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第五話 思いは重なり、離れゆく


 俺とフローリアは夫婦だった。でも、夫婦とは一体なんなのだろう。俺たちは確かに神殿で、神を前に誓いをかわした。だから夫婦だ。しかし、それは形だけのもので、本当の夫婦になれていたのだろうか。


 形だけの夫婦。結婚してから、フローリアの生家から王都に家を与えられたが、そこに帰るのは三日に一度程度。騎士としての務めを果たす上で、与えられた家よりも、騎士団の宿舎の方が都合はよかったから。


 ……いや、違う。俺はきっとフローリアと顔を合わせたくなかったのだろう。騎士として成り上がるために結婚した相手。利用した相手。俺は彼女に対して、罪悪感を覚えていた。彼女から伝わる悪感情も相まって、結婚してからは以前よりも騎士としての務めに励むようになっていた。


 そんな俺を心配したか、働きすぎと思われたか、当時の俺の上司が俺に長い休暇を与えたことがあった。しかも、騎士団の宿舎に来てはならないという指令付きで、だ。


 そんなこともあって、俺は一度だけ、フローリアと遊びに行ったことがあった。同じ馬に乗って、王都を離れて遠くまで。


 俺の体に手を回したフローリアの体は驚くほどに細かった。契りの印として体を重ねたこともあったのだから、その細さは知っていたが、ずっと抱きしめられるということは初めてで、とても緊張したことを覚えている。


 今思えば、結婚したばかりの貴族の令嬢と遊びに行くとして、馬で遠乗りをするという発想はどうかしていたと思う。王都で馬車にでも乗って、店を見て回ればよかった。か弱いフローリアには、慣れない乗馬はさぞきつかったことだろう。騎士としての娯楽が乗馬だったから、その延長線で考えてしまっていた。


 つくづくもの知らずで、身勝手なものだ。


 しかし、彼女は馬に誘っても文句ひとつ言わなかった。もしかすると、呆れきってしまっていたのかもしれない。


 馬で駆けている間、俺は一言もしゃべらなかったし、フローリアも一言もしゃべらなかった。ただ、彼女は馬から振り落とされないように、強い力で俺を抱きしめていた。無言だったからこそ、彼女にも人のぬくもりがあるのだと感じることができた。


 遠乗りで行った場所は、見晴らしのいい野原だった。草原の生い茂り、耳をすませば、風の音と獣たちの生きる声が聞こえてくる場所だ。


 色気なんてまるでない。それなのに、フローリアはやっぱり文句ひとつ言わなくて、黙って俺とその景色を眺めていた。


 並んで座って、静かに草原の自然に身を任せる。俺とフローリアの手は、気づけばつながれていた。横目に見た彼女の表情は、これまでの険のあるものとは違う、ひどく安らいだものだった。




 今になって思う。俺とフローリアは形だけの夫婦だった。けれど、あの瞬間だけは、俺とフローリアは心を通わせた、本当の夫婦になっていた。


 後にも先にも一度きりのことだった。もし、ああいった時間を何度も共有していたら、もし、俺がもっと彼女のことを顧みて、歩み寄ろうとしていたのなら、俺とフローリアはともに居続けたのだろうか。


 全ては過去の話で、もしもの話だ。過去に戻ることができない以上、語ることに意味はない。


 ただ、それでもきっと――


   *


 夜の講堂は広くて暗い。フローリアの近くにあるろうそくの明かりだけが講堂を照らしていた。


 けれどなぜだろうか。窓の近くに置かれた一輪の花だけが、暗闇の中で色を見せていた。紫色の、魔法使いの頭巾のような形をした、不思議な形の花。そこから感じる異質さは、さっきの声と同じものだった。


「フローリア」


「何のことかしら」


 再び問いかけると、フローリアはきっと俺をにらみつけてきた。その姿は虚勢に見えるのは、おそらく気のせいではない。


「さっきのは何だ」


「……何のことかしら」


「君はさっき、誰と話していた?」


「……知らないわ」


 見え透いた嘘を吐く。フローリアから焦りを感じた。何に対する焦りなのか。それを突き止めるべく、俺は、もう一歩踏み込んでみる。


「対価、と聞こえた。君はさっきの声に何を願ったんだ。何を求めて、何を対価に」




「何もないって言ってるでしょ!」




 講堂に、フローリアの絶叫が響いた。初めて聞くフローリアの大声に、俺は驚き、それと同じくらいに、フローリア自身が驚いていた。


「あ……」


 呆けた顔の彼女は自分の口に手を当て、ふらふらと立ち上がる。倒れ込んでしまいそうで、彼女に歩み寄ろうとして、逆に俺の足がふらついた。


「……何、やってるのよ」


 体から力が抜け、膝から崩れ落ちる。床に倒れかけた俺を、フローリアが支えてくれた。


「君は……」


「重いのよ。離れて」


 言いながら、フローリアは俺を近くの長椅子にもたれかけさせる。気づいてしまった。


 俺に触れる彼女の手は、小さく震えていた。間近に見る彼女の顔は、恐怖で怯えていた。彼女が何を恐れているのか。離れようとする彼女の手を、俺は強くつかんだ。


「フローリア、君が、俺を蘇らせたんだな」

 

 確信があった。


 はっと、息を吸い込む声。フローリアは俺から離れようと、腕を引く。俺はもう片方の手も使って、両手で彼女の手をつかむ。


 もう、離さないために。


「ば、馬鹿も、休み休み言いなさい。私にそんな力はない。だって、私には魔法の才能なんてなかったんだもの。第一、私がとんでもない魔法使いだったとして、人を生き返らせるなんてこと、できないわ」


「知ってる。でも、君がやったんだって、俺は思うんだ」


 つかむ彼女の腕が熱い。対になるように、彼女の顔は真っ白だ。暗い蝋燭の明かりに照らされてもなお、青白いくらいに白い。


「ありえない。全てあなたの妄想よ。それに……それにもし仮に私があなたを生き返らせることができるとして、なぜそうしなければならないのよ。私が、あなたを生き返らせる理由なんてない」


「なら、どうして俺を生かしてくれたんだ。どうして、俺の世話をずっとしてくれたんだ」


 フローリアの目が激しく泳ぐ。歯の根が噛みあわないくらいに、唇が震えている。


 核心に、近づいている。


「君は俺を生き返らせる方法も、理由もないと言った。だけど、少しも動けない俺のことを、君はずっと看病してくれた。俺を生かすつもりがないなら、放っておけばよかっただろ」


「私は修道女なの、だから……しょうがなく、嫌々よ」


「嫌だったら、他の修道女に任せればよかったじゃないか」


「ここには私以外の人はいない、だから」


「ならここを捨てて他のところに行けばよかった。見捨てるのは、簡単だったはずだ」


 一つ一つ、フローリアの言い訳を潰していく。彼女は言葉を無くし、顔をしかめてうつむく。

 震えることすらやめて、彼女は沈黙した。


「フローリ――」


「どうせ」


 地の底から響くような、息も止まるような声がした。


「どうせ、あなたは、私を置いて出ていくくせに」


 深い、深い感情のこもった声に、思わず手を握る力が緩む。その隙を狙って、フローリアは腕を引き抜いた。


「それは……」


「どうせ、あなたは私を置いていなくなってしまうくせに!」


 絶叫し、胸倉をつかみ、押し倒すように、彼女は俺に覆いかぶさった。体を重ねるように。口づけをするように。顔を近づけて、フローリアは俺を問い詰める。


「ねぇ、なんであなたはそうやって私を追い詰めるの? それで真実を知って、あなたはどうしたいの? あぁ、そうかそういうことだったのか……って納得して、あなたは、また戦場へ行くんでしょう!? 死ぬために、生きる気なんて微塵もないくせに! 私を置いて、あなたはまた戦場に行くんだ」


 言葉を失った。「私を置いて」と彼女は言った。その一言が、俺の胸に突き刺さった。


「あなたは人の心がわからない大馬鹿者よ。愚か者よ。どうしてあなたはそんなにも愚かなの? どうしてそんなにも人の心がわからないの? どうして周りの人のことを考えないの? ねぇ、どうして、どうして、どうして! あなたは――」




 私のことを、見てくれないの?




「人の心がわからないあなたは、人間なんかじゃない。あなたは」


「俺は、騎士だよ」


 俺は、フローリアの背に手を置いた。手から、彼女の激しく脈打つ鼓動が伝わってきた。


 フローリアは顔を真っ赤にして、目を見開いて、怒っていた。憎しみからじゃない、純粋な心から、俺に対して怒っていた。


 怒りのあまりか、絶句する彼女に、俺は続ける。


「俺は、君の言う通り、人である前に騎士だ。騎士なんだ。一度そうであろうと決めて、ずっと騎士であり続けた。自分のためではなく、民のために。国のために。そのために君と結婚して、でも、ずっと突き放してきた」




 怖かったから。自分自身が、彼女と道具として扱ったようで、怖かったから。




 罪悪感があった。後悔も、あった。やらなければよかったとも思う。だけど、なのだ。




「何度だって言う。俺は騎士だから、国を、民を守るためなら何だってする。罪悪感があっても、後悔しても、それでも……」


「もう、いいわ」


 フローリアの手が胸から離れる。俺に馬乗りになったまま、彼女が力なく肩を落とした。


「あなたは、生き方を変えないんでしょう?」


「あぁ」


「何度生き返っても、何回死んでも、あなたは同じことを繰り返すんでしょう?」


「……あぁ」


「そう、なのでしょうね」


 起き上がりながら、フローリアは言った。長い亜麻色の髪が彼女の表情を隠す。


 彼女に声をかけようとした、その瞬間だった。




 遠くから、地鳴りのような地響きが聞こえた。




 方向は玄関のあった方向。戦慄が、背中から脳髄まで這い上がっていく。理解した。戦争が始まったのだ。


 頭に浮かぶのは、部下の顔で、守りたい人々の顔で、最期に相対したプルーストの姿だった。


 行かなくてはならない。行かなければ、多くの人の命が失われる。あの化物(プルースト)に殺される。両手を床につけ、体を持ち上げる。


「……っつ」


 痛い。体に力が入らない。ふらつく足に力をこめ、長椅子に手をついて、どうにか立ち上がる。


「そんな体で、行くの?」


 表情の見えないフローリアが問いかける。


「あぁ」


「行っても、すぐに死んでしまうわよ」


「かもしれない。でも、行かないといけない。俺は――」


 騎士として、生きることができない。


「馬鹿ね」


 その声は、少しだけ濡れていた。フローリアは行こうとする俺を手で制し、窓際に向かう。花瓶に差してある一輪の花を右手で抜き取った。


 頭巾の形をした、紫色の花。それを、フローリアは俺に差し出した。


「受け取って」


「これは……」


 異質な感じを受ける花。受け取ろうとして、躊躇する。


「受け取りなさい。あなたが騎士で、何が何でも国や民を守ってみせたいのなら」


 フローリアと目があった。わずかにうるんだ瞳は真っすぐ俺を見据えていて、強い意志を感じた。


 受け取らない、と言えるはずもなかった。花の茎に指先が触れる。刹那、全身がしびれるような痛みが走る。呼吸ができなくなって、膝をつく。体中の魔力に異質な何かが押し込まれ、かき混ぜられていく感覚。


 ひどい苦痛に眩暈と吐き気がする。耐えきれずに、吐き出した。手で押さえようとして、ぞっとする。


 吐き出したものは、花弁と同じ紫色をしていた。


 花から手を離そうとした時、不意に苦痛が消えた。体が軽い。これまで感じていた苦痛どころか、ここに来てから感じていた苦痛すら消えている。視界は夜であるにもかかわらず、鮮明で、遠くに聞こえる戦いの声もよく聞こえる。


 もう一度死んで、生まれ変わったみたいだ。


「死に向かう者に力を与え、触れた者に皆、死を与える。“トリカブトのハルバード”、そう呼ぶらしいわ」


 フローリアが言った。俺は、手にした花がハルバードに変わっていることに気が付いた。


 薄緑色の柄に、紫色の刃がついている。花のように軽く、手に馴染む。ハルバードから魔力が俺に流れ続けていることが分かった。


「フローリアは、君は何を……」


 フローリアに手を伸ばす、が、彼女は一歩後ろに下がった。まるで、俺から逃げるように。


「トリカブトには猛毒がある。それも同じで、今あなたはトリカブトと同じ魔力を宿してる」


 フローリアは俺に右手を見せる。トリカブトに触れた右手の指が、ただれるように赤く腫れあがっていた。


「君は」


「もう、行ってよ。あなたには、守るべきものがあるんでしょう」


「――わかった」


 フローリアに背を向けて、講堂を出る。ちらりと振り返ると、彼女はその場に立ちつくしたままだった。戦場へ行く不義理な俺を見送るように、彼女はそこに立っていた。




「フローリア」


「まだ何か用なの?」


 胸に手を当てる。フローリアの言う通り、俺の中にハルバードの魔力が巡っていた。この魔力はいずれ俺を蝕み、殺すのだろう。確信に近い予感があった。けれど今は、この魔力のおかげで生きて、戦うことができる。


 あれほど俺が戦場へ行くことを拒んでいたフローリアがくれた力だ。言葉に悩み、ようやくの思いで口にする。




「行ってくる」




「そう……さようなら」


「あぁ、さよならだ。フローリア、君には……幸せに生きてほしい」




 民のため、国のために俺は戦う。これは騎士の矜持であり、俺のエゴだ。フローリアは俺のエゴに振り回され、なのに騎士として、馬鹿のようにまた戦場に行く俺の背中を押してくれた。


 フローリア()のために、言うべき言葉は、




「俺は勝つよ。それで必ず、この国を、君を守ってみせる」




 返事はもう聞かない。これ以上ここにいれば、歩き出せない気がするから。前を向いて、俺は戦場へと走り出した。




「馬鹿な人」


 最後につぶやかれた声は、俺には届かなかった。


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