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行方不明になったレイヴン達は、その後遺体すら見つからなかったらしい。
母国ことリドゴニアの言語、ニヴェリム語で悪態を吐く。
以前よりは諜報班も能力を取り戻してきたとは言え、今回の報告書ばかりは圧倒的に情報が足りなかった。
直接自分が鍛えた訳では無いにしろ、今回消されたレイヴン達も優秀だったと聞いている。
少なくとも訓練を担当した教官からは、かなりの高評価と報告を受けていた。
浄化戦争終結、その直後。
かつてこの団が衰退する前の、悪夢の様な記憶が蘇る。
任務に向かう報告を最後に連絡が途絶え、少し経ってレイヴンの遺体が見つかったという報告だけが流れてくる、質の悪い酒に酔った様な記憶と記録。
敵の姿は見えず、報告も無い。ただ、送り出したレイヴン達が任務途中で遺体として見付かり、もしくは遺体すら見付からずに跡形も無く消されていく。
当然、跡形も無く消された事は事後報告から知るしか無い。
戦争終結後の黒羽の団を大きく疲弊、後退させる事になった最大の要因。
影の工作員及び戦闘員として鍛え上げたレイヴンが、掠め取られる様に消されていく謎の悪夢。
数多の推論が飛び出し、幾つもの議論が交わされたが、結局は推察の域を出る答えは無かった。
しかし推察の中でも一つだけ、確信している事がある。
帝国には、日向に出ない“何か”が居る。帝国軍の隠密部隊とも違う、帝王直属の“何か”が。
恐らくは隠密部隊でさえ、背中を押されている事を知らないだろう。他人の功績や戦果に紛れて獲物を引き込んで喰らう、顔の無い連中がこのレガリスには潜んでいる。
そしてその“何か”が、再び姿を見せ始めていた。
業腹だが、根本的にレイヴン達とは大きな実力差がある事も分かっている。
何か極秘の新技術を使っているのかも知れないが、それにしてもここまで痕跡や情報を残さずレイヴン達を消し去ると言うのは、ただ新技術を使っているだけの兵士に出来る芸当では無い。
間違いなく、相当な手練れだ。
力を取り戻してきた諜報班にも探らせては居るが、正直に言えば期待が薄い事も否めなかった。
そう簡単に、手掛かりは掴めないだろう。
目を閉じて少しばかり情報を反芻し、レイヴンが消し去られた報告書を机の端に寄せる。
そして次の書類、報告書を手に取り、思わず顔をしかめた。
デイヴィッド・ブロウズを監視させていた部下からの、経過監視の報告書。
部下にはブロウズが任務以外で妙な行動を起こせば、此方に報告を入れる様に指示している。
つまりは、また奴が何か怪しい事をしていると言う事だ。
不機嫌になっていくのを自分でも自覚しながら取り敢えず報告書に目を通すと、“魔女の塔”に関する事象の様だった。
どうやら、ブロウズはまたもや“魔女の塔”に入り込んではあの魔女、ニーナ・ゼレーニナと何か話し込んで居るらしい。
“個人資金”から新たな投資が確認されると共に、ゼレーニナ自身も新しく資材を発注している事からもまた何かブロウズが吹き込んだらしい。
いや、むしろブロウズが吹き込まれたのかも知れないが。
ユーリの時と言い、“カワセミ”ことスペルヴィエルの時と言い、相も変わらず奴は面倒な連中とばかり関わっているらしい。
類は友を呼ぶ、だな。と皮肉にそこまで考えた辺りで、歯噛みした。
これでは、クロヴィスの言っていた「癖のある連中ばかり集まってくる」を肯定する事になってしまうか。
報告書を捲る。
この調査と報告を任せた奴は信頼出来る、優秀な奴だ。
勿論、この報告書も同じくらい信用出来る物なのは間違いない。
しかしその“信頼出来る報告書”に、随分と信じがたい事が書いてあった。
あのゼレーニナが、よりにもよって“フカクジラの骨”を発注したと記述してあるのだ。そして発注したフカクジラの骨は納品され、あの不気味な塔に滞りなく搬入されたとも。
報告者からの注釈もついており、フカクジラの骨の搬入に関しては「不可解な点も多い為、調査項目に追加」と記されていた。
不機嫌な息が漏れる。
…………ブロウズとゼレーニナが何を考えているのか、検討も付かない。状況から見て少なくとも、今回の搬入が二人が合意した結果なのは間違いない。
搬入するのはゼレーニナだし、その資金を投資するのはブロウズなのだから、普通に考えても二人の合意の末なのは疑い様が無いだろう。
問題は、何故あの二人がわざわざ大金を払ってまで稀少な「フカクジラの骨」なんて代物を発注したのか、という事だった。
気に食わないが、あの二人は愚鈍では無いし頭が回る事は否定しようがない。
ならば、あの二人がわざわざ手間と金を掛けてフカクジラの骨を発注した理由がある筈だが、正直言って検討も付かなかった。
開発及び研究の為とは銘打ってあるものの、純金以上の値段がするクジラの骨をどんな研究に使うのか想像も付かない。
言ってしまえば開発や研究において、ゼレーニナが訳の分からない要望や発注を出すのは初めてでは無い。
ある時は低層空域、瘴気層や瘴気層付近にのみ生息するヒツギバチとその蜜を用意しろと宣い、ある時には南部特有の大型鳥類、その胎内にのみ生成される結石を用意しろと喚いた。
結果、自分の様な幹部に匹敵する程の強権を乱用に近い形で振りかざし、呆れる程の高額な費用と引き換えにそのハチと蜜、結石を実際に用意させたのだから手段はともかく、その強情さには舌を巻くしか無い。
その上、何の成果も報告せずに平然と次の発注や要求を出せる、その剛胆さにも驚きではあるが。
それを踏まえれば、ゼレーニナが突飛な要求をしてくるのは大して珍しい話では無い。
問題はゼレーニナだけでなく、ブロウズも合意した上で投資しているという事だ。
体重を預けた高級な椅子を幾ばくか軋ませながら、天井を見やる。
奇想天外なゼレーニナは置いておくにしても、あのブロウズは決して愚鈍では無い。むしろ今まで遂行した任務の報告からしても、帝国軍の汎用な連中より余程頭が回る事、鼻が利く事は間違いない。
腹立たしい相手な事は、勿論否定しないが。
そして、その頭が回るブロウズが合意したからこそ、今回のフカクジラの骨は発注されたのだ。
気に入らないが、頭が回る奴が出した結論や結果には必ず理由がある。
あの“魔女”に関わりすぎたせいで奴も頭が“偏った”可能性も無くは無いが、それにしては人格者かつ奴と親しいクルーガーから、ブロウズが突飛な行動、思考をする様になったという事も聞いていない。無論部下からの報告も。
その上、今回の発注及び納品にかかる費用は額を聞き返す様な大金だ。
大金を払うという事実は、沸き立つ血管に氷を落とすが如く冷静さを取り戻させる。奴の血管にも相当な“冷水”が流し込まれ、奴の頭も相当に冷えた筈だ。
その上で、奴はゼレーニナに同意して金を払っていた。
眉間に皺が寄る。
奴が“頭のキレる英雄”のままなら、ゼレーニナに賛同した理由は何だ?フカクジラの骨を何に使う?
訳が分からない。
姿も見せぬままレイヴン達を屠っていく、“日陰の何か”。
大金を払ってまでクジラの骨に執着する、“魔女と怪物”。
遂に再びレガリスで燃え上がり始めた、革命の火種。
団内でも疫病の如く忌避されている“怪物”に、何故か集まり始める連中。
椅子が軋む。
レガリスと黒羽の団。革命と世論。様々な事柄が、袋の中で互いを噛み合うウツボの様に縺れ合っていた。
対処を間違えれば、ウツボの全てが噛み付いてくるだろう。