イラストが描ける人に捧ぐ -イラストが描けない筆者からみた絵師さんの姿
イラストが描ける人は筆者から見ればみな超人である。大袈裟だというかもしれない。しかし事実である。
イラストが描けるということは脳内にある理想を現実世界に投射することができるということである。これはどの特殊技能よりも優れたものであるといっても過言ではない。
例を出そう。
例えば頭の中に理想のキャラクターが浮かんだとする。これを第三者に伝えたい。どうするか。方法は大きく分けて二通りある。一つはキャラクターの特徴を文章に書いて読んでもらう方法。もう一つがイラストを描いて相手に見せる方法だ。もしあなたがイラストと文章どちらかを見なければいけないとしたらどっちを選ぶだろうか。筆者はイラストである。もちろん様々な意見はあるだろう。だが考えてみて欲しい。理想のキャラクターを説明される相手にとってどちらがより好ましいだろうか。1000文字の設定資料と1枚のイラスト。1枚のイラストに手は伸びないだろうか。
次の例を出そう。
あるプロジェクトがあったとする。自分のイメージを全く前知識もない人々に説明しなくてはならない。あなたならどうするだろうか。絵や図、文章を混ぜて説明するはずだ。もしあなたが説明される側だとして文章だけのスライドが出てきたらどうだろう。筆者だったら帰る。しかし要点が纏められた図やイラストがあれば話は別だ。少なくとも最後まで聞く気にはなるだろう。
イラストが描けるということは強い。自身の感情や理想を絵で表現できる。それは凄まじいことだ。あらゆる創作活動は表現につながっている。文章も絵もプログラミングもすべて自身の頭の中にある理想を表現する手段にすぎない。もちろん表現方法によって優劣があるわけではない。だが絵や映像、音楽といったものが持つ直感的に相手に理解させる能力は目を見張るものがある。
イラストが描ければどういうことができるだろうか。理想のキャラクターを描いて自身で楽しむことができる。悩んでいる人に応援のイラストを送ることができる。好きな小説のキャラクターを頭の中で想像し、それを絵にして贈ることもできるだろう。
イラストが描けるということは創作において絶大なアドバンテージとなる。ここにおける創作とは小説や芸術といったものだけではない。ビジネスや学業、日常生活全てである。全てが創作活動なのだ。我々が自身以外の世界に向けて行う行動。それは全て創作活動といっても過言ではない。
イラストが描ける人は自身をもって欲しい。少なくともそれは筆者にはできないことだ。
ぜひ描き続けて欲しい。きっと宝物になるはずだ。