第七話 また会うことがあるのなら
俺がなぜ騎士にこだわるのか。きっかけは、あの騎士からの感謝だったのだろう。
だが、きっかけはそれだったというだけで、特別な理由があったわけではない。
ただ、騎士として戦い続ける中で、ゆっくりと気持ちが育っていっただけだ。
魔物を、魔族を倒して、誰かを守る。繰り返される感謝の言葉と、荒らされなかった村や町の姿。俺が見たかったのはそれだけで、そのためなら、どれだけの苦労も惜しくなかった。
人を守り、感謝されるのが騎士で、その生き方に何の疑問もなかった。
騎士として生き、騎士として死ぬ。それだけで満足だった。
そのためならば、なんでもしようと、思っていた。
ならば、今のこの状態はどうだろう。心臓の鼓動をとめ、魔力の脈動をやめ、首を切り離された俺を前に、プルーストは剣を納め、背中を向ける。きっと俺にまだ意識が残っていることにも気付いていない。
爪が甘い、わけではないのだろう。こんなにまでなって意識があると思う方がおかしい。おかしいのは俺だ。いや、この紫色の魔力だ。
死に近づくほどに力を増す。ならば、ほとんど死んでいる俺は、どれだけの力が与えられるというのか。
思い出すのは愛馬の姿。彼は、死んでもなお、俺を見て、瞬きをして、動いた。今の俺もそれと同じだ。死の間際に、できる最後のひとあがき。
冷たい、冷たい死が迫る。ひどく眠い。冷たい眠り。全身を覆うように真っ暗な冷たさが満ちて、侵して、けれどその中に、わずかに。暖かな何かがある。脳裏によぎる、不愛想な顔。
フローリア。そうだ。俺は約束をした。勝つと。守ってみせると。ならばこんなところで、倒れていいわけがない。
あいつが生きていたなら、きっと国を、フローリアを襲うのだから。
――のために。死ねない。あいつを殺すまでは、俺は絶対に死ねない。
トリカブトのハルバードは、まだ俺の手の中にある。
ドクン、と脈打つ音。俺の物言わぬ心臓からではない。俺の心が、脈打っている。生きるのだと、死ぬまで生きるのだという激情が、俺をまだ動かす。
熱い。熱い。心が、熱い。死体の体に魔力が湧き上がる。力が、増していく。
ハルバードが、薄く光を発した。
「ぬ」
プルーストが振り返る。首無しの俺の体は立ち上がり、プルーストめがけてハルバードを振り下ろしていた。
「馬鹿な」
ハルバードは抜剣と同時に受けられる。まだだ。続けざまに連撃。けれど、ふらふらの攻撃は、容易く受けられる。
弱い。これでは守れない。首がいる。ハルバードから魔力を引き出し、柄から魔力の手を伸ばす。紫色の手が俺の頭を掴み、投げ飛ばす。
俺の首から紫色の魔力が飛び出し、首を縫合。体の感覚がつながった。動かすだけの感覚。痛覚はなく、冷たさの中の、ほんのわずかなぬくもりだけがわかる。
「ぅ……ア」
口からこぼれる言葉は亡者のそれ。今の俺は死んでいる。血の流れ切った血管には、代わりとばかりに紫色の魔力が巡り、青白い体の上に醜く血管が浮かんでいる。
「化け物か。貴様、正気か? 自我は残っているのか?」
そうだ。俺は化け物だ。だがそれ以上に騎士で、人間だ。俺は騎士として、人間として、お前を止める。倒す。
冷たさを飲み込むくらいに、熱い。心が熱い。ハルバードを構え、突く。
「ちぃっ! 化け物殺しなど、我は望んでおらぬ!」
水中で体を動かしたようだ。曖昧な感覚と、感覚を追い越して放たれる突き。
撃ち抜くと同時に、紫色の水流が飛ぶ。プルーストは避ける。さらに魔法を重ねる。俺の体の全身から、紫の水撃が飛び、プルーストをつけ狙う。
その全てをプルーストは避ける。避ける。避ける。黒色の瘴気が蠢く。同時に、俺は動いた。
「……ァア!」
プルーストに接近。魔法を絶え間なく行使しながら、ハルバードを巡らせる。多彩な武技はハルバードの強みだ。払い、打ち、切り、突く。魔法で撃ち、切り、流し、潰す。その全てを、プルーストはかすりもせずに凌ぎ続ける。
ハルバードは幾度も弾かれ、水魔法も打ち消される。打ち消されずにすんだ魔法も、上空に打ち飛ばされる。
反対に、プルーストの瘴気が、剣が、俺の死んだ体を傷つける。肌を裂き、肉を切り、骨を断つ。俺はこれまでにないほど速く、強く、動いているのに、こいつは当たり前にそれを乗り越えてみせる。
ハルバードを振る度に、魔法を行使する度に。心の熱を脅かす冷たさが増す。逃れ得ぬ死という法則が、世界の真理が、俺を押しつぶそうとする。
「ぬぅぅぅっ!」
「……カァッ」
限界は唐突に訪れた。
三連撃の水槍を上空から、正面からハルバードの薙ぎ払い。悪手を打ったつもりはなかった。瘴気で水槍を打ち消される。大剣でハルバードを受け流される。
一瞬の隙だった。流れた血が、ハルバードを持つ手を滑らせた。感覚のなくなった手がハルバードを取り落とす。
「隙」
風を切る鋭い音。ハルバードを持つはずの右手が、大剣で斬り飛ばされた。高く舞う右手。さらに、大剣はさらに奔り、俺の左腕も切り落とした。
「ァ、ギガ」
両腕を失って。死がさらに近づいて、抗えなかった。膝をつく。地面に転がったハルバードを、プルーストが大剣で遠くに飛ばした。
「もう、十分だろう」
怪物が言う。
「これ以上戦って何になるというのか。お前では我に勝てない。人と魔族には、それだけの差がある。おとなしく、滅ぼされていれば、何も苦しいことはないというのに」
すでに動きを止めた心臓が、大剣に貫かれる。痛いという感覚すら、当の昔に失くしてしまった。
「いい加減、終われ。生き恥を晒すな」
怪物が言う。――生き恥? なんのことだ。俺は、恥ずかしいことなんて一つもしていない。
「死に、そのくせに化け物としてよみがえり、何を為せるか。それで何かを守ったつもりか? 貴様に、誇りはないのか? 誇りなき者など、外道だ。だが外道であれど、死に際の良さくらいは持ち合わせていよう。死してなお、生きる理由などない。だから、もう、終われ」
終われるはずがない。だって約束したんだ。彼女と、俺は、国を守ると、民を、だから――
あぁ、いや、もう、終わりだ。仰向けに倒れる。灰色の空が見える。フローリアがよく見ていた空。明るくなっている。もう、朝か。
「ようやく終わったか」
プルーストが言う。でも、それは俺一人の終わりじゃない。
確かに終わった。魔族軍幹部プルースト、お前の死で。
ポツリと、水滴が空から落ちた。
「何?」
間の抜けた声がする。パラパラと降る雨は、俺とプルーストのいる一帯に降り注ぐ。
紫色の、雨が降る。
「馬鹿な!」
もう遅い。プルーストはこれまでずっと俺の魔法に触れなかった。きっとこの魔力の猛毒に気付いていたんだろう。
でも、いくらお前でも、空から降り注ぐ雨は防げないだろう?
「ぬぅっ」
プルーストは黒い瘴気を全身にまとわりつかせる。瘴気で雨を無効化するつもりだが……甘い。
プルーストの瘴気が、黒から紫色に変じた。
「がっ……な、なぜ」
猛毒と化した瘴気が、いやトリカブトの毒霧がプルーストを襲う。触れた者を死に近づける激毒を、お前は何度無効化した? その大剣で、甲冑から噴き出した瘴気でどれだけ触れた?
蓄積された毒は、プルーストの瘴気すら変質させ、その身を侵した。
「ぁ……」
あっけなく、プルーストは地面に倒れた。きっともう動かない。安心して、心の熱が冷める。死を押しやっていた熱が冷めて、一気に終わりが押し寄せてくる。
――よかった。守れた。俺は騎士として、この国を守れたんだ。
――民を守り、国を守る騎士として、俺は再びの死を迎える。
――これで、もう悔いは、
どうして私を、
――悔いは、
私のことを、
――意識が暗くなる。今度こそ終わる。最期に浮かんだ光景は、感謝する村人や部下たちの姿ではなく、プルーストの姿でもない。
私のことを、見てくれないの?
――フローリアの泣きそうな顔だった。
――あぁ、フローリア。最期に見るのは、君なんだな。泣きそうな、君の顔なんだな。……ごめん、フローリア。俺は君を幸せにすることができなかった。国を守れても、民を救っても、君の心を守ることができなかったよ。
――ごめん。どうすればよかった?
――フローリアは何も答えてはくれない。当然か。フローリアはここにはいない。あの夜の、幻だ。
――後悔があった。騎士として成り上がるための道具として彼女の夫になったことを、ずっと後悔していた。
――もし時間をさかのぼって、同じ場に立たされたのなら、俺は何度だって同じことを繰り返そう。何度だって君と結婚して、道具にして、騎士として成り上がろう。
――けれど、
――けれど、同じことは繰り返さない。大事にしたい。初めてそう思った。あの遠乗りの日のような日々を、幾度も重ねよう。心を重ねて、形だけではない、心からの夫婦になろう。
――守ってあげたかった。守りたかった。騎士としてではなく、一人の男として、君を守りたかった。そばにいたかった。
――フローリア。どうか幸せに。願わくば、俺のような大馬鹿者じゃない、もっといい男を見つけて結婚してほしい。幸せになって欲しい。
――不愛想な顔。怒った顔。泣きそうな顔。……ほっとした顔。思い浮かぶ顔の中に、笑顔は一つもない。笑った顔が見たかった。
――世界が、溶ける。消えてなくなる。もう、最期だ。全てが消えてなくなる刹那の合間、
俺は、奇跡を見た。
空が、晴れた。
澄み渡る青い空。灰色じゃない。真っ青でどこまでも広がる空。何も変わらない、変わるはずのない空がその色を変えた。
ありえない奇跡が、起きたのだ。
あぁ、そうか。フローリア。きっと、君は、俺は、君のことを、俺のことを――
――て




