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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 巡り合わせ、とは良く言ったものだ。





「今回の目標、ダニール・ヤンコフスキーは奴隷制度促進派の議員、アーウィン・フィッツクラレンスの所有する奴隷であり、忠実な配下でもある」


 そんな事を考えながら、苦い顔のまま丁寧に説明されるアキムの言葉を聞いていた。


 勿論、自分が非凡な道を辿っている自覚はある。


 英雄と持ち上げられた後に左遷され、帝国軍を退役し、屠殺場で働いていたら殺されかけ、抵抗軍にスカウトされて要人を暗殺し、遂には不気味なフクロウから“黒魔術”を授けられた。


 だから、今更になって多少の巡り合わせが起きた所でどうこう騒ぐつもりは無い。


 無いのだが。


「来年から施行予定の、奴隷に対する焼き印を義務付ける法律を発案したのはこのフィッツクラレンスだ。当然ながら、我々からすれば“都合の悪い”存在でもある」


 通る声で丁寧に説明するアキムの言葉も、分かってはいるものの何処か、頭の中で横滑りしていく。


 理由は、明白だった。


 あのラシェル・フロレンス・スペルヴィエルが、作戦資料を手に平然と俺の隣に立っているからだ。


「そして、そのフィッツクラレンス議員の宣伝、票操作に一役買っているのがこのダニール・ヤンコフスキーという訳だ」


 アキムのそんな説明を聞きながらも、俺は内臓が重くなる様な、言い様の無い居心地の悪さを感じていた。


 悪い冗談だ、と言いたかった。冗談じゃない、とも言いたかった。


 この会議室に入った時、一房に纏められた長いブロンドと見覚えのある後ろ姿が見えた時、自分でも分かる程に眉が寄ったのを覚えている。


 当の本人は少しの間を置いて、意外にも「ラシェルよ、宜しく」と初対面の様に握手を求めてきたのだから、俺の眉間の皺は益々深くなるばかりだった。


 最も、ラシェルの皮肉げな笑みとやたら強い握力の握手によって、初対面でない事は傍目にも明らかではあったが。


 そんな俺達の様子を見て、ヴィタリーとクロヴィスが意外そうな顔をしていた。が、アキムだけは満足そうに「やはりな」と呟いただけだった。


 その瞬間、この会議室での俺とラシェルの組み合わせが偶然ではなく、性格を理解した上で仕組まれたものだと直ぐ様理解できた。


 そう。この幹部達は俺とラシェルが衝突、もしくは最悪殴り合う事になると分かっていた上で、意図的に俺とラシェルを組ませたのだ。


 直ぐ様、最初にヴィタリーが仕組んだ線を考えた。この幹部達の中で、俺が痣だらけの顔で歯を折られて最初に笑うのは間違いなくヴィタリーだろう。


 だが、直ぐにその線は破棄した。


 ヴィタリーは確かに俺とは険悪だが、奴が軍人気質なのは疑いようが無い。そして、軍人故の実質主義な性格を考えるに、わざわざ衝突の危険がある様なレイヴンを引っ張ってくるとは思えない。


 俺を気に入らない程度ならまだしも、俺の鼻を直ぐにへし折ろうとする様な奴との組み合わせは、任務の為にも流石に提案しない筈だ。


 似た理由でまずクロヴィスも無いだろう。相性の良し悪しはともかく、クロヴィスの性格からしてもまずこういう環境では、保守を選ぶ筈だ。


 そう。つまり。


「以前、レスター・コールリッジを排除した事でキセリア人至上主義及び、奴隷制度を磐石にしている議員の一人を排除する事が出来た。だが、まだまだ敵は多い。未だに“ラグラス人は奴隷であるべき”というのがレガリスにおいての“常識”となっている」


 今も平然と任務の説明をしている、アキムが俺とラシェルの組み合わせを提案したのだ。


 恐らくは、俺とラシェルが殴り合う寸前まで衝突する事を踏まえた上で。


 そして考えてみれば、幹部達は俺とラシェルのやり取りを見ても「知り合いなのか」とは聞かなかった。


 アキムに至っては上手く行ったと言わんばかりに、満足げな表情を見せただけだ。


 推測するまでもなく、結論は一つだ。


 俺とラシェルがウィスパー操縦訓練装置の傍で、接触した事を知っているのだろう。恐らくは、殴り合い直前まで行った事を。


 でなければ、理屈として幹部達のあの反応は説明が付かない。


 当然、様々な疑問が降って沸いたが、直ぐ様乾いて消えた。


 考えてみれば、俺はこの黒羽の団で重要人物なのは分かりきった事だ。当然、悪い意味で要注意人物でもある。


 そんな俺に、団内で監視が付かない訳が無い。それだけの人物に対して監視を何一つ付けない連中なら、帝国軍を相手にここまで生き残れる訳が無いのだから。


 結局、総点から言うなら事前に面識が出来た事は想定外にしろ、アキムは元から俺がラシェルと衝突して上手く折れるなり、鼻か肋骨を折られるなりして纏める事を前提に、この作戦を組み立てたのだ。


 そして、立場からしても俺にそれを断る権利などない。断る訳も、断れる訳も無いのだから、任務説明までラシェルの件を伝える必要も無い。


 来週の予定を猟犬や猟用鳥に言い聞かせる必要が無い様に、わざわざ“気に入るか気に入らないか”を俺に聞いてくる訳が無い。


 何をさせられようと言われるがままにするしかない、か。


 クソッタレめ。


「レガリスにおいて、自由を諦めてしまっているラグラス人は数多い。奴隷としての生涯を受け入れてしまっている者が大半だろう」


 任務の資料を手にしたまま、アキムが丁寧に言葉を続ける。


 一瞬、隣のラシェルに抗議の意味も含めて視線を投げようかとも思ったが、止めておいた。


 視線を投げた所で、嘲った様な眼を向けられるのがオチだ。


「そして、今回のダニール・ヤンコフスキーにおいては自身もラグラス人でありながら、“贖罪信仰”とも言える異常な宗教観を広く流布している。言うまでも無いが、自由を求めて立ち上がる我々に取ってこの“贖罪信仰”は疫病の如く脅威だ」


 アキムの言葉を聞きながらも、手元の作戦資料を捲る。


 ダニール・ヤンコフスキー。


 元々はペラセロトツカ出身で、浄化戦争終結により奴隷になるも説得と懐柔の才能を見出だされ、炭鉱送りになる所を現在の主人アーウィン・フィッツクラレンスに買い取られる。


 それからは、フィッツクラレンスの奴隷として暮らしつつも、懐柔の才能を活用し反抗的なラグラス人を“説得”する仕事をこなす事になった、という訳だが…………


 次第に説得は洗脳となり、卑屈は服従になり、励ましは信仰となった。


 結果、人々が進んで奴隷の道へと進む、“贖罪信仰”が生まれたのだ。


 顔を、しかめる。


「早い話が、“ラグラス人に生まれる時点で我々は罪人なのだから生涯奴隷として罪を償おう”という訳だ。正しく、狂気だな」


 クロヴィスのそんな言葉を聞くまでもなく、常軌を逸しているのは明らかだった。


 生まれながらの罪人?奴隷こそラグラス人の生きる道?


 生まれながらにして罪人なのだから、奴隷としてキセリア人に償いの生涯を生きろだと?


 手にしている資料に、少し皺が寄った。


「資料にも纏めてあるが、そもそもレガリス中の当人達に目覚めてもらわなきゃ話にならねぇ。“私達は奴隷が相応しいので結構です”なんて言われたら、奴隷制度廃止なんて夢のまた夢だからな」


 ヴィタリーの言う通り、黒羽の団が目指している奴隷制度廃止は、当然ながら奴隷達本人に反逆してもらう事が大前提となる。


 錠前を叩き壊し、檻を解放した所で当の奴隷が“不満はありません”と檻の中で寝転がる様ではそもそもの前提が成り立たない。


 だからこそ、この“贖罪信仰”とやらをまずは根本から頓挫させる必要がある訳だ。


 信仰、か。


 口が裂けても信心深いと言える身では無いが、信仰と信念を幹とする連中がどれだけ強靭な意思を持っているか、またその意思を砕く事が困難な事かは身に染みて知っていた。


 結論を言えば、一部の人間は例えその命が尽きようとも最後まで信仰を捨てないからだ。


 それどころか、信仰を全ての支えにしている人々は信仰の為なら、笑って感謝しながら命を絶つ事も出来る。


 そして、その信仰の深さが自身への罪悪感や隷属、服従に向いたとしたら?


 何があっても奴隷から抜け出せない、自身を失った人形の完成だ。


 “贖罪信仰”とは言っているが、奴隷病、人形病とも呼べるだろう。


 資料を見つめる。


 ダニール・ヤンコフスキーを抹殺、か。


 ラグラス人の奴隷を…………


 赤黒い錆の様な記憶が胸の中に広がる。


 悲鳴と慟哭、鮮血と内臓。何もかもが砕けて散った、あの礼拝堂。


 そんな記憶を振り払う様に深く、長く息を吐いた。


「なぁ、レイヴンが奴隷を殺すのか?その、敵の配下とはいえ、奴隷のラグラス人を?」


 奴隷制度廃止を掲げている抵抗軍が、幾ら敵の配下とは言え奴隷を殺す為にレイヴンを差し向けるのは、幾ら俺が紳士でも騎士でも無いとしても些か、いや大いに思う所がある。


「デイヴ、気持ちは分かる。だが……」


 言葉に詰まったクロヴィスに対し、ヴィタリーが皮肉った声を直ぐ様割り込ませる。


「ラグラス人殺しなら得意だろ?数少ない取り柄じゃねぇか。4年前と同じ事をやるだけだ」


 気軽な冗談の様な口調だったが、此方を睨み付けた眼は笑っていなかった。


 今更聖人ぶるな、とその眼がはっきり語っていた。


 最も、眼が笑っていないのは向こうだけではないが。


 声に皮肉の色を乗せて返す。


「ラグラス人を殺すのも4年振りだし、お前で練習しておいた方が良いかもな」


 そんな俺の言葉に、ヴィタリーが俺の前に一歩踏み出した。


 ヴィタリーと真正面から向き合うと身長差は半フィート近かったが、勿論睨み返す。


「止めないか、二人とも」


 直ぐ様、クロヴィスが幾らか焦りの滲んだ声で割って入る。


 少しの間睨み合っていたが、俺もヴィタリーも同時に目線を外した。いがみ合っている場合でない事は、分かっている。


 そんな俺達を、資料を手にしたラシェルが鼻で笑うのが視界の端に見えた。


「スペルヴィエルはどうだ?予め説明した通り、デイヴィッドと違ってお前には今回の作戦を断る権利がある。勿論、口外は控えてもらうが」


 アキムがそんな言葉と共に、丁寧にラシェルに呼び掛ける。


 口ではそう言うが、アキムとしては断らないと踏んでいるだろう。俺が散々に殴られるならまだしも、任務自体を断る様な事は無いと踏んだ上で俺とラシェルの組み合わせを提案したに違いない。


 そんな事を考えて眉をひそめていると、ラシェルが興醒めの様に鼻を鳴らした。


「構いません。敵として殺すなら、キセリア人だろうがラグラス人だろうが変わりませんよ。何色のケツでも出る物は同じです」


 そんなラシェルの発言にアキムが眉をひそめ、クロヴィスが露骨に顔をしかめる。


 しかし、ヴィタリーは口角が僅かばかり上がり、直ぐ様それを堪えたのが分かった。


 “路地裏の流儀”を知っているヴィタリーとしては存外、ラシェルの言葉は気に入る表現だったらしい。


 そして、幹部達3人にそんな顔をされながらも平然としているラシェル。


 何というか、図太いの一言に尽きる。コールリッジの任務説明の際に、スヴャトラフとパトリックは危うく倒れそうになっていたというのに。


 そんな中、クロヴィスの咳払いによって、再び会議の空気が緊張感を取り戻していく。


「資料にも載っているが、今回の任務はヤンコフスキーが演説している飛行船、“セオドア・フォークス”をウィスパーによって襲撃、ヤンコフスキーを殺害次第、速やかに飛行船からウィスパーで離脱という形になる。勿論帝国から派遣された憲兵も居るには居るだろう、装甲兵の話は今の所出ていないが………一応、警戒はしておいてくれ」


 そんなクロヴィスの声を聞きつつ、資料を捲る。


 図面には任務当日、セオドア・フォークスが航行するであろう空域、航路が詳細に渡り示されていた。


 当然の事ではあるが自分が最初この団に来た頃から考えると、随分と調査班も力を増したらしい。いや、取り戻したというべきか。


 その充実した資料によると、当のヤンコフスキーは大型遊覧飛行船“セオドア・フォークス”において数日間に渡り、“償いの道”と呼ばれる講演会を開くらしい。


 数日間に渡る講演、というものだから同じ講演を数日に渡り繰り返すのかと思ったが、どうやら幾つかの章に分けて講演する様だ。


 俺達レイヴンが狙うのは、演説最終日。


 航路によれば最終日、ヤンコフスキーの乗っている“セオドア・フォークス”は遊覧も兼ねてレガリスから無視出来ない距離を離れる上、他の演説日より比較的下層の空域を航行する。


 勿論、言うまでもなく瘴気の影響が出る程下層を航行する事はないが、普段から低高度の霧に覆われる様にしているカラマック島及び黒羽の団からすれば、他の演説日より襲撃に好条件な事は間違いない。


「資料には載っているが、一応説明しておくぞ」


 アキムが淡々と説明を繋げつつヴィタリーに目線で合図すると、頷きと共にヴィタリーが机に空域の図を広げる。


 広げられた空域の図をアキムが指でなぞる様に指し示すと、隣のラシェルが覗き込む様にして一歩前に出た。


 やはりウィスパー操縦士としては、やはり空域と航路が気になるのだろう。


「当日、セオドア・フォークス近辺の空域に霧に隠す様な形で此方の飛行船を停泊させておき、目標の飛行船が確認出来次第、飛行船からウィスパーを発進させる」


 そんなアキムの説明を聞きながら頭の中で想定を組み上げていると、飛行船とウィスパーを模したであろう、木製の模型がクロヴィスの手によって図面に置かれた。


 分かりにくいが、模型を置いたクロヴィスは幾らか自慢げな表情にも見える。


 この模型で図面に指し示すやり方、気に入ってるのだろうな。もしくはやってみたかったのか。


 ウィスパーでカラマック島から直接向かう訳じゃないのか。まぁ、考えてみれば当たり前か。


 ゼレーニナの説明等を聞く限り、ウィスパーの特色は機動力にあると言って良い。


 定点に空中待機しつつ飛行船を待つ様な役目は、改めて考えるまでも無く飛行船の役目だろう。


 顎の辺りを掻いた。


 それにしても飛行船を、俺達の作戦の為に運用するとは。


 日頃、任務の際にカラマック島からレガリス各部の崩落地区へ小型航空機で移動している事からも、黒羽の団がウィスパー以外の航空機を幾つも所有している事は分かっていた。


 冷静に考えれば浮遊大陸を本拠地にしているのだから、大型じゃないとしても飛行船ぐらい所有している事は推測していたが…………


「聞かれる前に言っておくが、ウィスパーと同じく大切に扱っている飛行船の一つを、わざわざ駆り出すんだ。それも、本来は物資輸送用の飛行船をな」


 ヴィタリーのそんな言葉に、改めて考えを巡らせる。


 輸送飛行船、か。ならば少なくとも小型航空機よりは大型と考えて良いだろう。


 小型航空機とは違う本格的な飛行船に乗る等、いつぶりだろうか。


 よく混同しがちになるが“航空機”としての一種が“飛行船”であり、当然ながら航空機が全て飛行船ではない。


 勿論、現代において航空機の殆どに特殊不燃ガスを充填した気嚢がある事から、飛行船とそれ以外を明確に定義するのが難しくなっているのは事実だが。


「君なら言わなくても分かるだろうが………言うまでもなく、輸送用の飛行船に問題があれば今後の物資輸送にも影響が及ぶ事になる」


 そんなクロヴィスの言葉に、思慮を改めて巡らせた。


 本来は非任務用に運用されている飛行船をレイヴンの任務の為に駆り出すのだから、考えたくはないが万が一撃墜でもされようものなら、単に任務失敗やレイヴンの喪失以上の痛手になる。


 当たり前の話だが、いよいよもって負けられない訳だ。


 まぁ、今までも“負けられる”任務など一度も無かったが。


「その輸送飛行船を母艦として、ウィスパーを離着陸させると言う認識で良いでしょうか」


 不意にラシェルのそんな声に、隣を振り返った。


 念の為の確認だろうか。だが確認するまでもなく、資料には作戦順序とウィスパー運航の旨がはっきりと記載されている。


 しかし空図を見るラシェルの眼は冷たく、鋭い。


「その認識で間違いない。それがどうかしたか?」


 アキムが顔を上げると、ラシェルが冷たい眼をしたまま口を開いた。


「半年前、ウィスパーを離着陸出来る中型飛行戦艦、“バーラエナ”は撃墜されて空に消えた筈です」


 思わずラシェルの方を振り返った。飛行戦艦?黒羽の団は、戦艦まで所有していたのか?


 そこまでの戦力があるなら、と一瞬考えるも直ぐ様胸中で否定した。


 戦艦があるなら、とは言うが正しく“だからどうした”で終わりだ。


 単純に飛行戦艦で攻め込んで陥落出来る様な国なら、ここまで大規模な抵抗軍が結成されたりしていない。


 それこそペラセロトツカなど、幾つもの戦艦を所有した上で敗戦したのだから。


 しかし半年前となると、青葉の月頃だろうか。


 俺がこの黒羽の団に来る前、ヤギを切り分けて汗を流していた頃だ。


 帝国軍が、飛行戦艦を撃墜していたのか?


 そんな記事は無かった様な気がするが…………いや、確か不審船に対する記事が新聞に乗っていたな。黒羽の団の所有する飛行船だと断定する前に、帝国軍が撃墜したのか。


 勿論、空の底に墜ちていった飛行船の所属など分かる筈も無い。


「そして、もう一機の飛行戦艦はオーバーホール途中で同時期から作業中止、故障箇所の修理も停滞している筈です」


 流水の様に、丁寧に滞りなく答えるラシェルに内心納得する。


 成る程。俺がこの団に来てから、まるで戦艦の話が出なかった訳だ。


 そもそも稼働出来る状態の飛行戦艦が、既に残っていなかったのだから俺にわざわざ話を振られる訳が無い。


「あの型の輸送飛行船では、ウィスパー離着陸の為の飛行甲板など元から無い筈です。換装したのですか?」


 クロヴィスがそんなラシェルの問いにやや意表を突かれた様な顔をするも、すぐ毅然とした顔で答える。


「急遽、貨物エリアと各種クレーンを換装させた。言うまでもなく、急拵えだがな。格納庫に加え、船体拡張型の追加甲板を船尾に追加してある。ウィスパーの離着陸には事足りる筈だ」


 飛行船の船尾に、追加甲板か。


 帝国軍の頃に大型飛行戦艦の左右から翼を広げるかの如く、平たい甲板が伸びているのを見た事があった。


 そんな、正しく要塞の様に見える戦艦が攻め込んで行くのだから、さぞ敵は恐ろしいだろう、と他人事の様に思った事を覚えている。


「…………あのクラスの飛行船に搭載出来る拡張型の追加甲板では、船尾に一機ウィスパーを着陸させるのが精々です。本来は、飛行戦艦の甲板を拡張する為に換装される装備の筈ですから。今回の任務を見る限り、その甲板に本番機を搭載すればそれだけでもう甲板には、予備スペースすら無くなるでしょう。当然、予備機すら搭載出来ません」


 どこか冷えたラシェルのそんな言葉に、思慮を巡らせる。


 そうか。


 確かに船尾の追加甲板で、ウィスパーの離着陸は出来る。


 だが、言うまでもなく。


「追加拡張の甲板“だけ”でウィスパーを、それも実戦任務に実働している飛行船の甲板に離着陸させるのはかなり綱渡りだと思いますが」


 そう。ラシェルの言う通り“一機が離着陸出来るのなら、飛行船の甲板でも問題ないだろう”と言うのは素人の意見と言わざるを得ない。


 一機分の場所しか無い場所、目標物や比較対象の少ない大空、しかも実際に駆動している飛行船の甲板に実戦任務の離着陸をさせるのだから、空中の小型船から空中の小型船に人間を跳び移らせる様なものだ。


 目測や距離感が難しくなる上に、一歩誤れば比喩でなく死にかねない。


「これで万が一、飛行船側が停船ではなく移動でもしていれば、狭い予備甲板にウィスパーを着陸させるのはかなりの荒業になると思われます」


 ウィスパー操縦訓練を一通り終えた身としては、そのラシェルの言葉は想像するだけで息が詰まる様な話だった。


 空中で、一機しか着陸出来ない甲板にウィスパーを着陸させるだけでも随分と苦労するのに、その甲板が移動しているだと?


 俺に言わせるのなら、それは最早曲芸に片足を突っ込んだ芸当だ。


「………勿論、此方としても無茶を言っている自覚はある。だが、この作戦でウィスパーを最も安定して着陸出来る操縦士は、君が最適だと思っている」


 幾ばくか眼を細めたアキムのそんな言葉に、同じく此方も眼を細める。


 成る程。今までの俺と同じく、このラシェルにも「この通りに無茶をしろ」と綱渡りを承知で連れてきた訳か。


 今更ながら、とんでもない任務だ。


「いえ、もしかしたらご存じないまま作戦を運用しているのでは、とお聞きしたまでです。ご容赦ください」


 そんなアキムにまるで気後れする様子もなく、ラシェルが平然と言葉を返す。それならそれで構わない、とでも言わんばかりにその顔は涼しげだった。


 以前の任務説明でユーリの事を随分剛胆だと思っていたが、こいつもこいつで、違うタイプの“剛胆”だな。


「アキム、本当に他の飛行戦艦は使えないのか?」


 クロヴィスが堪え切れない様にそんな言葉を漏らし、取り合うまでもないと言わんばかりにアキムが手を振る。


 不本意ながら、馴染み深い空気と言わざるを得なかった。


 “こいつが無茶すれば上手く行く。だから、こいつに無茶をさせよう”


 ドゥプラにガルバン、イステルにコールリッジ。


 様々な“目標”を排除する為に此方が無茶をするしかなく、向こうもそれを前提として話を進めている、この空気。


 成果を期待される、鳥籠の匂い。主人に従うしかない、首輪の匂い。


 眉間に皺が寄る。


 あぁクソ、煙草が欲しい。


「御託は良い。忖度無しに答えてくれ」


 未だに言い合う二人を無視して、ヴィタリーが真っ直ぐにラシェルを見据える。


 まるで気負わない様子で、ラシェルが視線を返す。


「出来るか?」


 ヴィタリーがそんな言葉と共に、真摯に問う。


 そんな問いに、ラシェルは冷めた眼をしたまま淡々と答えた。





「ええ、必要なら」

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