肝試し
《十四着目》
それは唐突にやって来た。
それゆえ、朝の掃除を終え、いつものように店の暖簾をかけていた袴がその気配に気が付き、回避を試みたときにはすでに手遅れであった。
先ほどまで背後にあった気配は瞬く間に彼の前方に移り、店の戸の前で彼の行く手を阻んでいる。
袴は直ぐに後ろに飛び退き、距離をとろうと試みるが、それも無意味に終わった。
背後から伸びてきた手がぐっと彼の背中を押したのだ。囲まれていた、と頭の中では理解した、しかし体はそれに追い付かず、ぐらつき、前によろめく。そしてそこに、前方に立っていた影が迫る。
避けられない………!
そう悟った彼は歯を食い縛った。
《十四着目 肝試し》
「はい、これ。」
袴は前方に立っていた中年の男に、紙を押し付けられた。どうやら奮闘虚しく、逃げ切れなかったらしい。
「えっと………これは? 」
袴はその紙に軽く目を落としながら、自分の目の前に立っている人物に質問をした。
いや、実は何のことなのか大体の察しはついているのだが、せめてもの反抗として聞いておきたかった。
しかし、そんな袴の思いを知らないのか、知らないふりをしているのかは定かではないが、目の前に立っている男はいい笑顔を浮かべながら、
「今年の肝試し担当も君になったから。」
と袴の肩に手をおいた。
「やっぱりかよ!! 」
袴は四つん這いになり、石畳を思い切り叩くのだった。
そう、この町では小学校の夏休みになると町内会の行事として肝試しを執り行うのが恒例となっていて、それを行う役員が毎年選出されるのだ。つまり、袴は今年のそれに選ばれたということだった。
しかし、袴は自分が選ばれたことに納得できなかった。
なぜなら………。
「私、十歳の時からずっと選ばれ続けてるんですけど!! 」
ということである。
実はこの行事、開始当初から袴以外が担当になったことはただの一度もないのだ。
まだ小学生だった頃からこれの役員にされているあたり、ほとんど嫌がらせではなかろうか。
「もういい加減私じゃなくてもいいじゃないですか! 他の人にしてくださいよ! 」
袴はそう叫ぶように言いながら、全速力で店の戸に手をかけ、自宅に逃げ込もうとした、が、彼の周りを取り囲んでいた人間たちはその遥か上を行く速度で戸の前に移動し、袴の手を取っ手から引き剥がす。
そして、何かの儀式かのように店主の前にずらりと横並びした人びとは柔らかい笑みをうかべながら、
「やっぱり君のが完成度高いからさ。」
と全員で目をそらして言った。
「せめて目を見て言ってくれませんか!? 」
袴がそれに対して悲鳴のような声を上げたのは言うまでもない。
その様子をみた会長は、落ち着け、と身振り手振りをしながら言う。
「ほら、君の家はご近所さんに化け物屋敷とか言われているしさ。」
「それ褒めてませんよね? 」
「ホメテルヨ。」
「片言で言うの止めてくださいよ! あと、せめてこっち向いて言ってもらえます!? 」
「君の家はお化け屋敷だ。」
「ちょっ! なに真っ直ぐ目を見据えて言ってるんですか! これ以上私の精神に攻撃を加えないで下さいよ! お願いします! うちの着物 20 % off で売りますから! 」
「さりげなく商売するなよ! 買うけども! 」
そんなこんなで適当なやり取りが数分間続いたものの、結局袴は「肝試し担当」を押し付けられることとなった。
※
どんよりと負の情念を巻き上げながら、袴はふらふらと自分の店の戸を開ける。
例のやり取りのせいで時間はそろそろ 8 時をまわろうとしていた。
もう、とうに店を開ける時間を過ぎている。
店主は深いため息をつくと、床に倒れ込んだ。
「おはよーございまーす。」
そこに、あくび混じりの挨拶が店に飛び込んでくる。
声の主は珍しく時間通りに出勤してきた簪だった。
「ああ、簪くんおはよう。」
袴はぐったりとした体勢のまま、そろそろと片手を上げて挨拶を返す。
簪はその店主の有り様に、
「ちょっとなにやってるんですか店長。」
と言って駆け寄り、手早く自分の鞄から油性ペンを取り出して袴の顔に落書きを始めた。
「簪くん、あのさ、さりげなく私の顔を画材にするのは止めてくれるかな? あと、それ油性じゃん、消えないじゃん、来た人にどんな言い訳すればいいのさ。」
店主はべったりと床に張り付いたまま、つっこんだ。
「大丈夫です、誰も気づきませんよ。」
簪は自分の携帯を取り出して、パシャりとシャッターをきり、撮った写真を店主に見せる。
「いや、額に“肉”って書いてあるじゃん、絶対に突っ込まれるやつじゃん。
『プロレスラーに転身したの? 』とか言われるじゃん。」
店主は簪の手から速攻で携帯を奪い取り、彼女が先程撮った写真を削除し、画像削除の終わった携帯を返却した。
簪はそれを受け取って、
「そんなツッコミいれる人いませんよ。せめて、『ロビンが良かった………! 』でしょ。」
と言いながら画像を復元している。
「いや、だったら丸描いてその中にロビンってかいておけば良かったじゃん。なんで肉って描いたのさ。後、私が消したそばから君なにしてんの。」
店主は相変わらずへたりながらも、流れるようにつっこんだ。
しかし、それはそれ、
「そんなことより、早く店開けましょうよ。」
簪には完全にスルーされるのだった。
そうして、やっとこさ立ち上がった店主が入り口に暖簾をかけようと店の戸を開けると、そこには既に人が立っていた。
「いらっしゃい、なにかご入り用で? 」
店主は暖簾を手に持ったまま屈んで、いつもと変わらない和やかな挨拶をする。まぁ、袴の額にはまだ簪の落書きが残っているので、挨拶を投げられた少年はしばしの間、目のやり場が分からないようで困った顔をしたが。
「あの、行事の、準備を。」
少年はぽつりぽつりと水滴が落ちるような、途切れとぎれの言葉を口にする。
袴は少年の言葉がちゃんと終わったのを確認してから軽く頷き、
「そう、君が今年の準備手伝い担当の人だね。宜しく。」
と言って少年を店内に招き入れた。
袴にしてみれば、これも毎年のことだった。
この町内行事はほとんど小学校の関連行事と化していて、近隣の小学校の生徒の半分近くが毎年参加している。
そのため、「町内会に一方的に負担をかけるわけにはいかない。」と判断した小学校側が毎年何人かの生徒を準備手伝いと称して、この行事の生け贄にしているのだ。
「ほんと、この行事無くなればいいのにね。」
そんなことを毒づきながら、袴は元来は寝室であったが諸々の事情で、もの置き場と成り果てている一室の障子を開けた。
しかし、文句を垂れ流す袴とは裏腹に、道すがら話を聞いていた簪は後ろに手をまわして、何だか嬉しそうに体を左右にゆらゆら揺らしている。
「えー、肝試しって結構楽しいじゃないですか。」
袴はそんな簪の様子をちらりと横目に見てから、ふうっと深いため息をつく。
それもそのはず、
「そうでもないよ、いつも一所懸命に大道具や小道具を準備して、配置考えて、始まる前の怖い話まで考えてるのに、みんな『つまらない』って言うし。」
ということである。
「え、そうなんですか? 」
簪は心底驚いたようだった。
そう、この行事の最大の特徴はこれなのだ。
大概の子供は行事のあと「ばからしい」「つまらない」と口々に言うのだが、小学校の行事アンケートでは必ず、行われることに決定する。そして、前の年に「つまらない」とか言ってた子が次の年にもいたり、毎年参加していたり、あろうことか卒業後にふらりと参加しにきたりするのである。
その不可思議な状況を袴は、
「まぁ、肝試しが楽しいっていうより、夜に仲のいい友達と一緒に町を歩くのが楽しいんだろうね。」
とそんなふうに解釈している。
この町では未だに、世間的には古いといわれるような伝統を重んじる人間も多く、普段は門限が厳しいというのも、その楽しさに拍車をかけているのかもしれない。
「そんなもんですかね。」
簪はそう言うと天井を見上げた。
そうして簪との話が途切れたときになって、袴は自分の横に立っている少年が居心地悪そうに視線を泳がせているのに気づく。
「あ、ごめん。早く作業にうつろうか。」
袴は慌てて少年を道具部屋の中へ案内した。
道具部屋の中は、今回使うであろう肝試し用の道具から、季節がくれば必要になる暖房器具や防寒着などの物品、それから何に使うために買ったのか分からない謎の置物や禍々しい雰囲気を放つ道具も置かれていて、もはや半分魔窟と化していた。
「ええと、このあたりに大道具………。そっちの方に小道具と資料があるよ。」
しかし、流石は自宅だというべきか、店主はてきぱきと少年に説明していく。
そうして一通り場所の説明を終えると、袴はさっさと大道具を一つ抱えて、運び始めた。
「修繕が必要そうなのは居間の奥にある作業部屋に運んで、そのまま使えそうなのは居間に運んでくれるかな。 」
「はい。」
少年は素直に頷くと、大道具は自分では運べないと判断したのか小道具がまとめてあるところに腰を下ろして、分別を始めた。
そして珍しいことに、
「はーい。」
と間延びした返事をして、いつもは仕事を適当にこなしている簪が頼んでもいないのに作業を手伝い始めた。
※
思わぬ簪の助力。
その甲斐もあって作業は順調に進み、数十分後には全てを運び終えたのだが………。
「いや、ちょっと………簪くんさ。」
袴は渋い顔をする。
それもそのはず、すべての道具がどこかしら傷つけられ、作業部屋に押し込まれていたのだ。
「分けるのがめんどくさいからって、片っ端から破壊すればいいってもんじゃないからね。」
どうにも、簪は最初の方は真面目により分けていたのだが、五分が過ぎた辺りでめんどくさくなり、どこの脳筋が考えたのか分からない、いや脳筋でもやらないであろうこの手法にうってでたということらしい。
「作業は効率的に、ですよ。あ、終わったんで帰っていいですよね。」
積み上げられた犠牲者達を目の前にしても、簪はいけしゃあしゃあと欠伸をする。
そして、そのまま荷物をもって帰ろうとする。袴は一瞬凍りついていたが、慌てて簪を引き留めた。
「いやいや、帰っていいわけないでしょ! 君の仕事は呉服屋のバイトだからね! 肝試しのスタッフじゃないからね! 」
「えー………。」
簪はいかにも嫌そうな顔で店主を睨む。
店主はその視線に怖じ気づくことなく、
「『えー………』じゃないよ! というかいつも営業時間以上に居座ってるじゃん。夕食とか食べていってるでしょ、あの時間、君大体なにもしてないけど、給料払ってるんだからね!? 」
と反論した。
しかし、それはそれ。
「労働者に優しくするのは当然じゃないですか? 店長、あなたの職業倫理が問いたいですね。」
簪はこういう子なのだ。
「仕事しない人に給料払う職業倫理はないと思うけど!? 」
そんなやり取りをしながら、店主はいつものように、頭を抱えるのだった。
そこに、
「あの………。」
いつもとは違う声がぽつりと聞こえる。
その声の主は当然、今日手伝いに来た少年であった。
少年は袴を上目遣いで見つめながら、不安そうな顔をしている。
袴は姿勢を下げて、目線を合わせてから、
「あ、君は帰っていいよ。あの道具を直すのは時間がかかりそうだし。」
と少年に笑かけた。
すると少年は、
「あ、いや、そうじゃなくて………。」
と首を振る。
袴は、ぱちくりと目をしばたかせた。
「ん? 他に何かある? 」
少年は、ぐっと前を見て何か言おうとしたが、店主と目があった途端に開きかけた口を閉じて、再び目を伏せてしまう。
「………いえ、帰ります。」
「そう? それならいいけど。聞きたいことがあったら気軽に電話でもして。大体いつでもこの店にいるから。」
袴は判然としない何かの違和感を感じていたが、深く斬り込むような真似はしなかった。
そして、袴の言葉が言い終わらないうちに少年は逃げるように引き戸の先に消えていった。
ちなみに、少年が帰った後、
「あ、じゃあ私も帰りますね! 」
と簪は便乗してさりげなく帰ろうとしたが、
「いや、君は駄目だって! 」
とあっという間に店主に捕まったことは言うまでもない。
(そういえばあの子の名前聞き忘れちゃったなぁ。)
聞き分けのないアルバイトの後ろ襟を捕まえながら、店主はぼんやりとそんなことを思った。
※
人気のない道を息を切らして駆けていた少年は、呉服屋が見えない場所まで来た所で立ち止まり、荒い息を整える。
少年はズボンのポケットに突っ込まれていた片手をそっと抜き、その拳に握られた紙を見た。
それは写真だった。
若い女性が、変わったピースサインをして写っている。
「おねえちゃん………。」
少年は再び、その写真をくしゃりとポケットに押し込んだ。
つづく!
今回は妖魔がでていないのは、容量の関係です。文句はTwitterかコメントで受け付けますので、本当に勘弁してください。許してください。




