零度真央 #7〜本来の自分、知られざる自分〜
「楠太陽と言う存在だけが気になる所だが、まぁ良い。俺はこれから『優等生』のレッテルを取り返す。二人とも手伝ってくれ」
俺が二人にそう告げて、魔王に戻ってから数日が経った。下手な演技をするまでも無く馬鹿な姉は俺が魔王に戻った事には気付かず、今日も生徒会と言う皮を被った敵の本拠地に入り浸っている。
「この間、空想の昔話をしたことを覚えているか?」
俺の問いに冷利は素早く答えた。
「一つだった世界が三つに分かれた世界の話ね? それがどうかしたの?」
「それは俺が本来暮らしていた世界の昔話だ」
「零度、それ何の……ムグッ、ブフッ」
「続けて」
博の口には一瞬のうちに棒状で二種類の色がらせん状に着色されているスナック菓子『ねじり鉢巻き』が四本詰め込まれていた。ねじり鉢巻きは二つの味が楽しめることが出来るのが特徴のスナック菓子なのだが、博の口に詰め込まれたねじり鉢巻きは何故発売され未だに売られ続けているのか誰も知らない謎の味『シャンプーアンドリンス味』だった。
「粉を噴き出すな。食べるなら台所に移動してくれ」
食品に使われているのが不思議なほど清潔感のある香りが我が家のリビングを包んだ。その臭いのもとがねじり鉢巻きのカスだと言うのだから驚きだ。
「話を続けるが、俺はお前たちの知る零度真央ではない。本来の俺は魔王と呼ばれ、お前たちのような人間から恐れられていた。今の俺からは想像などできないだろうが」
「いえ、私は真央の言葉を信じるわ。こんなに愉快な冗談を勉強馬鹿の真央が言えるとは思えないもの。どうせ、学校を姉弟揃って遅刻した日に真央の身体に紛れ込んだのでしょう?」
「気付いていたのか」
「あの日から真央は変わった。前までの真央は私たちとは関わりを持っていなかった。私が真央と喋ったのはあの日が初めて」
そんな筈はない。俺の、零度真央の記憶には冷利や博と話した記憶が……。おかしい、記憶を探っても出てこない。それどころか今まで浮かんでこなかった知らない記憶が頭に流れ込んでくる。
「俺は、一人だったのか?」
「一人ではなかったけれど、一人だったわ」
矛盾しているように感じるその言葉だが、矛盾はしていないようだった。
「今までの記憶は、何者かに書き換えられていたのか?」
「どうかしたの?」
「いや、この状況とは全く持って関係のない事だ。言うなれば明日の夕飯は何を作ろうとか、その程度の事を考えていた」
急いで取り繕ったが嘘だ。冷利は優のようなバカではないから分かっているだろう。
俺の記憶を、俺が今まで零度真央の記憶だと思っていた記憶は恐らく俺たちの敵である天風楓によって書き換えられていたのだろう。その記憶改ざんが今この瞬間に解かれたという事は、あちらは既に戦う準備が整ったという事だろう。
「冷利、天風楓は既に動いているはずだ。明日の朝、敵の城に乗り込む。構わないな?」
「構わないわ」
「ホガッ」
冷利は温かく微笑み、台所からは博がシャンプーとリンスの良い香りを漂わせながら決意を固めた。
「明日は早い、今日は早く帰って初戦であり決戦である戦いに備えてくれ」
「そうね、真央の言う通りにするわ」
明日がとても重要な日であるからなのか、冷利は不自然なほど忠実に俺の指示に従い、博を連れて帰宅した。
「さて」
二人には明日と言ったが、天風楓は『テン』は既に動き始めている。それを考えると明日を待つ時間など無い。それに明日に明日があるとは限らない。
「楠太陽、奴には痛めつけられた借りを返さなくてはいけないな」
記憶の改ざんが解けた瞬間、俺はこの世界に来て失われていたモノを取り戻した。
「まだ万全とは言えないが、この程度でも十分だろう」
不死ではないし、威厳も権力も無い、ただの愚かで醜くそして儚い人間の俺だが、人間の力を遥かに凌駕する魔王の力がこの零度真央の身に宿っていた。
時計の針が十の刻を示した頃、我は一人家を出た。この世界を救いたいという勇者的信念で動いているわけではない。
我は、魔王でありながら魔王になりきれていない俺は学校から出てこない『優等生』な不良娘を救うため、静けさの欠片など感じさせない住宅街を駆けた。
「何もかもがこの世界に来た初日に見たものだな」
数十日という短い間に知った事だが、通学路はいつも同じ道順だ。人間にとっては当たり前の事でしかないのかもしれない。しかし、見るたびに道が変化する魔界でそれが常識であると思って暮らしていた俺にとって変化しない道と言うのは新鮮だった。
「厄介な魔法をかけて来たな」
視界を邪魔する水滴が魔法ではないことくらい十分承知している。
これは涙だ。
俺は、この何の関係もない平穏で調和のとれた美しく醜い世界に未練があるらしい。
「魔王も泣くのね」
視界を歪ませる涙と光を通さぬ闇で五メートルの距離に達するまで存在を確認することが出来なかったが、御影高等学校の閉ざされた校門の前には冷利と博がいた。
「何をしている? 早く帰らないと補導されてしまうぞ」
「同じ言葉を返してあげるわ『劣等生』。帰って予習復習でもしていれば良いのではないかしら?」
互いに無駄に睨み合い、そして笑いあった。
「着いて来るのは構わない。だが、俺は魔王だ。いつ冷利たちを見捨てるかわからないぞ」
「その時はその時。だろ? 冷利」
いつも会話に入れてもらえないお返しと言わんばかりに博は満面の笑みで言った。その後冷利にねじり鉢巻きシャンプーアンドリンス味を口にねじり込まれていたのは言うまでもない。
「補導されるのは十一時からだったな? じゃあ、それまでに全てを終わらせるとするか」
午後一〇時〇七分、戦いの幕は密かに開かれた。
零度真央視点の物語『第7話』となりました。
本当は優と真央のダブル主人公で交互に話を進めるつもりだったのですが、いつの間にか真央視点の方が長くなり、前回で終わった優視点の物語の話数を超えてしまいました。
真央視点の物語では真央、冷利、博の三人が主に登場しているのですが、私としては真央と冷利の関係が好きです。
今後もあからさまに真央と冷利をプッシュするかもしれませんが、ご了承ください。
今後は、真央と冷利、割と話に入れてもらえない博の活躍が見ることが出来るのではないかと思いますのでご期待ください。
想像以上に今回の後書きが長くなってしまったのでこの辺で失礼いたします。
東堂燈




