《地雷》
「はあぁ~……メチャクチャ緊張したし、気まずかった。嘘を吐くのぐらいどうってことないって思ってたのに、彼氏のフリするのがまさかここまでヘビーだとは思いもしなかったわ……」
「何でもするって言ったのアンタだけどね」
店に辿り着くや否や、修一はテーブルにべったりと突っ伏し目線だけで瑪瑙を見上げていた。店を訪れるのはこれで二度目だというのにその図々しさは如何なものだろうか。瑪瑙は特に気にせずにこやかに微笑んでいたが、琥珀はといえばカウンター席で頬杖を突きながらそのだらしない顔を不愉快そうに睨んでいた。……実際、不愉快以外の何物でもないのだが。
「それで、何か情報は掴めたのかな? 琥珀」
「夏切美智留の部屋にこのプリントがあったわ。三日後の土曜日に弟のクラスで学習発表会があるそうよ。演目は『三匹の子豚』」
「呪いの人形を追いかけたら今度は人形劇に辿り着いたってか。そりゃ奇遇だな」
そんな軽口を叩いてから修一は青い縁の綺麗なティーカップに口を付ける。彼が飲んでいるのはシナモンを加えた瑪瑙特製のロイヤルミルクティー。芳醇な甘さの中にシナモンのアクセントが加わることで優雅な味わいを演出してくれる。兄の淹れる紅茶はどれも好きだが、琥珀はこのメニューだけは特別気に入っている。そんなお気に入りのメニューを、何処の馬の骨とも知れぬ人間に振舞われて琥珀は内心穏やかではない。
「……だけど、それだけじゃ手掛かりにはならないかな。夏切美智留の死因は暴食の人形だけど、それと幸太君の人形劇をイコールで結ぶのはまだ無理がある。他に、何か決定的な情報はないのかい?」
「弟の、夏切幸太の反応があからさまに怪しかったわ。問い質したら何か隠してるような素振りを見せたの」
「ちょい待ち。事情は何であれ姉貴が死んだ直後に問い詰めたってのか? そりゃ普通に動揺するだけだろ。相手は小学生だぞ」
「アンタは黙ってて。無関係なんだから」
「ったくよ……妹さんからも何か言ってやれよ。コイツちょっと暴走気味だぞって」
今の今まで一言も声を聞かなかったので何事かと振り返ってみると、瑠璃は一番奥のソファの上で眠っていた。初めて見た時と同じ、不思議の国のアリスのようなエプロンドレスに艶やかな金髪。瞳を閉ざし眠るその姿は本物の西洋人形のようで、つい昨日血みどろの殺戮を繰り広げていた少女とは到底思えないほどに美しかった。エキゾチック、とでも言えばいいのだろうか。琥珀も琥珀で美貌の少女だが、改めて見ると瑠璃も相当に美少女なのだ。敢えて琥珀を『月』に例えるなら、瑠璃は『太陽』と言うべきか。名前だけ見たら全くの正反対なのだが。
「……流石に寝てるの起こしたら可哀想だよな」
「別に声を掛けたって構わないけど、起きないと思うわよ。《ラピス・ラズリ》は怠惰な|コだから」
「いくら自分の妹でもそりゃ言い過ぎやしないか? お前、性格悪過ぎ」
「事実だから。《ラピス・ラズリ》は自分の好きな事以外で動こうとしないの。起きる時は、私が人形を見つけて殺しに行く時か、それか…………兄さんと買い物に出かける時ぐらいね」
「何だその極端な二択……」
不憫な妹だなぁと思いつつ、修一は眠っている瑠璃の傍に寄ってみた。すぅすぅと寝息を立てる寝顔は姉と違って優しそうで、ほんの少し保護欲をくすぐられる。実際は保護なんぞ出来るような御仁ではないのだが見ている分には癒される。
と、修一が瑠璃の顔を覗きこんだその時だった。
――カチ。
そんな小さな音と共に瑠璃の碧い両目がパッチリと開き、両手をうんと天井に伸ばし始めた。
「うぉ……!」
『ん、んーぅ……ぁ、おはよーおにーさん』
「……ビックリした。普通に起きたじゃねーか」
目覚めたばかりの瞳をパチパチと瞬かせ、瑠璃はソファを降りると修一の目の前で丁寧にお辞儀をする。
『今日もお店に来たんだ。何してるの?』
「何って、昨日の続きだろ。あの暴食の人形とやらが偽物で、本物の人形が今も街の何処かに居る。それを探してる真っ最中だ」
『あの人形がニセモノ? ふぅん……』
納得いかないような気難しい顔を浮かべたかと思うと、瑠璃は修一の隣を通り過ぎてカウンター席へ飛び乗る。琥珀はそれを険しい顔を浮かべて見つめ、瑪瑙は寝起きの彼女にホットチョコレートを出した。
「それで、今は誰が人形を持ってるかって話をしてた最中。琥珀は夏切美智留の弟君が怪しいって睨んでて、修一君はそう判断するには早急だって言ってる。瑠璃ちゃんはどう思う?」
『さあー?』
にべもなく、瑠璃はマグカップのホットチョコレートをズズズと音を立てて飲み始める。出来たてで湯気ももうもうと上がっているのに熱くないのだろうか。猫舌の修一からしてみたらゾッとするような光景だ。
『瑠璃、そういうの考えたりするのキラーイ。考えると、頭の中ぐるぐるして気持ち悪いもん』
「《ラピス・ラズリ》は余計な事を考えなくていいの。どうせ考えたって何も出て来ないんだから」
『えへへー』
「…………」
明らかに馬鹿にされてると言うのに妹は笑い、そして何故か姉は顔を歪ませる。普通は真逆の表情を浮かべるはずなのに、そんな対照的な表情になるのは何故だろうか。それを抜きにしてもこの姉妹に関しては不思議な事が幾つもある。
「なぁ、ちょっと聞いていいか?」
「イヤ」
『いいよー?』
姉には即答で斬り捨てられ、代わりに妹から快諾を得たのでまずは“妹”から訊いてみることに。
「じゃあ妹さ……や、瑠璃。呪いの人形と戦うってのはお前の役割なのか?」
『そうだよー。お姉ちゃんが後ろで指示をくれて、それに合わせてアタシが動くの』
「怖くないのか? 一歩間違えたら、瑠璃だって死んじまうんだぞ?」
「んーん、全然怖くないけど。アタシはお姉ちゃんのために戦うぐらいしか出来ないし……あ、でも戦うのは楽しいから大好きだよ!」
「楽しい……ね」
天真爛漫な笑顔を浮かべる瑠璃に修一は思わず言葉を失ってしまった。戦うのが楽しい、なんて普通の人間だったら言うわけがない。そもそも、普通の人間なら滅多なことでも無い限り“戦う”なんて言わないし、彼女の言う“戦う”とは殺し合いのことだ。それを平然と言い放つ辺り、彼女はそれに慣れているのだと判断出来る。
何故、彼女が戦っているのだろう。見た目はどうあっても普通の女の子なのに。
「……何?」
次は琥珀に、と思って振り返った瞬間凍りつくような視線が修一を貫く。何も答えたくないオーラが全開だが、これぐらいなら別に答えてくれるだろうと適当に高を括って口を開いた。
「最初から割と気になってたんだが……なんでお前は妹のことを《ラピス・ラズリ》って呼ぶんだ? 瑠璃って名前で呼べばいいのに」
「……ッ」
修一からしてみれば些細な疑問だったのだが――その言葉は琥珀の逆鱗に触れてしまった。カウンターに乗せていた拳を堅く握りしめて震わせ、端正な横顔が酷く歪んでいく。
「……アンタには、関係無い」
「そりゃま、そうだけど……妹なんだから名前で呼んでやれば」
「アンタには関係無いッ!!」
目の前で雷が落ちたような怒号が鳴り響き、激昂した琥珀は玄関扉を押し退け路地裏へ飛び出して行ってしまった。突然の出来事に呆気に取られた修一は、瑪瑙に助けを求めるような視線を送った。
「いや、そこまで怒ること……っすかね?」
「……物の見事に琥珀の地雷を踏んだね修一君。あれは彼女にとって最も触れてほしくない部分だよ」
「えっと……その、なんかすんません」
「いつかあの子の気が向けば教えてくれるとは思うけど……ま、今はそっとしてあげた方が無難かな」
「いや、俺ちょっと行ってきます!」
アンティークな椅子を蹴飛ばし、以前と同じように玄関のベルをけたたましく鳴り響かせながら修一は路地へと飛び出していく。右か、左か。大袈裟に首を動かした後、修一は路地を左手に走って行ってしまった。
『……お兄ちゃん』
「なんだい、瑠璃ちゃん」
『なんであのおにーさん、お姉ちゃんのこと追いかけたんだろ?』
「そりゃあ、琥珀のことを放っておけなかったからだよ。男の子ってのは女の子を大事にするものだから」
『ふぅん……』
興味があるような、ないような。
そんな曖昧な色を浮かべた碧眼は、路地の向こうをぼんやりと見つめた。