じろさくのこと
じろさくの妊娠が判ったのは翌年の一月終わりだった。
相方の趣味はパソコンなのだが当時はパソコン通信、電話にケーブルを繋いでいたが日中より安くなる夜十時から朝五時、土・日曜の深夜休日料金帯にニフティやソネットの掲示板で交流していた。モデムの切断を忘れてしまうと一日中電話で話し中状態、電気代より電話代が……という事になる。モデムの接続音「ピー、ピリリリ――」という音を、たろべえが物の名前より先に覚えたらどうしようねぇ、と冗談を言い合っていた。
覚えのあるむかつきにたろべえを産んだ産婦人科に行くと妊娠と言われた。まあ二人目なのであまりお祝いムードは無かったが、期間的にはちょうどいい妊娠にほっとした。しかし三月に社宅の改築が発表され、引越しの手配やら荷物の整理に手がかかった。
六月、やっと悪阻が収まったころ相方とたろべえ、両親との行き違いに引越しも手伝って悩んでしまったふくまめは、久々に胃炎になった。ちょうど検診があったので院長とは違う、レスラー並みにゴツくて頭の薄い先生に相談してみると
「気休めだけど入院しますか?」
と聞かれた。
ちょっと距離を置けるなら、そう言う気持ちで入院を決めた。六日間、階段の下で北向きだが個室を借りて気休めに積読しておいた本を持ってきてのんびりしていた。
明後日には退院だねと言われた三日目の夜、妙な腹痛で目が覚めた。下腹が周期的に張るのだ。朝に言おうと思っていたら次第に五分おきに張ってきた。直ぐにナースコールをして症状を言うと助産師さんは
「内診させてね」
とベッドのまま診察して出て行ってはまた戻って来た。三度目に来た時は点滴を持って戻った。いつもの
「ちょっと痛むよー」
という言葉に静かにしていたが、差し込む処置と針の太さに声を上げてしまった。恐らく一般病院に普及し始めたカテーテルの初期型だと思う。
ふくまめは病院で一番イヤなのは血管に直接刺す注射だ。とにかく血管が出ないので両腕を捲り上げ、
「出なかったら手の甲でいいですから」
と笑って言うのがお約束だ。
「痛いですよね? 見つけますから」
と皆さん気張ってくれるが五分後には甲の浮き出た血管に刺さっている、肘裏にパッチ付きで。胃潰瘍をやった時は毎日同じところに差し続けたので血管炎になり、神経に刺さったかという痛みに叫んだこともあった。
それくらい点滴が嫌いだったからカテーテルは苦痛でしかなかった。しかも先が見えない入院になってしまった。
夕べの症状は何だったのか説明もしてくれない、診察も碌にない。たろべえは預けるのに少しの荷物しか持たせなかった、ただ様子を電話で聞くしかなかった。様子を見たいので二週間後に一時帰宅を申し入れた。点滴を替えに来た看護婦さんは、ふくまめの「切実な訴え」を黙って聞いていた。それはこうだから、ああだから、今は安静にしてなさい、とも一言も言わなかった。三十分くらいだろうか、心配だった事を泣きながら全部言い終えると、少し言葉を掛けられて点滴を替えて看護師さんは出て行った。
しかし土・日は相方が見るように頼んだが、ととさんたちもあんなによく動く一歳児の面倒など、毎日では疲れてしまっているだろう。この病院なら保育園があるから大丈夫だ、そう思ってたろべえを病院に連れてきてもらった。朝・夜は食事を取り分け足りない時は日持ちのする小さなパンを与え、風呂は入れられる訳が無いので清拭してやった。午前中に保育士さんに迎えに来てもらってニコニコして遊びに行った。しかし六日目の夜、ものすごい夜鳴きが起きた。家に居れば気分転換にドライブできる、抱いてあやしてやりたいが、カテーテルの入った腕では抱き寄せるか横になって張り付けて背中を叩いて小さな声で歌を歌ってやるしかない。夜鳴きは三時間ほどで収まったがいくら鈍い子でもやはり限界があった、ほとんど寝ていない頭でかかさんに連れて行ってくれるように翌朝電話を掛けた。
それから四週間のち、やっとカテーテルは外れて退院となった。無理をしないでのんびり過ごそう、とは思っても動かない訳にはいかないのが子供のいる家だ。
こういう時、世代的に話題になるのが「おしん」だったりする。主人公のおしんは里が凶作で妹が生まれたために幼くして奉公に出された、自活する方法を模索する中結婚したが実家には帰れず婚家で姑にいびられながら出産まで働かされるが、その娘は実家で甘やかされていたので難産だったエピソードだ。以前地域バラエティで「現在の生活はただでさえ動きが無い。だからあえて昔の生活をしようじゃないか」とどこかの病院が築三百年の農家を移築、薪を割り竈で食事を作り、床や柱を雑巾がけするのを見た。その光景を思い出したが、ふくまめは月足らずで産むことの方が怖くてできなかった。
またもや子宮頚管無力症のおかげで予定日二週間前に入院して一週間後に退院した。その二日後の四時、陣痛が来た。まず病院、そして相方の会社に電話した。当時の携帯電話と言えば肩に掛けるバッグのようなどこが携帯という代物、そういえばポケベルというものもありましたね。かかさんはまだ仕事中だったのでととさんに連れて行ってもらった。到着して三十分後相方が来てととさんは交代するように帰った。それからまた三十分後に産室へ連れられて行った。
昭和のドラマに在る「くー!」と声を上げたり手拭いを噛んだりする妊婦って無いんだ、「声上げたらいきめないからダメ!」って言われました。天井から下がった紐に捕まるなんてできません、台の横に着いたハンドルも握っちゃダメと叱られるから。ラマーズ法なんてやってられない、目も口も開けたままバクバク息をする姿を想像するとドキュメンタリーで見た鮭の産卵を連想してしまう。
まだ産まれないんだろうかと思っていたら、鼻にチューブを入れられて
「酸素だから吸って、赤ちゃんに酸素行かないよ!」
と言われた。陣痛が引いた時、足の方を見ると薄ピンクのナース服が見えた。看護師さん、上に乗っているの!? それを見てパニックになるより先に絞られる痛みが来た。またもや体力の限界に挑戦させられている気分だ。心音計なのかバクバク何かの音がする、痛みが来るとそれが切羽詰まった音になった。
どれだけ頑張ったのか分からないが、何時の間にか痛みが引いてゼイゼイ肩で息をしていた。すみません、産まれたんでしょうか? もういきむの止めてもいいんですか?
左側に先生の白衣が見えた。それが奥へ行った後、平手で平たい物を叩く音が聞こえた。
ふええぇぇ、ひゃあああ……
あ、良かった、終わったんだ。
「ふくまめさん、あのね。長くかかったから赤ちゃん、チアノーゼ状態になったの、もう息をしたから大丈夫。それから吸引で傷が付いたからこのまま新生児室に入れるね」
頭の傷よりチアノーゼの方がおおごとではないのか? 突っ込みたかったが一時間以上頑張ったのでしゃべる体力も無かった。
そう説明されて翌日、痛むおしりによたよた歩きながら新生児室にうちの子を見た。傷ネットを被せられていたが、頭の変形具合に呆然とした。映画か某格闘マンガに出てくる異星人頭になっていた。赤子の頭は産道を通るために柔らかくて変形するとは保育で習ったけど、これ治るのか? しかしDNAに描かれた設計図はほぼ完璧に戻していった。じろさくは2800グラム、たろべえと300グラム違うだけで難産になるふくまめの骨盤は何なんなのだろうか? またもや一緒の退院はできなかった、黄疸が強く出てクベースに入れられたからだ。
退院したじろさくはよく泣いた。たろべえより大きな声で、どうあやしても泣き続けた。気の短いととさんは毎日怒っていた。どんなにあやしても汚れていないおむつを何度取り換えても、おっぱいが足りないからミルクを与えても泣き続けた。母乳マッサージに通っても出る量は変わらないのか泣き続けた。社宅に戻っても変わらない状況、いや、ととさんの怒鳴り声が聞こえないだけまだましか。毎週一度は襲ってくる片頭痛に悩まされながらもあやし続けた。
その頃『私たちは繁殖している』と『悪女な奥さん』を読んだ。「自分が苦しいままで育児をしていたら子供だって辛くなるんじゃないか?」という言葉に目からうろこが落ちた。夫婦だから子供ができる、母親だから泣き止ませることができるのは当たり前、家にいるのだからと家事のついでに子育てやって、例えば一日、一ヶ月にどれだけやったかというチェックシートに印を付け『あなたは一〇〇点満点のお母さんです!』と褒めてもらう事は無い、犬だってひとつ行動を覚えればご褒美が貰えるのに。『母親だから』など自分を追い詰めてしまう。『母性本能という神話』は世間の人の中にしかないのだ。赤子には赤子の本分があるのだ、と思えるようになった。昼夜のめりはりがついて眠ってくれる三ヶ月に入った事もあるのか、そう悟ると精神的に楽になった。
ただ友人の一人が宗教にのめり込んで、やたらと勧誘のような電話を毎日かけて来たのが苦痛だった。両親や親戚で覚えがあるが、勧誘してくるのは『この世界に幸せな人を増やしたい』のではない、『あなたが不幸そうだからわたしが幸せにならない』という本人の精神的満足を求める押し付けの好意であり、即物的でないだけに質が悪い。
「それはあなたが神様に――」
「神様はあなたを――」
「神様はこう言っている」
を連発し、
「ワタシは神様の言葉を聞いているんじゃない、先輩ママの、あなたの経験からの本人の言葉が聞きたいんだ!」
と怒った。その場は謝っていたが、それでもなお聖書の言葉しか話さない彼女は何を言われたのか分かっていない様子に絶交を宣言した。
じろさくは一歳近くになってもつかまり立ちをしなかった。腹這いシーソーをしてきゃいきゃい笑う赤子に不安を感じ、新築された社宅近くの行きつけになったおじいさん先生に聞いた。
「大丈夫、大丈夫。心配しなくてもそのうち歩くよ」
と先生は言った。しかし一歳検診で連れて行った産婦人科併設の小児科で奥さん先生は顔色を変えて
「紹介状を書くから総合病院へすぐ行って!」
と有無を言わさない雰囲気に翌日総合病院へ向かった。
徹底的に一ヶ月調べられ、原因は無いと判断された。強いて言うなら長時間の吸引で脳がまだマヒしているのではないか、という。理学療法室の小児発達室に二週に一回通い、二ヶ月に一回大学病院の先生が症状を見る事になった。
一年以上通ったが、六ヶ月を過ぎた頃やっとつかまり立ちを始めたじろさくは、あっという間に独り歩きを始めた。よく泣きよく食べ、勝手に一人でどこかへ行ってしまう子になった。




