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アリスとボブ  作者: 田中八槻
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一章二幕

第一章 僕、ニートやめます 二幕



 その夜。

 「ただいま帰りました」

 「望月!?お帰りなさい!!!」

 望月ミコ(もちづきみこ)が玄関のドアを開けるとすぐさま僕は飛びついた。そのまま抱きしめる。

 「ずっと待ってたんだよ。さあ、早く入って」

 望月は僕の親友であり、家族だった。僕が中学生の時に彼女に会ったのがきっかけで一緒に住むようになったという奇妙な関係ではあるけれど、僕は彼女を愛していた。それは決して恋愛感情ではなく、家族愛、兄弟愛に似た感情だった。しかし、本当はそうではなくて、その正体は「自己愛」なのだということを僕は知っている。彼女に出会ったとき。目が合った瞬間、僕たちは互いに同じであると気づいた。僕はいつでも彼女の考えていることがわかったし、彼女もまた僕のことを手に取るように理解した。哀れで孤独な人間であった僕は、そうである彼女を愛さずにはいられなかった。誰よりも僕である彼女。今は僕の方が心が弱ってしまって傍目には同じには見えないだろうけど、根本的にはまだ同じだということを僕たちは互いに知っている。また、僕の唯一気心知れた女性である彼女は、僕にとって掛け替えのない存在であった。教育大学の学生である彼女は、今日も一日学校に行っていた。

 「大袈裟ね。朝から出かけていただけじゃない。待ち焦がれる程なら、何か趣味でも始めたら?」

 「君がいないと気が気じゃなくて、何も手につかないよ。それはともかく、今日の晩御飯はうどんだよ。一緒に食べよう!兄ちゃんは仕事が忙しいから先に食べててほしいって」

 そう言うと、彼女はあきれて仕方がないというような顔をした。

 「あなたね……いくらうどんが好きだからって三晩連続うどんなんて、夕食係としてどうかと思うわ。全く、翔平さんの仕事が早く落ち着けばいいのに……」

 翔平というのは僕の年の離れた兄である。普段は兄と交代で夕食係をしているのだけれども、最近は彼が忙しいこともあってずっと夕食を僕が作っていた。文句を言う兄がいないのを良いことに、僕は三晩連続で好物のうどんを作っていたのである。うどんは好きだ。胃に負担がかからないうえに調理も簡単ときている。粉と水だけでできているシンプルで潔いところや、出汁の工夫次第で飽きのこない味にできるところが気に入っていた。うどんはこの国の誇りであると勝手に思っている。

 テーブルについてから、望月は思い出したように言った。

 「今日はあの医者が来る日だったじゃない。どうなの。行く気にはなったの?」

 「それがね……まだ決心がつかないんだ。本当に駄目だよね、僕って。いつも怖がって一歩前に進むことができないんだ。怖がってばかりじゃ、自分の夢を叶えることなんかできないのに」

 こんなに自信をなくした僕にも、小さな夢があった。病気で普通の日常を失ったからこそ見えた夢。それは、いつか、大切な人の役に立てるようになること。僕は、日常を日常として暮らせることの幸せを知ってから、今を生きられていることに感謝し、僕を生かしてくれている大切な人に恩返しができればと思うようになっていった。大切な人は家族だったり、未来の恋人だったりするだろうけど、そんなことにはこだわっていない。恩返しをすることで、大切な人が幸せになる。それはきっと、僕の幸せにつながるのではないかなあと思うのだ。大切な人と、ともに幸せになりたい。幸せなんて、簡単な言葉だけれど、当たり前の幸せに気づいていない人だって、いつかそれを知ったなら、それはもう、言葉には言い表せないくらい、幸せなのだ。僕は、そういう、気づきにくい幸せに気づいてもらうお手伝いができるようになりたい。そういう風にも思っていた。とにかく、そんなことを考えてからは、今までの傲慢で尊大な自分を捨てて、誰かの為に生きよう、誰かの翼になろうと決めていたのだ。

 尊大な頃の僕だったならば、まさにこう思っていただろう。

 「本当に女々しくなったわね。あなたは。そうよ、昔のあなただったら、それこそ、俺は必要とされて然るべき人間だ――、俺が力を貸せばどんなことだってうまくいくに違いない――、なんて言って、ホイホイあの医者について行っているはずだわ。あの時の、傲慢なくせにお人好しだった頃のあなたならね」

 図星。

 「望月はいつもなんでもわかっちゃうんだね。僕だって、今でこそそんなに尖った言い方はしないけど、僕が少しでも力になれたらとは思ってるんだ。とはいっても、働いた経験がないから、通用するかもわからないけど」

 「そう……あなたのそういうところ、私嫌いじゃないのよ……とだけ、言っておくわ。ところで、あの組織は、具体的には何をしているのかしら?」

 「情報を保管したり、取引したりしてるところらしいよ。どんな情報かは教えてもらえなかったけど……望月は、三条先生とは認識あるんだよね。望月は何か心当たりある?とは言っても、いろんな情報を管理してるんだもんね。心当たりって言っても、難しいか」

 望月と三条先生は知り合いらしかった。なんでも、望月の友人の叔母が三条先生らしい。

 「……ええ、そうね。心当たりなんか、無いわ」

 嘘だ。基本的に僕たちの間で隠し事はできないのだ。望月もそれを理解しているうえで話を進める。

 「でもまあ、情報屋となると、安全とは言い切れないから、よく考えて正解なのかもね。よく考えなさい。勿論あなたが社会に出ることには賛成だわ。でも、あなたが危険にさらされることには不安はあるのよ。そのとき、私があなたを守れる保障なんてないんだから」

 「さっきから何か、言いたそうな感じだけど……僕は望月がいればそれで満足だから……別にそこに入らなくても」

 「甘ったれてんじゃないわよ。さっさとニートやめなさい」

 「……はーい」

 きっと望月の本心はそれなのだろう。それならば僕もそれに応えたいと思うし、僕自身もニートをやめたいのはやまやまなのだが……

 「ねえ望月。決断するには、どうしたら良いと思う?」

 「自分を追い込むこと」

 「できれば、こんな僕でもできる方向で」

 「だったら……そうね、好きになるきっかけを見つけてみたら?何も知らないから怖いのよ。知ってしまえば、大したことじゃないわ。あなたはきっとそれができる人だから、あなた、好きになったら一直線でしょう。好きになってみなさい」

 好きになること。それが自然とできたら、どんなに素晴らしいことだろう。愛することは好きにならなくてもできる。しかし、好意を伴った愛なら?それは絶対的なものに違いない。でも最近、僕は好きになるということをしてこなかった。趣味もなければ、恋人もいない。そんな僕が、今更なにかを好きになることができるのだろうか?

 「好きになるには、どうしたらいいの?」

 「知らないわよ。自分で考えなさい」

 そんな当たり前のことを聞くなんて、と自分でも変だと思った。確かに望月の言う通り、僕は彼女に甘えすぎているのかもしれなかった。

 「自立、か」

 「自立、ね」

 ぼんやりと独り言のように呟いた言葉にも望月は返してくれた。望月も、僕が自立することを望んでいる。当然だ。僕だって、今のままで良いわけがない。望月のためにも、僕は自立する努力をしようと思った。少しだけ、前向きな気持ちになれた気がした。

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