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「大成功だな」
アキム・ベジェレフが新聞を畳みながらも、満足そうな声で笑う。
満足そうな様子のアキムに、同じく口角の上がりを隠しきれないクロヴィスが笑い返した。
「あぁ、少し調べただけでも今“黒羽の団”の評判は相当良い。我々がラグラス人の奴隷を殺した事で、単なる民族贔屓では無い事が上手く伝わったらしい」
高級な机には罵倒にも近い言葉が書き連ねてある新聞に加え、タイプライターで打たれた報告書が重なる様に広げられており、更に追加の報告書も脇に纏めてある。
今回の任務、ダニール・ヤンコフスキー暗殺任務の詳細も纏めてこそあったが、今回ばかりは任務の詳細は問題ではない。
亜人に奴隷や、犯してもいない罪への償いを推奨して回る“ラグラス人の奴隷”を、よりによって“奴隷制度廃止”を掲げている黒羽の団が切り捨てたという事実は、レガリスに相当な反響を呼んだらしい。
「俺達が奴隷を殺したもんだから、眼剥いてる奴等だらけだ。帝国側に付いてる奴等は“亜人としての信念が無い”なんて騒いではいるが………」
2人から少し離れた席に座ったヴィタリーが、報告書を読みながら珍しく気分の良さそうな顔で言葉を紡ぐ。
「帝国にうんざりしてるラグラス人達、特に奴隷奉仕や低賃金労働に駆り出されてるラグラス人達が、“あんな裏切り者には当然の結果だ”と今回の暗殺を支持してる。新聞では“ラグラス人も忌み嫌ってる”事になってるらしいがな」
ヴィタリーが上機嫌そうに席へ体重をかけ、座った椅子が幾らか軋む。
何なら、席の隣には酒瓶でも用意しそうな勢いだ。
「帝国は気に入らねぇだろうが、“贖罪信仰”なんざクソ喰らえだと言いたかった奴等は俺達の予想以上に居たんだ。結構な事じゃねぇか」
報告書を捲りながら機嫌良く続けるヴィタリーに、アキムとクロヴィスも顔を見合わせて微かに笑う。
慢心も過信も禁物だが、問題や失点が無いのなら空気は良いに越した事はない。
そんな二人の様子に気付かないまま、ヴィタリーが別の報告書を手に取る。
「フィッツクラレンスはどうなった?」
ヴィタリーのそんな言葉に、アキムが笑みを溢しつつ言葉を返していく。
「表立った影響はまだ見られないが、以前の様には行かないだろう。ヤンコフスキーの“贖罪信仰”はフィッツクラレンス議員の宣伝と、票操作も兼ねていたからな」
片眉を上げたヴィタリーが報告書から顔を上げ、少しの間の後に目線で先を促すがアキムではなく、クロヴィスが先を続けた。
「最も、ヤンコフスキー自身に自覚は無かった様だがね。大方、自分の主人たるフィッツクラレンスを宣伝、及び投票させれば、更なる贖罪信仰の流布に繋がると思っていたのだろう」
手段と目的が逆とは正にこの事だな、と締め括ったクロヴィスに意外そうに鼻を鳴らし、ヴィタリーが新たな書類を手に取る。
書類にはウィスパーの中継機となった輸送飛行船、その搭乗員や機関員から提出された任務の報告書だった。
「結局、上手くやったんだな。あの“カワセミ”は」
そんなヴィタリーの呟きに、アキムが笑う。
「報告書にもあるが……結局スペルヴィエルは輸送飛行船の追加甲板に、何の問題もなく離着陸を完遂した。むしろスペルヴィエル本人より、甲板の誘導員や搭乗員の方がよっぽど怯えていたとか」
報告書にはアキムの言う通り、一機しか着陸出来ない追加甲板にラシェルの操縦するウィスパーを、何不自由なく着陸させた報告が記されていた。着陸時には少しとは言え風も吹いていたのに、とも。
「これからはより積極的にウィスパーを運用していく事も出来るだろう、レガリスにおいて我が団の影響力も増大していく筈だ」
アキムが楽しそうに言葉を続ける。
その眼には、懐古にも似た光があった。
かつてはレガリス、ひいてはレガリスを中心とする空中都市連邦バラクシアに多大な影響力を持ち、ペラセロトツカの裏に付く形とは言え国家間の戦争にまで至った黒羽の団。
だが、浄化戦争が終結し“奴隷制度廃止など絵空事だった”と絶望が広がった事を切っ掛けに、当初は抵抗を続けていた“黒羽の団”も徐々に消耗し、縮小していく戦力に伴い士気も減衰していった。
半年近く前、黒羽の団が再びレガリスの各地に影響を及ぼし、ラグラス人達が再び期待する程に組織を持ち直せると信じていた団員は、幹部達も含めて何れ程居ただろうか。
だが、現に今レガリスは再び黒羽の団に注目し、いつレイヴンが窓を突き破ってくるのではと危惧している。
そして政治的、武力的な影響のみならず民衆に対しても、レガリスで青タバコを生産し、レガリスを汚染していた著名な学者を叩き落とした事、同じラグラス人でありながら贖罪の名の元に隷属を呼び掛ける“裏切り者”を、空を越えてまで抹殺した事によって民衆の期待と支持はまたも増大し、レガリスの“黒羽の団”は再び国を揺るがせる程に復興し始めていた。
アキムが、静かな息と共に遠くを見据える。
「ここからだ」
意図せず漏れたであろうアキムの小さな呟きに、「あぁ」とクロヴィスが返しつつ同じく報告書を手に取った。
クロヴィスが、報告書を捲る。
「正直に言うとデイヴとスペルヴィエルが、ここまで上手くやったのが未だに信じられないよ」
そんな言葉にヴィタリーが鼻で笑い、報告書を脇に放りながら言葉を返した。
「俺としてはアイツが任務のついでに、ケツでも蹴飛ばされて帰ってくるんじゃないかと期待したんだがな」
「ヴィタリー」
クロヴィスが諌める様な言葉を投げるが、当のヴィタリーは手を振る動作で適当に反論を払う。
「飛行船の搭乗員も機関員も、奴等は揉め事も起こさずに大人しく飛行船で過ごしていたと報告してる。いがみ合う事すらしなかったんだと」
拍子抜けの様な調子でそう続けるヴィタリーに、クロヴィスが安堵した様な鼻息を溢す。
勿論、クロヴィスも“彼等”が揉めなかった事は報告書で知っていた。
アキムが直々に“痣だらけにはなるだろうが”と言い切る程には、ラシェルこと“血塗れのカワセミ”の凶暴性は周知されている。
クロヴィスとしてはデイヴィッドが無事とは言えずとも、“大した怪我なく”ラシェルと和解してくれる事を願うぐらいには、二人の衝突は避けられない物と予測されていた。
それがどうだ。どんな魔法を使ったのかは知らないが結果として、デイヴィッドは拳も蹴りも食らう事なく、唾すら吐かれる事なくラシェルと和解し、任務説明では握手までする仲になっているではないか。
報告書と本人の性質から見ても、彼はそこまで人心掌握や制御に長けている訳でも無かった筈なのだが。
そんな事を考えているクロヴィスの脳裏に、アキムと話した時の記憶が甦る。
“癖のある連中ばかり集まってくる”、か。いよいよ笑えなくなってきたな。
胸中で自虐とも皮肉とも言えない感想を呟きつつ、拍子抜けの様な空気のまま天井を見上げていたヴィタリーに「案外、ああいう二人が良い友人になったりするのかもな」とクロヴィスが言葉を投げ掛けた。
直ぐ様、ヴィタリーが怪訝な顔を向ける。
「“カワセミ”がか?アイツと友人になるなんて、賭けなら大穴も良いところだぞ。一攫千金を夢見るバカな田舎者しかベットしねぇ様な大穴だ」
余りにも容赦無い言葉につい堪えきれずクロヴィスが吹き出し、怪訝な顔のまま「だってそうだろ?」とヴィタリーが言葉を繋げるので、クロヴィスはとうとう笑い出してしまった。
いつの間にかウィスキーのブレンドモルトを手にしたアキムが、つられた様に笑いながらも会話に混ざってくる。
「だがユーリは現に、デイヴィッドと仲良くやっているみたいじゃないか。スペルヴィエルと仲良くなるのだって、あり得ない話じゃないだろう?」
自然と手渡してくるショットグラスを受け取りながらも「そりゃ無いぜアキム、お前までそっちに付くのかよ」とヴィタリーが眉を寄せる。
未だに笑いが止まらないクロヴィスにもグラスを手渡し「大穴なら、下手すれば大儲けだな」と上機嫌な様子で繋げるアキム。
分かりやすく抗議の表情を作りながらも、それでもグラスへ注がれるウィスキーに、観念した様子でヴィタリーも苦笑いを溢した。
「また俺が悪者かよ」
幹部会議室には少し場違いに思える程に、朗らかな空気。
任務報告の話をしながらもここまで柔和で明るい空気になれたのは、いつ以来だったか。
少なくとも、一年以上は前に違いない。二年前かも知れないし、それこそ浄化戦争終結以来かも知れない。
それでも、団はいよいよ上向きになり始めた。
何を言わずとも、アキムが静かにグラスを掲げる。
「我が団の、未来に」
ヴィタリーとクロヴィスも、朗らかな笑みを溢しつつグラスを掲げた。
「あぁ」
「そうだな」
再び三人に笑みが溢れる。
「「我が団の、未来に」」