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ゼレーニナが住み着いている、この奇妙な灯台擬きは驚く事ばかりだ。
駆動機関が捩れ合って塔の形を成した様な、この居住区兼多機能大型工房は、一般的な灯台よりも遥かに大きく高く造られている。
技術開発班には大型の建造物も少なくないが、ゼレーニナの塔はそれらより一際高く、と言うより群を抜いて高い建造物となっていた。
それこそ、カラマック島及び黒羽の団に来たばかりの自分が、遠目にも“灯台の様な物がある”と気付くぐらいには。
ゼレーニナの奇妙な塔は最初の地上階の時点で既に、様々な工作機械やディロジウムのタンクが並んでいるのだが、本人の言う所に寄ればどうやらあれは大まかな加工や溶接を行う際に用いる、“簡易的な”工房らしい。
俺個人としては“簡易的”の規模には全く見えないが、本人がそう言うのだから仕方無い。
そして、大小様々な昇降機によって上層階に向かえば分かる通り、上層階には居住区だけでなく“本格的な”工房、書庫や倉庫、様々な目的の部屋が存在する。
おそらく上層階には、まだまだ俺の知らない部屋があるのだろう。加えてゼレーニナが溢した話から察するに、どうやら地下室も存在するらしい。
そんな“魔女の塔”の、上層階の一室にてゼレーニナが木箱の蓋を開けた。
「まだ試作なので一般的な鋼材で構成していますが、最終調整の後には専用の合金で製作する予定です」
そんな言葉と共に、ゼレーニナが木箱の中に収まっている刀剣を手で指した。自分で取り出すつもりは無いらしい。
目線で確認を取ってから片手でその刀剣を鞘ごと掴み取り、絡んでいた緩衝材を適当に払う。
鞘は革製だったが造りに細かな粗が見える辺り、間に合わせで用意したものらしい。
鞘から刀身を抜き放ち、粗い造りの鞘を箱に放り込む。
微かに舞い上がった緩衝材が雪の様に再び箱の中へと落ちる中、とうとう対面したヴァネル刀の刀身が鈍く煌めいた。
異質な山刀の様な“それ”を手の中で回転させて握り直すと、何故か左手の痣が幾らかざわつく。
全体の長さはリッパーより幾らか長い程度だが、緩く内反りになった刀身によってリッパーよりも重心が偏っており、打ち込む事に特化していた。
内反りになっている事とこの重心バランスから考えれば、確かめるまでもなく打ち込みの威力を逃がさない様に設計しているのが分かる。
そして、何より特徴として肉厚の刀身は中程から、別の刀身を継ぎ足した様に幅広く造られていた。
再び手の中でもヴァネル刀を回転させ、握り直す。
「成る程な」
そんな言葉が口から零れた。
目の前の空間に標的と、標的の骨や頚椎を思い浮かべ、空想のそれを断ち切る様にして打ち込む。
空想だとしても刀身への力の乗り方と今までの経験から言って、実戦でも間違いなく片腕ぐらい切り落としたのは間違いない。
ユーリが、俺に薦める訳だ。
「一応補足しておきましょう。前にも説明しましたが、ヴァネル刀はリドゴニアから伝わっている刀剣です。元々は日常的に使っている刃物…………山刀辺りから派生したとも、古代の蛮族から伝わったとも言われている刀剣の一種ですね」
厚手のジャケットを着たお陰で若干着膨れして見えるものの、それでも細い腕で腕組みしつつゼレーニナが言葉を紡ぐ。
山刀か。どうりで、打ち込みやすい訳だ。確かにそう言われてみれば、人と切り結ぶよりは枝でも叩き切っている方がしっくり来る。
「ヴァネル刀は本来、肉厚で長大な物からハンティングナイフ程の取り回しやすい物まで、多種多様な派生や系統を含みます」
そんな言葉に、改めて目の前のヴァネル刀を見つめ直す。
リドゴニアでは汎用的な刃物という訳か。戦場で使われる斧が、元々日用品だった様な物だろうか。
「ヴァネル刀は本来、草木を払う様な薄刃の日常的に扱いやすい物は刀身の“反り”が緩く、太い薪を叩き割る様な肉厚の刀身を持つ物は刀身の頑丈さと肉厚さに比例して、刀身の“反り”が強くなる傾向にあります」
そんなゼレーニナの言葉を聞きながら、改めてヴァネル刀を振って感触を確かめる。
リッパーにも山刀の様な印象を感じていたが、やはり自分はこういう系統の刀剣の方が性に合っているのかも知れない。
「ですがそのヴァネル刀は、貴方が任務で剣戟に使う事も想定して“反り”を緩く作ってあります。本来の反りから考えれば、まだ刺突にも向いている形状でしょう」
そんなゼレーニナの言葉に、改めてヴァネル刀の切っ先を意識する。
刺突、か。
確かにリッパーの時も幾度か刺突した事はあったが、刃を寝かせて肋骨の合間から突き刺す様にしていたな。
やりようはあるだろう。
以前、帝国軍に居た頃、リッパーの様な余り刺突向きでない刀身を“骨割り”の人体理解を応用して、肋骨の隙間を通す形で胸から背中へと内臓を引き裂きながら、刀身の根元まで突き刺した事があった。
刺突に、とりわけ困る様な事も無い。
「貴方や一部のレイヴンが扱う“骨割り”についても、リッパーより更に特化した造りになっているかと。コラベリシコフの様に実戦で、生きた相手の胴体を一振で上下に両断する事は難しいでしょうが」
ヴァネル刀を手に握ったままゼレーニナの方に目を向けるも、相変わらずゼレーニナは首すら傾げず平然としていた。
前回の任務を知っているのは今更として、そんな事まで分かっているのか。いや、それこそ今更か。
「詳しいんだな、相変わらず」
少し間が開いたが、それでも落ち着いて言葉を返す。こいつを、見た目通りの小柄な少女だと思ってはならない。
相手はカラスを使役し、ウィスパーと魔女の塔を組み上げ、クルーガーですら知識と実力で言い負かす様な女だ。
「まぁ貴方なら頚椎を切り飛ばせば問題無いでしょう」
そんなゼレーニナの言葉を聞きながら緩く内反りになったヴァネル刀の刃を見つめる。
確かに人を上下に両断しろ、なんて仕事はそうそう来るとは思えない。そこまでの膂力があるに越した事は無いが、少なくとも素早い絶命という点に関しては首を切り落とせば充分だろう。
「このまま実際にヴァネル刀を製造するとして、完成にはどれぐらいかかる?」
ヴァネル刀を粗い鞘に収めながらそう呟くと、追加注文が無かった事に機嫌を良くしたのか微かに得意気な眼をしながら、ゼレーニナが丁寧に言葉を返してくる。
「繰り返しになりますが、刀剣一本ですから余りかからないと思います。仕上げも込みで、数日もあれば納品出来るかと」
そんな言葉に対して、思考を巡らせる。
まだ新しい任務については知らされていないが、次の任務時には間に合いそうだな。
しかし、こうして触れて振ってみただけでも、グリップの長さや形状、先程の内反りの話からしても刀身まで俺専用に造られているのが分かる。
しかもこうして実際に握って振るのはこれが初めてだと言うのに、ここまで手に馴染むのは何というか、流石という他無いな。
性格に難がある事を差し引いても、やはり高額の資金を払うだけの技術は持っている、と言わざるを得ない。
「なら、このまま製造を頼む。鞘もお前なら問題ないだろうが、丁寧に作ってくれ。そちらも特に調整は要らないだろうしな」
何気無しに言ったそんな言葉に、眉をひそめたゼレーニナが直ぐ様反論する。
「私が鞘を手抜きで造るとでも思いますか?当然です」
腕組みをしたままそう言い放つゼレーニナに、ヴァネル刀を丁寧に緩衝材の詰まった箱に収めつつ静かに溜め息を吐く。
相変わらず、不機嫌な表情については事欠かない奴だ。
まぁ元々は開発資金と開発者、取引あっての関係だ。何も、仲良しになりに塔に来た訳じゃない。
そろそろ引き上げ時だろう。サイフォンでも借りてコーヒーでも飲んだら、帰るとしよう。こいつも客人に長居して欲しいタイプじゃないしな。
いや、この部屋からサイフォンの部屋まで向かう方が面倒か?こいつならさっさと帰ってくれ、とか言いかねない。
そんな中、左手の痣が僅かに脈打つ。息を吸い、左手を胸の前で握り締めた。
駄目だ。これ以上は、自分を誤魔化せそうにない。
気にしない様にしていたが、やはり塔に来た辺りから“痣”の様子がおかしい。
そして明らかに、この塔に来た時よりも痣に感じる違和感が強くなっている。
カラスでも近くに居るのか?特に周囲にカラスは居ない筈だが…………違う、カラスが近寄ってきた時は痣がこんな風にざわつく様な事は無かった。
「ブロウズ?」
左手の痣を違和感と共に見つめていると、ゼレーニナから怪訝な声がかかる。
呼び掛けに返事もせずに、辺りを見回す。グリムが近くに居る様な気配も無い、何だ?
この痣は、何を探している?何を追っている?
何をするでもなく、左手を翳した。
微かに聞こえる旋律の様な、何処に繋がっているとも分からない糸を手繰る様な感覚。
聞き慣れた歌を思い出せない様な、もどかしさにも似た奇妙な感覚が左手から伝わってくる。
眉間を、寄せた。
左手に意識と力を幾ばくか込めると、痣から見慣れた蒼白い光が漏れ始める。
それに伴い、痣から伝わるざわめきが焦点を合わせていくかの様に、指向性を知覚出来る程に痣の違和感が鋭敏化していく。
間違いない。この違和感の原因が、近くに“在る”。
「どうかしましたか?」
眉を潜めているゼレーニナを視界の端で捉えつつも、煙から火元を探す様に、反響から音の出所を探す様に手を翳しては、探る様に周囲を彷徨き始める。
「悪い、少し集中させてくれ。1分で良い」
左手を翳しつつ、そんな言葉を投げるとゼレーニナは幾らか抗議の表情を浮かべたが、それでも黙って先を促した。
俺が冗談や悪ふざけじゃない事を、察してくれたらしい。
聞き分けが良いのは、助かるな。そんな下らない感想が脳裏を過る。
指向性を探っている左手を、確かな実感と共に握り締めた。
手を振って辺りを探って見るも、痣の蠢動からしてもどうやらこの木箱を指しているらしい。
左手の感覚を指標に探り当てた、周囲に詰まれていた木箱の一つに手を掛ける。装備か何かを収めた箱か?
木箱の表面に触れていると、木箱を指し示していた痣が唐突に熱を帯びた。
火傷でもしたかの如く木箱から素早く手を離し、左手の痣を抑えるが俺の意思とは無関係に蒼白い光が強まっていく。
ゼレーニナが腕を組んだまま、俺の痣の光に片眉を上げたのが見えた。
熱い。
蠢動する痣の蒼白い光がまるで俺を促す様に、目映い光と共に皮膚を焦がす様な熱を帯びていく。
痣が何を促しているのか、何を求めているのかは、考えるまでもなく分かった。
そんな熱と光を蠢動させる痣を手で抑えていると、目の前の木箱から微かに、唄う様な低い鳴き声が聞こえてくる。
何だ?
奇妙な“唄”に意見を求めようとゼレーニナの方へと視線を投げるも、ゼレーニナは幾らか肩を竦めただけだった。
怪訝な顔を向けると、もっと怪訝な表情が返ってくる。
左手の痣へと意識と目線を向けた。嗚呼、畜生。そういう事か。
認めたくないが、どうやらこの“唄”は俺にしか聞こえていないらしい。
この鳴き声とも呻き声とも言えない“歌声”がゼレーニナにも聞こえているなら、もっとあからさまな反応を示している筈だ。
こんな妙な音が聞こえているのに、あのゼレーニナがここまで無反応など有り得ないと言って良いだろう。
胸中で小さく愚痴を溢す。奇妙な出来事など、それこそ今更か。
痣が指し示す木箱の蓋へ触れ、指に力を込めると少しの取っ掛かりがあったものの、意外にも蓋は容易く外れた。
左手の熱に促されるまま箱の中を覗き込むと、中身を見て自分でも分かる程に眉が上がる。かつて、保管庫を案内された頃の記憶が甦っていく。
木箱の中の“それ”を手に取り、草臥れた緩衝材を幾らか払いのけた。
これは、あの時の…………
一連の流れを眺めていたゼレーニナが、俺が箱から取り出した物を見て「それが原因ですか?」と意外そうな声を溢す。
“それ”を鞘から抜き放ち、鞘を適当に机に転がした。
硬化処理された、フカクジラの骨の刀剣が左手の中で鈍く煌めいていた。
鋼や合金とはまるで違う、奇妙な色合いの刀身を静かに眺める。
かつて、ゼレーニナが検証の一環で製作したと言っていた、奇妙な骨の刀剣。
最初は取り違えかと思ったが、沸き立つ様な左手の熱からしても間違いない。
“これ”だ。このフカクジラの骨の刀剣が、あの奇妙な“唄”で俺を喚んでいたのだ。
そんな骨の剣を握っていると炉が消えた様に、左手の光と熱が徐々に収まっていく。
だが熱は消えた訳ではなく、過熱した金属が熱を伝えていくかの様に痣から骨の剣へと移っていく。
室温が低い事もあり、冷えた鉄とは行かないまでもそれなりに冷えていた骨の剣は、今や人肌の熱程度では説明出来ない程に暖まっていた。
呻く様にも、誘う様にも聞こえる、奇妙な音色が“左手”から伝わってくる。
音の出ている管楽器に手で触れている時の様に、音だけでなく肌から音色が伝わってくるのが分かった。
意識すれば勿論聞こえる。が、意識を外せば聞こえない様な気もする。
不調の時の耳鳴りの様に、不気味で不穏な音色だった。
自身の聴覚、もしくは幻聴に意識を向け、ウルグスのおかげでどんどん不気味な事になっていくな、なんて自嘲していると今度は嗅覚にふと違和感が走る。
何かが焼ける様な、いや焦げる様な匂いがする。少なくとも、気持ちの良い匂いではない。
「ブロウズ」
そんな声に振り向くと、いつの間にか隣にまで近寄っていたゼレーニナが神妙な声と顔で呼び掛けてくる。
「それは、貴方が意識的にやっているのですか?」
「何がだ?」
ゼレーニナが神妙な面持ちのまま、ゆっくりと俺の左手を指差す。
俺の任務での所業を知っているなら痣の蒼白い光ぐらい今更だろうに、何が気になるのか。そう思いつつ言われるがまま左手へと眼を向け、総毛立った。
痣から発せられる蒼白い光。その光と同じく奇妙な蒼白い色へと、骨の刀身が変色し始めていた。
火で炙られている骨に焦げ目が付いていくかの如く、奇妙な蒼白い色がフカクジラの骨の刀身へと広がっていく。
よく耳を澄ませば、低い鳴き声の様な音色に混じって肉が焦げ付く様な音が聞こえる。それも、手にしている骨の刀剣から。
息を呑んだ。
濡れた香木と腐肉の匂いの中、冷えきった枯れ木の森でクジラの亡骸から骨の両手剣を引き抜いた記憶が甦る。
口腔から、意思とは無関係に細長い息が静かに抜け出していく。
欠片でしか無かった数々のピースが、音を立てて噛み合うのが自分でも分かった。
悪夢で見た以上の情報が、戦慄する程の確信を持って脳内へと流れ込んでくる。
今ならあの不気味な悪夢が俺に何を促し、指し示していたのかも明確に理解出来た。
“それ”が俺に対して、痣に並ぶ程におぞましい力を与える事も。
そして、“それ”が無ければおそらく俺はこの先、志半ばに倒れるだろうという事も。
“虚無”で嗅いだ匂いが、鼻と喉の奥に明瞭に甦る。
運命、か。胸中でそんな言葉を漏らしつつ、苦笑を溢した。
いつの間にか至近距離にまで近寄り、唇に指で触れながら蒼白く染まった骨の刀身に見入っているゼレーニナに、声を掛ける。
「なぁ、一つ聞かせてくれ」
そんな俺の言葉に、我に返った様にゼレーニナが顔を上げた。
「はい?何です?」
脳裏に、ウルグスの蒼白い双眸が過る。
「あのヴァネル刀を、フカクジラの骨で製作出来るか?」




