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《十着目》
「てーんちょーう!!」
朝一番に簪の慌てた声が呉服屋に響いた。
「ん? おはよう。どうしたの? 」
店の戸を開けてすぐのところで息を切らす簪に、袴は少し驚いたように声をかける。
しかし、アルバイトの少女は挨拶を返す余裕もないようで、その店主の声にやや被さるような早口で告げた。
「ちょっと、これ! 見てくださいよ! 」
彼女は手に持っていた一枚の新聞紙を広げて、その紙面が波立つほどにバンバンと、そこに載っている一枚の写真を叩いた。
袴は首を傾げながら少女のもとに歩いていき、少し屈むような格好で、簪が示している写真をまじまじと見つめた。
そして、そこに写ったものをはっきりと認識して、彼は目をぱちくりさせた。
《十着目 怪異を追う者》
「あ、海蛇………。」
そう、それは数日前に諸事情で行った海を写した写真だった。
で、その写真が使われている記事の見出しは
“伝説のリヴァイアサン出現か?”
というもの。
簪はうきうきと言う。
「ほらここ!! 私たちも写ってますよ! 」
しかし、袴はもう一度新聞に目を落とすと、今度は突然がっくりと膝をついた。
「なんで着物が一面じゃないんだ!! 」
簪はいやいや、という風に手を振る。
「どうでもいい方に、より大きく
反応しないで下さいよ! 」
「どうでもよくないよ! 一大事だよ! 」
袴は簪を見上げるような格好できゃんきゃん吼えた。そして、すっと立ち上がると店の奥に歩いて行き、戻ってきたときには木の板と工具箱を持っていた。
「え!? ちょっ! なにする気ですか! 」
簪は危機感を露にして叫ぶが、
袴はその質問に応じながらも、釘と金槌を取り出して早速台風前のような作業を始めた。
「簪くん、あんな新聞はあり得ない!
あれは天変地異か、大きな不幸の
前触れに違いないよ!」
「逆に一面だったとこを
みたことが無いですよ!? 」
簪はツッコミながら、それを必死に制止するのだった。
が、しかし、その謎のやり取りは唐突に響いた戸の音に遮られることとなる。
「ああ、いらっしゃい。」
袴は工具と板をカウンターの裏に放り投げ、すぐに乱れた着物を直すと、その音の方に声をかけた。
(うわっ!切り換えはやっ! )
簪は店主の様子にちょっと引きながらも、彼に続いて、
「ご用件は? 」
と客に尋ねた。
しかし客は返答せず、すたすたと店に入ってきて、店内を何かを探しているように見渡すばかりだった。
これには、呉服屋の二人も顔を見合わせて、首を捻った。
「何の用事かな? 」と袴。
「挨拶もしないなんて、
明らかに不審者です。
追い返しましょう 。」と簪(片手にノコギリを持って)。
そして、
「おい、お前。」と謎の人。
その唐突な言葉に店の二人は、それを投げた男のほうを見て、目を丸くした。
一方でその男は、そんな店員達の様子を見ても表情ひとつ変えずに、
「これはお前だな。」
と、さっきまで簪が袴に見せつけていた写真と同じもの、いや、それのカラーバージョンを簪に押し付けるようにして言う。
「え? あ、多分………。」
袴は嫌悪を滲ませる簪の代わりに頷いた。
眼鏡をかけた暗い雰囲気の男は、その返答に満足したように「そうか、そうか」と繰り返しながら右手を顔の上において、真上を見詰めるような格好をして笑った。
袴はその異様な、というか中二病っぽい態度に、ドン引きしながらも、
「あの、何かご入り用ですかね。 」
と中二男に訪ねた。
すると、
「ふ、気になるかい? 」
と男はさらに口元を緩ませた。
そして、得意気に言う。
「どうしても、
というなら教えてあげよう。
僕はこの写真の真偽を確かめるために、
わざわざ、徒歩で15分もかけて
ここに来たのさ!」
「いや、
15分で来れるなら隣町ですよね。」
袴はその言葉に苦笑いを浮かべる。
それに続いて簪も、
「というか、
それで遠距離だっていうあたり、
あなた、引きこもりですよね。」
と冷めた目線を
“うっ! 僕の左手の黒炎竜の力が暴走を………! くそっ、静まれ! ”
とか言いそうな眼鏡男にぶつける。
が、男にはそんなことはまるで気にならないようで、こう続けた。
「この写真は僕が撮ったんだがね、
信じない凡人が世の中には多いのさ
だからこの忙しい中、
“怪異ハンター”たる僕が直々に腰を
あげたってわけ。」
「忙しいってなにで、ですか?
ネットサーフィン?」
簪は、よりなげやりな口調になっていた。
だがやはり、この男には伝わらないようで、彼はすっと名刺を取り出す。
そして、
「まぁ、また怪異を見つけたら、この僕、
矢原 木霊に連絡しな。
気分次第では解決してやるよ。」
と言うだけ言うと、
やっと彼は帰っていった………となれば良かったが、この矢原節はこれで終わらなかった。
袴がその名刺を受けとればこの色々危ない人物が帰ってくれると思い、その名刺を受け取ろうと手を伸ばした、
そのとき………!
「ぐうっ!? 」
と突然、男が悲鳴をあげた。それに驚いた簪は思わず、
「大丈夫ですか! 」
と声をかけたが、
男はそれに反応することもなく、片目を押さえながら苦しそうに悶え苦しみ、叫んだ。
「治まれ! 俺の左目に宿る、
金剛の獣よ! なぜだっ!
なぜ今暴走を………!」
その壮絶な言葉を聞いた二人は思った、
(うわー、こいつやっちゃってるよ。)
と。
袴はこほんと咳払いをして、矢原に言う。
「あの、矢原くん、ここに医療機器は
置いてないよ? 」
矢原はなおも苦しみながら、
「ふん、凡人には分からないか………。
この力の暴走は医療では治せない。」
と答える。
袴は苦笑いを浮かべた。
「いや、君の病は一般的に受験期に治る
やつだからね。」
そんな店主の言葉に簪は、呆れたような目で、悶え苦しむ男を見ながら、
「店長、馬鹿は不治の病ですよ。」
と嫌みたっぷりに言ってみせた。
だが、店員達の呟きは彼には聞こえなかったようで、その奇声はしばらく続き、
その日呉服屋にはひとっこ一人、どころか、吸血鬼の一匹も訪ねてこなかったという。
つづく