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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
110/294

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 マルセル・エベールは随分と余罪があったらしい。






 技術開発班の団員が引き摺る様にして医療班か何処かに運んで行ったが、遠目に見ても女性団員は軽蔑の眼を向けていた。


 何なら、運ぶついでに唾を吐いて踏みつけなかったのが不思議なぐらいだ。


 ラシェルは一人の名前しか出さなかったが、周りの反応と女性団員の睨み付け方からしても結構な人数に恨みを作っていたと見える。


 鼻骨を潰され睾丸を蹴り上げられ、血塗れで気絶するまで殴られて尚、運ぶ団員が誰一人憐れみの眼を向けなかったのだから。


 自分とて、口が裂けても女付き合いが上手いとは言えない身の上だが、だとしてもここまで酷くは無い。


 当然、マルセル・エベールという人物に詳しい訳では無いが、多少は大人しくなってくれる事を祈る。


 少なくとも、スラングだらけの路地裏の汚い例えが、文字通りに実現してしまう前に。


 考えてみれば俺があの時、邪魔が入らずにマルセル・エベールを叩きのめしていたら、良くない方向に話は進んでいただろうな。


 断言は勿論しないが、少なくとも俺なら血塗れの戦意を失った相手を気絶するまで殴る事はまず稀な事だからだ。


 余り簡単に“懲らしめてしまった”ら、きっとマルセルは転んで膝を擦りむいた、程度の不機嫌と共に悪態を吐きながら自分の足で帰るだろう。


 過去の女性問題を反省したりは、間違いなくしない。


 これは何人もそういう連中を見てきたから間違いない。その程度で反省する事は、まず無いと言っていい。


 そう考えると、俺が最後に止めに入る程ラシェルがマルセルを叩き潰したのは結果的には良かったのかも知れないな。


 中途半端に止めて、もっと問題が拗れても面倒だ。


 どうやらラシェルはああいう輩をよく叩きのめしているらしく、女性から“あのクズを叩きのめして欲しい”と頼まれるらしい。


 そのクズがどうにも女性達の手に余るとなれば、ラシェルが叩きのめしに行くらしい。


 それが悪漢くずれでもレイヴンくずれでも、例え現役のレイヴンであっても。


 何たってラシェル自身が、現役のレイヴンでもあるのだから。


 因みに、もしその訴えが嘘だった場合、それこそ女性相手でも鼻骨や鎖骨をへし折るらしい。


 その公平性と気概が噂になり、女性達からは随分と信頼されているとか。


 名付けられた由来は色々あるが、一部から“血塗れのカワセミ”と呼ばれているそうだ。


 “カワセミ”はその容姿から、“血塗れ”の理由は聞くまでもない。


 マルセルが聞いていた“見境無し”については、聞かない方が良いだろう。あの嘲る様な口調からしても、余り良い意味とは思えない。


 わざわざ、噛まれる為に手を差し出す事もない。


 こうして、一時は一触即発と言える程に緊迫した俺とラシェルだがその後幸運にも、どちらの骨を折る事もなく談話が出来る程の関係となった。


 あのまま、ラシェルの肋骨を折るつもりだった身としては正直、困惑は隠せないが。


 何故かは知らないが、ラシェルは俺が黒魔術を使い帝国に反逆し、その上肩にカラスを留まらせているという“如何にも悪魔”な様子が大層気に入ったらしく、暫くは八つ裂きにする事も関節を蹴り砕く事も勘弁してくれるそうだ。


 小声で話してくれたクルーガーによると、“信じられません”との事だった。


 もう少し、別の事で僥倖を実感したいのものだが。


 そして、奇跡的にラシェルと仲良くなれた“悪魔の遣い”こと俺は、久し振りにアームに逆さ吊りにされていた。


 ラシェルがウィスパー操縦訓練装置に、無茶苦茶な設定をしたからだ。


「そよ風の時だけウィスパーを操縦するつもり?本番じゃ1分も経たずに墜落ね、あんたのケツもタマも、空の底で空魚の餌になるのがヲチよ」


「あんな強風設定で飛べる訳無いだろ、訓練装置の最大設定じゃねぇか」


 嘲笑してくるラシェルに対して、逆さ吊りにされたまま言葉を返す。


 暴風雨に鼻から突っ込む様な設定で、バランスを保てなければ逆さ吊り。また、基準速度や回転数を下回れば直ぐ様逆さ吊り。


 皿を回す曲芸を両手と片足と歯でやれと言われている様な物だ、無茶苦茶としか言い様が無い。


 だが、じゃあお前がやってみろとは言えなかった。


 俺にやらせる前に、ラシェル自身が同じ設定で訓練を涼しい顔で終えてしまったからだ。


 内燃式駆動機関の起動から回転数の上昇、傾斜、旋回、離着陸。


 微風設定の俺がクルーガーに誉められていた操縦より、強風設定のラシェルの方が余程安定してこなしていた。


 内心、舌を巻いた。


 クルーガーの言っていた、一流のウィスパー操縦士というのは冗談や誇張では無いらしい。最も、この団でそんな事はそうそう有り得ないとは分かっていたが。


「操縦課程の最終検定を終えたから、もう何があっても大丈夫とでも思ったの?この空には、教科書通りの天候しか無いとでも?」


 ラシェルが嘲る様に、というより完全に嘲った口調で笑う。


「あんたの操縦を見てると、吊るした砂袋を罵倒しながら殴ったり得意気に身を翻したりして一人で勝ち誇ってる、路地裏の惨めな負け犬を思い出すわ」


 随分な言われようだ、一応これでも苦労して訓練を積んだのだが。


 だが、実際に一流の操縦士にこき下ろされては返す言葉も無い。


 最初、ウィスパー操縦訓練について俺を誉めていたクルーガーは何とも気まずそうだが、実際に現場でウィスパーを操縦して空を飛び回っている本人が言うのだから、認める他無かった。


 そんな気まずそうなクルーガーがアームを操作し、俺が地面に下ろされるのを眺めつつラシェルが新たな煙草に火を付ける。


「墜落して空魚の餌になる前に知れて良かった、笑い話のネタを一つ逃す所だったわ」


「語り継いでくれる様で何よりだ」


 ベルトを外し、漸くアームから下ろされて肩を回す。


 暴風雨の中で操縦する事を前提で訓練しろというのも無茶苦茶な話だが、“じゃあ現にウィスパーを操縦してる時に暴風雨が起きたらお前はどうするのか”と言われたら、苦い顔をするしか無いが。


「カラスに飛び方教えて貰いなさいよ、テネジアに唾吐く様な“悪魔”なんだから其処らのカラスと話したり出来ないの?」


 煙草を咥えたまま、道化でも見ているかの口調でラシェルが笑った。


 クルーガーが俺とラシェルの顔を一瞬見た後、意図的にその話題に触れない様にしながら、再び訓練装置の設定と準備を始める。


「言っただろ、カラスが勝手に肩に留まるだけだ。話せた事は無いし、何か教えて貰った事も無い」


 カラスに指示を出して情報収集している奴を知っているが、話さない方が良いだろうな。


 何を言われるか分かったものではない。


「任務でカラスの化け物を呼び出して、帝国軍のクソどもを襲わせたじゃない。その化け物を呼び出して教えて貰いなさいよ、“悪魔”なんでしょ?」


 咥え煙草の紫煙を吹かしながら、酒の余興でも見るかの様にラシェルが煽ってくる。


「それは………」


 思わず、振り返ってクルーガーが声を漏らした。


 勿論ラシェルが引く訳もなく「何よ?」と怪訝な顔で言葉を返す。


 仕方の無い話ではある。


 クルーガーは、俺がどんな思いで黒魔術を使っているかを知っているからだろう。


 黒魔術を使った際の、肺の奥まで冷え込む様なおぞましい感覚については、あれからも幾度かクルーガーに話している。


 言うまでもなくクルーガーはその発言についても、俺の事を心配してくれていた。


 だが、事情を知らない連中からすれば俺が上着のボタンを留める様な感覚で、黒魔術を使っている様に見えるのだろう。


 理解してもらえるとは思わないが…………説明するしか無いか。


「……生憎だが、“あれ”はそう簡単に出来る事じゃないんだ。少し魔術を使うだけでも、骨まで冷え込む様な感覚がする。余り、遊び半分では使いたくないんだ」


 俺のそんな言葉に、ラシェルの眼がつまらなそうに細くなる。


「怖くてパンが焼けないパン屋って訳?思ったより不便なのね、“悪魔”ってのも」


 随分な言われようだが、まぁ分かっていた事だ。どのみち、俺は元々機嫌取りが得意な方じゃない。


 その逆なら、得意技なんだがな。


「パンを焼くのは仕事で必要な時だけだ。どのみち、何でパンが焼けるのかもよく分かってないがな」


 そんな俺の言葉に、ラシェルが鼻を鳴らし冷めた眼で煙草の灰を落とす。思ったより、黒魔術が気軽に使えない事に興醒めしたらしい。


 勿論、俺の知った事ではないが。


「ラシェル!!!」


 そんな中不意に飛んできた、活発な声に思わず目をやるとロングコートを着た、キセリア人の女性が此方に駆け寄ってきていた。


 身長は5フィート半に届かない程度、赤毛の長髪は“フィッシュボーン”と呼ばれる方式で編み上げられ、纏められている。


 駆け寄る動きと体躯から見ても、“荒事”には縁が無さそうだ。


 少なくとも、鎖骨や肋骨を折る様な羽目にはならないだろう。


「マリー、後で向かうつもりだったのに」


 駆け寄ってきた女性を見て、ラシェルの顔が目に見えて柔らかくなる。


 どうやら随分と親しいらしい。少なくとも俺やマルセル、クルーガーにはまず見せない様な表情だ。


 そのままの勢いでマリーと呼ばれた女性がラシェルに抱き付き、笑ってラシェルが受け止めた。


 煙草を咥えたままなのが、何とも言えない。


「聞いたわ!!!あのクズがナニとタマを蹴飛ばされた後、顔までクソを擦られて運ばれたって!!!」


 どうやら同類らしい。少なくとも、ラシェルと“同じ流儀”なのは間違いない。


 そんな中、ラシェルの腕の中のマリーと目が合う。


 ラシェルに抱き留められたまま、小鳥の威嚇でも見ているかの様にマリーが怪訝な顔をする。


「誰こいつ?マルセルのクズ仲間?」


 相も変わらず随分な言われようだ。普段、自分が他の団員にどんな風に見られているか、身に染みて実感する他無い。


 マリーを抱き留めたまま、ラシェルが優しく笑いながら此方に顔を向ける。


 商店街の鳥籠を指差す親子の様だ、と苦々しい例えが頭に浮かんだ。


「こいつは違うわ、あの有名な“悪魔の遣い”。皆噂してるでしょ?テネジアの顔をクソの付いたブーツで踏んづけて、カラスと一緒に帝国軍に襲いかかる化け物よ」


 笑顔のままそんな事を言うラシェルに、完全に手を止めたクルーガーが「ミス・スペルヴィエル……」と小さく苦言を溢す。


 勿論、抱き合っている二人は気にも留めない。俺達は喋るハトぐらいのつもりで居るのかも知れない。


 いや、それこそハトじゃなく“カラス”か。


「そんなのと何話してたの?」


「あら、知りたい?」


 片手に煙草を持ち替え、抱き合ってやり取りをしている二人の様子からしても、かなり親しい様だ。


 正直、親し過ぎる気がしないでも無い。家族か?それにしては赤毛とブロンドだが。


 ラシェルが此方の視線に気付いたのか、此方に眼を向ける。


 煙草片手に漸く離れたかと思えば、もう一度マリーに目をやった後、自慢気な顔でラシェルが笑った。


「あぁ、勘繰られる前に言っておくわ。マリー・トリベール。私の自慢の“彼女”よ、可愛いでしょ?」


 そんなラシェルの言葉に、身体を離した隣のマリーまでもが胸を張る様にして、誇らしげな顔を此方に向けてくる。


 少し、口が開いた。


「何よ、あんたらだって毛むくじゃらの男より可愛い女の子の方が好きでしょ?」


 そんなラシェルの言葉に、マリーも嬉しそうに笑う。


 ……クルーガーの反応からしても、どうやら既知の事実だったらしい。まぁ、だからどうしたと言われたらそれまでだが。


 しかし何というか、この二人は関係を隠す様な事もなく、随分とオープンにやっているらしい。


 むしろ、隠すどころか自慢気にさえ見える。いや、現に自慢されているか。


「あぁ、成る程な」


 取り敢えず、そんな言葉が出る。意味が通っていないが、それ以外に言葉が思い付かなかった。


「言っておくけど、“男の良さを教えてやる”なんて抜かしたら、あのクズが無傷に見える様な目に合わせるわよ。男に期待するのはもう懲りたの」


 幾ら俺でも、そこまで馬鹿じゃない。そう言い掛けたが口に出すのは止めた。


 俺の返事を待つまでもなく、もう二人は掛け合いを始めていたからだ。


「あぁそうだラシェル、忘れてた」


「うん?」


 クルーガーと顔を見合わせるも、クルーガーは小さく肩を竦めただけで再び準備に戻ってしまった。


「ニーデクラ産の、良い白ワインを貰ったの!ラシェルも一緒に飲まない?付け合わせに、パイも焼こうと思ってるの。前の様にはならないから、ね!」


「そこまで言われちゃ、飲まない訳には行かないわね。今すぐ行きましょ」


 そう言って、二人は当たり前の様にウィスパー訓練場の外へと歩き出してしまう。


 思い出した様に、「また別の日に来るわ」と気軽にクルーガーに言い残し、ラシェルとマリーは意気揚々と行ってしまった。


 二人は全く振り返る事もなく、時折子供の様に突っつき合いながら歩いていく。


 そして二人が見えなくなった後、俺とクルーガーだけがウィスパー訓練場に取り残される形となった。


 少しして顔を見合わせるも、溜め息が溢れる。


「…………随分と個性的なレイヴンも居るんだな」


 つい口から出たそんな言葉に、クルーガーが小さく笑う。


「私としては、ミス・スペルヴィエルと貴方がウィスパーの事で言い合いになって、殴り合いを始めるんじゃないかと気が気じゃありませんでしたよ」


 クルーガーのそんな言葉に、頭を掻く。まあ、そうだろうな。


 一旦は談話する仲になったにしろ、いつ“沸騰”して血塗れの殴り合いが始まるか分からない。


 それこそ、大の男でも殴り倒して鼻骨を叩き潰す様な女だ。


 顔見知りで仲の良い相手でも、何か“薪が燃える”様な事があれば、直ぐ様噛み付いて顎でも膝でも蹴り砕くだろう。


 漸く設定が終わったウィスパー訓練装置を稼働させながら、クルーガーがふと振り返る。


「ミスターブロウズ、一応聞きますが…………今回の風速設定はどうしますか?」


 楽しげに笑うクルーガーに、目を細めた。


 ラシェルが指示した暴風雨の設定で、直ぐ様吊り上げられた記憶が脳裏を過る。






「“微風”に戻してくれ」


 クルーガーが、笑いながら目盛りを設定し始めた。

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