愛が足りないと嘲笑うがいいさ
彼女は立ち止まると、柵の向こうの花達を見つめた。その顔が寂しげだったので、俺は彼女に声を掛けた。
「美咲さん、どうしたの?」
暖かな春休みの昼下がり。前から約束していた県の美術展を二人で一緒に見に行った帰りのことだった。美術館を囲む公園は続々と春の装いを揃えていた。俺達は公園のレンガ路を花を眺めながら歩いていた。
「ねえ、この花だけ、蕾のまま……」
「あ、本当だ」
花壇の立て札にはジンチョウゲと書かれていた。その花達の中に、一つだけ埋もれるように蕾が縮こまっていた。
「私みたいね」
「美咲さん?」
「何をやらせても何一つ満足にできない、ただいるだけの存在。私みたいに」
「美咲さん!」
俺の胸の中に冷たいオナモミが走ったような、そんな気がした。
「私ね、」
「……またかよ。どうしてだよ。どうしていつもそうなんだよ。美咲さん!」
「えっ」
「そんなに、そんなに俺といてつまらないか?」
「あ、あの」
「俺じゃ駄目だったんだな。美咲さんを笑顔にしたいと思っていたけど、俺じゃ力不足だったみたいだ。ごめんよ。もう、あきらめる。思い上がっていた俺に今まで付き合ってくれてありがとう」
最悪の捨てゼリフ。最悪の俺。
美咲さんと初めて会話したのは、屋上だったよね。一人でお弁当を食べている姿が寂しげで、俺は下心丸出しで声を掛けて。でも俺はもう少し前から美咲さんを知っていたんだ。
1学期の途中から、グラウンドでの陸上部の練習を時々見ていただろう?美咲さんは美人だから目に付きやすいし、気になっていたんだよ。それに美咲さんが見ているかと思うと練習にも身が入ったしね。
学校で美咲さんを見かけるときは、いつも一人だったことは気になっていたよ。思い切って初めて遊びに誘った時にOKしてもらったときは嬉しかったな。
でも美咲さんはその日突然来られなくなっちゃったよね。忘れられたかと焦ったけど、夜になって謝りの電話を入れてくれたからホッとしたよ。
最初の頃は俺を警戒していたのかあんまりデート先でリアクションを見せてくれなかったけど、だんだんと笑顔を見せるようになってくれたよね。そんな時は心の中でガッツポーズしてたんだよ。
今でもハッキリと覚えているのは修学旅行に行って一緒に熊本の星空を見上げたときのことだ。あの時、美咲さんは中学時代、陸上部に入っていたことを告白してくれたよね。どうして高校では部に入らなかったのか、そこまでは教えてくれなかったけど、あの時は俺のことを少しでも好きになってくれているかもしれない、なんて期待してた。
でも、それは俺の都合のいい思い込みだったみたいだ。
結局、美咲さんの笑顔は一時的な感情でしかなかったんだ。ひょっとしたら最初のデートの約束を破ってしまった負い目で無理して俺に付き合ってくれていたのかもしれない。
デートの最中であろうと、俺の前で自虐的な発言をする癖は治らなかったね。それが何より辛かった。
公園で美咲さんに悪態をついて逃げ出した俺は、その晩ずっとベッドの上で泣きあかしたよ。幸か不幸か春休みの最中だったから、残りの春休み、俺はずっとダラダラと家の中で過ごしてた。
だけど、悲しみって永遠に続かないものなんだよね。
何もかも終わりだと思っていても、時間が経てばお腹も空くし、走っている先にハードルがあれば自然に脚が飛び越える。
気合を入れて部活をしたおかげで地区予選でいい成績をとれたし、美咲さんに見下されないようにと勉強もしたおかげで上位の成績も取ることが出来た。
そのお陰か俺は陸上部の後輩の女の子から何通かラブレターを貰うようになったんだ。
正直なところ、最初は美咲さんのことが忘れられなかったから全部断ろうと思っていたんだけど、最近、その中の一人の女の子と付き合ってみるのも悪くないかと思い始めている。その子可愛いし。
美咲さんのことを好きになったことは無駄ではなかったと信じたい。
俺のことをと根性なしという奴もいるかもしれない。
でも俺は、高嶺の花に無理して手を伸ばして怪我をするよりも、花壇の花を手にとってそれを大切にする方がいいのかもしれない。
高嶺の花は眺めているだけでも美しい。花壇の花は大切に世話をすることでより愛しくなる。だから俺はそれが一番幸せになる人が増える方法だと思っている。
次にまた花が咲く季節まではまだ遠い。だからそれまでに俺は胸の痛みを忘れ去るくらい幸せになろうと思う。
きっと、できると思う。