第一話 ある騎士の死
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「中隊長! 第三小隊が破られました!」
「中隊長! 魔族が後方に回り込んでいます!」
「くそ……」
絶え間なく聞こえる部下たちからの伝令。どれもこれも後ろ向きなものばかりだ。第三小隊。気のいい、お人よしばかりが集まった小隊だった。大方、他の仲間を生かすために囮になったのだろう。
また死んだ。にじむ涙をそのままに、ハルバードを振るう。振るう先は目の前に飛び込んできた八本腕の魔族だ。何か言っているようだが、共通語ではないのか、理解はできない。振り下ろされたハルバードの斧を、魔族は八本の剣で受け止めた。八本の剣と、一本のハルバード。剣を斬り上げようとする魔族の怪力に、ハルバードを持つ両腕が千切れそうになる。
力では勝てない。即座に柄を薙いで魔族の横腹を打ち、体勢を崩す。突然力の向ける先を失った魔族に、打てる手はない。振りあげたハルバードを魔族は見上げる。ハルバードの斧を、魔族の脳天に叩きつけた。
飛び散った脳髄は、俺の傷だらけの鎧を染める。背後から不意打ってきた小柄な魔族を柄で牽制しつつ、魔法を行使。薄く伸びた水の刃は、魔族の首を最低限の力で裂き、殺す。
今度は上から。翼をもつ魔族が槍を構えて急降下。とっさにハルバードの槍で合わせる。
「ぐがっ」
近くで知った声の断末魔。また死んだ。大事な仲間が、部下が。
「ぐっ……おぉぉぉぉ!」」
悲しみを魔力に変えて、魔法に変えて解き放つ。ありったけを。ハルバードの穂先に魔力を集中。圧縮した水刃を形成し、「伏せろ!」と叫んで振り回した。
息の合った仲間たちはすぐさま身を伏せる。ハルバードから放たれた膨大な水流は、棒立ちの魔族を押し流し、切り裂く。魔族に命中した水撃は、間欠泉のように空中に噴出され、油断していた翼持ちの魔族を打ち落とす。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
虚脱感に膝をつく。俺の周りには立ち上がる部下や仲間たちと殺しつくされた魔族の死骸。打ち上げた水が、雨に変わって降り注ぐ。透明な雨の中に、多彩な魔族の血の色が混じっていた。色彩豊かな土砂降りの雨の中、ハルバードを杖代わりに、どうにか立ち上がる。酸素を求めて空を見上げる。口の中に、腐ったような魔族の血の味が広がる。陰鬱な灰色の空が、視界を埋め尽くした。
――人間と魔族ははるか昔から戦争をしている。きっかけは知らない。遠い昔から争っていることは知っている。かつては勇者や魔王といった特別な存在がそれぞれの軍を率いて戦ったこともあったらしいが、過去の話。今はそのどちらもいない。
いるのは、特別な力をもたない数多い人間と、数こそ少ないが強大な力をもつ魔族たち。一発逆転の手段はなく、殺して殺される。繰り返される泥沼の戦争だ。
俺たちの国も例にもれず魔族と戦争をしていた。十五の時に騎士団に入ってから十年。前線に来てから数えれば四年。これほどの大きな戦いはなかった。
伝令の魔法器は戦場に残っている騎士団員で、俺が最高位にあることを告げていた。上司たちは皆逃げ出したか、戦って殺された。
いずれにしても、俺がどうにかしなければ、騎士団は全滅してしまう。……どうにか? 近くにいる騎士団員は俺を含めて八人。俺が率いていた中隊は、最初百人はいたはずなのにだ。九十二人は永遠の眠りについた。誰一人として、逃げ出した者はいなかった。他の場所で戦っている奴らを入れても、五十人もいないだろう。
「げほっ、えほっ」
雨が止む。代わりのように、咳と一緒に血を吐き出した。汚れた荒野をさらに汚す。さっきの魔法で無理をし過ぎた。高密度の魔力が内臓を傷つけている。「中隊長!」と生き残りの部下が駆け寄り、背中をさすってくれる。
「撤退しましょう。中隊長のおかげでこの辺りの魔族は一掃されました。でないと」
「だめだ」
部下の手をゆっくりと払って部下に首を振る。
「撤退はしない」
「ですが、このままでは中隊長の体がもちません! それにここで引いたところで中隊長を責める者は誰も……」
「責められることが怖いわけじゃない」
深呼吸をして、魔力の流れを整える。ポケットから、青色の液体の入った小瓶を取り出して、一気に飲み干した。魔力回復薬。体中が焼けるように熱い。心臓が脈動し、全身の血管を血が駆け回る。底をついていた魔力が少しずつ湧き上がってくる。少し待てば、また戦えるくらいには魔力は回復した。代償は体にかかる負荷の増大。寿命を削って、今を生き抜く。戦いはまだ終わっていない。動きの鈍る体に魔力を通し、強引に動かせるようにする。
目に見せる世界が赤色に染まる。目から血の涙を流しているらしい。目が、耳が、手足が、内臓が、骨が筋肉が全てが痛い。俺は今、しっかりと立っているか? まだ寝ている時間じゃない。眠っている余裕はない。
精一杯の強がりで、泣きそうな部下の頭を軽くたたく。そのせいで部下は泣いてしまった。
「中隊長」
「俺が一番怖いのは、逃げて、それで国の民が死んでしまうことなんだ」
死ぬのは怖くない。怖いのは、守るべき民が殺されてしまうこと。
騎士として生まれた俺は、民に支えられて生活し、民を守るために戦う。それこそが、俺が生まれた意味だ。
「ふむ。人間の中にも、見事な戦士がいるものだな」
その時、声が聞こえた。脳が理解するより先に、体はハルバードを振りあげる。衝撃。俺の体は部下ごと吹き飛ばされた。
「かっ」
死骸の絨毯に体が叩きつけられる。すぐ横に、虚ろな目をした死体が見えた。つま先から脅かすような情動に駆られて、すぐさま立ち上がり、ハルバードを構える。
「それほどの手負いで、我が一撃を受けるか。見事」
そこにいたのは、全身を黒い甲冑で包み込んだ魔族だった。黒銀の大剣を片手持ち、甲冑の隙間から黒い瘴気が立ち上っている。魔族は振り切った姿勢から、血のりでも払うかのように剣をさっと払った。
死を覚悟した。姿を見るだけでわかる。これまで戦ってきた魔族とは、格がまるで違っていた。万全の状態でも勝てるかどうかわからない。それほどの相手。
「ち、中隊長」
「……逃げろ」
勝てない。殺される。一瞬でそれを悟った。さっきの一撃だって、受け切れたのはほとんど偶然に近い。俺を気遣ってくれた部下を守れたのも幸運なだけだ。残っている騎士団員はわずか。だが誰もがこの戦場をここまで生き残ってきた大事な部下たちだ。むざむざ殺させるわけにはいかない。
誰かが殿を務めなければならない。ならそれができるのは、俺の他にはいない。
「そんなことできるはずが」
「行け! この魔族は俺が食い止める!」
「は、はい!」
叱責するように言ってようやく、背後にいた部下たちが撤退を始める。心残りは一つ消えた。ほっと息をつき、表情が和らぐ。
甲冑の魔族は俺たちのやり取りを、邪魔するでもなく見ていた。
「我が身を呈して部下を守るか。ますます見事だ。素晴らしい」
口調には興奮が混じっている。大剣がなければ拍手でもしそうな勢いだ。
「どうだ。貴様、人間を裏切り、我らにつかないか? その武技といい、屈強な精神といい、殺すにはあまりに忍びない」
「断る。俺は民を守るために存在している。裏切るなど、あっていいはずがない」
「だろうな。もし裏切ると言っていれば、その場で切り捨てていたわ」
くつくつと、魔族が笑う。話は終わりとでも言いたげに、大剣の切っ先を俺に向ける。
「さて、殺し合いといこうか……と言いたいところだが、それも難しそうだな」
「何を」
俺はハルバードの穂先を魔族の心臓付近に向け、一歩踏み出した……瞬間に胸から血が噴き出した。足元に広がる血だまり。目を疑う。だが血はドクドクと流れ出している。手から力が抜け、立っているのがやっとになる。
「まさ、か」
初撃を防ぎ切れていなかった? それともあの魔族の魔法か何かか? いや考えるのは後だ。今必要なことは。
「構えるか」
「当然……だ」
肉の体が動かないなら、これまで以上に魔力で無理やり動かせばいい。噴き出る血を抑え込み、震えの止まらない手で強引にハルバードを握る。
体から抜けてはいけない大事な何かが抜け出していっている気がする。だが構ってはいられない。守るのだ。部下を、国の民を。
「おぉぉぉぉぉっ!」
雄叫びを上げ、魔族に向かってハルバードを突き出した。全身の筋肉が引き裂かれる感覚。体内を巡る魔力がうなりを上げて、ハルバードを加速させる。
今の俺にできる、間違いなく最高の一閃。魔族はわずかにのけ反り、大剣を振りあげた。
カァン。音が鳴る。俺が騎士になってからずっと使い続けてきたハルバードが、中ほどで斬り飛ばされ、刃が宙を舞った。信じられず、目を見開いた。打ち抜いたハルバードは空を切り、勢いに押されてそのまま地面に倒れ込む。倒れた痛みすら、ない。顔を上げると、魔族が真上に立っていた。
ズルリと、熱い何かが俺の体を通り抜けた。大剣。それはすぐに引き抜かれ、俺の体は血の海に沈む。体の感覚はもはや遠く、武器は失われた。その場しのぎの魔力も再び底をつき、ついに打てる手はなくなった。
「死出の旅路に出る優れた戦士に教えてやろう」
蕩ける意識の中、魔族の声が降ってくる。腹が立つくらいに、自信にまみれた声だった。
「我が名はプルースト。魔族軍最高幹部が一人“傲慢”の座にある上位者である。我に殺されることを誇りに思うがいい」
魔族軍最高幹部。言葉を聞いて、動かないと思っていた体がわずかに動いた。指先がわずかに跳ね上がり、口から血反吐まみれの息がこぼれる。
「ぁ、か」
「まだ息があるか。もはや、心臓を動かすことすら辛かろう。引導を渡してやる」
「ま……」
まだ駄目だ。まだ死ねない。時間をまるで稼げていない。それに、魔族軍最高幹部だ。人間と敵対する魔族の最高戦力の一人。こいつを殺せば、民の平和を守ることができる。
動け! 渾身の力を振り絞る。しかし、体は指先をわずかに動かすことが精いっぱいで、魔力は尽き果てている。打つ手は……
「ぃや」
まだ、ある。最期に一つ、武器が残っていた。右手の中指で広がる血だまりを叩いた。波紋は広がって、広がり続ける。血だまりを通じて、水たまりにまで波紋が広がる。すでに死に体だと思っていた俺の魔法に魔族は驚き、寸の間、動きをとめた。
魔力は血に宿る。ならば、流れた血にはまだ魔力は残っている。血の混じった雨水にもだ。全身の血液を媒介に魔法を行使、波紋は波に変わり、血柱が上がり、プルーストを飲み込んだ。
「ぐぉ……」
血柱は真っ赤な水流に変わり、プルーストを押し流した。魔法は十分以上に力を発揮し、プルーストを戦場から追い出すことができた。そして、俺の限界も訪れる。魔法は途切れ、目も耳も機能を終える。
体は力を失って、倒れ込む。もう何も感じない。部下たちは逃げきれただろうか。消えゆく意識の中、考える。部下のこと。国のこと。これまでの生涯。そして、
フローリア。不愛想で俺を恨んでいるだろう彼女の顔を思い出して、俺は死んだ――
「――絶対に、死なせないから」
はずだった。
どうか、最期までお付き合いください。




