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無事に産まれる事が一番の安心  作者: アルタイル
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たろべえのこと

ワタシ、これを書いているのは、普段筆名は「アルタイル」だが、ここでは「ふくまめ」とさせていただく。子供は、ホモサピエンスは単性生殖できないので精子の元が必要である。まあ、とりあえず「相方」と言っておこう。

ふくまめと相方は「その日はやめておけ」と、に言われた四月一日に結婚式を挙げた。何とか書類を揃えて籍を入れたのは十七日、新婚旅行はその半年後、甲府から長野を横断する短いものだったが、勝沼のワイン祭りを最初に行って「日本のワイナリー、すご!」と感動し、白骨温泉で「温泉ってこんなに良い物か!」と相方が喚いた旅行となった。美ヶ原のロッジは風情があってお湯は温泉並みに良かったし、散策していてチョウゲンボウのホバリングを初めて見られたのもいい思い出だ。

しかし、その時すでにふくまめは妊娠していた。安定期とはいえ今思えば「無謀な事をしてのけた」と思う。


住まいは社宅だった。この建物、小さな頃から知り合いの家に行く度に見ていた味気ない物で、まさか自分がそこに住むとは思ってもいなかった。いやそもそも相方の勤める会社の社員とは絶対に結婚しようとは思ってもいなかった。――へそ曲がりな事に「日本のどこでも聞けば『すごいね!』と言われるような名前の知れた企業」が嫌いだったからだ。そして親戚筋では必ず一人は県内に点在しているその企業の工場に勤めているからでもある。

だが趣味も興味も同じマンガと小説、アニメに映画。好みは同じなのに視点が違う事に惹かれた。「自分に似たところの無いこの人となら、一生一緒に楽しく暮らせるかも」と思った。そして一緒に暮らす決心をした。


五月に入ろうという頃、やたらと胃がむかついていた。結婚退職後、当てにしていた退職金とボーナスが足りなかったために実家の近くでパートをしていたが、その仕事は最初店長の助手の助手程度と思っていたら、その助手の方が交通事故で足を骨折という事態になって、結婚したらやめる、という計画はだめになっていた。直ぐには辞められないので、片道一時間近くを車で通勤するのは苦痛ではなかったが、季節の変わり目で風邪をひいては一人でやっているので迷惑はかけられない、普段ならこの程度で行ったりはしないが無理は利かない状況に、医者に向かった。

「特に悪い所は無いよ。結婚しているんだから産婦人科に行った方がいいね」

あっさりとそこの医師に言われてしまった。

「もしかしたら妊娠したかもしれない」

その日、夕食をつまみながら相方に話をした。

「本当か? だったら早く確認してこいよ、……そっか、家族ができるんだ」

嬉しそうに相方は笑った。そうして翌日の仕事が終わった後、子宮内膜炎でお世話になった病院へ診察に行った。結果は赤。そして月数と予定日を教えてもらった。

よくある「妊娠三ヶ月ですよ」なんて無かった、最終月経日の一日目から数えて、既に一ヶ月、そこから十月十日なのか……もう六週、一ヶ月を過ぎているんだな。以前相方と共通の知り合いが結婚してすぐ妊娠で、「結婚前にできた子か?」と盛り上がってしまったが、そういう計算だったと知って何か気が抜けてしまった。

帰りの電話を聞いて夕飯を作っていると、扉の音がした。最初に住んだ社宅は鉄の引き戸で、大きな音が部屋中に響くから帰って来たことがすぐに判る。

「お帰り、いい話があるよ」と料理の手を休めて話した。

「わかった、今日はカレーだ」

…………。

「あ、じゃあオムライスだ!」

自分で楽しみだと言っておいて、こいつは何なんだ!? 

情緒不安定になっていたのは認める、しかし今朝楽しみだと言ったその口が何故夕飯の献立しか言わないのか、野菜を炒めていたガスを止めた。社宅は古い造りなので勝手に締め出すことはできなかったが、部屋に籠って泣いてしまった。絶対ふくまめは悪くない。


とりあえず妊娠が判ったので店長と社長たちには話しておかなくてはいけない。そしていつ辞めてもいいように後継を入れてもらいたい。しかしそれは思わぬほど大変だった。

ひとつはふくまめの低い体温だった。「三六・五度より下がったら病院に来なさい」と言われていたが、平熱三五・五度には無茶な話で、週に二回は病院に駆け込んでいた。そして後継の新人さんが慣れない土地に越してきたばかりで塞ぎこんで辞めると言い出した。当初楽だと思っていた悪阻も食べた物を全部戻すどころか、スーパーという場所柄肉や魚の匂いにも敏感になり、食べなくてもトイレに駆け込んでいた。もうダメだ、相方にもにももう辞めろと連呼され、仕方なくパートを辞めることにした。さらに酷くなると寝ている時でも吐き気が襲って来た、その音に耐えられずに相方は「実家で休んでくれ」と涙ながらに頼み込まれた。……こういうのって夫婦で助け合って乗り越えるんじゃなかったのか? 県外から嫁に来た人はどこに避難すればいいのだろうか?


十二月の声を聴き、寒さが強くなって来た頃、妙にお腹が張るようになった。予定日は来年一月末だが、気になって病院へ行くが、医師には気にするなと言われるばかりで安心する事は話してくれない。らちが明かないのでかかさんはT病院へ行こうと言った。T病院は古くからある病院で兄貴とワタシだけでなく、かかさんが子宮筋腫を開腹しないで取ったところだった。ふくまめも納得できる答えが欲しかったので病院に向かった。診察結果は子宮頚管無力症、子宮口が開きかけているので結索すると言われた。

手術、と聞いて小六の時にした盲腸炎を思い出した。「麻酔は痛いよ〰〰」とかかさんに脅されたおかげで最初のアレルギーテストから泣きわめいてしまった。もちろん脊髄麻酔は痛かったが、術後の傷の方が痛かった。そんな事を思い出しながら看護師さんから明日入院して下さい、翌日には手術ですと説明された。安静に、と言われたが荷造りはワタシがしなければいけない。張ってくるお腹を休ませながらゆっくりと荷造りした。まあ一週間程度、すぐ戻ってこられるよね、戻ったら実家で安静にしていろと相方も言ってくれた。翌日四人の大部屋に入れられるとすぐに陣痛止めの点滴を入れられた。その翌日に午前と午後の診療時間の間に手術。脊髄麻酔と思って覚悟していたら腕に小さな注射が打たれた。

「はい、ふくまめさん。数数えて。いち、に、さん」

と、看護師さんが声をかけた。声を出して九まで数えた覚えはあった。あの注射、麻酔だったんだ、痛くなくてよかった――などと思っていたら

「ふくまめさん、聞こえる? 返事して?」と呼ばれた。 

「少し出血するけれど、気にしなくていいよ」

と部屋まで付き添ってくれた看護師さんが話した。奥が突っ張った感じと鈍い痛みに「こうしていれば一安心」とのんびりとした気持ちになった。ところでこの病院だが出産すると院長からお祝いに鯛の尾頭付きと赤飯半升、トイレは無いが個室でテレビ見放題、退院前にはシャワーを使わせてくれ髪も洗ってセットしてくれるという至れり尽くせりだが産前ではテレビは一台だけで見たい人が番組を決めるという大部屋だ。しかも北向き、凄い待遇差であった。


手術をした翌日だったか朝の七時近くにぼんやりとしていると駐車場から叫び声が聞こえた。先に入院して看護師さんたちと顔なじみになっていた人が聞いたところ、陣痛が来たからと車に乗ったのは良いのだが出勤のラッシュとこの辺りでは珍しい十二月の積雪に阻まれて、もう半分くらい出ていたのだそうだ。この大企業城下町はバスや電車に乗って通勤するという考えが抜けている、おかげで路線バスはどんどん廃止されているのに。そして雪を甘く見ていたのだろうなぁ……お疲れさまでした。


大みそかに退院が決まった、正月はいつも本家だから料理などの用意を手伝うのだが、手伝いはできないのは仕方ないとかかさんは諦めてくれるだろう。そう思っていた翌日の朝、トイレに行くと何か生暖かい物が落ちてくる感覚がした。何か分からずベッドに戻り、朝食を食べてお膳を外に置きに行くとまた落ちて来た。慌ててトイレにまた駆け込むが、出血は無い。どうしたらと思っていると点滴の時間になった。もう診療は休日に入っているので普段よりも早い九時だが、点滴を打たれながら思い切ってこういう状態だと話した。

一度引っ込んだ看護師さんに「ちょっと内診しましょう」と分娩室へ連れ出された。ここは入院の場合は分娩台が内診台で手術台なのか、と同じ部屋を見て診察中ぼんやり考えていると次は待機室に連れて行かれた。さすがは看護師、部屋に戻ってきて待機室に入れられるまで他の患者さんを動揺させないせいか顔色変わってない。荷物は全て看護師さんが持ってきてくれるという。そして新しい薬液に変えられてそのまま横になった。

「これは陣痛を起こす薬です、糸は後から先生が切りますからね」

はい? あの、縛ってもらったのに、破水したんですか? さっきまで陣痛止める薬が入っていたのに、いきなり促進剤に変えて大丈夫なんですか? すいません、現状どうなっているのか、教えてください!


全く痛みの来ないまま一晩過ごすが、やはり全く陣痛は来なかった。ずっと点滴は付けたままで促進剤らしき薬液を液剤の瓶に追加されたのが午前九時、そして突っ張って来たのが午後一時だった。もうすぐこの点滴ともおさらばできる、そう言えばお姉さんが姪っ子の時に大きな声で叫び続けていて恥ずかしかったとかかさんが言っていたな、それだけは絶対にするまいと考えていた。

六時を過ぎてかなり痛みは強くなっていたのだがまだ弱かったのだろう、助産師さんが機械(促進剤は強いので生理食塩水に混ぜても調節が必要らしい)の付いた点滴ホルダー(あの点滴を下げる棒です)を持ってきた。陣痛来たのにまだ点滴抜けないの!? その機械ナンデスカー! 子宮口が開かないからとまた薬を飲まされて、相方とかかさんはまだ生まれませんからと帰され、何とか眠れないほど痛みは強くないので眠った。しかし「まだ生まれない」根拠は何なのか、教えてほしい所だった。


しかし早朝に痛みで目が覚めてしまう。もう五分置きに痛みが来ているんじゃなかろうか、朝食を食べようにも痛みで戻しかねない。早々にやって来た相方に食べてもらった。かかさんもやってきたのだが、まだ生まれていない事に呆れていた。二時間おきに助産師さんが見に来るのだが「なかなか子宮口が開かない」と言ってはナースセンターに戻っていった。もう三日もここで寝ている、毎日出産を控えた妊婦さんが一・二人は入れ替わるように入ってきて、半日もしないうちに出て行った。ずっといるのはふくまめひとり、なぜこんなに出てこないのだろうか。そう考えていると夜中から腰に響く痛みが加わった。

毎回見に来る助産師さんには「いきんじゃだめだよ」と言われるが、最初の三時間は何とか我慢できた。しかし三時を過ぎたあたりから痛みはどんどん強くなってきた。いきまないために声を出すしかなくなってくる、そのうちに五分くらいで襲って来るようになったのに、なぜまだ産めないのだ? 腰の痛みを和らげるために左を下にして相方、かかさんに腰をさすってもらった。

午後八時になって年末恒例の番組が始まった、今年はあのバンドが出るんだったな。

「ぐ、くぅ〰〰! ふう、はぁはぁ……」

全曲バージョン聞くのを楽しみにしていたのに、

「んが、ぐ〰〰! はひ、はぁはぁ」

麻酔でも、帝王切開でもいいから

「がう、ぐく〰〰げふ、ふぅ……」

痛みが退くならやってくれ!

十時になって『さよなら人類』が聞こえてきた。その年の話題曲やタレントはそのくらいになるから時間も分かるのだが、日勤の時ほどに助産師さんは頻繁に様子を見に来なくなっていた。痛い所に力を集中させないようにするのはかなり難しい。のどが嗄れても声を上げるしかないのだ、そしてかかさんよ、お義姉さんが大声で叫んだのは恥ずかしい事じゃないよ。

そのうちに毎年同じ終幕の歌が流れだし、静かな男性アナウンサーの声が聞こえてきた。ピッ、ピッ、ピッ、ポーンという音の後に「あけましておめでとうございます!」と、明るい声が聞こえた。何故テレビに集中していたのか、そうしなければお腹の痛みに集中してしまうからだ。いきむなと言われていたから、疲れていてはどうしても痛みのある方に集中してしまう。堪える事も一苦労だ。

「んがが! がう、はう……う、ぐがが! ふぅ、ひぅ……」

五分も無い痛みの感覚に声も出なくなるほど疲れてきた。十二時間以上痛みに耐え続けられたのをほめてくれ!

「むぐ!――、ふぅ……んが!――、ふぁ……い!――はぁ……」

歯を食いしばるのも息を止めるのも難しい、痛みで力が削がれていくのだ。二時に見に来た助産師さんにもういきむのを我慢できないとかかさんに話してもらった。やっと分娩室に連れて行かれ、台に乗った。


約二十分後、吸引分娩で何とか生まれたその子は『たろべえ』と言っておこう。月足らずだが異常は無かったが、よくある一時現象だそうだがぎりぎりだった体重が産後に減ってしまい、一緒に退院できなかった。退院できても吸う力が弱くて吸い付いてくれなくて、夜中に「飲んでくれ!」とふくまめは泣いていた。

たろべえは六ヶ月になり、ふくまめは離乳食を始めようと離乳食コーナーのお粥を作って一口入れてやると「んま!」と飲み込んでしまった、それどころかもっとよこせとたろべえは暴れるのだった――相方の血筋だろうか? 次々と雑誌に載った月例食をクリアしてくれるので離乳食には苦労した事が無かった。「なんといういい子だ!」と友人たちはわめいてくれた。「小さく生んで大きく育った見本だねぇ」と、食べまくってまるまるとしたたろべえを八ヶ月検診で先生は笑ってくれた。


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