明日の笑顔
「ほら、笑ってよ」
「なんで?」
「僕が見たいからさ」
「楽しくもないのに笑えないわ」
これが僕と彼女のいつもの会話。僕は彼女に笑顔をせがみ、彼女はそれを拒否する。こんな日々がずっと続けば僕は幸せ。彼女がどう思っているかは知らないけど。たぶん楽しくなさそうだ。
「写真に撮りたいんだよ」
「なおさらイヤよ」
「君の美しさをフィルムに閉じ込めたいのさ」
「気持ち悪い」
「ひどいなぁ」
彼女は自分がかわいいことに気が付いていないのだ。
もしそんな子が身近にいたら、その子に教えてやりたくなるだろう? 君はかわいいし、僕は君に夢中だと。
彼女はすっかり自信を失っている。励ますなら今だ。彼女の心に巧みに入り込み、僕の虜にしてみせる。
「出会ったときもそうだった」
「おや?」
不意に彼女が思い出を語り始める。少しだけ昔の話、出会ったときの話を。僕とのエピソードをわざわざ披露するなんて、大事に閉まっておいた以外の何物でもない。
「私を見る目がいやらしかった」
「汗で透けたブラウスを見ていたんだ」
「最低……」
「すみません。でもあれがなきゃ君に興味を持たなかった」
「そうね。ならいいわ」
彼女の態度が軟化する。今がチャンスだ。
「よし、やっぱ写真撮ろう」
「え? イヤよ。こんな格好だし。お化粧もしてない」
「すっぴん、綺麗だよ。よし、ナチュラルメイクは許可しよう」
「え、ええ?」
無理やり彼女に化粧をさせ、僕はカメラを構える。
「ほら、笑ってよ」
「うーん……」
困った顔も素敵だけど、やっぱり僕は彼女の笑顔が好きだ。
「愛してるよ」
「……ふっ……。笑っちゃうようなこと言わないで」
僕の愛は一笑に付される。けど笑ってくれたからすべてよし。
「そのままそのまま!」
「撮らなきゃダメ?」
「ダメ。愛してるよ」
「あはは。それは反則だって」
冴えない僕の口から出ると面白い言葉なのだろう。
「はい、チーズ」
パシャ。
病室で撮ったそれは彼女の遺影になった。ガンだった。痩せ細って皺くちゃな笑顔。世界で一番かわいい。八十歳のおばあちゃんの笑顔。僕の妻の笑顔。
僕だってスマホくらい使える。これは便利だ。いつでも彼女の笑顔を見ることができる。
これからも、気弱な僕と辛い現実を笑い飛ばしてくれ。妻よ。