アルバイト去る
《十八着目》
不安定な足取りで、頭に包帯を巻いた粕田は簪の方に歩き始めた。
ゆったりとした歩み、その間の沈黙。
つい先程まで近所迷惑なほどに五月蝿かったせいもあるだろうが、その場にいた袴はそれだけでも空気にずっしりと重みを感じる様な気がした。いや、本気で2トンくらいあったかもしれない。
そんなトラック並みに重量級な空気の中、やはりと言うべきか、ざまぁと言うべきか、彼は簪の目前で足を止めた。
「おい」
《十八着目 アルバイト去る》
粕田は簪の腕を掴んで、自分の元に手繰り寄せ、店主に紙を突きつけた。
「へ? 」
自分には関わりのないことだと思っていた、というか今でもそう思ってる店主は、一瞬頭が真っ白になる。
そうして硬直している袴の手から、吸血鬼はすっと紙を引き抜いた。
「これ、辞表か。」
その文面には簪がこの店のアルバイトを辞めるという意が簡潔に示されていた。
軽く目を通した限り、簪ではなく粕田が綴ったものだろう。
「え? なんで? 辞めるの? 」
その証拠に簪は粕田の横で困惑した表情を浮かべている。
吸血鬼は少しの間、まじまじと書かれたものを見ていたが、ふいに顔を上げて、
「まぁ、いんじゃねーの? 」
と軽い調子で言った。
また、店主も事件のことで訴えられたのではないと分かって安堵したのか、その言葉に続く。
「そっか、残念だね。お疲れ。」
だが、それには簪が慌てて声をあげた。
「え!? ちょっと待ってくださいよ!
なんでそんなにあっさりしてるんですか!?
私が居なくなったら大損害じゃないですか!
ちゃんと引き留めてくださいよ!」
それに対して即座に店主は言う。
「いや、別に損失はないよ。」
「仕事を減らすために雇ったのに、逆効果だったもんな。」
続けて補足するように吸血鬼は言う。
「人を厄介者みたいに言わないでくださいよ! あと、なんの役にもたたない処か、警察の用事を増やしてる変態に言われたくありません! 」
簪は吸血鬼をポカポカと殴った。
吸血鬼はそうやって攻撃を加えてきている簪を見下ろしながら、渋い顔をする。
「いや、だからなんで標的は俺なんだよ。旦那だって、さらっと解雇しようとしてんじゃん、つーか俺には雇用権はねぇから、向こうに言えって。」
そんな簪たちの横では粕田が店主に事情を説明していた。
「単刀直入に言えば、失踪事件が起こったこの物騒な町で女性を深夜まで帰さないような、自覚の足りん店には彼女は置けんゆうわけですわ。」
店主は粕田の言葉に思わず苦笑いを浮かべた。
「いや、物騒なのは失踪事件の犯人よりも簪くんの方なんだけど………。それに、私が引き留めてるんじゃなくて、簪くんが帰らないだけだからね。」
しかし、その無意識な笑いが粕田の地雷に触れてしまったらしい。
彼は急に表情を変えて、
「無理にでも、明るい時間に帰すんは常識やろが! 」
と店主を怒鳴り付けた。
店主は内心「ええ~………。」と思いながらも、粕田の迫力に圧倒されて、何も返せなかった。というより、返したら大変な事になるに違いないと分かったので止めておいたというのが適切だろうか。
黙る店主に、粕田はこう続けた。
「それにこの店には悪い噂もある。」
「噂? 」
吸血鬼は顔をあげる。
「奇妙な連中が彷徨いてるゆう噂や。この辺では有名らしいで。」
「へー、そうなんですか。」
話に青ざめる吸血鬼とは対照的に、店主は他人事のようにその話に頷いた。粕田はそれを不機嫌そうに眺めてから、言う。
「それも、この噂、最近になってのものやない、もう10年以上も前からある。店長はん、あんた、なんや危険な奴と繋がってるんやないか? 」
獣のように危険な光を湛えた視線を受けながら、店主は苦笑いを浮かべた。
(私が知る限り、一番ヤバい奴は簪くんなんだけどなぁ。)
その横で、吸血鬼は居心地が悪そうに視線を泳がせる。
(そのヤバい奴って、絶対俺だよ! )
粕田は、そうやって二人が黙ったところで、叩きつけるように言った。
「そういうことや、今日で彼女は辞める、ええな? 」
二人はその言葉で再び粕田と目を会わせると、簪の方に体を向けて、
「はい、お疲れ、簪くん。」
店主は小さく頭を下げ、
「じゃあな、嬢ちゃん、また何処かで会えると良いな。」
吸血鬼はひらひらと手を振り、それに納得する。簪は粕田に引きづられながら、姿が見えなくなるまで、悲鳴のように、店主に訴えていた。
「ちょっとぉ! 店長!? 絶対、後で後悔しますよ! 引き留めといた方が身のためですよ!? 」
しかし、その後はなんの悶着もなく、町は静けさを取り戻す。
-つづく-




