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《九着目》
間近に向き合った巨大な生物の大きさは、海の家が、「それ」の落とした影で、まるまる覆われてしまうほどで、その姿は細く長い蛇のような体に、無数の牙の生え揃った大口をもつ、まさに水竜! というものだった。
その上に、
「ぐぉおおおおん!!!!」
と地を揺らすような咆哮が響けば、当然、海水浴客も店員も一目散に逃げ出す。
そうして、周囲には誰もいなくなっていた。
先程までの賑わいが嘘のように、静寂に包まれる海岸。
跪いたままの格好で、頭からソースを垂らしている袴。
既に泡を吹いて気絶している羽織。
海の家の中で扇風機の前に座って
「ああー。」と例のやつをやってる簪。
海岸は、正に緊張の絶頂にあった。
その張り詰めた空気の中で、袴が突然、すっと立ち上がる。
そして、彼は海の家の店先まで歩くと、透明なプラスティックパックを一つとり、
………巨大生物に差し出した。
「焼きそば、いかがですか? 380円です。」
気合いの入った白い鉢巻きをした、店主がにこやかにそう言うと、
巨大な魔物はぬうっ、と袴の頭上まで前ビレを持ち上げた。
そして………。
《九着目 海の魔物その参》
ヒレから、と500円玉と50円玉が一枚ずつと、10円玉三枚が袴の掌に転がった。
「毎度あり、200円のお返しです! 」
「ぐおおーん! 」
………商談は、見事に成立した、
かのように思われたが、袴が怪物のヒレにおつりの200円を置こうとすると、その手の一寸先にズドンとなにかが落ち、取引は遮られる。
「!!」
袴は一瞬驚いて止まってしまったが、すぐにはっとして目の前に落ちたものを見た。
「………えっ!?」
それは刃渡りが三十センチ以上ある、巨大な包丁だった。
刃はよく手入れされていたようで、ギラギラと不気味なまでの光沢を放っている。
「ちっ………外したか。」
そして、包丁の飛んできた方向から響いたのは、簪の冷たい声だった。
袴は簪の方を向いて、すぐに大声をあげる。
「ちょっ! 今の投げたの簪くんでしょ!?
誰かにあたったらどうするつもり
だったの!?」
冷や汗をたらしながら叫ぶ袴とは違い、簪は冷めた声で言う。
「大丈夫です、当てる気でしたから。」
「何に対する大丈夫なの!? それ!! 」
袴は神速で後退りをしながら、枯れそうな程に声をあげるのだった。
簪は袴の悲鳴のような声を気にする素振りもなく、スタスタと歩き、包丁をまた手に取る。
「そのモンスターと店長が五月蝿かった
ので、騒音防止法に乗っ取って
処刑しようとしただけです。」
「騒音防止法違反ってそんなに重罪なんだ
っけ!?
あと、なんで私も入ってるの!?」
袴は、簪から見えるか見えないかの距離から声を飛ばす。
その言葉に対して、簪は「ふぅっ」とため息をついて、呆れたように言った。
「元はと言えば店長が米
さんの頼みを何でも聞いちゃうのが
悪いんですから、責任とってください。」
そう、実は袴が海に来たのは米さんにお願いされたからだった。
なんでも、海の家を経営している米さんの知り合いが、
“巨大な海蛇モドキに襲われて怪我をした”
ので、数日間だけ代わりに店番をしてくれということらしい。
「いや、そんなに嫌だったんなら来なくて
も良かったんだよ?仕事じゃないし。」
袴は苦笑いを浮かべた。
それに対して簪は、
「は!? 店長だけ海なんてズルいじゃないですか!!」
と言いながら、海の家の壁に包丁を突き刺す。
その鈍い音に、
(どうしたら良かったのさ!?
文句なら、巨大海蛇にでも言ってよ!
いや、会えないし言えないけども! )
と袴はただただ、心の中でツッコミながら、涙目になる他なかった………が。
ふと、彼は重要な事実に気がついた。
「あれ?」
自分の後ろにいる長細い怪物………これは。
簪も、はっとしたように海からやってきたモンスターを見た。
そして、
二人はこっくりと頷き………。
「巨大海蛇って、お前じゃねーか!!!」
と見事なコンビネーションで蹴りをいれるのだった。
*
そんな袴達のぐだぐだなやりとりの外で、怪しい一つのレンズが覗いている。
そして、そのシャッターは、この季節に似つかわしくない、全身を長袖の服に包んだ、眼鏡の青年によってしきりに下ろされていた。
その青年は、
「………やっと、僕が輝く時が来た。」
と囁きながら、顔を片手で押さえ、くすくすと笑っていた。
………黄色い、ひよこちゃん型の浮き輪に乗りながら。
続く!
海でのお話はこれで完結です。
読んでくださりありがとうございます。
次回は、気になる「彼」が登場!
乞うご期待。