《兄と妹たち》
想像していた以上に入り組んでいた、迷路のような路地裏を大通りから反対方向に往くこと十分弱。クモの巣でデコレーションされたオンボロ室外機を飛び越えた先で修一を待ち受けていたのは一件の喫茶店だった。
「こんなトコに、喫茶店なんかあったのか……」
今時にしてみれば赤いレンガ造りの建物とは非常に古風なことこの上ない。窓には優雅な意匠を凝らした鉄格子に彩られ、一見すれば有名雑誌に名を連ねていそうなアンティークカフェのように見える。しかし、いくら外観が良くともこんな路地の裏の奥とは立地が悪すぎる。これが例えば駅前のバスロータリー付近にでも出ていたら、オフィスレディや学校帰りの女子高生などがこぞって訪れる大評判の店となるに違いないだろう。
……が、修一個人から言わせてもらえばこのような店は苦手である。どこぞのチェーン店なら友人と行くことも多々あるが、完全に個人経営の店となると何と言うか“一見さんお断り”みたいな雰囲気を勘繰ってしまって少々入りづらいのだ。
「何ボーっとしてるのよ。さっさと入りなさい」
二の足を踏み出せずにいた修一を残し、白髪の少女は店のベルを鳴らして消えていく。完全に慣れている、といったその挙動。やはり男子に比べれば女子の方がこういう店に対し圧倒的に適性があるように思えた。
『どうしたの? 早く行こーよ』
「……わかってるって」
たかが喫茶店に入るだけだというのに、修一はまるで道場破りにやってきた悪漢の如く扉を勢いよく開け放ってしまい、頭の上でベルがけたたましく叫んだ。入るなり、白髪の少女のむすっとした表情に出迎えられる。緊張していたとはいえ流石に強く押し過ぎた。
「…………」
心臓が刺し貫かれてしまうのではないかという鋭利な視線を極力受け流しつつ、修一は気まずい空気を誤魔化すために店の中に視線を巡らせた。店内は外観に違わずテーブルを始めとする内装にも瀟洒な雰囲気が漂っていた。壁に掛かった、高いのか安いのか値段の予測すらできないような奇妙な絵画。修一の背丈と同じぐらいの柱時計は金色の分針を煌々と輝かせている。その他目につく調度品の数々も含めその全てが高級そうで、喫茶店というより高級ホテルのロビーに近い雰囲気だった。恐れ多くて、革張りのソファーに腰を埋めるのが怖いあの感覚。そう思ってしまうのは修一の庶民性ゆえか。
「琥珀、瑠璃ちゃんもおかえ……おや? 二人が男の子のお客さんを連れて帰ってくるとは珍しい……いや、初めてかな」
修一が店の内装に見惚れていると、カウンターの奥から店主と思しき若い男性が現れた。チェック柄のエプロンに身を包んだ線の細い顔立ち。ふにゃりとした茶色の癖っ毛に甘いマスクと、所謂イケメンに属される容姿の人物だが、そんな容姿よりも修一の目を引いたのは彼の左目の眼帯だった。小さく装飾の入った黒い眼帯は、失礼ながら何処となく中二臭さを感じる。怪我……だろうか。
店主は白髪の少女にコーヒーを出してから修一の姿をまじまじと見つめだし、やがて大真面目な顔でこう言った。
「いらっしゃい。もしや君は…………琥珀の彼氏かな?」
「そんなワケないでしょ!?」
ガチン! と木目が綺麗なカウンターの上でコーヒーカップが跳ねる。当の本人は頬を染めつつ殊更不機嫌そうに眉根を寄せ、人が殺せそうなほど強烈にギリッとこちらを睨みつけてきた。理不尽だ。
「ん? じゃあ瑠璃ちゃんの恋人だったりするのかな。うぅん……琥珀も瑠璃もいよいよ隅に置けなくなってきたなぁ。もう結婚とか、考えてるのかい?」
『瑠璃、こんなのが恋人とかイヤー。アタシはお兄ちゃんと結婚するんだもーん』
ラピス・ラズリは修一の脇をするっと通り抜けると、店主の正面の席に立ち両の手で可愛らしく頬杖をついて見せた。こんなのと指差された揚句、理不尽に二度も振られた修一の心の傷はそこそこ深い。
そんな和気藹々とした空気だったが、修一から見れば酷く浮ついているように見えた。何故なら彼女たちは今しがた人を一人を殺し、惨劇を繰り広げその身を血に染めている。打って変わり過ぎなこの雰囲気が茶番じみて見えるのは仕方のないことだった。
「アンタら……一体何者なんだよ。さっき人を殺したってのに、どうしてそんな」
「アレはもう人間じゃない。ラピス・ラズリが始末したのは呪われた人形に乗っ取られた人の死骸だから、別に人殺しをしたわけじゃないわ」
「呪われた人形って……いや、だから何を言って」
「……なるほど。説明がめんどくさいからボクの所に連れて来たってわけか。じゃあ、その先はボクが引き継ごうか」
店主に促された修一はラピス・ラズリから一つ分離れた場所に座ると、頼みもしないのにコーヒーがやってきた。思わず財布とメニューを覗く修一に、彼は「サービスだから」と小さく告げた。
「まずはボクたち兄妹の自己紹介からするよ。ボクは暁 瑪瑙《アカツキ メノウ》。それから彼女たちはボクの双子の妹で、そっちでムッとしてるのが琥珀《コハク》、こっちが瑠璃《ルリ》だ」
『えへへ、瑠璃だよー。よろしくね』
「……佐藤、修一《サトウ シュウイチ》です」
そういえば自分も名乗っていなかったと今になって思い出し座ったままの姿勢で軽く頭を下げる。穏やかに微笑む瑪瑙と、ひらひらと手を振るラピス・ラズリ。琥珀は修一にチラと一度だけ視線を送ると無言でコーヒーを一口つける。妹二人は瓜二つな容姿だが、兄の方はさほど似ているような気がしない。そりゃ、男女の違いもあるのだが。
「さて、君が見たモノについてだけど……琥珀が言った通り、あれは呪われた人形に体を奪われてしまった元人間さ。腕に人形をはめていたのを覚えているかい? 豚をモチーフに作られた手操り人形だ」
「え……あぁ、そういえば」
中年の男を喰っていたあの時、ラピス・ラズリと戦っているときにもあの手操り人形を使っていたのを思い出す……というか、ラピス・ラズリの足元に無造作に転がっている。見てくれも汚いし奇妙な人形ではあるが、まさかこれが呪いの人形とやらなのだろうか。たしかに見た目は酷く禍々しいが……
「少し話は反れるけど……修一君は『七つの大罪』って言葉を聞いたことがあるかい?」
「え? 七つの大罪?」
どこかで聞いた覚えがあるようなないような。
そんな修一の曖昧な反応を見た瑪瑙は、まるで授業を教える優しげな教師のようにコホンと一つ前置いてから語りだした。
「七つの大罪っていうのはキリスト教の考え方で、人間を罪へと導くとされる欲望、或いは感情のことだ。七つの罪源って言う時もある。それぞれ『傲慢』『嫉妬』『憤怒』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』の七つとされているね」
「それが、人形と……? そういえばさっき、暴食の人形とか言ってたような」
「そんな七つの大罪の一つ、暴食を主 題として創られたモノが、さっき君も見た手操り人形さ。ありとあらゆるモノを求め、何であろうと喰い尽くす“暴食”の人形。動物も植物も……そして人間をも喰らい尽くす、暴食の呪詛が刻まれた忌むべき人形さ」
「……」
修一は無言で瑪瑙の言葉をゆっくりと反芻していた。平時であれば、呪いの人形だなんて非現実的でオカルトじみた話題なんぞ笑い話以外の何物でもないのに、今回ばかりはそれを全て目の当たりにしまっている。あれが夢や幻の類ではないのは、今自分が飲んでいるコーヒーの苦みが証明してくれている。だからこそ、修一は気になっていた。
「……いくつか、質問しても?」
ここで無言に徹していれば、それ以上この件に関わることもなかっただろうに。修一は今の話を聞いて気になる点を瑪瑙に訊ねることにした。彼は黙って頷く。
「そんな物騒な、呪いの人形なんていったい誰が何のために創ったんだよ。人を殺すためだけってんなら何て言うか……滅茶苦茶だ、そんな人形」
「創った理由は流石にボクたちにもわからないな。創った人物のことなら、多少知ってるって程度だけど」
『人形を創ったのはね、頭の中身がぶっ壊れちゃった人! ババァーン! ってさー』
ラピス・ラズリは大きく身ぶり手ぶりを付けながら無邪気に物騒なことを口走った。それを聞いた瑪瑙は小さく苦笑を堪えていて、隣に座る琥珀の眉間には鋭い皺が寄っていた。
「元は名のある人形技師だったんだけど、何かが原因で気狂いを起こしてしまったらしい。そうして発狂した人形技師はボクたちには理解できないような趣向と技術で人形創りに没頭した挙句……自分の息子夫婦、それから孫娘を一人惨殺した。あまりにも支離滅裂で凄惨な事件だったから、新聞にもニュースにもならなかったけどね」
「……そんなこと、どうしてアンタらが知ってる?」
今まで緊張で委縮しかけていた口調が元に戻り平時の調子で修一は瑪瑙に迫る。一瞬の間を開け、彼は静かに首を振りながらこう答えた。
「人づてに聞いた話だからボクもそれ以上の詳細は知らないよ。というか、流石にこれ以上は関係者でもない君に話せるようなことでもないしね」
「…………そう、か」
狂った人形技師が創り上げた、呪いの人形。
人形は一人の少女の自由を奪い、己が欲望のままに暴れそして人を一人喰い尽くした。にわかには信じ難いような出来事だ。それを平然と話す彼らも、やはり胡散臭いと思えなくもない。
「アンタ、あの女の子の知り合いだった……とか?」
「へ? 女の子って……あぁ」
言葉を失いかけてた修一に、琥珀が頬杖を突いたまま目線だけこちらに向けてぼそりと呟く。あの女の子……と言われ、それが先に殺された女子生徒と気付くのに少し時間が掛かってしまった。
「同じ高校の女子ってのは確かだけど知り合いじゃない。ただ帰る途中で見掛けた時に様子が変だったから追いかけて、そうしたらアンタらに出くわしたんだ」
「……普通、友達でも知り合いでもない女の子を追いかけるものなの?」
「だから、様子が変だから気になったって」
「そんなの、無視すればよかったじゃない!」
「はぁ……ッ?!」
いきなり怒鳴られ面喰ったが、自分の言い分のどこに怒鳴られる要素があるのか全く見当がつかず困惑し修一は半ば勢いで彼女に反論した。
「いくら見知らぬ他人でも、様子が変な人を見掛けたら普通放っておけないだろ。もしかしたら、自分の力で何か出来るかもって」
「そんな正義の味方みたいな気持ちで後を追いかけてたの? ……あの時のアンタ、まるで覗きみたいにコソコソしてたじゃないの」
「そっ、れは……」
衝動的な勢いだったが、それも彼女のその言葉一発で減衰してしまった。下心があったのは事実……いや、ほとんどそれを目的に後を追いかけていた。修一に反論の余地はこれっぽっちも残されていない。
ここで迂闊にも押し黙ってしまったせいか、彼女はさらに不機嫌そうに顔を歪めると席を立った。
「“暴食”の人形の関係者じゃないっていうなら用は無いわ。帰って、そして今日の出来事も私たちとの事もこのお店の事も何もかも……全部、忘れなさい」
コツコツと靴音を響かせながら、琥珀は長い白髪を揺らしながら店の奥へと歩いていく。ドアの前で立ち止まると、彼女は修一の方へ振り返る事もせずにこう呟いた。
「一つだけ、助 言するわ。そういう好奇心に任せて動くのは、今後一切止めなさい。でないと、アンタも死ぬから」
それだけ言い残し、彼女はドアの向こう側へと姿を消してしまった。修一は呆気に取られてしまい、美術館のオブジェのようにその場で数秒ほど固まってしまっていた。
「……な、何なんだよいったい……」
「あれは……琥珀なりに君を気遣ってくれてるんだと思うよ。同世代の男の子と接するの、ずいぶんと久しぶりだと思うし」
「とんでもない姉貴だな……って」
『……くかー…………』
いつの間にか、ラピス・ラズリはカウンターに頬をくっつけて居眠りしていた。涎の滝を流し、この世の幸せだけを感じているかのような至上の寝顔を浮かべている。ロリコンが見たら色んな衝動に駆られて危ないかもしれない。
「さて、今日はもう遅いから君も帰った方がいい。この辺り、慣れてない人じゃ中々大通りに出られなくて大変らしいから」
「……じゃあ、失礼します」
もやもやと釈然としない感が胸の内に渦巻き、ここで何か注文して居続けようかとも思ったが……止めた。このままここに居ても埒が明かないし意味が無い。ついでに言うと、さっき見たメニューの金額に全然手が出せない。彼の言うとおり大人しく帰って、そして彼女の言うとおり全てを忘れてしまった方がいいのかもしれない。
「縁があったらまたおいで。お客さんとしてでもいいし、琥珀や瑠璃の“お友達”としてでもいい。ボクは君を歓迎するよ」
店のドアに手を伸ばし力を込めようとしたその瞬間、そんな言葉が飛んできて修一は半身だけ振り返る。とても優しい笑顔。いや、完全に優しさだけを浮かべているのかどうかは分からないが。何となく修一は引っ掛かりを感じたが、特に何も言わず黙って路地へと出て行った。
※
「アイツ、行ったの?」
店に戻ってきた琥珀は相も変わらず不機嫌そうな表情を浮かべ、先ほどと同じカウンター席で頬杖をついた。
「みたいだね。聞耳立ててるって気配も無いし」
「…………それで兄さん、この人形のコトで話って?」
「まだ終幕とは程遠いみたいだ琥珀。この人形、良く見てごらん」
「……?」
今しがた手に入れたばかりの、“暴食”の人形。
主を失い、今はただ禍々しい雰囲気を放ちながら無残な姿を晒している。
良く見て、と言われても琥珀にはただの不気味な人形としか映らなかったが、瑪瑙は言った。
「どうもこれは“暴食”の人形の……模造品みたいなんだ」