登校!
「準備はいいか。そろそろ時間だ」
アルラの部屋に来て、そろそろ三〇分が経過する。七時過ぎにここへ来たわけだから、もういい加減に学校へ向かわなければ遅刻してしまう。
「あなた、不良のくせにちゃんと学校へ行くなんて、偉いわね」
「そういうお前は、俺より立派な不良だよ」
もし学校へ行かなければ、家まで押しかけてくるクソッタレ風紀委員がいるのだからから仕方がない。アレを追い払う手間に比べれば、無遅刻無欠席のがよっぽどマシである。
アルラの手を引いて部屋を出ようとすると、彼女の手には、不自然な違和感があった。
何かと思ってその手を見ると、アルラの左手にはたくさんの絆創膏が貼ってある。
「……どうした、その傷」
「――えと、なんでも、ないわ。……ええ、なんでもないの」
寝ぼけた頭が冷めたのか、とっさに右手で左手をかばって、アルラは目をそらした。
絆創膏の数は、おおよそ五。その範囲は左手ほぼ全部。なんでもないことはないだろう。
「まさか、誰かに――」
俺がアルラの手を掴んで問い詰めようとすると、「違うの」と、アルラは俺の口を塞ぐように手を伸ばす。
「昨日、その……包丁、使ったから」
「包丁? 一体、何に」
「……料理」
そう言って、アルラは顔を真っ赤に染めた。
「はぁ? お前、家事ヘタクソだろうが。それでどうして、突然料理なんか――」
「阿久が、言ったから。献身的な女の子が好きって。料理できる女の子が、好きって」
それは、つまり。……なんというか。
もしかしてこいつは、俺のために料理の練習をしてくれた、ということなのだろうか。
「あー、なんだ」
どうにも照れくさくて、首をかしげるアルラの顔を、いまいち直視できない。告白されたわけでもないのに――というか、いつも「好きよ」と告白されることに比べれば、よっぽど当たり前で健全なことに思えるのだけども。
自分のために料理の努力をしてくれた、アルラ。
本当に、彼女は自分のことが好きなのだと、言葉ではなく行動で理解してしまって。
「……お前、ホントに家事は駄目だよな」
どうにも照れくさく、それだけ言って、俺はさっさと部屋を出ることにした。
照れてるの? とそこの女は何度も聞いてきたけれど、無視をした。
☆
「あーーーーーくーーーーーーーっ!!」
チャイムが鳴り始め、あと少しで遅刻になるというギリギリの時間。アルラとともにせっせと走る俺は、自分の教室から顔を覗かせた銀髪ロングの女から、大声で名前を呼ばれてしまった。
なんだ、と答えることがまぁ、普通のコミュニケーションなのだろうが、俺とあいつの場合はもはや、普通のコミュニケーションなど成り立つわけもない上に、あまりに距離が離れずぎている(実に五〇〇メートルの距離である)ので、無視をして走り続けた。
「返事をしなくていいの、阿久」
大きな胸をさほど揺らすことなく、静かに速度を出して俺の横を並走するアルラが聞いてきたが、俺は静かに首を横に振った。
「返事をしようがしなかろうが、どうせ後でどやされる」
今から早速憂鬱だった。
教室に着いた時の、彼女の第一声。
「だから何度も言わせないでください! あの陰鬱女と一緒にいる限り、あなたは遅刻魔の汚名を物色することなんてできないんですよ!」
「黙りなさい、生真面目女。阿久とわたしは運命共同体、離れるなんてあり得ないわ」
陰鬱女と呼ばれたアルラは、彼女を『生真面目女』呼称した。
アルラを陰鬱女と称して罵るこの口喧しい『生真面目女』は、通称、銀髪の風紀委員。
名は、北条久遠(北条久遠)。ぴっちりきっちりと着こなした制服が特徴的で、先も述べた風紀委員の一人である。まぁ見た目も言動もエリート中のエリートであるのだが、彼女は真面目すぎるところがあるせいか、一部生徒や一部教師からは非常に受けが悪い。
もっとも、我がクラスの担任に歯向かえる勇気ある生徒として、一部からは熱狂的なファンがついているが。……ああ、あとさりげなく、歌が上手いらしい。
俺個人の印象としては、やたらと俺につっかかってくる女、といった程度である。迷惑度数でいえば、やたら正論を振りまくので、アルラが六としたら、こいつは八といったところか。
「一番問題なのは俺じゃなくて、万年寝坊のアルラだろ。注意するならこっちにしてくれ」
てへぺろ。と、いつものように抑揚のない声で、アルラは自分の頭を小突いた。
俺も久遠も、見なかったことにした。
「彼女に改善の余地はありません。けれど阿久、あなたには――」
「そう容赦なく切り捨ててやるな。あいつはあいつで、いいところはある」
俺が言うと、アルラが背後で花を咲かせるような笑顔で微笑んでいた。いつもあんな笑顔なら、もう少し人当たりがよくなれるだろうに。
「彼女は不良です。改善の余地もありません」
「ぼくも不良です。改善の余地はありません。はいさよなら」
久遠の言葉を遮って、俺はさっさと自分の席に着くと、アルラも自分の席へと歩いていった。
むー。頬を膨らませて何かを言おうとした久遠に、「久遠ちゃん」と、背後から妖艶な女性の声がかかる。
気付いていなかったのかもしれないが、既にチャイムは鳴っているのだ、そして担任は既に、クラスに降臨なされているのだ、久遠よ。
「なんですかっ!?」
俺にあしらわれたのが気に食わなかったのか、苛立ちを残したまま久遠が声の方向へ振り向いた。しかし、まぁ、相手が悪すぎた。
「家畜が調子乗るな☆」
何かが、起きた。
次の瞬間には久遠の体が瞬く間もなく吹き飛んで、ダーツか何かのように、ロッカーの奥に頭から突き刺さる。
とてもいたそうでした(KONAMI感)。
「はぁい、これで静かに朝のSTを始められるわねぇ」
現れたのは、エリザベス・バートリ先生。英語圏からわざわざこの学校――私立ミタマ学園に赴任してきたらしいが、外人のわりに、外人特有の日本語の鉛がまるでなく、流暢に日本語を話す。いや、外人とか関係ない奇妙な話し方はするのだが。
純白のドレスに、派手な赤い装飾。開かれた胸元に、多くの男子生徒の視線を引き寄せる、魔性の教師。教師が魔性ってどうよ、とか、そのドレスは相応しくないでしょうとか、教卓の上に乗っている巨大でゴージャスで非常に邪魔なソファーはなんなんですかとか、いろいろツッコミたいところは在るけれど、なんかもう突っ込むところが多すぎて誰もが諦めた。
一度だけ先生の身なりなどにツッコミを入れた生徒が若干一名いたのだが、その彼女は現在、「家畜は家畜らしく鳴きなさい☆」というありがたいお言葉と共に吹き飛ばされて、過去同様にロッカーに突き刺さっているので、先生にツッコミを入れる者は現在、誰もいない。
エリザベス先生が巨大なスカートを翻し、カツカツとヒールの音を立てて、巨大なソファーの鎮座する教卓の方向へと戻る。
その度にズリズリと周囲の机を動かしているが、生徒は大人しく、彼女の去った後の場所に机をもとの配置に戻していた。その様は、本当に女王か何かのようである。
とん。――と、羽毛を思わせる足取りで跳躍し、エリザベス先生は柔らかに、教卓の上に置かれたソファーへと腰を下ろす。
教卓だけで一メートル、その上に置かれたソファーに座るには、二メートル程度の高さを跳躍しなければならないのに、あのドレスのままソファーに難なく座れるということから、先生が只者ではないことを伺える。
エリザベス先生は、手に持ったクラス名簿を開き、指でなぞり――つい。と――生徒をねめつける様に見回した。最後に、ロッカーに突き刺さった久遠を見る。
「真面目なのは悪くないのだけど、わたくしを不快にさせてはいけないわぁ。ね、わかっているわよね、家畜共」
ぶんぶんぶんぶん!
さながらパンクバンドのライブでひたすらヘッドバンキングをするヘビーパンカーがごとく、クラスのほぼ全員は彼女の言葉に過剰なまでに頷いた。
その様を見て、「よろしい」と満足げに彼女は微笑む。
いや全然よろしくないだろ、どうみても異常だろ。
――もっとも、久遠共々、仲良くロッカーに突き刺さるつもりは毛頭ないので、口には出さないが。
「それでは、出席を始めまぁす。はい、出席番号一番――紅の豚」
こうして、彼女の点呼が始まった。