どうやら僕から花粉症を抑制するホルモンが出ているらしく、花粉症の学校一の美少女と毎日二人で登下校することになった
「クシュンッ! ハックシュンッ!」
僕が一人で廊下を歩いていると、前から隣のクラスの檜木さんが、絶え間なくくしゃみをしながら歩いてきた。
檜木さんは校内一と言っても過言ではない美少女で、うちの高校で檜木さんのことを知らない男子はいないくらいだ。
檜木さんは花粉症なのかな?
美少女はくしゃみをしていても美少女なんだな。
と、そんな益体も無いことを考えながら、僕が檜木さんとすれ違おうとした時だった。
「――あれ?」
ん?
檜木さんが小首を傾げて立ち止まった。
どうしたんだろう?
そういえばくしゃみが止まったな。
まあいいか。
僕がそのまま檜木さんの横を通り過ぎて少しすると――
「クシュンッ! ハーックシュンッ!」
っ?
檜木さんのくしゃみが再発した。
何だったんだろう?
まるで僕が近くにいる間だけ、くしゃみが収まってたみたいに見えたけど。
……まさかね。
「ちょ、ちょっと君!」
「え?」
唐突に誰かに後ろから裾を掴まれた。
だ、誰だ!?
僕なんかに何の用だ!?
振り返った僕は思わずフリーズした。
僕の裾を掴んでいたのは、他でもない、檜木さんだったのだ。
「今、君の近くにいる時だけ花粉症が収まってたんだけど、もしかして君、花粉症を抑えるホルモンでも出てるんじゃない!?」
「……は?」
何言ってるの?
「凄い凄ーい! ホントに杉田君といると全然くしゃみが出ないよ!」
「あ、そう……」
そんなバカな。
そんな話聞いたことないぞ。
その日の放課後。
何の因果か、僕は校内一の美少女と二人並んで下校していた。
僕から花粉症を抑えるホルモンが出ているなんて、にわかには信じられなかったが、実際あの後実験してみたところ、確かに僕から1メートル程離れると檜木さんのくしゃみはまた再発し、近付くとピタリとくしゃみは止まった。
……えぇ。
マジで?
檜木さんから、これは世紀の大発見だ、是非追加検証のために放課後一緒に帰ってほしいといった旨のことを言われ、なし崩し的に一緒に下校することになってしまったのだった。
「本当にありがとね杉田君! 私、子供の頃から重度の花粉症で、この時期はすっごく辛かったんだけど、杉田君のお陰で今はすっごく楽だよ!」
「そ、それはどうも……」
こんな僕でも、檜木さんの役に立てたなら光栄だよ。
そうこうしているうちに、檜木さんの家に到着した。
檜木さんの家は見るからに立派な一戸建てで、団地暮らしの我が家とは雲泥の差だった。
やっぱ美少女は、住んでる家も美少女然としているんだな。
「じゃあ、僕はこれで――」
「あ! ちょ、ちょっと待って杉田君!」
「え?」
まだ何か?
「私本当に、花粉症が辛くて……」
「あ、うん」
僕は花粉症になったことないから気持ちはわからないけど、確かにみんな辛そうではあるよね。
「だから杉田君さえよかったらなんだけど、もう少しだけ、私と一緒にいてくれないかな?」
「えっ!?」
そ、それって、どういう……。
「お茶とお菓子くらいは出すから、お願いだから私の家に上がって! ね! お願いお願ーい!」
「ええええっ!?」
ぼ、僕が檜木さんの家に!?
「紅茶でよかった?」
「う、うん。ありがとう……」
僕は出された紅茶を一口飲んだ。
紅茶の善し悪しなんて僕には一切わからないけど、多分良いお茶の葉を使っている気がする(ホントかよ)。
それにしても、本当に檜木さんの家に僕が上がってしまうとは……。
しかも僕、女の子の部屋に入るなんて生まれて初めてなんだけど。
それがあの檜木さんのお部屋だなんて……。
まさかこれ、夢オチじゃないよね?
「そういえば檜木さん、ご両親は?」
これだけ広い家なのに、他に誰の気配もないなと思ってたんだよね。
「ああ、うち共働きで、お父さんもお母さんもいつも帰り遅いから、暫くは誰もいないよ」
「えっ!?」
じゃあ今現在、この家には僕と檜木さんの二人っきりってこと!?
ママママママジで!?
うわ!
ヤバいヤバいヤバい!
途端にマックス緊張してきた!
緊張のあまり、トイレ行きたくなってきた!
「……ねえ、杉田君」
「ん?」
檜木さんが顔を赤らめながらもじもじしている。
なっ、どうしたの檜木さん!?
これ以上童貞をドキドキさせないで!?
「……こんなこと頼むのは、ホントに厚かましいってわかってるんだけど」
「う、うん。何だい?」
僕なんかにできることなら、何でもやるよ。
「……おトイレに、一緒に行ってほしいの」
「…………え」
ええええええええええ!?!?!?
き、君が行くのおおおおおお!?!?!?
「あ、勘違いしないでね! おトイレに一緒に入るってことじゃないから! ただ、手前まで付いてきてほしいってだけなの! 杉田君から1メートル以上離れると、また花粉症が再発しちゃうから……」
「で、でも……」
流石にそれはマズくない?
「お願いお願いお願ーい!」
檜木さんは耳まで真っ赤にしながら、僕に懇願してきた。
そ、そうだよな。
こんなこと、女の子が頼むのは相当勇気が要ることだよな。
「……わかったよ。僕も一緒に行くよ」
「ホントに!? ありがとう杉田君!」
「いえいえ」
とはいえ、檜木さんがトイレに入っている間は、僕はずっと耳を塞いでいたし、頭の中では校歌を熱唱して心を無にするくらいのマナーは弁えた。
その後、僕達は一緒にDVDを観たりゲームをやったりして遊んで、気が付けば外はすっかり暗くなっていた。
「あ、もうこんな時間か。じゃあ、僕はそろそろ――」
「ねえ杉田君」
「え?」
「よかったら、うちで夕飯を食べていってくれない?」
「えっ!?」
そ、そんな!?
「それは、いくら何でも……」
「さっきも言ったけど、うち両親の帰りが遅いから、いつも私自分でご飯作って、一人で食べてるの……」
「あ」
檜木さんは俯いて、とても切なそうな顔をしている。
嗚呼!
そんな顔されたらッ!!
「だから杉田君が一緒にご飯食べてくれたら、私とっても嬉しいんだけど、ダメ?」
檜木さんは潤んだ瞳で、僕を上目遣いで見つめてきた。
ビャーーー!!!!
「……い、いいよ。僕なんかでよければ」
「ホントに!? やったー! ありがとう杉田君!」
「ハハハ、どういたしまして」
ひょっとして僕、今日で一生分の運使っちゃってるんじゃ……。
この日檜木さんが作ってくれたハンバーグの味は、僕は一生忘れないことだろう。
「ご馳走様檜木さん。ハンバーグ、とっても美味しかったよ」
これはお世辞じゃない。
実際舌が蕩けるかと思うくらい美味しかった。
「いえいえ、お粗末様でした」
帰り際、檜木さんは玄関先まで僕を見送りにきてくれた。
「じゃあね」
「うん。今日は本当にありがとう杉田君。お陰で一回もくしゃみが出なかったよ」
「それは何より」
「――ねえ、杉田君」
「ん?」
「嫌ならハッキリ断ってね」
「え?」
何を?
「できれば明日から、毎日私と一緒に登下校してもらいたいんだけど……ダメかな?」
「――え」
ま、ままままま毎日ーーー!?!?!?
「花粉症の時期が終わるまででいいから! お願いお願いお願ーい!」
僕は、今日だけで何度目になるかわからない、檜木さんからの懇願を受けた。
僕には、その申し出を断る勇気も、理由も、持ち合わせてはいなかった。
こうして僕は、朝は檜木さんの家まで檜木さんを迎えに行き一緒に登校し、帰りは校門の前で待ち合わせて一緒に下校して、そのまま檜木さんの家で夜まで遊び、檜木さんの手料理をご馳走になって帰るという生活を繰り返した。
最初は高嶺の花の深窓の令嬢だと思っていた檜木さんは、一緒にいて話してみると、意外と気さくな人だった。
しかもこれまた意外に重度のゲーマーで、買ったゲームはほとんどトロフィーをコンプしているらしい。
今までは一人でゲームをすることが多かったから、一緒にゲームをしてくれる人ができて嬉しいと言われた時には、胸がキュッとなった。
更に料理の腕もプロ並みで、和洋中問わず、如何なる料理でも作れるらしい。
僕も毎日種々の料理をご馳走してもらったが、どれもこれも僕が今まで食べたどんな料理よりも美味しかった。
将来は料理関係の仕事に就くのが夢らしい。
檜木さんならきっとその夢も叶えられることだろう。
だが、ゲームも料理も、どちらも両親の帰りが遅く、一人で家にいることが多いが故に嗜んだものなのかもしれないと思い至ると、途端に胸が締めつけられた。
そんな檜木さんと二人で毎日を過ごしていくうちに、いつしか僕は檜木さんに恋心を抱くようになっていた。
今では僕は、寝ても覚めても檜木さんのことばかり考えていた。
でも僕と檜木さんは、あくまで花粉症を抑えるためだけに一緒にいる関係に過ぎない。
そしてもうじき、花粉症の季節も終わる。
そうしたらまた、僕と檜木さんは赤の他人に戻ってしまう。
「……ハァ」
かといって檜木さんに告白する勇気なんてない僕は、大きな溜め息を零しながら、今日も放課後校門に向かって一人で歩いていた。
が、ふと前方に目を向けると、少し離れたところを、檜木さんが友達の女の子と二人で歩いているのが目に入った。
おっと、友達といる時は僕は近付かない方がいいだろうな。
多分檜木さんは、僕との関係を誰にも話してないだろうし。
僕は二人から付かず離れずの距離を保って、二人の後ろを歩いた。
だが、僕は檜木さんの後ろ姿に、言いようのない違和感を抱いていた。
いったい何だろう?
――ああそうだ。
今の檜木さんは、僕の近くにいないのに、一切くしゃみをしていない――。
「そういえば例の作戦は上手くいってるの?」
その時、檜木さんの友達が檜木さんに話し掛ける声が聞こえてきた。
作戦?
何のことだ?
「うーん、まあまあって感じかなあ。大分心の距離は縮まってきたとは思うんだけど」
「そっかー、しっかしあんたもよくやるよね。好きな人と仲良くなるために、花粉症のフリするなんてさ」
「ア、アハハ。まあ、ね」
っ!?
「しかも花粉症を抑えるホルモンって、何よそれ。そんなのあり得る訳ないじゃん。小説じゃないんだからさ」
「もう、そんなの自分でもわかってるよ! でも、他に方法が思いつかなかったんだから、しょうがないじゃない!」
おわり