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第三話 彼女の怒り


 俺の父は英雄なのだと母はよく言っていた。俺の家は辺境の領主に仕える騎士の家系だった。魔族領にも近く、魔物や魔族からの襲撃も少なくなかった。幼い頃から俺の周りには妻や子ども、親を殺された人にあふれていた。時間をかけて育てた畑や家畜は、遊び半分に荒らし、殺され、命など無価値とでもいうかのように死体の山は積みあがる。辺境の民は魔物や魔族への憎しみを募らせ、それは俺も同じだった。


 俺は父の顔を知らない。父は母が俺を生むという時に、民を守るため戦場へ飛び出していき、部下たちを守って死んだ。俺は五人目の子どもだった。


「馬鹿みたいだ」


 俺が七歳になって、初めて父の生涯を聞いた時の言葉だ。母や兄姉はこぞって俺を責め、気が済むまで殴られた。「人でなし」「父の死を馬鹿にするな」と彼らは言った。しかし、俺の考えは変わらなかった。


 どうして戦った。どうして部下を守って死んだ。お前にとって一番大事なのは領地の民であって、家族ではないのか。行く先のない問いはぐるぐると頭を回り、答えは出ない。


 答えの出ないまま時は流れ、俺は武器を取った。騎士の家系だ。俺の意志に関わらず、魔物や魔族と戦わねばならない。民が血と汗を流して作った食物を食べて生きているのだから当然のことだった。


 幸か不幸か。俺には才能があった。ハルバードの才能と水魔法の才能。言ってしまえば戦いの才能だ。俺はあっという間に兄弟たちの実力を抜き去り、領地防衛の筆頭となった。その頃からだろう。

 父がなぜ命を賭して戦ったのか、わかるようになった。


 始めは、年上の部下が魔物に殺されそうになった時だった。俺よりも十以上齢が離れているくせに、戦いでは俺の足元にも及ばない。始めはただ邪魔だと思っていた。一人の方が速く動ける。足の遅い部下を待つ必要がないから。一人の方が多く殺せる。弱い部下を守る必要がないから。


 だから、部下が魔物に襲われた時、見捨ててしまえという考えが頭をよぎった。一人の方が気楽ならば、いない方が楽だから。しかし、俺の体は勝手に動き、部下を助けた。


「ありがとうございます」


 助けた部下は俺に言った。それでようやく気付いた。父が部下を守ったのはそういうわけだったのかと。


 温かな安心と喜び。人が、人を助けるのに、理由なんていらないのだと、俺は知った。この心が、騎士の精神の源流であると知った。


   *


 フローリアを怒らせて、もう彼女は俺の部屋に来ないのではないかと思ったが、予想に反して彼女は、同じ時間になると、俺の部屋に来ては俺の世話をしていった。


 ただし、言葉はない。あれっきり、フローリアは一言も口を開くこともなく、淡々と、作業のように俺の世話を続けている。


 灰色の空は何度も明るくなり、暗くなり、フローリアは世話に来る。俺の中では、だんだんと焦りが募っていた。

 戦場はどうなったのだろう。部下たちは、魔族の襲撃は。部屋の窓からは、戦地の様子は見えない。あえてフローリアは、戦場の様子が俺に見えないように、この部屋を選んだのだろう。


 あの戦いで、騎士団は大きな損害を受けた。だがそれは魔族側も同じなはず。そうは思っていても、焦りは消えない。何より。


 プルースト。あの化け物はまだ死んでいない。あの魔族一体だけで、国を滅ぼすのではないかと思えるほどに、あの魔族は別格だった。


「ねぇ、フローリア」


「……」


 俺の服を着替えさせてくれるフローリアに声をかける。フローリアは一切返事をしてくれなかった。


 戦場へ向けての焦りはあった。しかし、変化のない日常は、俺に余裕も与えていた。今焦っても、戦いに行くことはできない。行ったとしても、ハルバードも触れず、魔法も使えない体では、足手まといになるだけだ。


 この時間は、きっと神様が与えてくれたものだ。騎士として戦い、民を守ることしか能のない俺に、少しは人間らしくしろという時間だ。捨ててしまったものと、向き合うための時間なのだ。


 憎まれていることは分かっている。しかし、今はただ、フローリアと話がしたかった。


「戦争のことは聞かない。焦るなって、君は言いたいんだろう」


 フローリアは手を止めて、俺に目を向けた。フローリアの目は険しくて、口をつぐみそうになってしまう。


 彼女になんと言ったものだろう。俺は迷い、中途半端な言葉をこぼす。


「君は……昔からそうだね」


「……何が」


 勇気を出したおかげだろう。久しぶりに、フローリアが口をきいてくれた。騎士が一人の女性相手に勇気、だなんて、言葉にしてみるとおかしな話だ。フローリアを相手に、ここまで緊張したことはなかった。俺は彼女に対してずっと、義務的に、必要性に駆られてしか、話をしてこなかった。


 だからかもしれない。フローリアはこれまで俺に大っぴらに感情を向けてこなかった。上っ面をなぞるだけの言葉と表情だけを俺に向け、本音のほとんどを俺に見せないまま。唯一見せる感情は、俺に対する深い憎悪。


 だけど、どうだろう。こうしてにらみつけるフローリアを見ていると、彼女にも色々な感情があることが分かる。とてつもなく簡単なことに、どうして今まで気づかなかったのか。思わず、笑ってしまう。


 笑ってしまって、今までため込んでいた言葉の一つがこぼれ出てしまった。


「目つきが怖い」


 言うと、さっき以上に鋭い、俺を射殺してしまいそうな目になる。やっぱり怖くて、でもその目には憎悪以外の感情もあるように思えて、つい笑ってしまう。


「……ははっ」


「何がおかしいのよ」


「いや、おかしいわけじゃないんだけどさ」


 大笑いするとまだ胸が痛くから、控えめに笑う。笑いがなぜか止まらない。しばらく笑っていると、フローリアは深いため息をついた。


 何かをあきらめたような、呆れたような。


「戦い過ぎて、頭がおかしくなったんじゃない?」


 視線をそらして、フローリアが言う。


「そうかもしれない。思えば、俺とフローリアがこうして話すのは、初めてな気がする」


「そうよ。そして、それは誰のせいだか分かってるの」


「俺のせい、なんだろうな」


 笑うことをやめて、フローリアに目を向ける。彼女は目を背けたままだった。


「君は変わらないな」


 姿も、性格も。でも、それは俺が彼女と向き合ってこなかったからだろう。彼女の表層しか知らないから、変わっていないように思うのだ。


「変わらないのはあなたもでしょ。あなたは、昔から騎士すぎるほどに騎士だった」


 フローリアの言葉には、確かな棘があった。フローリアが俺を見る。フローリアには様々な感情があるように見えた。けれど、その目の中心にあるのは、変わらない憎悪と怒りがあった。


「否定は……しない」


 騎士すぎる。俺を形容するのに、それ以上の言葉はないのだろう。フローリアが何を言いたいのかがわかる。わかるからこそ、否定はできなかった。


「でしょうね。あなたは、騎士として成り上がるために、私と結婚したんですものね」


 今度は、俺が目を逸らす番だった。フローリアは着せかけの服を普段よりも乱暴に着せる。


「やっぱり、否定はしないのね」


 それっきり、またフローリアは口を閉じる。これでは前と同じだ。どうにか言葉をつなげる。


「俺のことを、恨んでいるのか」


「当然でしょう。あなたは自分よりも、顔もよく見えない民たちを優先する相手を好きになれるとでも?」


 肩を落とし、フローリアを見る。憎悪と怒り以外の感情を、今は読み取ることができなかった。


 彼女の言う通り、俺はフローリアの夫であることよりも、一人の騎士であることを選んだ。フローリアをめとり、彼女の家の力を使って、騎士団での地位を高めた。


 全ては守るべき民のため。そのために、俺はフローリアを利用した。


 彼女から恨まれて、憎まれて当然なのだ。


 けれど、


「フローリアが俺を憎んでいるのは分かっている。けれど、俺は騎士だから。民を守るためであれば、後悔はしない。何度時間を巻き戻して、同じ選択肢が与えられたとしても、俺は同じ選択肢を選ぶよ」


「……民の、ために?」


 フローリアは、わずかに言いよどんだ。


「民のために」


「そう。ならきっと、あなたはまた戦場へ向かうのね」


 淡々としたフローリアの言葉の中に、上手く言い表せない感情がにじんでいるのを感じた。怒りや呆れの他に、もっと違う何かが。


 言った言葉に嘘はない。


「あなたは本当に愚かね。愚か過ぎて、つくづく救いようがない」


 しかし、なぜだろう。


「救いようのない、愚か者よ」


 俺はとんでもない間違いを犯してしまったのではないだろうか。


「そんなに死にたいなら、戦場に行って死ぬことね。でも、体はきちんと治してからにしてちょうだい。そんなぼろぼろの体で戦いに行って、あっけなく死なれたら、気分が悪いわ」


「わかっている。……フローリア」


「何よ」


「すまなかった」


「……何よそれ」


 彼女は憎悪も呆れも、何の感情もにじませない声でつぶやいた。

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