《壱着目》妖しいお客
じっとりと汗ばむ夜、京都駅から出てきた白いコートを纏った銀髪の女は、眩しさに導かれて空を見上げた。夜空には大きな満月が浮かんでいる。あの時とまるで変わらない美しい姿だ。彼女は微笑んでそれをそっと見つめた。
しかし、そうして見つめている内に不可思議なことに気がつく。月の光の上に黒い線のようなものが見えた。怪しがって目を細めれば、その正体はどうやら蝙蝠の群れである。
蝙蝠たちは何かに命ぜられるように隊列を組んで飛び続け、見る間に何処かに消えてしまった。1つ瞬きをした女は、
「みつけた」
と小さな声で呟くと、駅の階段を駆け降りた。
その一方で月を通り抜けた蝙蝠たちは人目を払い、夜闇を縫って、町の片隅にある電柱に集まる。
電柱の上に立つ大きな《翼》を持つ人影は、下の通りに建つ建物を見つめてニヤリと笑った。
―――《 壱着目 妖しいお客 》――――――――
「 嫌だっつってんだろ!」
「 ぶふっ!? 」
男は来店早々、持ってきた黒いマントを顔に投げつけられていた。マントを投げつけたのはその店――付紋呉服屋の店主、付紋袴である。彼は寝癖のついた短髪に髭を蓄えた顎、という店主らしからぬ様相ながらも、白い着物の上にはしっかりと自身の店名が入った紺の羽織を引っかけていた。袴は腕を組み、怒った様子で言う。
「 いいか、ウチは呉服屋なんだよ! コスプレショップでもなければ手芸屋でもねぇんだよ! マントの修理なんてマニアックなもんはおしゃれ工房にでも頼んでろ! 」
しかし、怒鳴られた男は落ち着いた様子で自分の顔にかかったマントを剥がして元のように持ち直す。
「 そんな固いこと言うなよ 」
男は耳を隠す程度の長い白髪に、白いまつ毛で縁取られた金の瞳を持ち、西洋人らしい彫りの深い顔立ちをしている。服装は白いワイシャツの上にライトブラウンのベストを着て、黒いズボンを履いたシンプルなスタイルだ。変わっているのはワイシャツの背に細かな編み細工が入り、その隙間から黒い翼が生えていることだろうか。翼は畳んだ状態で腰に届くほど大きく、その見た目は蝙蝠のものに似ている。
男は鋭い犬歯を覗かせて笑う。
「 最近は仕事でよく服が破れるし、これでも割りと困ってるんだぜ? 」
袴は目を細めて吐き捨てるように返した。
「 仕事ってどうせ例のごとくナンパだろ 」
彼は組んでいた腕を崩して右手を頭に持ち上げ、髪を適当に掻き分けながら白髪の男の方へと歩く。
「 こっちは性犯罪者予備軍の相手をしてるほど暇じゃねぇんだよ。最近は変な客も来るし 」
白髪の男が瞬きを繰り返して袴の顔を見つめていると、背後の格子戸が引かれ女性の声が聞こえた。振り返って見ると、そこには赤い着物を纏ったお団子頭のろくろ首が立っている。
「 あの~セーターのお直しをしてくれる方というのは…… 」
ろくろ首に尋ねられた袴は、
「 私じゃないです 」
と即答して引き戸を閉めた。ただ、閉めたそばから扉が斜めに切り裂かれ、今度は全身に矢が刺さった武者が刀を手に姿を現す。武者は黒い煙のような顔にぎらりと赤い2つの光を覗かせて、禍々しい声を上げた。
「 ワタシノ鎧…… 」
袴は無表情のまま、
「 資料館職員にでも頼んで下さい 」
と言い放つと、壊れてしまった扉の上部を埋めるように身長ほどの高さの板を立て掛ける。するとまたそれと入れ替わるように扉を叩く音がした。袴は立て掛けた板をずらして扉の先を確認する。扉の先に立っていたのは黒いライダースジャケットに身を包んだ、宅配のお兄さんだった。
「 あの、蕎麦屋の配達なんですけど 」
袴は見せられた帳票をチラ見して、早口に
「 2軒隣です 」
と言って板を立て掛け直す。
袴は背中で息を吐くと、眉間にシワを寄せて白髪の男を睨み付けた。
「 これもどうせお前の差し金だろ 」
白髪の男は目線を逃がして苦笑いを浮かべる。
「 いや~? 何のことやら…… 」
袴はそれを白い目で見てぽつりと呟いた。
「 ……確か、吸血鬼って灰にすると高く売れるんだよな? 」
その呟きに、白髪の男はびくりと肩を動かし、叫ぶように言う。
「 急に怖っ! 」
それから、呆れたように息をついて提案した。
「 忙しいなら普通にバイトでも雇えよ。雇えるくらいは儲けてるじゃん 」
言われた袴は口を尖らせて返す。
「 確かに今のところ金に困ってねぇし、実際にバイトを雇ったこともあるよ。 でも雇っても皆、なぜか直ぐに辞めちまうんだよ! 」
白髪の男――吸血鬼は店の奥のふすまの先を見て白い目で言った。
「 そりゃあんたが着物オタクだからだろ 」
襖の先は袴の自宅になっている。店からすぐに見える居間は畳張りの床と土壁を持つ昔ながらの造りだが、その壁にはところ狭しと着物展のポスターが貼られていた。
しかし、袴は吸血鬼の言うことなど気にも留めず、愚痴るように言葉を続ける。
「 バイトは辞めるし、なんでかこの辺りの失踪事件の犯人だって疑われるし、今年も肝試しの担当押し付けられるし、もう何もかもが嫌だっ! 」
それに対して吸血鬼は、
「 後半バイト関係ねぇじゃん! 」
と怒鳴った。しかし、袴は先ほどまでの感情的な口調が嘘だったかのように、平然として吸血鬼の肩をポンと叩く。
「 まぁそういうことで、今年も行事のための人数集めの方頼むわ 」
当然ながら吸血鬼は袴の顔を見返して、
「 いや、なんで!? 」
と声をあげるが、やはり袴はそれも無視して、カウンター脇に走りオレンジの着物を手に取ると、マイペースにテレビショッピングのような語りを始める。
「 やってくれたらこの着物をもれなくプレゼント! 今大人気の最新モテファッション! これさえあれば君も古くさい伝統衣装からランナウェイだぜ! 」
吸血鬼は笑いながら目に涙を浮かべて叫んだ。
「 もうこの人いやっ! 」
《 続く 》
以前に完結させたものを鋭意再編集中です!
現在、この話以降は以前の作品となります。
次回更新をお待ち頂ければ幸いです!