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第六話 もう一度


「ブルルッ」


「お前……」


 玄関から外に出ると、聞きなれた声がした。黒毛が美しい馬だ。俺が騎士になった時に、兄たちから送られ、以後、ずっと戦場を駆けてきた相棒。


 プライドの高い愛馬は、ようやく来たのかとばかりに鼻を鳴らす。俺がここで眠っている間、ずっと待ってくれていたのだろうか。馬の背には、すぐにでも戦場へ行けるように、鞍が乗せられている。誰が鞍を乗せたのか、考えるまでもない。


「フローリア」


 彼女は、こうなることを予想していたのだろうか。早く乗れと言わんばかりに鼻先を寄せる馬に、俺は手を伸ばしかけ、一歩下がる。


「なぁ、俺は今毒があるそうだ。きっと俺を乗せたら、お前は死んでしまうよ」


 花の茎にわずかな間触れたフローリアですら、指がただれていた。俺自身、自分の魔力が変質してしまった自覚はある。こいつのような敏い馬なら、それくらいの変化、すぐに気づくはずだ。


 しかし、馬は構わないとばかり、俺を見つめてくる。澄んだ瞳が、ゆるぎなく俺を見据える。全てわかって、その上で乗れと言っているのだろうか。


「いいのか?」


 くどい、とばかりに馬が俺の頬をなめる。ドクン、と心臓が脈打ち、馬の体に何かが流れ込んだ。


「ブル……」


 馬はかすかに見たじろぎしたが、変わらず俺に向いている。俺は、馬の手綱を取り、その背に飛び乗った。


「わかった。……最期まで、頼むよ」


 首を撫でるように叩くと、馬は高らかにいなないた。横腹を蹴り、戦場へ向かって駆け出した。一歩一歩がこれまでになく力強い。


 どんよりとした夜空の下、俺と愛馬は黙って駆けた。右手にハルバードを持ち、左手に手綱を持ち、中腰で戦場へ進む。戦場に近づくにつれ、魔法や剣戟の音、悲鳴や怒号は次第に大きくなる。遠目に見える戦争の姿。あの声の中に、俺の知る仲間はいるのか。命は残っているのか、いないのか。


 守らなくては。強く思う。それが俺の、人であるより、騎士を選んだ生き方なのだから。


 戦場に接近する。近くで見た景色は、悲惨の一言に尽きた。


 少ない人間の兵士と、同数の魔族の兵士。魔族は人間より実数少ない代わりに、個体ごとの強さはけた違いだ。同数であれば、人間側の不利は当然だ。


 奮戦はしたのだろう。地面に転がる死体は皆決死の表情を浮かべていて、真っ赤な血の花があちこちに咲いていた。血は赤色のものばかりで、魔族の血はわずかにしかない。以前の戦いで、王国側は大きな被害を受けた。魔族側もそれは同じなはずだったが、どうにかして立ち直ったか。通り過ぎた国の兵舎は無残に破壊され、非戦闘員であろう人々の亡骸があちこちに散らばっていた。


 その中に一人、見知った顔を見つけて、馬を止めかける。戦いに疲れた騎士団に、いつも温かな食事を届けてくれた女性だ。弔いたい。感情を抑え込み、馬を加速させる。今俺がすべきことは弔いじゃない。何のためにフローリアのもとから離れたのか。俺がすべきことは決まっている。


 国はどういう戦術をとったのか。死体の数は、兵舎に勤めていた人間に比べるとかなり少なかった。被害を少なくするために、王国の領地から、魔族の領地の方角へ、戦場を移しながら戦ったのだろう。そのための苦労と、兵士たちの努力はいかほどのものか。国と命を守ろうとしているのは俺だけではない。俺を生かす心臓が、一度、大きく高鳴った。


「おぉぉぉぉぉぉっ!!」


 見えた。まだ人と魔族が戦っている。顔に恐怖を浮かべながら、それでも下がらずに、強大な魔族と戦っている。魔族と人間の数はさして変わらない。


 兵士たちの中に騎士団の鎧を着た男を見つけた。顔を見て、気付く、彼はあの戦いで最後まで戦い抜いた俺の部下だ。半壊した鎧と、刃の潰れかけた剣で、魔族と争っている。


 脳が真っ白になる。ハルバードを高く掲げ、叫んだ。


「総員に告ぐ、伏せろ!」


 響く声に、兵士たちは反射的に伏せる。あの日のようだ。思って、ハルバードの魔力を魔法に変える。


 紫色の魔力が意味を成し、激流に転じる。灰黒の空に振りあげたハルバードを一閃、追うように、紫色の水流が迸った。


 同時に、俺のいる一帯に水刃が舞い、魔族たちの首を飛ばした。狂騒に包まれる戦場を、一瞬の沈黙が支配する。魔族の首を刎ねた水刃は、緩やかに流れ、一滴も残さずにハルバードの中に返ってくる。


 兵士たちの驚愕と動揺の視線の中、心臓がひどく脈打った。寸の間、気が遠くなる。傾きかけた体を、馬が体を動かすことで誤魔化してくれた。


「隊長、どうして、あなたは死んだはずじゃ」


 沈黙を破ったのは、部下の一声だ。何気ない一言に、俺はやはり死んでいたのだという確信が身を浸す。死。体内を流れる紫色の魔力が、歓喜するように蠢いた。蠢くと同時に、魔力の強さが増す。


「国を守るために、よみがえったんだよ」


 冗談めかして、短く答える。


「そんな馬鹿な話が……いえ、中隊長」


 部下は顔をしかめて首をふり、真っすぐ俺を見上げて言った。


「ただいま我が国軍は、魔族軍からの強襲を受けております。摩耗したままでの襲撃に、軍は大きな痛手を受けております。志願した者たちで戦場を国から離れさせておりますが、戦力の差は歴然です。このままでは、軍は全滅すると思われます。どうか我々に指示を」


「……わかった。なら、これは指示じゃない。一つ頼みある」


「なんでしょう」


「あとは俺一人でやる。退却しながらでいい。会った国の兵士に、ここから離脱するように伝えてほしいんだ」


「それは」


 言葉を失ったように、部下が口を開閉させる。彼も騎士だ。簡単にうなずけないことを言っている。俺は、手に持ったハルバードをちょいと動かす。


「いくら中隊長でも……」


「必ず守る。守ってみせる。だから、頼むよ」


 これから俺が戦う上で、きっと仲間は重しになる。幼い頃に切り捨てたはずの考えを、今になって持ち出してる。俺一人の方が強い。そっちの方が戦える。


 それでもためらう部下に、さらに言葉を重ねる。


「俺一人の方が強いんだ。こうしている間にも、仲間たちが戦ってる。殺されてるかもしれない。だから――」


「わかり、ました。中隊長の初めてのお願いですからね」


 剣を強く握りしめて、部下は言った。


「ありがとう」


「ですけど、あとで必ず、文句を言わせてください。みんな、あなたには言いたいことが山ほどあるんですから」


「……あぁ」


 きっとそれは無理な話だ。言葉を飲み込んで頷く。部下たちは兵士を率いて去っていった。一人になってつぶやく。

「さよならだな」

 俺は、部下の行っていない、別の魔族たちのいる方に向かって馬を進めた。


 戦場を駆け回り、魔族と人間が戦っているところを見つけて、ハルバードを振るう。ハルバードから放たれる水の魔法は、鋭く、速い。手足のように水刃は動き、簡単に魔族を殺してしまう。


 武器一つでここまで変わるのか。あっけないくらいに容易い。戦場を駆け回りながら、仲間を助け、魔族を殺し、戦場から離れるように促す。


「はっ……はっ」


 暗い空が少しずつ明るくなってくる。魔族を殺せば殺すほど、魔法を使えば使うほど、魔力はますます増し、俺の体も軽くなる。もう、体の感覚すら曖昧だ。


「ブルッ」


「どうした?」


 いくつかの集団を壊滅させて、次の場所へ行く途中、馬が急に暴れ出した。周囲を見渡しても、何もいない。なのに、馬が何かを嫌がるように、体を跳ねさせる。


 こんなことは、今までなかった。


「ブルルルッ!」


「うおっ」


 ついに馬が大きく前足を上げて、俺を跳ね上げる。俺の体が空に浮き、馬の首が跳ね飛んだ。


「はっ?」


 頭の無くなった首から血が噴き出し、俺の体を濡らす。暖かな血にまみれながら、着地する。


 ボトリと、馬の首がそばに落ちた。頭だけになった馬の目が俺を見て、一度瞬きする。それっきり、馬は動きを止めた。バタン、と、馬の胴体も横に倒れる。


 守られた。


「命を賭して、主を守るか。見事だ」


 声がした。低い、聞き覚えのある声。声の方を向く。そこにはいつからいたのか、片手に持った大剣を真横に振り切った姿勢の魔族がいた。漆黒の甲冑に身をまとい、その隙間から黒い瘴気をこぼれさせている。


 ポタリ、と大剣から血がこぼれた。


「馬に乗り、同胞らを狩る人間がいるからと出てきてみれば、まさか、生きていたとは思わなかったぞ」


 プルースト。俺を殺した魔族がそこに立っていた。全身が総毛立つ。地面に立つ足がなえかける。確かな死への恐怖が、俺を襲った。


「あの時は一杯食わされたからな。しかし、見違えたぞ。一瞬、同じ人間だとは思わなかった。その魔力、いや、その武器か。どこで手に入れた? 魔力の性質なぞ、まさしく魔族のそれではないか」


 何か言っている。だが、答える余裕はなかった。恐れを隠して立っているだけで精一杯。足先から迫る冷たい死に、手が震え始めた。


 一度体に刻み込まれた死の感覚は、俺の予想以上に枷となっていた。


「まぁよい。再びの戦いに胸が躍る。ちょうど、貴様のおかげで敵も味方もおらなんだ。存分に殺し合おうではないか」


 その言葉にあたりを見渡した。朝になりかけた空に、黒ずんだ地面。自分たちの他に、戦いの声はしない。皆死んだのか、いや違う。


 生きて、皆逃げてくれたのだ。


 俺を、信じてくれたのだ。


 手の震えが、止まった。


 萎えた足に、力が入る。


 手にした武器を、ゆっくりと構える。


「よい」


 プルーストが笑った。


「騎士よ。お前の名を聞こうか」


 大剣の切っ先を俺に向け、プルーストが言った。


「名乗る名はない。俺はただの……騎士だ」


「そうか」


 プルーストは、無感情に俺の答えを受け取る。黒い瘴気が剣にまとわりつく。紫色の魔力がハルバードからこぼれ出る。


「ならば、死合おう。貴様に、確実な死をくれてや――」


「かぁっ!」


 言葉を遮るように、ハルバードを振るい、水刃を奔らせる。視界を埋め尽くす、紫色の殺意がプルーストを襲う。


「悪し。言葉は、最後まで語らせるものだ。故に」


 プルーストは、ただ一閃。一振りだけ大剣を横薙いだ。


 息を飲む。黒い瘴気が紫色の魔力を喰らう。水刃が霧散し、俺とプルーストを遮るものが無くなる。


「お前はここで散るのだ」


 一閃。間合いの外で剣が振られる。柄で受ける。衝撃。吹き飛ばされそうな体を、両足で支える。


 黒が眼前に。プルーストが間合いを詰めてきた。振り下ろされる大剣に、体は後ろに下がる。逃げたわけではない。ハルバードの間合いに離れて、刃の斧を当てる。


 再びの衝撃。腕が千切れるほどの痛み。血管から血が噴き出す。紫色の血。雫が滴る。


 突きが来る。速い。真横に倒れるように回避。悪寒がする。当たらないはずの剣に向けて、ハルバードで受ける。痛み。当たっていない刺突が当たっている。体が転げる。倒れた俺に追い打つような大剣。


 魔法。紫色の槍は空振る。プルーストが距離を取った。水滴一滴、当たっていない。黒い瘴気。立ち上がる。ハルバードを構え、そして――




 瘴気を纏った大剣が一度、袈裟切りに振るわれた。




 ハルバードは、まだ構えていなかった。


 こぼれた血が、地面に落ち、波紋を呼んだ。


 俺の体からこぼれ出た血の水たまりに、紫色の雫が落ちた。


「……あ」


 俺の体は、肩から下腹部にかけて、深く、深く斬り裂かれていた。


「終いか」


 ゴキリと、耳もとで音がした。空転。首から下の感覚が無になる。違う。




 俺の首が、斬り落とされていた。




 紫と、黒に視界が、意識が満ちていく。




 ……駄目だ。




 魔力を練る。血だまりを震わせる。




「まだ、抗うか」


 声がした。ビチャリと、音がする。操る魔力が消える。吸い込まれる。打つ手が、無くなる。


「なぜ抗う」


 声がした。


「たとえ魔族であっても、致命の状態だ。それであって、なぜ抗う。なぜ戦う」


 それは、そんなこと、決まっている。だって、俺は、




 ――騎士、なのだから。

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