旧:牛丼屋 トランプタワー学生編
午前二時過ぎの牛丼屋で忍者張りの陰の薄さと何故かトランプタワーを作るという異端さを発揮していた学生風の男、これはその学生風の男がいかにしてそんな奇行に走ったのかを描くサイドストーリー、あるいは前日譚。
僕、笹中恭治はいわゆるオタク系の高校生だ。しかも理系オタクという素晴らしく人に好かれなさそうなオタクだ。この際はっきりと豪語するが、僕をはじめとする僕の周辺のオタクは全員まともな交友関係がない、あるにはあるが、類は友を呼ぶという事なのか普通の人間が見当たらない。
まだ夏の日差しが眩しい昼下がり、高校の授業も終わり、校内にまで照りつける太陽を避けるように某タクティカルエスピオナージアクションゲームよろしく潜入工作員のような動きで校内を移動している僕が目指した先は、どういうわけか教室から遠い図書室だった。
僕は放課後、図書室へ行く事を習慣にしている。うちの高校の図書室はかなりの蔵書があり、一般的な小説から誰が読むのかわからないマニアックな書物まで一通り揃っている。当然一般人が忌避する理系オタクの僕は後者を目当てに来ていて、放課後ここに来ては自分の興味ある事柄について勉強する事を趣味の一環としている。図書館に行けばいいという意見もあるが、一回帰って身支度を整え直し、わざわざ遠い図書館に足を運ぶのは合理性に欠ける
放課後の図書室という静かで生徒が寄り付かなくなりそうなこの空間は勉強するのにうってつけ……のはずなのだが。
「……なんてことだ」
今日の図書室はやたらたくさんの生徒が出入りしていた。昼休みならともかく、放課後にこれほど生徒が集まるのは珍しい。
「そうか、読書感想文のせいか……」
季節は夏、しかも夏休み直前だ。うちの高校は気でも触れているのか、夏休みに読書感想文を宿題とする悪しき風習がある。大方皆その感想文の題材に使う本を探しに来ているのだ。
「ねぇねぇ、感想文の本どうするー?」
「これなんかどう? トランプタワーと建築学の関係ってやつ!」
あんな事話してる、参った。これじゃあ落ち着いて個人的研究――という名前の趣味の勉強――が出来やしない、大体なんで高校生にもなって読書感想文なんか書かなきゃならんのだ。ラヴクラフトの「遊星からの物体X」の感想文でも書いてやろうか……原稿用紙20枚くらいで。いや、むしろそうしよう、夏休み明けの職員室を名伏しがたき冒涜的で正気を削るような禍々しい空気で充満させてやる。
などと学校に対する不満で胸の中を満たしながら、僕は目当ての本を引っ張り出してきて適当な机の上にノートと一緒に広げた。ここに書いてある内容を自分のわかりやすいように書き起こす事で理解する、というのが僕の勉強方法である。
しかしこうも他の生徒が多いと落ち着かない、元々僕は友達の多い方ではないし、よくクラスにいる「黙ってても勝手に会話の中心にされている人気者」のように人を惹きつける事もない。だから僕を見つけたからと言って話しかけてくる人などいないはずなのだが。マレに相手の人柄など気にせず自分のペースだけで他人に話しかける人もいる。
「笹中くーん! 今度は何読んでるのー?」
ほら来た、こういう奴だよ。ふわふわの髪の毛にくりくりっとした目、常に上唇が下唇にかぶさり気味なせいで猫の口を想起させる口元。夏用の制服からは女子特有の制汗剤の香りが漂ってくる。1つ上の先輩女子である羊川華だ。驚いてはいけない、羊川という名字なのだ。
「また来たんですか、羊さん」
「もー、羊さんって呼ばないでよー……私の髪の毛集めて笹中君のお布団にしちゃうぞー?」
流石に勘弁してほしい、羊川先輩は生きているが、人毛で作った布団なんかで寝ていたらなんだか祟られそうだし、たとえ本物のふかふか羊毛布団だったとしても真夏の熱帯夜に使うのは拷問に近いものがある。
羊川先輩は僕の向かい側から、開いているページの表題を読み上げる。
「えーと……船舟白構造と流休か学にフいて」
「惜しいです羊先輩、船舶構造と流体力学の関係について、です」
「そっちこそ惜しい、もう一文字加えて『羊川先輩』って呼んでよ、あっ……それとも華ちゃんって呼びたい? 呼んでもいいよぉ」
天地がひっくり返ったって呼んでやるものか。
「それで何か用ですか羊先輩、僕は勉強したいんすけど」
「冷たいなぁ、その冷たさで私を冷やしてくれてるのかー? 最近暑いからねー」
そんな歪んだ親切心はない。というかどこをどう解釈すればその返事に辿り着くのか理解できない。
この人がこうして話しかけてくるのは今に始まった事じゃない、いつだって突然現れては自分のペースに僕を巻き込んでくる。状況が許せば無視を決め込んで一方的に喋らせて満足させることもできるが……。
しかし今回は羊川先輩を無視することもできない、何しろ先輩は僕と机を挟んで真正面の位置に陣取っているのだが――いつの間にか椅子まで置いてる――その机ときたら生徒が教室で使ってる机と同じ型なもんだから、今先輩との物理的な距離は40センチあるかないか。僕だって理系オタクである前に一人の男だ、気が散るどころじゃ済まされない。
「んん~? さっきから何を気にしてるのかな~?」
わかってるクセにこんな事言ってくる。そして僕は恐らくこの人の思う壺に全身どっぷりハマっているのだろう。暑さのせいか薄いシャツのボタンは上から2つくらいまで外され、緩くなった胸元から肌色がチラチラ覗いている、これで集中しろというのも無理な話だ。ある意味延々と話しかけられるより強力な妨害だ。
だがここで何か言い返せばそこから足を掬われかねない。僕は努めて気にしない風で勉強に取り組んでみせ……ようとしても、羊川先輩が本に腕を乗せているせいで中途半端に読めなくなっているのだが。
「そんな笹中君に~良い物あげちゃおうかと思って~、あ、笹中君今夜空いてる?」
「今夜? まぁ特に何もないですけど……」
なんだろう、凄まじく嫌な予感となんだか桃色な気配がする。
「じゃあ決まりだね! 良い物は笹中君の下駄箱の中に入れてあるから。じゃね!」
と、言うだけ言って猫のようにささっといなくなってしまった。
やれやれ、これでやっと落ち着いて勉強ができる…………わけがない。
良い物? 今夜空いてる? 下駄箱? 意味深なワードと意味深な言い回し、いや、一周回ってむしろわかりやすい。これはつまり……そういうお誘いなのか?
僕は心を穏やかにして窓の外を見やる。いやいや……いくらなんでもあり得ない。いくらちょっと物好きな先輩とはいえ、こんな理系オタクなんかに……ないない、あり得ない。
と、思いながら窓の外を眺めつつも、僕の両手はまるで別の生き物のように勉強道具を片付け始めているのだった。
いそいそと昇降口へ向かい、自分の下駄箱を漁る。靴と一緒に出てきたのは封をされた小さい紙袋と手紙だった。
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笹中君へ、この小包を持って深夜12時、この牛丼屋で待っててね。ただし、今夜12時まで小包は開けちゃ駄目だぞ★
羊川華
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手紙にはこの一文だけ綴られ、牛丼屋の住所まで指定してある。さて……なんだろうこれは。
紙袋は小さめのどこにでもありそうな物で、何か固形物が入ってるような感触があった。形から察するに、一昔前まで主流だったカセットテープのようなものだろうか。
開けちゃ駄目と言われると開けたくもなるのが人間というものらしいが、僕は生憎律儀に言いつけを守ってしまう性格だし、開ける事を見越して僕が中身を確認するのを待ち受けているのかもしれないので、指示通り紙袋の封は切らずそのままの状態でカバンに詰めた。
それにしても深夜の牛丼屋で何の用なんだろう。そしてこの紙袋はなんなんだろう。
僕は様々な思いを渦巻かせながら、何故か意気揚々と帰宅した。
問題の深夜十二時、あるいは零時になった頃、僕は指定された牛丼屋にいた。どうせ羊川先輩も来るだろうと踏んでいたので注文は後にする旨を外国人の店員に伝える。
店内にはスマートフォンをいじっている浮浪者のような身なりの男が一人だけで、僕と同じくテーブルの上には何も無い。僕のように誰かと待ち合わせでもしているのだろうか? 深夜の牛丼屋で落ち合おうとする羊川先輩のような変人が他にもいると思うとあの浮浪者のような男も災難なものだ。同じ誘われた者として同情する。
ところで、肝心の羊川先輩はいつ来るのだろう。あんな人だがこういうときには意外とちゃんとしている人だから、もしかしたら僕より早く来ていると思っていたのだが……。僕は下駄箱に入っていた紙袋を取り出す。いまいち内容物が不明な小包だが、思い出してみれば手紙で指示されたのは開封の時間のみ、別に本人がいなかろうが関係ないはずだ。十二時十五分、あるいは零時十五分、僕は羊川先輩を待たずに紙袋を開けた。
中から出てきたのは新品らしきトランプが3セット、またしても手紙が一通、折りたたんで入っていた。
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笹中君へ
こんばんわぁ、これを読んでいるという事は指示通りに牛丼屋に来てるんだよね? そうだとしたらえらいえらい!
さてと、今回の要件をお話ししよう(`・ω・´)キリッ
今夜、君には同梱したトランプでトランプタワーを作ってもらうのだ!((6( 'ω' )9))
ただ作るだけじゃダメなんだよ? トランプタワーを作りつつ「なるべく高いトランプタワーを建てるにはどんな組み立て方をすれば良いか?」を考察してもらいたい。それを夏休みの自由研究にするから。
これを拒否すると、今夜の事を私なりに修飾して学校内に言い放しちゃうぞ★
羊川華
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…………都合よく牛丼屋に来ているから、この手紙の書いた人間を牛肉よろしく切り落としてもらえたらさぞ気持ちの良かった事だろう。
「えらいえらい」じゃねぇよ! 「キリッ」じゃねぇよ! 何ちょっと顔文字使って可愛く見せようとしてんだ!「トランプタワーを作ってもらうのだ!」じゃねぇよ! 深夜に牛丼屋に呼びつけておいて一人でトランプタワー作らせるって正気かよ!? 挙句の果てにそれを夏休みの自由研究にするって小学生かよ! ていうかなんで高校生にもなって夏休みに自由研究なんてやらなきゃならねぇんだよ教育委員会は気でも触れてやがるのかッ!?
ふう……口に出していないとはいえ感じた事を思うがままに頭に浮かべるというのは精神衛生上素晴らしい事だと思う。
そうだった。羊川華という先輩はこういう人だった。常に人の予想の斜め上を当たり前のようにぶち抜いてくる、そのクセ馬鹿ではないどころか、歳不相応に計算高い。
後輩を深夜の牛丼屋に呼びつけて一人でトランプタワーを作らせる事自体相当狂人じみているが、恐ろしいのはむしろ最後の一文だ。
「今夜の事を私なりに修飾して学校内に言い放つ」
あの羊川先輩の事だ。どんなエピソードにするかわかったもんじゃない、しかも「言いふらす」ではなく「言い放つ」と書くあたりにさらなる恐怖を感じる。学校という閉鎖空間において噂というのは怖いもので、いつの間にか事実と全く異なる内容になって流布してしまうものだ。女の先輩に深夜に呼びつけられてまんまと誘いに乗ってしまったという事実がもし厄介な形で噂になってしまったら僕のデリケートな理系オタクライフは破綻してしまう。
頭の先から足のつま先まで罠にズッボリはまってしまった……などと悔やんでいる場合じゃない、夜が明けるまでにあの先輩の満足する結果と考察をたたき出すしかない、僕は脳内に溜め込んでいたあらゆる知識を叩き起こしてトランプの箱を開けた。
「午前二時過ぎの牛丼屋」を連載小説としなかったのはまさかこんな話が思いつくと思ってなかったからなんですよね。本編に続編があったら今度は連載小説として投稿してもいいかもしれません。