012
中々悪くない部屋だった。
鍵を開けたばかりの部屋で、荷物を投げてベッドに仰向けに寝転ぶ。
言ってしまえば想像していたより遥かに、待遇は良かった。
屋根裏部屋に押し込められるかも知れないと思っていた身としては、モーテル並みの上等な部屋を与えられたのは幸運という他ない。
しかも其処らの新入りの団員より遥かに上の階級を与えられ、ある程度融通も効くとなれば、感謝もするべきだろう。
しかし、勿論と言うか当然と言うべきか、それ相応の対価及び責任がある。その事を考えるとそうそう手離しに喜ぶ訳にも行かなかった。
自然と、溜め息が出る。
覚悟していたとは言え、重責には変わり無い。照明の付いた天井を眺めながら、先程の会議室での重い記憶がゆっくりと脳裏を這っていく。
「予め言っておく、この任務は過酷なものになる。皮肉も冗談も無しに、だ」
豪華な会議室の中、アキムの厳格な声に身が引き締まるのを実感した。
「君に与えられる任務は、黒羽の団の中でも最も重要な任務の一つとなる事を、自覚してもらいたい。独立部隊とは実質、私達の手足になってもらうのと同義なのだから」
クロヴィスも同じく張り詰めた声でそれに続く。
「義手を買うハメにならなきゃ良いがな」
そんな中皮肉を言うヴィタリーをアキムが視線で窘めるも、本人は不満そうに鼻を鳴らしただけだった。
随分な言い様だが、いつだって違う視点は必要だ。実際に言えば、黒羽の団が俺を頼る程の窮地に追い込まれた理由の一つは、今此処に居る俺なのだから。虫のいい話なのは、反論のしようが無いのも事実だ。
「……君には此方も可能な限り援助をするが、基本的には君はほぼ単独、多くても小数で行動してもらう事になる。それも恐らく、立て続けに」
「厳しい任務なのは分かっている、だが分かってくれデイヴィッド。帝国と戦うにはこれが最善の手なんだ」
アキムとクロヴィスが続けて言う言葉に、此方も頷く。帝国と戦うのに危険を犯さずに済む訳が無い。そして、此方が劣勢となれば尚更だ。
「過酷なのは承知の上だ。何せ国を変えようと言うんだからな」
そう返すと、アキムとクロヴィスが安堵した様子で毅然としていた表情を僅かに緩めた。
「流石だデイヴィッド、やはり君を我が団に引き入れたのは正しかったよ」
そんな言葉と共に、満足そうにアキムが微笑む。
「過酷な道を躊躇わない男は、どんな山でも登れる。君こそ戦士だ、デイヴィッド」
クロヴィスもそれに続いて称賛の言葉を投げてくれた。だが、決意を示しただけでこれだけ称賛されると言う事は、それだけ任務が過酷な事の証明でもあり、微笑を返しながらも表情とは裏腹に内心はこれから起こるであろう、壮絶な任務を覚悟した。
少しの間が空いて、思い出した様にアキムが苦笑いを漏らす。
「済まないデイヴィッド、長旅で疲れているのにな。今夜は休むといい、此れから君には重要な任務を幾つも引き受けてもらう事になるからな」
そんなアキムの言葉に、取り合えずは休息を貰う事になった。少し意外ではあったが、考えてみれば、疲れていたのは事実だ。
まぁ、休ませて貰おう。
「君の部屋の鍵だ。帝国軍の部屋がどんな部屋かは分からないが、ゆっくり休める事は保障するよ。金の彫像や絵画は期待しないで貰いたいがね」
そんな言葉と共にクロヴィスが投げた鍵を受け取る。鍵には金属のプレートが付いており、プレートには鳥類の絵が彫刻されている。
「寝惚けた手足なんてこちらも御免だしな」
相も変わらず、不機嫌そうなヴィタリーの言葉を背中に受けながら、会議室を後にした。
多少休めるのは間違いないが、少なくとも心底休めるとは到底思えなかった。頭の中で、これから仕事の事が渦巻いている。果たして自分は、これからどれだけの過酷な道を歩む事になるのか。どれだけの敵を相手にする事になるのか。そして、どれだけの帝国軍を殺す事になるのか。
休む事も仕事だ、そして今は休むのが仕事だ。分かってはいるのだが、やはりどうにも寝付けない。
隠密部隊の頃は、どれだけ人を殺しても大抵は割り切って眠れていたものだが、任務が久々なせいか、歳を取ったせいか、余計な事ばかり考える。
「あー…………」
思わず、変な声を出しながら頭を掻く。
このまま朝を迎えてしまうんじゃないだろうか、考えれば考える程そんな気がする。
疲れているのに眠れないという事が、こんなにも面倒な事だとは思わなかった。
いっそ酒にでも頼った方が眠れるのかも知れない。まぁ酒があればの話だが。そんな事を考えながら寝返りを打つ。
まぁ真面目な話、酒は無いだろうな。仮にあったとしても酒に頼ったら、朝には確実に二日酔いだ。
折角、幹部から重要な任務を任せてくれてそれを快諾したというのに、翌日二日酔いで顔を出したなんて訳にも行くまい。
となると例えあったとしても酒は却下だ。どうしたものか。
確実にもう外は夜中だろう。早く眠るべきなのは百も承知なのだが…………
そんな事を考えている内に微睡み、段々と意識が沈んでいく。
何処か遠くで、カラスが鳴いてる様な気がした。
カラスが鳴いているのか、それとも、鳴き声からカラスを想像しているのか。
カラスの鳴き声が聞こえるのは不吉では無かったか?いや、カラスを不吉と見るのは元々戦争で凄惨な死体を啄むカラスの姿が不気味、という理由から始まった筈だ。
実際はカラスは雑食で腐肉を貪るカラスもいる、偶然にもそのカラスが死体という肉を貪っていただけで、何もカラスが死を引き寄せる訳ではなく………
不意に、揺れた様な感覚で目が覚める。
折角眠れていたのに、足を踏み外した様な錯覚で目が覚めてしまった。全く勘弁してくれ。
カーテン越しに射し込む光から見ても、とっくに朝が来てしまったらしい。部屋に置いてある振り子時計を見れば、いつも起きている時間はとうに過ぎていた。
それなりの時間眠った筈だが、頭も身体もまだまだ重い。やはり本格的な作戦は数年ぶりだからか?寝た筈なのに全く気が休まらない。
曲がりなりにも自分はもう工作員なのだから、早く現役時代のカンを取り戻さなければ。
重い身体のまま無理矢理伸びをしていると、ドアの下から差し込まれている手紙が目に付いた。
鍵をかけて寝ていたから、とり合えず差し込まれたのだろう。重い身体を引き摺る様にして手紙を拾い上げ、手紙を開く。
上等な紙に筆記体が走っている。
“よく眠れている事を願う。トミー・ウォリナーという男から個人資金を、ヘンリック・クルーガーという男から装備を受け取れ。二人共「アキムから」と言えば伝わる筈だ。二人の居場所は近場の連中に聞け。気は進まないだろうが、団の連中に君の存在を馴染ませる為にも、君自身が団を見て回る必要がある。数日もしたら君に正式に任務を言い渡す、装備と資金を揃えたら数日はゆっくり休め。アキム”
寝惚けた頭を掻きながら目を通し、着替える事にした。この団を見て回れ、というのは確かに良い案だ。元々少しは自分自身で見て回るつもりだったし、自分の団を幾らか把握しておいて損は無いだろう。
幾らか高く昇り、強まってきた陽射しに首筋の汗を拭う。
訓練施設、畜産施設、生産施設、居住施設と見て回っただけでも抵抗軍の規模を大きく越えている、小さな街どころか下手すれば其処らの小さい区画では叶わない程の規模だ。帝国軍が心底苦心したのも頷ける。
そろそろ水でも欲しいな。そんな事を考えながら団内を見回っていると、不意に周囲から気配を感じた。隠す気が微塵も無く、重い気配だ。こういう気配を放つ奴は経験上、大体が好意的では無い。
振り返ると、そこには体格の良いラグラス人が二人立っていた。訓練を終えた後らしく、服に汗の跡が微かに見て取れる。
眉間の皺から見ても、お世辞にも御機嫌には見えない。
「悪いが、見世物じゃないんだ」
取り敢えずそう返すも、二人とも表情は微塵も変わらない。分かってはいたが、これは面倒だ。
「まさかとは思うが、俺達を騙し切れてると思ってないだろうな」
「帝国軍に誓った忠誠はどうした、部屋に置いてあるのか?」
ラグラス人から一方的に無遠慮な罵倒が飛ぶ。まぁ、そうなるよな。
「元帝国軍の俺が気に食わないのは分かるが、俺は団を見回るついでに人を探してるだけだ。トミー・ウォリナーと、ヘンリック・クルーガーという男でな。知ってるか?」
「見つけてどうする。首でもはねるのか?生憎と俺達には、帝国軍に売る様な仲間は居ない」
「こっちの仲間は真の同志だ。お前らの金で繋がった安い仲間と違ってな」
やはり、和解は期待出来そうにない。ラグラス人の憮然とした態度には、牙を剥かんばかりの敵意が滲んでいた。
「教えてくれるなら、手早く頼む。教えてくれないのなら、俺はもう行く。訓練の邪魔になるだろうしな」
ラグラス人の一人が、眉間の皺を深めた。もう一人が静かに歩み寄ってくる。
「随分とそちらは偉いんだな、帝国様のお気に召さなきゃ用済み、という訳か」
「自慢の逃げ足は、今回ばかりは余り信用しない方が良いぞ。俺達はお前らが思っている何倍も素早い」
胸中で溜め息を吐いた。全く、面倒な事になってしまった。衝突は予想していたが、相手が悪かった。まさかここまで執拗な相手とは。
俺を逃がす気が無いのは表情と動きで分かる。穏便に済ませるのはもう諦めた方が良さそうだ。
「なら、どうするんだ?カフェでコーヒーでも飲みながら、漫談でもするか?見た感じ、お前ら荒事は苦手だろう」
ラグラス人が鋭く此方を睨み付ける。
「随分と強気だな、ここが何処か忘れてやしないか?仲間だらけの帝国軍じゃないんだぞ」
「お前らの金をかけた見かけ倒しと違って、ここには真の戦士が集まっている。不用意な挑発はやめておけ」
片方はもう完全に拳を振るうつもりでいる、口ではどう言おうと話し合いでは解決しないだろう。
「じゃあ真の戦士に出くわさない様にしておかないとな、会ったのが雑用係で良かったよ」
とうとう、ラグラス人の顔にはっきりと怒りが現れた。
ラグラス人の一人が静かに、だが怒りを声に滲ませながら呟く。
「良いだろう、訓練場に来い」
訓練場は想像以上に広く、鍛練器具等の設備が充実していた。
戦闘訓練、練習試合をすると思われる広場で、ラグラス人が立ち止まる。硬く踏み締められた地面には、普段の厳しい訓練を物語るかの如く所々荒れた跡が残り、僅かに血痕の様な染みも見て取れた。
そして傍には剣や槍など、刃の付いていない様々な武具が数え切れない程に用意されている。
「戦場では皆が平等だ」
その内の剣を引き抜きながら、ラグラス人が呟く。木製だろうが、恐らくは相当硬質な木材が使われている筈だ。帝国軍の訓練では、木製の武具で散々痣を作ったのを思い出す。自分に殺人技術を教えた、あの男は言っていた。“素手でも人は殺せる。なら木製の武器で殺せない訳が無いだろう”と。
木製だから何も危険が無いと思っているのは、素人だけだ。
今、奴は俺を殺せる。逆もまた然り。
「戦場では身分も生まれも関係無く、ただその者の魂がぶつかり合う」
調子を確かめる様に、ラグラス人が剣を振り、握り直す。今の僅かな動きでも分かる。間違いなく、実力者だ。
「貴族を物乞いに貶める事もあれば、奴隷を王に引き上げる事すらある」
丸められた切っ先が、それでも風を切り素早く此方に突き付けられる。
「お前がどうなるか、俺が見定めてやる。好きな武器を取れ」
この訓練場に呼び出した時とは比べ物にならない程、落ち着いた声でラグラス人が言う。剣を握っている為か、それとも、この訓練場の空気がそうさせるのか。
意外にも、その眼は澄んでいた。上等じゃないか。
「本当に好きな武器で良いのか?」
剣を持ったラグラス人の鋭い視線を肯定と受けとり、俺は武具の中から片手用の斧を手に取った。勿論刃は付いておらず、斧頭も柄も木製で出来ている。だが、頭を叩き割るには充分だ。
後ろでもう一人のラグラス人が、あからさまに笑いながら声をかけてくる。
「その斧はラグラス人の武器だぞ、満足に扱えるつもりか?」
そんな声を無視し、もう片手にダガーを握った。片手に斧、片手にダガーを握る。
斧を回転させ、握り直した。
「両手に持てば、もっと強くなれるとでも思ってるんじゃないだろうな、それともヤギチーズでも食べるのか?」
益々大きくなる笑い声を背中に浴びながら、広場に立つ。
広場にいたラグラス人は今も笑っているもう一人とは違い、静かに油断無く息を吐いた。
集中している。
成る程、実力としては向こうよりも此方の方が上らしい。茶化す様な事もなく、ただ此方を見据えている。
言葉は交わさずとも、お互い目線によって意思は伝わった。さぁ、本番だ。
開戦を直感した瞬間、不意に目の前のラグラス人が地を蹴り、バネ仕掛けの様に猛然と距離を詰めた。
様子を見る事もなく、即座に突撃してくるか。良いだろう。
その勢いのまま振るわれた剣を、ダガーでいなすように外向きに払う。
そのまま、空いた手で片手斧を振るうが、身を引いてかわされた。
そこから放たれた、相手の牽制であろう突きを打ち落とす様に片手斧で払い、再び距離を詰める。
斧を振りかぶる予備動作から素早くダガーを振るい、そのまま斧で足を払いに行くも、その前に相手はダガーを剣で防ぐと同時に、ダガーを滑らせる様にして更に距離を詰め、此方の胴を振り抜く様にして斬り込んできた。
咄嗟に、斧の柄を削らせる様にして至近距離で受け止め、ダガーで胸を突くも体重移動で身を引いてかわされる。
距離が開き、お互いに息を吐いた。
ラグラス人の気迫に嘘は無く、優秀な戦士である事が身体中から伝わってくる。恐らく、戦場で敵を殺した事も一度や二度ではないだろう。
確かに、優秀な戦士だ。だが、完璧では無い。
此方が選んだ武器の、斧の短所ばかり意識し過ぎている。キセリア人が斧を使いこなすには、必ず限界があると何処かで思い込んでいるのだろう。口で言わずとも、剣と動きが雄弁に語っている。いつか、斧に身体が追い付かなくなると。
剣に比べてリーチが短い事や、先端に重量が集中している為操作が難しい事。この片手斧は大型だから、一つ目の短所は多少克服出来ているとしても、そのおかげで二つ目の短所が悪化している。よって、その短所を御しきれない時が必ず来る。
そう思っている筈だ。
だが、この武器の長所が意識から外れている。刀身が短い事と、斧の柄が短い事はまるで訳が違う。先端に重量が集中しているのは、確かに操作が難しいかも知れない。
だが、相手は忘れている。その重量によって、どれだけの威力が出るのかを。
鋭く息を吐き、開戦した時のラグラス人の様に猛然と距離を詰める。逆の立場になった相手が小さく息を呑んだ。
ダガーを真正面から突き込み、相手が剣でダガーを防いだ隙に大きく勢いを付けた片手斧で、相手の腕や身体ではなく、剣を弾き上げる。
手から離れはしなかったものの、剣を上に大きく弾かれて相手の体勢が崩れた瞬間、ダガーで相手の脇腹を鋭く突いた。鈍い、肉の音がダガーから伝わってくる。
刺さらない様に先端が丸められた訓練用の武具とはいえ、ただで済む訳が無い。それこそ正に、これでも人を殺すには充分なのだから。
呻き声と共に相手が怯んだ瞬間、相手の剣を持った手首に振りかぶった斧を正面から命中させた。
悲鳴に近い声で相手が、武器を取り落とす。
すかさず、ダガーの刃の部分を相手の首に当てつつ膝を横から蹴って膝関節を折り畳ませ、ダガーを首から引き、ダガーと入れ換える様に斧頭の直突きで顎を打ち上げ、相手を地面に引き倒した。
そして、仰向けに倒れた相手の腕を踏み付けながら、顔目掛けて勢いの付けた片手斧を全力で降り下ろす。
少しして、相手は自分の顔のすぐ傍の地面に斧がめり込んでいる事に気付いたらしく、安堵とも諦めとも取れる溜め息を吐いた。
「気は済んだか?」
倒れたラグラス人から離れ、斧を手の中で回転させて握り直し、そんな言葉を投げる。
ラグラス人が、衝撃が抜けきっていないかの様にのろのろと身体を起こし、立ち上がった。
両膝に手を付いて「一つ聞かせてくれ」と疲れた様子でラグラス人が呟く。
「何だ」
「キセリア人にも斧に長けた奴がいるのか?帝国軍じゃ斧の訓練もやってるのか?」
「ラグラス人には剣に長けた奴がいないのか?」
そう返すと答えが自分の中で出たらしく、ラグラス人が溜め息を吐いた。
「さて」
手の中の片手斧を握り直し、呆然としているもう一人のラグラス人に鋭く目線と斧頭を向けた。
「こうなるか言う事を聞くか、今ここで決めろ」