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点呼!

「それでは、出席を始めまぁす。はい、出席番号一番――紅の豚」


 こうして、彼女の点呼が始まった。

 はい。と、呼ばれた生徒が返事をする。


「デコ広助」


 はい。


「淫乱豚」


 はい。


「メス犬」


 はい。


「…………………………」


 俺は天井を見上げた。 

 何が起きているのかわからないだろうが、いや、俺にも何がなんだかまったくわからないのだが、どうやら先生――俺達のクラス『2年月組』の担任教師であるエリザベス・バートリ先生に弱みを握られた生徒達は、家畜だのメス犬だのといった呼称になってしまうという噂がある。そのためか、それとも、鞭でも振るいそうな性格と見た目のためか、一部ドM男からは熱狂的な指示を受けているらしい。

 そんな変態男たちを、尻どころかヒール先に敷いて、刺して、こき使っているようであるから、とんだ魔性の女であることは否めない。


「はい、次はぁ――」


 そして、始まった。

 毎朝訪れる点呼。

 もう入学からほぼ毎朝行われるものだから、俺はもう慣れてしまったが、他の生徒からしたら、今でも辛いものがあるらしい。

 エリザベス先生の唇が三日月に開き、そのあでやかな唇から一層色めいた声が発せられる。それはさながら、歌うように。今すぐにでも踊り出しそうな、童女のように。


「――トーアちゃぁああんっ!」


 エリザベス先生の甲高い声が、教室内に響き渡る。

 形乃(かたの)トーア。小柄で小学生にしか見えない容姿は多くのクラスメイト(幼女愛好者)からも人気があり、また性格は見た目にそぐわず、しっかりとしているため、教師からの人気も高い。

 しかし、なにより。

 どうやらエリザベス先生は、トーアのことが好きらしい。ああこれは当然、『ライク』ではなく、『ラヴ』の方向だ。しかも尋常ではない溺愛振りである。


「はい」


 澄んだ声で、トーアが返事を返す。


「あぁあああああんっ!」


 エリザベス先生が奇声を上げて、トーアの席へと、全身を蛇のようにくねくねと躍らせて寄っていった。

 ――また、始まった。

 俺やアルラはもちろん、それ以外のクラスメイトのほぼ全員の空気が、これからの出来事は『見ざる言わざる聞かざる』ものであると、暗に物語る。


「トーアちゃん可愛いわぁ、今日も可愛いわぁ。明日もきっと、世界一カワイイのっ! ああもう、食べちゃいたい! トーアちゃん、今日はシャンプー変えてきたの? いつもは椿の香りなのに、今日は一段とオシャレな香り! これは百合ね、そうなのね。わたくしと! 禁断の花園へ! 行きたいのねぇっ! はぁー、くんくんくんくん。ああもう、シャンプーの香りとトーアちゃんの素の香りがものの見事に溶け合って、先生の語彙では表現出来ないほど究極的な香りが醸し出されているわぁ……。先生の腰が、今にも溶けちゃいそう!」


 なに言ってるのかよくわからないし、全員もれなくドン引きである。

 過去一度だけ、彼女の自己中心的な行いに対して、口を挟んだ生徒がいた。「先生、その発言は教師として教育者として不適切です云々」と。そりゃあ、そいつの言ったことは正論ではあったし、他の誰もが心の中で賛同していたのだろうけれども。けれども――何度も繰り返し申し訳ないが――相手が、悪すぎた。

 ちなみにその生徒は、現在同様、ダーツのように背後のロッカーに突き刺さるハメとなったのは言うまでもないだろう。

 つまり現状、エリザベス先生を止められるのはクラスの中でもたった二人のみ。

 しかし片方はむしろこの状況を楽しんでいる節があるため、実質止められるのは一人。

 すなわち、形乃トーア本人である。


「先生、出席を続けてください」


 彼女がそう告げると、にっこりとエリザベス先生はご満悦。


「はぁい! 先生出席頑張っちゃうゾ☆」


 これで第一の問題が去ったわけだが、2年月組の恐怖はこれからだった。


「久世原阿久くん」


「はい」


 俺の声に、エリザベス先生は満足そうに頷いた。次いで名簿に目を這わせ、次の生徒を呼ぶ。


「アナル掘られ丸」


 はい。


「メンヘラクソビッチ」


 はい。


「それと便座カバー」


 はい。

 トーアの名を御機嫌で呼んで以降、その機嫌を継続していたエリザベス先生の声のトーンが次第に下がり、静かな空間に、彼女の舌打ちの音が響いた。

 ――今日ばかりは、頼む。

 おそらく、誰もが思ったのだろうが。

 まぁ、その願いは叶わないよね。


「……肥溜め男」


 エリザベス先生の声とほぼ同時、「はい」と応えようとする男子生徒の代わりに、別の男子生徒が爽やか朗らかな声で、手を挙げて言った。ちなみに肥溜め男とは、手を挙げた爽やかな彼の事ではない。


「先生、ぼくの名前が呼ばれていないようです。いやだな、忘れてしまうなんて。まったく、先生はお茶目ですね」


 氷川悠斗(ひかわゆうと)。それが、この男子生徒の名である。

 俺の親友(という設定)。爽やかメガネの、かなりモテるイケメン優等生。

 しかしヤツが手を上げたことにより、第二の門は開かれた。

 クラスメイト全員が、がたがたと震え出す。

 流石に震えるとまではいかないが、俺もこの空気は苦手だった。


「はァ?」


 トーアの名を呼ぶ時とは打って変わって、エリザベス先生の声が、地獄の底から響くようなものとなる。

 笑顔の氷川。剣呑な視線を向けるエリザベス先生。

 ただでさえこの冷たく凍るような雰囲気が嫌なのに。誰が名付けたか、この空気――第二のクラスの闇の時間。

 ――つけられた名は、『大寒波』。

 この『大寒波』の何が嫌なのかって、この状況を、氷川悠斗が誰よりも楽しんでいるからに他ならない。本当に、本当に厄介な友人である。

 氷川とエリザベス先生の発するこの空間は、おおよそ五分間、無言で継続される。

 誰かが何かを言おうものなら、その瞬間にその場から足が離れることはわかりきっている。かつて、この『大寒波』について指摘した者がいたのだが、その者はかつてと同様にロッカーに突っ込まれているので、今更、何も言うまい。

 少しでも物音を立てようものなら――死ぬ。殺される。

 この教室、いつ死者が出ても、おかしくはないだろう。

 緊迫した空気。五分が、経過して。


「先生。そろそろ時間が足りなくなるので、出席の続きをどうぞ」


 トーアのその一言から、激しい歯軋りの音と共に「氷川悠斗」と告げられた。


「はい、出席しております」


 やはり氷川のやつは、どこまでも笑顔だった。


 ちなみに、ロッカーに突き刺さったままの久遠は遅刻扱いにされていた。

 流石に、少しばかり同情した。


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