもがな黒魔術に対する、根も葉もない噂話に加え、それを後押しする様な“肩にカラスが留まる”という誤魔化し様の無い事実。
過度な言い方をするなら、カラマック島の半分以上はブロウズに敵対している、とも言える。
「恐らく今後、何かミスターブロウズが失敗、もしくは団に悪影響や波紋を呼んだ際には本人の過失であるかどうかに関わらず、多大に非難されるでしょう」
それならば尚更動かなくては、と言わんばかりの表情を相手が見せるも、口を噤んだのがクルーガーにも分かった。
先程の制止から学んだのだろう。
「今すぐミスターブロウズに対する不穏なグループを攻撃、告訴しようにも相手はまだ行動を起こしていません」
「先手必勝では?」
「先に攻撃すれば、“ブロウズの事を悪く言えばそれだけで攻撃される”と言う評判が広まる危険があります。まだ様子見に留めるべきでしょう」
微かに呻く様な声と共に、ロニーが空を見上げた。
この様な絡め手は性に合わないのだろう。もしくは、根本的に苦手なのか。
「ですが、備えてはおきましょう」
様子見に留めるとは言うものの、それは動かない事と同義では無い。
真剣な顔で頷く相手を見据えながらクルーガーが、ゆっくりと言葉を続ける。
「貴方はこれまで通りミスターブロウズに対して、味方に付いて貰える人々を探してください。言っておきますが、絶対に強制してはいけませんよ。少しでも駄目です」
「分かりました」
よしきた、と言わんばかりに意気込む目の前の青年に対して、クルーガーが内心で微笑む。
こんな実直で清廉とも言える若者が、レイヴンになろうと言うのだから色々と考えてしまう。老婆心とは、分かっているのだが。
これまでクルーガーは余り年齢を意識した事はなく、大して老け込んだつもりは無かったのだが18歳の青年を目の前にすると、“若さ”という物を感じずには居られなかった。
若さついでに、一つ忠告しておくか。そんの思いと共にクルーガーが口を開く。
「あぁ、それと一つだけ」
「何です?何でも言ってください」
「紅茶は、追々慣れて行きましょう。私も最初は見れた物じゃありませんでしたから」
冬の昼下がり、ロニーの余りにも苦い表情に笑い声が響き渡った。




