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第四話 夜深い講堂にて


 ――私にとって、それは望まない結婚だった。けれど、一つの不幸が終わる結婚でもあった。


 国の貴族の末の娘として生まれた私は、幼いころから教育を受け、その度に失望され続けてきた。


 単純な話だ。私には才能がなかった。貴族たるもの、優秀であれ。そういわれて魔法の修練や様々な教養に手を出したが、どれも芽が出ることはなかった。さぼっていたつもりはない。努力はした。けれど、努力に見合うだけの才能がなかった。呆れるほど簡単な理屈だ。


 これで私が、愛想のいい、見目麗しい娘であれば、また話は違っただろう。外見がいいというのも一つの才能だ。むしろ、顔だけよくて、頭が空っぽの方が男に好かれるのだろう。使用人が言っていた。……私には、最も欠けていた才能だったけれど。


 とりわけ醜くはないが、美しくもない。政治や魔法、美貌。何かしらの分野で才能を開花させていく兄弟たちの隣で、延々と自分の非才さを感じざるを得なかった私には、いつしか陰気な雰囲気がまとわりつき、結果として、愛想の全くない、暗い貴族女が出来上がった。


 そんな私が家族から愛されるはずがなかった。一応は家族として扱われる。しかし、それは形だけで、感情というものがまるで伴わないものだった。期待もされず、求められもしない私は、いつしか、自分のことを空のようだと思うようになった。


 いつ見ても灰色で、陰気な空。私と全く同じじゃないか。見ても不快な気持ちになるだけで、つまらないもの。窓の外から見える景色はいつだって鏡を見ているようで、だけど不思議と目が離せなかった。


 そんな私だからこそ、家格で言えば、はるかに下の貴族と婚姻を結ばされることになった。彼は騎士として頭角を現しつつあり、父は彼を傘下につけたがった。娘との婚姻は両家の結びつきを強めるもので、いらない私は道具として、ちょうどよかったのだ。


 かくして私は、私の意思とは全くの無関係なところで騎士の家に嫁に行くことになった。……わずかながらに期待した。新しい場所でなら、私は私の意味を見つけられるのかもしれないと。貴族ではない、騎士であれば、こんな私を愛してくれるのではないかと。


 ただ、そんなことはまるでなかったのだが――


「後悔しているのですか?」


 夜の修道院の講堂は、広くて、真っ暗で、私の心を落ち着けさせた。彼がここに来てからというもの、私はいつも夜をここで過ごす。狭い部屋は息がつまりそうで嫌だ。ベッドで休んでいないから体はきつい。だけど、私に残された時間は少ない。あと数日と言ったところだろう。休めないことなど、気にすることではない。


 固い椅子に腰かけ、うとうとしていると、初めからそこにあったような、奇妙な印象を受ける声がした。


「後悔?」


 目を開ける。いつからそこにいたのだろう。女が一人いた。醜い女だ。顔にはぞっとするような傷痕があり、身に着けているものは擦り切れたメイド服。長い黒髪はぼさぼさで、反するように、肌は病的に白い。


 けれどそんなものは気にもとまらない。彼女の印象の全てを、彼女を形容しているのは目だ。真っ暗で、真っ黒で、この世全ての澱みや悪、よくないものを集めて煮込んだような目。吸い込まれてしまいそうで、一度触れたら一瞬で飲み込まれてしまいそうな。


 真夜中には絶対に会いたくない姿で、実際多くの人間が、彼女を見れば腰を抜かすだろう。でも、会うのは二度目だ。特に驚きはない。一度目はみっともなく取り乱していたから、冷静な状態であるのは初めてだけど、思っていたより、彼女に対して心は動かなかった。


 それに、彼女には恩がある。


「何を、後悔しているというのよ」


 一人でいたかった。だから、声には自然と棘が混じった。いつもそうだ。言葉に棘があって、人を遠ざける。けれど彼女はまるで気にしない風に続ける。


「私に願ったことです」


 私の声は講堂に響く。けれど彼女の声はまるで響かない。まるで、この世界の者ではないかのようだ。


「後悔なんてしていないわ。確かにあの時は取り乱していたけれど、言わなければよかった、なんて一度も思っていない」


「そうですか」


 女は浅く頷く。


「聞きたいことはそれだけ?」


「ええ。十分です。私は、あなたの行く末を見守らせてもらいますよ。あなたが願いを終えて、対価を支払うその時まで」


 それだけ言って、女はふっと姿を消した。始めからそこには何もいなかったように、空気の流れすら感じさせずにいなくなった。


「悪趣味な女」


 深く息をつく。彼女は何者なのだろうか。彼女は自分のことを“悪魔様”と名乗った。誰かの願いを叶えて観測するだけの道具だと。……考えてもしょうがないことだ。大切なのは、あの女が本当にとんでもない力を持っているということだけ。その力でもってして、私の願いを、叶えてくれたということだけ。


「どのみち、この生活もそろそろ終わりになるのだから」


「フローリア?」


 はっとした。私は、講堂の入り口に顔を向ける。この修道院には、私と、彼の他に人はいない。


「今の、言葉は……」


 あの女に気をとられていたせいだ。講堂の入り口には、部屋で眠っているはずの彼がいた。


 どこから聞いていたのだろう。私の顔から血の気が引くのを感じた。


   *


 時間は夜。一日中眠ってばかりいるせいか、夜中に目が覚めてしまった。また眠ろうとするが、目がさえてしまった。


「そういえば、フローリアはよく外を眺めていたな」


 二人きりの夜も、体を重ねることは少なく、同じ部屋で別々のことをして過ごすことが多かった。俺は本を読んで過ごし、彼女は窓の外を見ていることが多かった。


 体を起こし、窓の外に目を向ける。始めは真っ暗に見えた外だが、しばらく眺めていると、目が慣れてきた。


 目が慣れても外には、素っ気ない田園風景と、暗い灰色の空しかなかった。フローリアは何を思って外を眺めていたのだろうか。わからない。窓から視線を離し、ベッドから足を出す。


「っつ……」


 足が引き裂かれるような激痛が走る。しかし、痛みは永遠には続かない。両足をつけたまま、目をつむっていると痛みは徐々に引いてくる。代わりに足が麻痺したような、無感覚に陥る。


 痛みよりはましだ。ベッドに両手をつけ、ゆっくりと起き上がる。両足の感覚がないせいで、立っている気がしないが、立つことができた。体が傾き、たたらを踏んで壁に手をつける。


 手をついた壁が、音を立ててきしんだ。壁に手をつきながら、狭い部屋を一周して、ベッドに倒れ込む。俺はどうにか立って歩けるようにまで回復していた。このまま行けば、あと数日で戦場に復帰できると思う。


 でも、それでいいのか、とも最近は思うようになった。フローリアのことだ。騎士として成り上がるために結婚し、全く顧みることのなかった元妻。彼女は動けない俺の世話をずっとしてくれた。恨んでいるだろう俺の世話を、だ。


 彼女に報いたいと思う。けれど、その方法が分からない。わからないままに行ってしまっていいのだろうか。


「フローリア」


 無愛想な彼女の顔が思い浮かび、また起き上がる。壁に手をつきながら歩いて行って、部屋の扉に手をかける。扉には鍵はかかっておらず、簡単に開けることができた。


 廊下に出ると、ひやりとした空気が頬を撫でた。暗い廊下には、いくつか窓があり、俺が今までいた部屋から少しずれた位置にも窓があった。戦場がある方向の窓だ。俺のいた部屋からは見えないところにあり、フローリアが戦場から俺を遠ざけようとしていたことがわかる。


 廊下を歩くと、床の痛みがひどいことがわかった。まるで誰も使っていないような印象を受ける。突き当りの場所に下に通じる階段が見えた。


 どうしようか。俺は目覚めてからずっと、部屋から出たことがなかった。身の回りの世話は全てフローリアがしてくれていたし、まず体を動かすこともできなかった。


 ……フローリアは部屋から出るなとは言っていない。それに、今はなぜかフローリアの顔を見たかった。


 ゆっくりと、一段ずつ階段を下りる。きしむ足音。やはり、この建物は手入れが全くされていない。それに、よく考えてみれば、ここに来てから俺は、一度もフローリア以外の人間を見たことがない。彼女以外の話し声も、足音や気配も感じたことがなかった。


 ギィ、ギィ。――わからない。よく考えてみれば、わからないことばかりだ。あの日、あの時、俺は死んだはずだった。フローリアは色々と理由をつけていたが、あの時の俺の傷は致命傷だった。あの冷たさも、絶望も、死を感じるに十分だった。そうでなくても、俺を恨んでいるはずのフローリアが俺の世話をしていたり、そもそもなぜ彼女は戦場の近くにいたりしたのだ。修道院は、複数人で管理するのが普通で、病人の看病だけが仕事じゃない。なのに、なぜ……


 まるで、死後、二人きりの世界にいるような。疑念が少しずつ広がっていく。ギィ。階段を下りた。外に近いからか、奇妙な寒気を感じる。二階より大きい、しかし同じように古い。外へ通じる玄関ホールも見える。


 玄関の扉は、戦場の方向を向いていた。そちらに足が向きかけて、



「――しているのですか?」



 フローリアではない、声が聞こえた。奇妙な声だった。この世界にありながら、ここにいないような、言葉では表しきれない異質な感覚を伴った声。不明瞭でありながら、声は確かに俺の耳に入ってきた。


 声は玄関の向こう、おそらく講堂へ通じる方から聞こえてきた。耳をすませば、フローリアの、いつもと変わらない冷たい声も聞こえてくる。ただその声も、さっき聞いた声に比べてば、はるかに感情がこもっていることがわかった。


「……? ……よ」


「――に願ったことです」


「……わ。……ない」


 気づけば俺は、講堂の方に歩いていた。ゆっくりとではあるが、確かに一歩ずつ。講堂に近づくほど、フローリアの声はよく聞こえるようになる。


「聞きたいことはそれだけ?」


「ええ。十分です。私は、あなたの行く末を見守らせてもらいますよ。あなたが願いを終えて、対価を支払うその時まで」


 対価? 不穏な言葉にぞっとする。声はそれっきり途絶え、空気がぬるくなった気がした。それでようやく、一階が不自然に冷えていたことに気付いた。


「悪趣味な女」


 講堂の中をのぞく。フローリアは立った一人で長椅子に腰掛け、つぶやいていた。彼女の他には誰もいない。


 フローリアは遠くに視線を向け、独り言を言った。


「どのみち、この生活もそろそろ終わりになるのだから」


「フローリア?」


 思わず口を開く。フローリアははっとした表情で振りむいた。油断した、とばかりに目を見開き、すぎに顔から血の気が引いていく。焦ったフローリアを初めて見た。


「今の、言葉は……」


 彼女は、初めて俺から逃げるように、顔を背けた。そんな彼女を見るのも、初めてだった。

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